日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

21日の朝日新聞「悩みのるつぼ」

2012-07-22 07:14:41 | 私の雑感あれこれ
この相談コーナーは、4人の回答者が交替で担当している。昨日の回答者のときは必ず読む。
子育て中の母親からの相談。
回答者
現代には、成功戦略はあありません、と一撃。
不敗戦略で行くしかないけれど、一番やってはいけないことは「自分の好きなこと、やりたいことを職業として目指す」ことです、とまたまた追撃。
「頑張ればなれる」ように見せかけて、大学や専門学校がドンドンできるけれど、見せかけであって、卒業しても希望通りの就職は出来ません、と3撃。

紙面なので相談者の顔が目の前にないことをいいことに、パンチ、パンチ、パンチ、です。
読んでいる私は、ココロの中で不二家のペコちゃん人形です。(古い引用ですね~かつてお菓子屋さんの店先に、宣伝用の頭をぺこぺことうなずく人形が置いてあったものです。笑)

「好きな仕事をしなさい。お母さん、応援するから」はいってはいけない、と。
そして、
逆です。子供には「人の役に立つ」ことを教えるしかない。今の時代に親が子供に保険として与えるべきは、「他人の役に立てて、感謝されるのは楽しい」という成功体験なのです、とくる。

またまたワタシ、ペコちゃん(笑)。

加えて、今できる策としては、子供たちにお手伝いをさせて「人の役に立つ」体験を味あわせ、あなたはパートに出る。余った時間とお金で「好きなこと」をするのは、あなたです。と。

読んで得した気分になると思うのですが、皆さんのお近くに新聞がありましたら、コーヒーブレイクにでも読んでみてください。
この回答者どおりに育てられるものではないでしょうが、時々脳裏に去来する、というには良薬だと思います。

◆再読していて気がつきました。
朝日新聞の校正者、鈍っている?のかしら。小姑的苦言です。
「子ども」、「子供」と2種類が混在しています。
「供」は付属物でき意味が含まれているから、使わない、という考え方があります。ワタシとしてはダメと固執する立場でもないのですが、校正のプロがいるであろう大新聞が、同じ文面の中での混在はどうでしょうかね~



コメント (4)
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梅雨明け後の雨。

2012-07-22 05:46:15 | 庭 7月
炎天が続いていたので、庭にとってこの水分はありがたい。
花壇と花壇の間の通路兼ダム(水溜)の短めの2本目を作り、3本目も少しクワを入れる。
黒っぽいレンガと黒砕石を交互に配置しているので、庭のデザイン効果も(笑)。
建物が建てば降る雨は雨どいを伝って排水するところを、庭の場合はそのまま地面に。
だから雨は低いところに溜まる。その低いところに溜まる自然の摂理をプラスに利用しなくては、と砕石の水溜を考案して、ひとり悦に入っているのです。アッハハ
クワを入れた3本目も水溜り状態。
「あの溜まった水はお天気になった日のための貴重な水分」
そう見えるから、(ワタシの)目って不思議です。農業のプロにはソレが当然のことだったのでしょうが、能動的にかかわらないと、うっかりの世界でした。

母が、よく草花と話しながら…、といっていたけれど、それって、自然なことなのです。
だって、命ある生きものだから、つい、音にならない声をかけています。ワタシ。
まだまだ空地部分の多い庭だけれど、仲間を増やすには季節が悪い。
8月終わりまでは水遣りと、咲き終わった花の花柄摘みと、草取りの繰り返しの日々か。









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7月下旬からの2週間

2012-07-21 08:10:06 | 私の雑感あれこれ
今回はオリンピック報道をスルーするというか、セレクトして付き合おう、と思う。
先日少し触れた、19日の朝日新聞 
「政治を話そう インタビュー&ルポ 金曜の夜、官邸前で」という小熊英二氏の記事を再読。読み返しても、よく理解納得できる。
その中に、
「政治家も大手新聞の政治記者も、ある種のムラ社会で動いていると外の世界が目に入らない(略)」とあった。
そう考えると、オリンピック報道側の人たちもムラ社会であり、盛り上げることが至上命題なのだろうな、と。
そして、今朝の記事のスポーツ記者の記事に、各地の壮行会はスゴイ熱の入れようで、他の大会とは格段に違うとのこと。各スポーツ選手はどうなのか。それぞれの種目ごとに大会があり、そのひとつひとつが大切で、ことさらオリンピックこそ、というのはマスコミ取材者や周囲の意を汲んでの回答ではなかろうか、と。
確かに、選ばれる人たちは、毎日が練習の連続。その鍛錬は大変なのだと思う。その結果が各大会での戦績となって現れているのであり、大騒ぎとは別物。
オリンピックは大騒ぎして盛り上がる祭典だ、と言うのは、マスコミとそれをプラスに利用しようと言う業界の話、というのが実際ではなかろうか。

ローマオリンピックは微かに記憶がある。
メキシコ、ミュンヘンはテレビがない生活だったから、映像では見ていない。
そのほかは、しごくアタリマエ程度に視聴してきたワタシ。
今回は、もう距離をおこう。

新聞がスポーツ紙化し、テレビはお祭りのようにはしゃぐだろうけれど。
一方で金曜日の夜にデモに参加する人たちもいるんだと、そのことを思います。
福島第一原発の処理の方法も困難を極めている危険なものであるのに、再稼動は、おかしいもの。
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初 新聞読み(笑い)

2012-07-20 06:56:04 | 私の雑感あれこれ
早朝5時過ぎに庭に水遣りをして、6時に朝食。食べ終わってもまだ6時台で、涼しげな庭にもう一度でて、新聞を読んでみた。ほんの10分ほどですが。
気持ちいい。肌にあたる風ともいえないほどの空気の流れが心地よい。ステテコ姿のおっさんが縁台で…(ウッフフ)の図に近くもあるが、この外で新聞読み、というのは快適だと発見。
ためしにipadをベンチで使ってみた。無線ランの距離内らしく、屋外でもネットに繋がる!シメシメ(笑)。
道路より高いので丸見えほどではないけれど、見えちゃうのは確か。もう少し目隠し状態を拵えて素敵なスペースにしよう!
日中炎天で手がつけられないけれど、ちょっと嬉しい発見でした。
…小さいことでも、喜ぶ特技を身につけつつあります。アッハハ

さて、新聞。
投稿欄に保育士さんが、公園で幼児にアジサイの絵を描かせていて、赤い色を塗っていた子供に、色が違うと指摘しており、自由でいいのでは、という意見が載っていた。
思い出した。
ウチの息子が3年保育の年少さんの頃。
ウサギの絵の状差し(下絵があって色を塗って仕上げるタイプ)を作ってきた。
若いお母さんだったワタシは、息子の作品を見て、残念だった。
絵の好きな子なのです。
この子にウサギの絵を描かせたら、絶対にピンクのウサギは描かず、ましてや目のところに水色のアイシャドーなど塗るはずはないのです。
若い幼稚園の先生は、ウサギ=かわいい=ぬいぐるみのウサギ=ピンク というイメージでなんの不思議はないのでしょう。
ウサギに色をつける、と言うときに、小動物園で見たことがある色を思い出してクレヨンを握る子、そんな子もいたらいいのに、と。

その頃だったと思います。
母の日か父の日に、幼稚園で親の絵を描きました。
ポツン、と息子。
「クレヨンには肌色が1本しかないから、ボクは(お母さんの?お父さんの?)顔を描くとき、鼻が(上手く)描けない」と。
どう描いたのか忘れましたが、鼻の印として黒いクレヨンで線を引くのを躊躇ったのだろうと、察せられました。
人の顔のどこにも黒い線がないのですから。
4歳のかわいらしい悩み。笑

以上は、今朝の新聞から思い出したマイエピソードです。
お粗末!
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首相官邸から国会前のデモ

2012-07-19 11:06:53 | 母のことなど
国会周辺のデモでここまで大人数なのは60年安保のとき以来だそうだ。毎週金曜日。
今日の朝日新聞の特設記事で小熊英二氏は10万人のデモとしたら、そのひとりの後ろには100人の参加していない賛同者がいる、というような書き方をしていた。
ハイ、わたしも遠隔におりますが、100人のなかの一人です。

ヘタクソです。うやむやにしてとおせば何とかなる、というやり方に対して、自分たちに出来る意思表示ということで人数も増え続けているのでしょう。
ガス抜きのような公聴会を開き、通り過ぎようとしています。
ワタシは遠方にはおりますが、一度は駆けつけたいものです。
このようなウヤムヤな再稼動には反対ですから。

で、少し危惧しています。
7月下旬にオリンピックが始まります。
テレビや新聞は限られた枠があります。
テレビも新聞もオリンピック一色に染まり、あー、あんなこともあったねー、とならないように。
出場選手の頑張りは感動ですが、オリンピックがあってもなくても、状況は連続しているのだということを、ココロして、少しはテレビ中継を見たいと思います。苦笑
コメント (1)
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…ふぅ~ん… 反芻している。

2012-07-18 12:32:06 | 母のことなど
現在入院中の母のこれから。
充分高齢だから、もう充分、という思いは本人にある。
でも命はあるのだから、「一日一日を前向きに」なんていっても白々しい、か。
では、何がいいのか。
周りのものは、できることしかできない。
生きているということは、その人自身のもの。

母は、こうなったからには(自分の身の回りのことも不自由になったのだから)
「もう長男夫婦のいうことを聞くよりほかないから」
という言い方をする。
「本当はこうありたいのに、我慢するしかない」という底意が含まれている気がする。

「そうじゃないんだよ」とワタシの中に声にならない声。
「相手に、したくないことまでを強制はできないし、自分でもそうしたくないでしょ。依然と違って、社会の仕組みとして介護制度ができたのだから、それを利用して自分の「生きる」を全うするということができるようになったのだよ」と。
だから、
「自分で選択して介護施設で暮らすよ」と、きっぱりと言って欲しい、娘がいる。
そうしたら、家に戻りたいときは、長男夫婦も同意してくれるだろうし、私が連れて行ってもいいし、「それがいいんじゃない」とワタシは思っている。

多分その流れになるだろう。
で、
「もう長男夫婦のいうことを聞くよりほかないから」
のフレーズが出てくると、あ~あ、なのです。

いいじゃないの。
介護施設宛に絵ハガキを送るよ。
気軽に電話もできるようになるよ。
自分のお城が、施設の1室でいいじゃないの。
いっぱい絵や写真を飾って賑やかにもできるよ。
100歳まで、大丈夫だよ。

どんな生き方をするか、決めるのは自分。
年取ったからって、長男夫婦まかせじゃないんだよ。
さ、自分で決めた、と言ってほしい、ワタシです。
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早朝の庭

2012-07-18 06:43:05 | 庭 7月
清少納言は「冬はつとめて」といったけれど、夏の早朝も凡人にはいい。
まだ朝日が射さず(東側の家の陰です)気温が上がっていない。昨日の炎天で疲れた花たちは、夕べに水を貰い、一晩で疲れを癒したかのようにすっきりとした表情をしています。
ひんやりした空気の中でベンチに腰掛けてぼんやり。至福です。

また、今日も炎天でしょう。
日差しはまもなくあなたたちのところにも届きます。
この暑さはちょっと頑張らなくてはならないかも知れません。
色とりどりの花をつけているあなたたち、急に賑やかになって、主が一回りみんなに挨拶するのも忙しくなりました。
みなさん夏の花壇をありがとう。ワタシ水遣り頑張ります(苦笑)。


あまりに暑くて、能動的ガーデニングは一休み。
現状維持(水遣りと花壇の草抜き)ぐらいです。
ボチボチでいいと思っています。
①サブ通路とメイン通路の後半をやること。
②挿し木のラベンダー群やバラたちを上手く育てて定植に持っていくこと。
③元気に育っている東壁のつるバラの誘引するための柵(?)を作ること。
④大鉢に常緑グリーン(オリーブにしようか?)を植えること。
⑤秋蒔きの花の準備(スィトピーはたっぷり植えたい)。

これら、水遣り、草抜きと平行してやらなくっちゃいけない。
ガンバレ→ワタシ
そのためには、夏バテしないように気をつけなくっちゃ、と気持ちもシャンとします。
これが副次効果でしょうか。

家族から「道楽だよね」といわれた。
まったくです。苦笑







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内村鑑三「後世への最大遺物」を読んだ。

2012-07-17 07:39:59 | 
内村鑑三は、新渡戸稲造などと並んで覚えた人です。クラーク博士の時代に札幌農学校で学び、その後渡米してアメリカの大学教育を受けた人です。
開化期につづく時代の啓蒙者のひとりという漠然としたイメージでした。

「後世への最大遺物」と言うのは、講演録を活字に書き起こしたものです。
今、30代の若い学究の講演があっても60代の私がが聞きにいくこともないでしょう。
でも、活字になったその短編は、ココロに残りました。
財をなしてこの世に生きた証を証明したいと思う人がいるだろう。
または、事業を起こして、自分の功績を後世に残したいとおもう人もいよう。
それぞれ、真剣に自分に与えられた一生を生き抜こうとする。
で、自分の場合は、財産を貯める才能も事業を起こす才能もひとよりあるとは思えない。
もうひとつ、ものの考え方を人に伝えるという形で、後世に残せるのではないだろうか。という運びです。
聴衆も若いでしょうし、蓄財も名誉欲を否定しているわけではありません。
文明開化から日が浅く、例えば、クロムエルを英雄視したり(彼はアイルランドで大殺戮をした人物という情報を知らなかったのでしょう)、恋話の源氏物語を腐したり、荒削りではあり、片目をつぶって読み進める部分もないわけではありますが、
経済に傾きすぎている昨今、どう評価されるかに知恵を使っているような現代に、一滴の清水のように思えました。
彼の言わんとすることを私が正確に捉えていないかも知れません。
でも、蓄財で証をたてる、とか大事業で錦を飾るは自分の得てとするところではないので、と言い切って、もうひとつの道で自分は後世に残るものを、といっている30代って、目から鱗を聴衆に与えただろうと思いました。
彼の話を聞きに集まった人々に向けて語られているので、大衆むけではないかも知れません。
連合いに、「良かった」と読後感を伝えたら、「ボクは随分前からそう思っているよ。今頃わかったか」と。
短編だし、以前にも読んでいるハズだけれど、今の私に、イヤにストンときて、掌に転がしています。
勿論、自分なりの解釈で、ですが。





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岬のホテルへ

2012-07-16 15:41:37 | 旅行・休養
備忘録として記載。

一泊。7階のオーシャンビューのはめ殺しの窓辺に、ハトのツガイ。
メスが足を痛めているらしく、引きずったりうずくまったりしている。痛そう。
なのに、2羽が重なって、なによ、オスの自分勝手、と思いながら、メスを哀れんでいた。
お風呂から帰ると、メスがうずくまりオスがいない!
なんと、不都合ななったので、置き去りにしたのだ、とガッカリ。

食事から戻ると、今度はオスが戻って2羽になっている。
あっ、餌でも運んできたのか、と。オスに抱いていた悪意が払拭。ゴメン。
でも、このままではどうしようもない。
なるようにしかならない。それが自然界。

翌朝、カーテンを開けると、2羽ともいなかった。
天敵の恐れが少ない時期を見計らって、ねぐらに向かったのだと良いけれど。

という話です。

翌日,行きの道中で見つけたバラ園に立ち寄る。
バラ栽培ハウスが5棟も立っている、大きなバラ農家。
少し見学させてもらって、1鉢購入。
バラの名前を聞くのを忘れた。
既に2つほど花開いていて、蕾もいくつもつけている薄紫のバラです。

帰路の車窓からは青空に入道雲。
きっぱり夏空、なので上手く移殖しないと、と今思っているところ、です。

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着々と進んでいる。

2012-07-15 07:49:32 | 庭 7月
予定のバラ園内のサブ通路の半分が出来た。通路を深めに掘り、防草シートを敷いて、黒いレンガを飛び石状態に置き、その間を黒い砕石で埋めた。これで雨水が砂利部分にプールする形が出来れば花壇の保水効果も期待できる。
砕石は1袋20キロ。あと半分の砕石は確保済みだけれど、持ち運びが大変で、夫同行のときにしか買う気になれない。

バラ園以外の花壇部分は、はてどうするか。ボチボチ考えていこう。

それにしても、アメリカタチアオイの花は大きい。
数日前に咲き始めた。
赤と白の苗4つを植えたのだけれど、白い花はパラボラアンテナの如く!です。

黄色いバラが2輪開き、蕾もいくつか。赤バラも咲きそうなものが6輪ほど。
駐車場の東向き壁際のつるバラも元気です。誘引するための支柱を考えなければなりません。

以上ですが、私の身体に疲れが残っています。
それでも、カウチポテトになるよりは数段よい時間の使い方だと、めぐり合わせに感謝です。
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