日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

コツコツ努力を続けていると・・・、これはきっと何よりも力強いセオリーです。

2008-05-14 22:19:08 | 私の雑感あれこれ
母親が里帰りから戻った頃合を見計らって架かってきた電話。

彼女は、パートナーと、今事業を始めようとしている。
思いもかけなかったことで、アレコレ心配する母親に、

彼女のパートナーの考え方として、こう伝えてきた。

なにごとも、そして事業も、きっと学校の勉強と同じだよ。
はじめは、周りがすごく優秀で、とても叶わないと思っていても、コツコツと努力を続けていると、そのうち気づくと自分が一番になっている。
そんなもんだと思うよ。

私もそう思う。
だから、できると思っているし、いろいろ考えていくことが楽しい。

彼女は努力家。
きっとパートナーも努力家で、体験からでた言葉なのでしょう。

そりなりの収入を得られるこれまでの職場で、2年、3年と続けていくことよりも、若い今の時間を有意義に使いたい、と。

会社は容易に作れるような時代。
でも、そのうち生き残るのは、まったく僅少。
でもしないことには始まらない、と
若い人はスタートを切る。

安定ではなく、可能性の選択。
ついこの間まで保護者だった母親としては、ハラハラ、ではあるけれど、

私は、なーんにも心配していない。
私が心配していないのに、お母さんが心配するのって、無駄だよ、
自分のことを心配するのはわかるけれど・・・
と、少し前に彼女が私を説得したスタンスを思い起こす。

「子供のことを心配するのが母親の仕事」といった友人の言葉も、時には思い出すけれど、
今、娘の選択を、距離を置いて眺めています。←これ以外の選択肢はないし。
若いって、そういうことなのですね。
お母さんは、随分遠くに来てしまいました。





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行き交う宅急便

2008-05-14 13:25:20 | 私の雑感あれこれ
さて、2泊目は自分の実家。
山菜の土産山盛りで、宅急便でひとまず送ろうと、取扱店へ。

お店の方が、宛先を見ながら、里帰りね、と。

前日は母の日。
そこでの立ち話。

この町は、本当にお年寄りが多くてね、母の日は沢山の荷物が届くのよ。
こんな仕事をしているから、よくわかるの。
いつもは配送はトラック1台で足りるのに、2台分満杯なの。

都会から田舎へ送られる荷物・・・
フフフ、息子からかしら、娘からかしら・・・
若い子供にも、年取った子供にも、
母は母。
腰が曲がっていたって、膝が曲がっていたって、
耳が遠くても、もの覚えがすっかり悪くなっていても、
母は母。

だれも、自分の母を間違わない。
都会の香りを装った荷物は、例え田舎の母には不似合いであっても、
届いた荷物を抱いて、母は巣立っていく前の子の遠い日を思い、今を思う。

日本中を荷物が飛び交い、お礼の電話が行き交う日。
日本地図に飛行機の空路の線を描くように、もし、荷物が送り主から受取り主へと白い尾を引くとしたら、日本地図、線でごった返して、すごいだろうな。
話をしながら、そんなことを空想していた。

そして、
ウチにも届いたんですよ。
そこのスズラン。
そうですか、北海道?

ウチにも、北海道にいる子供います。
今、私、実家にいるけれど、
我が家にも、北海道からお花、届いているでしょう。

なかなか会う機会も稀で、年に一度七夕の如く、だけれど、
会えないことを気遣うように届く贈り物。
日本中の、娘・息子のプレゼントを送ろうと思う気持ち、仕草を想像すると、なにやら、おかしく、そして、うれしくなる。




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峡谷に風が吹いたか・・・

2008-05-13 17:13:40 | 私の雑感あれこれ
息子3人と母親が久方ぶりに黒部峡谷の宇奈月温泉一泊を楽しみました。
一同に会するのは本当に久しぶり。
叔父の葬儀で集まったとき以来か。

母親は介添えが必要なこともあって、ヨメの私も同行(ヨメという意識はないものの、位置づけのためこう表記)。

総勢5人。
部屋は和室とツインの洋室。
寝るときは、どういう割り振りにしようか。
母はベットがよい。
ベットの部屋は、トイレの入口に段差がある。
和室は、トイレはバリアフリーだけれど、夜中に布団から起き上がるのが大変か。

で、迷った挙句、
母は洋室がいいだろうと判断し、私が隣のベットを使うことになった。
段差があるトイレ…。

私は、熟睡して、お母さんがトイレに起きても気づかないですよ。

それは、僕でも同じです。
大丈夫です。気にしないで寝ていてください。
と、お兄さん。

それでも、転ばれると大変だから、起こしてくださいね。
と私。

ウン、起こすときは、こうやるから。
姑は、平然と私を杖で叩く真似。

そうか、私は杖で叩いてもいい存在。
果たして、息子だったら、杖で叩く真似をするだろうか。
一瞬、そう思いがよぎったけれど、
ああ、お母さんにとっては、ヨメはこんな位置づけ、なのかと再納得するのみ。

なにも言い返すことなく、お母さんを介添えして二人でお風呂へ。
お風呂から戻って、洋室に行くか、もう一度息子の顔が揃った和室でひとときを楽しむかと、尋ねると、
息子たちの顔が見たい、とお母さん。

で、和室へ入ると、
笑っちゃいました。
だって、敷布団用のマットレスをありったけ積んで、簡易ベットが出来上がっていたのです。
・・・すぐ数えました。
マットレス合計7枚でした。
隣に並んだ二つの布団は、もちろんマットレスなし。
押し入れにあったのも、全部積み上げたそうです。

お母さん、これでベットのように起き上がりやすいか、試してみて。
お兄さんは、名案が功を奏すか、気にしています。

お母さんはマイペース。
タバコをふかして、なかなか応じてくれません。

一見ベットと高さが同じでも、マットレスを重ねたのは沈み具合が大丈夫かどうか、試してみてよ、お母さん・・・
と、お兄さんは何度も声をかけます。

なんと、配慮に富んだ良心的な兄弟なのでしょう。
てっきり自分が洋室に同室して、夜中に杖でつつかれるものと、覚悟はしていたのに…。

後から、夫が耳打ちして私に伝えました。
今回は、キミがお風呂にいれたり、歩くとき手を貸したりしてずっと面倒を見てくれて助かった。その上、寝る時までキミに押し付けると、ヨメさんがおふくろの面倒を見るものだ、という前例を作ることになり、それはよくない。

僕がオフクロと同室してもよかった。
でも、そうするとキミが二人の義理の男兄弟と3人部屋となり、困るだろう。
そう言ったら、兄貴がこの方法を考え出したんだ。
と。

聡明な3兄弟。
誰も責めず、押し付けず、相手を思い、先を思う。

ずっと、ずっと以前に、おばあちゃんが言ったことを思い出した。
ほかにだーれも、文句を言う人いないでしょう・・・。

おばあちゃん、おとうさん、風になって、見に来ましたか。
お母さんが、3人の息子を一同に眺められて、何度も「極楽みたい」と言って、たいそう喜びましたよー。

良いことをした時は、気分は晴れます。
私も、ひとつふたつ、イヤな言葉を放られても、大丈夫になりました。

3人の息子たちは、素知らぬふりして配慮してくれる、優れものたちですから。
きっと、お父さんとおばあさんが風になって見に来てくれていたはずですよね。







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五月の北陸行き

2008-05-13 12:54:49 | 私の雑感あれこれ
土曜の朝、東海北陸自動車道を通って、北陸へ向かった。
窓の外の万緑の山々は、まさしく東山魁夷。
なーんだ、東山魁夷って、写実そのものじゃないの…、なーんて生意気にこころの中でブツクサ。心底では傾倒、敬意をもって眺めることしばしばの癖に…→自分。
――東山魁夷の構図の取り方、色調、私は大好きなのです。
でも、目の前に迫る樹木を絵画目線で見てしまう私は、ホラホラここでキャンバスを立てれば・・・、そんなシーンがしばしばの光景でした。

車窓は丁寧に御母衣ダム(みほろダム)の光景を堪能できたし、感動屋の私は、やっぱり行き着くのです、日本の自然って美しいなー、と。
・・・ですよね、安倍さん(笑)。

そして、車は北陸路。
早苗の水田の、これまた見事なこと。
耕地整理された水田が整然と水をたたえ、曇り空を映しています。
幾枚も幾枚もの水田が、どの一枚も間違うことなく、山辺から海側へ向かって、微妙に高さが調整されていて、高い所から、次の田んぼへ、そして次の田んぼへと、水を送っているのでしょう。
その仕組みに整うまでの人々の知恵の出し合い、語り合いがあって、いま整然とした田が目の前にあるのかと思うと、すごい宝があるのだと思うのです。

そういえば、流水客土ってのも、遠い昔、学校で教えられた記憶があります。
子供の時は、タダ覚えるだけの知識だったけれど、今、こうして見事な水田を眺めると、先人の知恵が稲作を豊かにするために、生活を豊かにするためにと、邁進してきたのだと、つくづく思います。

傍観者だから、従事者の大変さはわからないのだけれど、水田の美しさに癒されました。
あっ、中景、近景の万緑の山々、遠景の雪山アルプス連峰にも、もちろん癒されましたけれど。


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エスカレーターの事故

2008-05-10 07:30:57 | 私の雑感あれこれ
名古屋市の地下鉄でのぼりエスカレーターが突然止まって、10メートル程下がったという事故が報道されています。
我が家は地元ということもあって、紙面も1面だったりしていますが、皆さんのところでも報道されているでしょうか。
テレビでも、ステップの櫛の目のようになっている、ここの部分が破損していた、と説明しています。

3ヶ月ほど前でしょうか。
同じ名古屋のデパートに行ったときのこと。
エスカレーターを降りて、ふとバックの中からものを取り出したとき、
コロコロと硬貨がこぼれて転がりました。
あっ、と目で追ったのですが、
下りエスカレーターのステップの櫛目のところに縦に挟まって、吸い込まれようかどうか、振動で震えるように小動きしています。

危ないから、手を出してはダメ!
私、大人だし、これはわかります。
ストップボタンを咄嗟に探してみましたが、瞬時には見当たりません。
あーあ、と眺めていると・・・
アラ!
500円硬貨でしょ。とめてもらったら?
と声を掛ける人も。

そうですね。
と相槌を打っているとき、
バリバリ、と金属を噛み砕く厳しい音をたてて、飲み込まれていきました。

今回のエスカレーター事故、登りと下りで違いますが、
硬貨が引っかかった場所は同じです。

こんな破損がありました。
と、テレビ画面は説明していますが、
上記のような体験をしている私には、
あー、何かが食い込まれて破損したのだろうな。
と、数ヶ月前のことを思い出しました。

もちろん、硬貨を噛み砕いた程度では、破損なんかしません。
あの嫌な音を立てた後も、グルグルと廻っていました。
なにごともなかったと、そ知らぬ振りして。

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「渡る世間は鬼ばかり」を観て・・・

2008-05-08 22:59:53 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
このドラマ、もう何年続いているのだろう。
登場していた子供たちもすっかり大人になったり、年季の入ったドラマ。
橋田寿賀子さんの脚本も、少々どうかなー、と思っていたのだけれど、
今日の展開、なんだか、オイオイ。
イヤに心境が近い(?)のです。

もちろん、各種各様、ふたつとして同じというケースはないのですが、東大生の息子に夢を託した母親役泉ピン子さんと、終わりがけに少しだけでてきた結婚式帰りに割烹料理屋オカクラに寄り、自棄酒に酔いつぶれた母親役らしき池内淳子さん。

結婚する当人は嬉しさ一杯なのでしょうが、手塩にかけた子供が、去っていくのですもの、親にとって寂しいものです。

「私の留袖には3羽の鶴の刺繍があるけれど、これを着る度に一羽ずつ飛んで行く・・・」
30年前の花嫁には、そのとき堪えていた母親(姑)の気持ちの分量は判らなかった。

堪えるのも母親についている役目なのだろう。

私も、姑に負けず劣らず、堪えなければならない分量を抱えている。
あはは。母親の役目。

私の留袖には3羽の鶴もいないし、留袖を着ることもないけれど、3人目が式を挙げるのは今月です。

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基礎教育が実りある形であってほしい。

2008-05-08 09:49:39 | 私の雑感あれこれ
基礎教育こそ大事です。つけ刃では困るのです。
東京都杉並区で、民間の業者による有料の夜間学習塾がおこなわれるようになったのに対し、
財政難の大阪で橋下知事が考えだしたのは・・・。
いいですねー。
役に立ちたい人材は、眠っているはずだから、交通費程度で、役に立てる場ができるのは、よいことです。
ひとまず、アサヒ・コムから引用です。読んでみてください。

大阪版「夜スペ」無料で教員OBら指導 橋下知事PT案
2008年04月30日06時21分

 大阪府の橋下徹知事直轄の重要政策プロジェクトチーム(PT)が、小中学校での放課後学習の実施や小3~中3への習熟度別授業の導入、進学に実績のある府立高校の強化など、大がかりな教育改革案をまとめた。放課後学習は東京都杉並区立和田中学校の夜間授業「夜スペシャル」の大阪版という位置づけで、文部科学省によると、都道府県全域で試みるのは全国でも非常にめずらしい。

 一方で大阪府は08年度に1100億円規模の財政再建をめざしており、6月末に編成する同年度の本格予算にどこまで反映させるかは橋下知事が判断する。

 「おおさか・まなび舎(や)」と名づけた放課後学習は、指定市(大阪、堺)と中核市(東大阪、高槻)を除く府内の小学校約530校と指定市を除く中学校約290校が対象。小学校は平日の放課後に週2回、中学校は平日の放課後と土曜日に1回ずつ、授業の復習や宿題を教える。教科は小学校が国語と算数、中学校は数学と英語。

 和田中の夜スペは有料(月1万8千~2万4千円)で塾講師が教えるのに対し、大阪では無料で地域の教員OBや大学生が教える。講師には府が1回1千~2千円程度の謝礼を支払う。

 原案をまとめた府教委は学習する習慣ができていない子どもたちの底上げを想定しているのに対し、橋下知事は和田中と同様、学習意欲はあっても経済的な理由で進学塾に通えない成績上位層の引き上げに意欲をもっており、さらに調整する。

 理解度に応じてグループ分けする習熟度別授業は、府内の全小中学校が対象。小3~小6は国語と算数、中学生は国語、数学、英語で進める。習熟度別授業をすでに実施している市町村や学校もあるが、橋下知事は教育委員との懇談で「なるべく多くの学年と教科でやるべきだ」と話していた。実施には少なくとも200人程度の教員が必要で、今後、開始時期などを詰める。

 進学校の強化は、難関大学をめざす生徒が学区を越えて通える府立高校の数を増やす。現在、大手前(大阪市中央区)と天王寺(同市阿倍野区)の理数科で府内全域からの受験を認めている制度を拡大し、進学実績のある高校4~10校に文系と理系の進学コースを設ける。2010年度入試からの導入をめざす。

 これら施策に、府全域での小学生によるスポーツ大会などを加えた教育改革に必要な総事業費は、数十億円にのぼる見込みだ。

 重要政策PTは5月中にも内容を公表する予定。個々の施策は橋下知事の意向にほぼ沿ったものだが、府民の反応やその他予算の削減状況などをふまえ、知事が、すぐに実施するのか来年度以降に回すのかなどを判断する。(斎藤利江子、小河雅臣)

◆橋下知事「最後は政治的に決断」

 橋下徹知事は29日、朝日新聞の取材に「僕は『教育日本一』を掲げ、教育委員会とも制度の枠組みの話をしている。(重要政策PTの案を)どこまで予算に盛り込むかは、全国でも例のないことなら認めるなどと、最後は政治的に決断したい」と語った。

以上、引用終わり


振り返ってみれば、仕事を始めるまでの少しの期間でしたが、日曜日の午前中に、中国残留孤児で中国からの帰国家族に対して、日本語を教えるボランティアやっていたことがあります。週日仕事をすることになり、小学生の子供3人を日曜日まで留守番にしたくなかったことから止めました。
高校の先生が、生徒有志を5,6人連れて毎週来ていらっしゃいました。
高校生や大学生の力が大いに役立つのですよね。

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ネットで探した歌詞「サラマンドラ」

2008-05-07 15:56:33 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
1977年NHKのテレビ「みなんのうた」で放送。
この歌が流れると、一緒に歌っていました。
私、まだ20代。若かったなー。
二人の子供のお母さんでした。

―サラマンドラ―

燃える火に住みつき ひとりぼっち
星を数えて ためいきひとつ
サラマンドラ サラマンドラ
火の中の竜

思い出数えて ひとりぼっち
黒い身体の まぼろしの竜
サラマンドラ サラマンドラ
火の中の竜

最後の夢から 一万年
仲間もいない おどけもの
夜空を鏡に ひとりごと
こぼれる炎 ぐちひとつ

牙もなくした おかしな竜
誰か来て 彼と話して
サラマンドラ サラマンドラ
ひとりぼっち


そして、私は「泣いた赤おに」も好きなのです。
長女の絵本に載っていた「泣いた赤おに」を紙芝居にしたのも、その時に暮らしていた関西の郊外での思い出です。
その後幾度も転勤、引っ越しを重ねたけれど、その紙芝居は、まだ我が家の納戸にあると思いますよ(苦笑)。
長女4歳の誕生日は、ご近所の子供を集めて、紙芝居をしました。勿論「泣いた赤おに」も。
10人以上は集まったかしら。
集合住宅の玄関からあふれた靴をみて、お隣さんはびっくりしておられました。



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生きるということ。 こんなやり取り

2008-05-06 09:27:53 | 私の雑感あれこれ
もう5,6年前になるでしょうか。
新聞の投書欄か何かで、こんなやり取りを読みました。

-ガン患者を家族に持つ人の投書ー
最近はガンは告知すべきだとの風潮だけれど、ガンと告知されてショックを受け、耐え切れない人もいるのではないか。
だから告知は、人と、状況をみてすべきであり、「すべての人に告知」は行き過ぎである。
患者には「ガン告知を受けない権利」も認められるのではないか。

ー上記に対するお医者さんの投書ー
医師としては、治療に当たって、患者に病状を知らせるのは当然のことであり、なすべきことだと考えている。
治療の過程では、ガンであることが伏せにくいものもある。
患者が病院に来たということは、現在の病気の状態を治療して欲しいという、意思で、病院に来ているのであり、病気治療のためには、現状を理解していただくことが起点だと。

昨日のTVタックルで、
民主党の議員さんが、
お医者さんが終末期の患者の治療について、ご本人にどこまで治療を受けますかと、訪ねる仕組みになったのだと、説明しておられました。
   ↑
パネルで説明しておられましたが、本当か?いつから実施なのか?

終末期に入った人に、終末治療の程度を確認する・・・ちょっと、国の品性を疑ってしまうところがありますが、
自分の「生きる」ということを自分で自覚できなる植物人間状態のケースなどは、事前の本人の意思表示を伝えておく、これはあってもいいのではないでしょうか。
うーーん、ここまで書いて、読み返すと、考えながら…の拙文ですね。
やはり、国が出てはいけませんね。
本人が、家族に、お医者さんに、意思表示する。
これでなくては、妙なところに暴走しかねません。

もうすぐ母の日です。
90歳を超えている私の母は、「延命治療はいりません」と2通書いて持っていると、先年本人から聞きました。お医者さん用と、家族用だと。
離れて暮らすお前にも、もう一通書き残そうか、とも。
日野原重明医師の本を読んで納得した方法らしいです。

最後まで、自覚的であることはできない、それはわかっているのだけれど、
できるだけ、自覚して生きたい、
そう思っている人も増えているのだと、そう思っています。







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出会い。 

2008-05-05 07:30:44 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
二十歳の青年の詩。
今朝出会った。

ああ、そういえば、娘の高校の入学式の校長先生の迎えの言葉で、
「この学校は宝の山です。この3年間で宝を見つけてください」
と、語って下さったのを覚えている。

この世の中も、宝の山なのかもしれない。
そして、今朝、私は一つの輝くポエムに出会った。
名前しか知らなかったけれど、
凄い詩。
ニーチェ。
1864年9月頃の作とのことです。

      
       知られざる神に

   先へ進む前に今一度
   先を見渡す前に今一度
   孤独なわたしは両手を掲げ
   あなたを求め、あなたへと逃げよう
   胸の奥底ひそかにわたしは
   祭壇をつくり祈ってきた
   その声でまた わたしを呼べと

   祭壇に深く刻まれて、赤々と燃える
   その文字は-「知られざる神に」。
   わたしはその神のもの、たとえ
   いままで無神の民の下にいたとて
   わたしはその神のもの、あたかも
   抗う身を引きずっていく縄に縛られるよう
   たとえ逃れようとしても
   わたしをその神への帰依に強いるよう

   知られざる神、あなたを知りたい
   わたしの魂の深奥を掴む者
   わが生を嵐のように疾駆する者
   わたしと似てはかりしれぬあなたを
   わたしは知りたい、そして仕えたい

              詩: ニーチェ            



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