母の顔を見に久しぶりに北陸へ行ってきた。
飛騨路を長距離バスで行く。
まだ山桜が残っていたり、新緑の中の山吹の黄色が鮮やかだったり、そのうちに山肌の残雪が珍しくなくなり、木々は落葉のふゆと変わらずのところもあったり、そしてまだ下っていくと、水をためた春の田んぼ風景の散居村に出くわす。
車窓から見える風景は目の保養です。
たま~に顔を見せる、お気楽な娘です。
お寿司食べたり、川の上流のアユ料理屋さんに行ったり、なんだか介護どころではないのです。
その鮎料理屋さんでのこと。
入口に白く鮎の文字が書かれた藍染暖簾がかかった鮎料理専門店です。
通路脇には庭石で作ったせせらぎがあり水が流れています。
入口には、たっぷりと大きなカメに芽吹き始めの枝と数本の長尺の山吹の花が粋な挿し花(生け花)で飾られていました。
お花屋さんでなくても山吹は手に入るのでしょう。
あらっ、周りの風情にぴったり。お商売やっていらっしゃるから、気配りも素敵ね、と眺めながら入店しました。
アユ料理は3回目ぐらいで、今回は小ぶりの鮎でした。(お料理の話題は省略)
手洗い場にも、おわら盆踊りの編み笠の形をした花器に、ヒメシャガと山吹のつぼみが、茶花のように静かに活けて有りました。
レジのテーブルにもあったかしら。
適材適所というのか、奥ゆかしく和花を生ける人が、お店の人の中にいらっしゃる。日本って、そういう文化が浸透しているんだよね~と、しみじみ(美的センス、すごいな)と思うタイプなんです。…言葉にはしませんけどね。
美味しく、母たちと食事を済ませて、出口に来た時に、
同年輩ぐらいの数人の人が入ってきました。すれ違ったのです。
その時、最初の女性が、入り口の山吹の花に気付もせずに、押しのけて入ってきました。
あらっ!!!
と、思いました。
次の女性も、前の人に話しかけながら、同じように山吹の花にぶつかっても平気というか、そんな花が活けてあるということに気が付いていないのです。
あららっ!!!
ステキな店構え!!!と思っていた私は、びっくり。
改めて聞くと、その会話は日本語じゃありませんでした。
そうなんですね。
日本という外国に旅行に来て、山間の地まで訪ねて日本料理の鮎懐石を食べることには熱心なのでしょうが、庭石に水が流れる風情や山吹を生けて客を迎えようとしているお店の心づくしには、気が付かない。
素敵な山吹の生け花が形崩れになったので、ちょっと手直し、なんて思ってみたけれど、生け花の覚えがないもので、うまくは修正できませんでした。
ショボーン。
日本人の持っている美意識というか、美意識を持っている日本人の層が厚い、ちょっとしたところで目にする生け花をみると、そう思います。
食事中、前面の窓から見える山裾に帯のように山吹の花が咲きそろっていました。
■ 七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき
山吹といえば、この歌のこと、話題になります。
私は、山吹の実のないことと、雨具の「みの」がなくて貸してあげられないことをかけてうたったというのは知っていても、
なかなかすらすらと口に出てこないのが悲しいですけれど。トホホ
飛騨路を長距離バスで行く。
まだ山桜が残っていたり、新緑の中の山吹の黄色が鮮やかだったり、そのうちに山肌の残雪が珍しくなくなり、木々は落葉のふゆと変わらずのところもあったり、そしてまだ下っていくと、水をためた春の田んぼ風景の散居村に出くわす。
車窓から見える風景は目の保養です。
たま~に顔を見せる、お気楽な娘です。
お寿司食べたり、川の上流のアユ料理屋さんに行ったり、なんだか介護どころではないのです。
その鮎料理屋さんでのこと。
入口に白く鮎の文字が書かれた藍染暖簾がかかった鮎料理専門店です。
通路脇には庭石で作ったせせらぎがあり水が流れています。
入口には、たっぷりと大きなカメに芽吹き始めの枝と数本の長尺の山吹の花が粋な挿し花(生け花)で飾られていました。
お花屋さんでなくても山吹は手に入るのでしょう。
あらっ、周りの風情にぴったり。お商売やっていらっしゃるから、気配りも素敵ね、と眺めながら入店しました。
アユ料理は3回目ぐらいで、今回は小ぶりの鮎でした。(お料理の話題は省略)
手洗い場にも、おわら盆踊りの編み笠の形をした花器に、ヒメシャガと山吹のつぼみが、茶花のように静かに活けて有りました。
レジのテーブルにもあったかしら。
適材適所というのか、奥ゆかしく和花を生ける人が、お店の人の中にいらっしゃる。日本って、そういう文化が浸透しているんだよね~と、しみじみ(美的センス、すごいな)と思うタイプなんです。…言葉にはしませんけどね。
美味しく、母たちと食事を済ませて、出口に来た時に、
同年輩ぐらいの数人の人が入ってきました。すれ違ったのです。
その時、最初の女性が、入り口の山吹の花に気付もせずに、押しのけて入ってきました。
あらっ!!!
と、思いました。
次の女性も、前の人に話しかけながら、同じように山吹の花にぶつかっても平気というか、そんな花が活けてあるということに気が付いていないのです。
あららっ!!!
ステキな店構え!!!と思っていた私は、びっくり。
改めて聞くと、その会話は日本語じゃありませんでした。
そうなんですね。
日本という外国に旅行に来て、山間の地まで訪ねて日本料理の鮎懐石を食べることには熱心なのでしょうが、庭石に水が流れる風情や山吹を生けて客を迎えようとしているお店の心づくしには、気が付かない。
素敵な山吹の生け花が形崩れになったので、ちょっと手直し、なんて思ってみたけれど、生け花の覚えがないもので、うまくは修正できませんでした。
ショボーン。
日本人の持っている美意識というか、美意識を持っている日本人の層が厚い、ちょっとしたところで目にする生け花をみると、そう思います。
食事中、前面の窓から見える山裾に帯のように山吹の花が咲きそろっていました。
■ 七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき
山吹といえば、この歌のこと、話題になります。
私は、山吹の実のないことと、雨具の「みの」がなくて貸してあげられないことをかけてうたったというのは知っていても、
なかなかすらすらと口に出てこないのが悲しいですけれど。トホホ