詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「勝手なことしやがって」は誰が言った?(情報の読み方)

2020-12-15 09:49:02 | 自民党憲法改正草案を読む
「勝手なことしやがって」は誰が言った?(情報の読み方)

 2020年12月15日の読売新聞(西部版・14版)1面。

GoTo年末年始停止/全国で28日-来月11日

 政府は14日の新型コロナウイルス感染症対策本部で、国の観光支援策「Go To トラベル」事業について、28日から来年1月11日まで全国一斉に停止することを決めた。27日までは、札幌、大阪両市に加え、東京都、名古屋市を目的地とする旅行を事業の対象から外す。

 これに、どれほどの「意味」があるのか、私は疑問を持っている。すでに、別のところで書いたのだが、28日-11日は「年末年始帰省期間」。旅行はいくぶん減るだろうが、帰省の移動はどれだけ減るのか。いま実施しているGoToの利用者よりも帰省者の数が多いのではないだろうか。そうだとするとGoToを停止しても感染者は減らないことが予想される。
 もし、減らなかったら、どうなるのだろうか。
 きっと「GoToと感染拡大は無関係」という主張の「エビデンス」として利用されるだろう。
 減ったら減ったで、菅の判断は正しかったと「宣伝」に利用されるだろう。
 どうなっても、菅にとって「利用できる」と判断したから、「停止」を決めたのだろう。

 で。
 きょう書きたいのは、別のこと。
 「対策本部」で「決めた」のはいいのだけれど、その「決めたこと」をどうやって発表したのか。これがよくわからない。
 読売新聞の1面には、菅の写真が載っているが「新型コロナウイルス対策本部で発言する菅首相」という説明。3面には「記者団の質問に答える菅首相」の写真。1面の写真はいわば「密室」。3面の写真は、いわゆる「ぶら下がり取材」とか「囲み取材」といわれる雰囲気。正式の記者会見ではない。
 全国民が気にしているのに、菅は、国民に向かって何も言わない?
 私はテレビを見ていないのでわからないのだが、読売新聞の記事を読むかぎりは、どうも「記者会見」で発表したものではなさそうである。

 国民の前で、堂々と(?)発表できないような「事情」や「心情」がからみあっているのか。
 そういうことを考えさせる記事が3面に載っている。(番号は、私がつけた。)

①政府が小出しの見直しを重ねたのは、「事業が感染者増の主因ではない」(首相)と見ているためだ。首相は11日のインターネット番組で「いつの間にかGoTo(トラベル)が悪いことになってきちゃった」と不満をあらわにした。
②首相は方針転換を決めた14日になっても、「移動によって感染は拡大しない。そこは変わらない。ただ、専門家の先生方から指摘をいただき、現実的に3000人の感染者が出ているから」と記者団に述べ、複雑な思いをにじませた。
③観光業界にとって「書き入れ時」ともいえる年末年始に事業を停止することへの懸念も出ている。政府内からは「事業を止めて利用者の混乱を招いた揚げ句、経済は落ち込み、感染拡大も止まらないかもしれない」と危ぶむ声が漏れる。土壇場での決断となり、根回しが不十分だった与党との間にしこりを残す恐れもある。自民党幹部は14日夜、「勝手なことしやがって」と政府の対応に毒づいた。

①の首相のことば、「いつの間にかGoTo(トラベル)が悪いことになってきちゃった」には大事な要素が欠けている。いま問題になっているのはGoToそのものと同時に「実施時期」である。「いまやる必要があるのか」。「いまやるのが悪い」というの多くの人の声であり、②に出てくる「専門家」の批判である。
 時期が問題だからこそ、今回の政府は「方針転換」をしたのだろう。
 「いつの間にかGoToが悪いことになってきちゃった」のではなく「いまGoToをやることが悪い」なのである。それを明確に伝える工夫を読売新聞はしていない。菅批判をおさえている。これを「忖度」という。
②の「移動によって感染は拡大しない。そこは変わらない」とは、何を踏まえての判断なのか、菅は言っていない。「専門家の先生方」は何と言っているのか。読売新聞は、そういう分析には足を踏み入れず、「複雑な思いをにじませた」と非常にあいまいな書き方をしている。
 「複雑な思い」って、何?
 菅はGoToをつづけたいのに、世論が許さない。(支持率が下がっている。)このままでは選挙に負ける? 選挙敗北の責任をとらされる? いまのことではなく、自分の将来のことを考えているのか。国民のいのちではなく、自分の金稼ぎの心配をしているのか。それが「複雑な思い」なのか。
 「身勝手な思い」ではないのか。
③は首相の「声」ではなく、首相周辺の「声」を書いているが、そこに「身勝手」に通じることばが、そのまま書かれている。
 「勝手なことしやがって」は「身勝手なことしやがって」なのである。このことばを言った自民党幹部とはだれなのか。二階なのか。それにしても、このことばには、菅よりも、菅を首相にしてやった俺の方が偉いんだぞ。俺に逆らう「身勝手は許せない」という気持ちが滲んでいるなあ。その直前に書かれている「事業を止めて利用者の混乱を招いた揚げ句、経済は落ち込み、感染拡大も止まらないかもしれない」の「政府内」の「声」は誰の「声」なのか。
 どちらも「主語」を明確にしていない。しかし、「政府内」「自民党幹部」はかならずしもGoTo停止で「一致」しているわけではない。菅を支える「基盤」が揺らいでいるということを読売新聞は伝えている。
 この揺らぎに対して、菅は「複雑な思い」を抱いているということか。
 読売新聞の記事を読むかぎり、菅は国民のいのちのことは何も考えていないということがわかる。読売新聞は、こういうことを「正直」に書いてしまうので、なかなかおもしろい。










#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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考えない菅(その2)

2020-12-11 17:32:16 | 自民党憲法改正草案を読む
菅首相は11日、インターネット番組に出演し、観光支援策「Go To トラベル」事業の一時停止について「考えていない」と述べた。
↑↑↑↑
「考えていない」というよりも、菅の場合は「考える」ということができないのではないか。
何も「考えない」。
ただ「思いつく」。そして、ただそれを実行する。
問題は。
コロナウィルスは官僚ではない、人間ではないから、菅にかわって「考える」ということをしてくれない。
左遷がこわくて、菅のつごうにあわせて「論理(ことば)」を考えるのは官僚だけ。
コロナウィルスはただひとにくっついて生き延びる。
お盆の帰省をあきらめたひとは、せめて正月くらいは帰省ができるだろうと思っていたのではないだろうか。
年末年始の医療機関の「休日」はお盆期間よりも長い。
感染拡大がつづくと、その受け入れ機関はどうなるのだろうか。
この問題を「考える」のは、いったい誰なのか。
「考える」ことをすべて国民に「まる投げ」している。
あまりに無責任だ。
読売新聞も読売新聞。
「考えていない」ということばを聞き出すだけではなく、「では、何を考えているのか」と質問して、菅の「考えている」ことを書かないといけない。
「考えていない」はひとことでおしまい。
「考えている」ことを語るには、多くのことばがいる。
「ことば」をつたえるのがジャーナリズムの仕事であるはずだ。
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「考えない」菅(その1)

2020-12-11 17:31:35 | 自民党憲法改正草案を読む
菅の「ことば」の特徴は、いつも「結論(答え)」だけがあり、「経過」がないということ。つまり「論理」がない。
官房長官のときは、すでに他人(安倍)が「答え」を出していた。記者会見ではその「答え」に対して質問が出るだけだから「問題ありません(安倍の結論が正解です)」でつっぱねることができた。
しかし、今度は自分で「答え」を出さないといけない。「答え」を出すためには、問題をどう解釈し、そこからどう論理を組み立てていくかということが求められる。その論理を組み立てた経験がない。
この論理を組み立てた経験がないということは、別のいい方をすれば、論理を組み立てることができないであるだけではなく、論理を組み立てることが嫌い(論理を前面に出してくるひとは嫌い)につながる。
これは、学術会議問題にあてはめると、そのまま菅の「生き方」として理解できる。
菅は、「論理を組み立て、その論理のあり方」を問題にする「学術会議(学者の方法)」が大嫌いなのだ。
「経過」を説明し、その「経過」の正しさで他人を説得するということが大嫌いなのだ。
そういう訓練をしていないのだ。
「goto」も経済を動かすという「結論」だけしかない。どういういときに「goto」をすれば経済が動くか、国民の健康と両立できるかという「論理的根拠」がない。
「事実」を分析し、それを抽象化し、理論にしていく。そのあと「答え」を仮説として提示する。さらに、その「仮説(答え)」が正しかったかどうか、「実証」の「結果」と照らし合わせて、ほんとうに「答え(結論)」が正しいかどうか見直すという方法が確立されていない。
「答え(結論)」のために、それ以前の「論理」を作り替えてしまうという安倍の手法が、「論理」を作り替えることのデイない「現実(コロナ感染)」の前で破綻したとき、どうしていいかわからなくなっている。
コロナウィルスは「官僚」ではないから、「論理(感染経路や感染拡大の数字)」、「結論(gotoが正しい)」にあわせて説明してくれない。
コロナウィルスは「官僚」ではない(方針に反対なら「異動させる」)という具合に行かないのだ。
官僚が「しりぬぐい」をしてくれない問題に直面したとき、菅には何もできないのである。
安倍にしてもおなじである。
そういうい意味では、菅は安倍を「継承」している。
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学術会議の行方

2020-12-10 10:54:31 | 自民党憲法改正草案を読む
 「桜を見る会」と鶏(鶏卵?)わいろの影で「学術会議」問題が報道されることが少なくなったが、少ないからこそ書いておこう。
 2020年12月10日の読売新聞(西部版・14版)の4面に次の見出しと「提言案のポイント」の箇条書き。(番号は、私がつけた。記事は▽で並記している。)

学術会議/「独立組織化 23年めど」/自民チームが提言了承

①独立行政法人など独立した法人格の組織にすべきだ
②組織の透明化を図るため第三者機関を設置
③2023年をめどに新組織に
④会員選出は投票などの透明で厳格な運用にし、第三者機関による推薦などの道も確保
⑤移行後も当面、政府の予算措置を継続

 はっきりわかるのは見出しにとっている③の「23年度めど」ということだけで、他はどういうことなのか、よくわからない。「政権(権力)」と「学問」の関係がわからない。
 ①について。
 私は、最初に言われている「独立」ということからして、疑問をもっている。きょうの紙面には書かれていないが、「独立」を提言するひとは、アメリカやイギリスのアカデミー(?)は「独立」している、国から補助が出ていない(出ていても少ない)というようなことを言う。
 こんな形式的なことを言う前に、アメリカ、イギリスのアカデミー(学問)と政治の歴史を見ないといけないだろう。日本の学問と政治の関係を見ないといけないだろう。日本には政権によって学問の自由が奪われ、学問の自由(学問から政権への批判)がないところで「戦争」が引き起こされた。戦争の一方で、日本の政権は学問を弾圧したという歴史がある。そういうことを再び起こさせないためにも「学術会議」はある。
 組織(政権)のなかに、「学問」の立場から発言できる機関を同時に併せ持つ。それは常に「批判」を受け入れる組織としての「政権」でありつづけることを「保障」する。「学問の自由」を保障しないと、政権は暴走するのである。
 「憲法」に「学問の自由」は規定されている。だからそれで十分という考え方もあるかもしれないが、それだけでは不十分だという認識が「学術会議」を設立したときの考え方だろう。大事なことは何重にも規定しておかないといけない。
 「政権」というものは、どんなときにも「批判」を受け入れる組織にしておかなければいけない。そして、その「批判」を客観的にするために「学問」がある。政権が戦争を起こさせないためにいくつもの「方法」(方策)があるが、「憲法9条」と同時に「学術会議」もそのひとつである。政策を、「学問」の立場から批判する。その「批判」を無視できないものにする。そのためには、考え(思想)としては「独立」している必要があるが、同時に「体制」としては「分離」していては意味がないのだ。
 個人のことを考えてみればいい。一人の人間のなかに「隣人を殺して財産を奪ってしまえ」という欲望がある一方、「殺せば殺人罪、盗めば窃盗罪になる」と判断する理性がある。この「理性」は自分のなかにあるから意味を持つ。「理性」がなくて、自分とは別の人間が「殺せば殺人罪、盗めば窃盗罪になる」と言うだけではダメなのだ。これは殺人や窃盗がなくならないという「現実」からも簡単にわかる。「戦争をしてはいけない、侵略をしてはいけない、こういう政策は間違っている」ということを「政府」以外のものが言うだけではだめなのだ。日本の歴史は、そのことを証明している。
 ②はもっともらしく聞こえるが「透明化」は「第三者機関」が存在すれば保障できるものではない。「第三者機関」などなくても、会議が常に「公開」を原則としていれば透明化は確保できる。議事録を常に閲覧できる状態にしておけば十分なことである。「第三者機関」をもうけることで、逆に「不透明」になることもありうるだろう。「第三者機関」が学術会議に何らかの働きかけをするということが考えられるからである。「第三者機関」が学術会議に対して、どのような判断をしたかということが「公開」されるということが前提とされなければならない。「公開の前提」を不問にして「第三者機関」を設置することは、非常に危険だ。
 ④の「第三者機関による推薦」というのもよくわからない。「学問」の世界をいったい「学者」以外がどうやって評価できるのか。「学問」を構成しているのは「定説」だけではない。「新説」もあれば「研究中の仮説」もあるだろう。「第三者」がそういうことに対して、どれだけ客観的な判断ができるのか。「学問」とは別の恣意的判断が「推薦」に紛れ込むことが必ず起きる。そして、実際、この④は、そういう「恣意的操作」をするために(恣意的操作を保障、担保するために)「第三者機関」を設置すると言っているに過ぎない。
 ここから②を振り返れば、私が先に書いた「透明化」の問題がはっきりするだろう。「学問」とは無縁の「恣意的操作」によって学術会議を操作する。それは、どうみたって学術会議を「不透明化」するということなのだ。
 ⑤は、「金銭的補助(助成)」をするのだから、政府の言うことを聞け、ということだろう。政府批判をするなら予算をつけない。しばらくの間は予算をつけるが、学術会議が政府批判をつづけるなら、補助・助成は「継続しない」ということを「裏側」から言っているに過ぎない。

 「学問の自由」は誰にでも開かれた自由であって、政府の「保証」や「助成」など必要がない。したい「研究(学問)」があるなら、個人が自分の「権利」としてやればいい、という考え方もあるが、これはあまりにも「楽観的」な考え方である。
 たとえて言えば、菅が「敵国」を攻撃する新兵器を造りたい、その研究をしたいと思っても、菅にはその研究をする能力がないだろう。いまから菅が「学問」をしなおしても、間に合わないだろう。菅に対して「新兵器の研究をするな(それは憲法の精神に反する)」と誰かが批判しなくても、そういうことは菅にはできない。まず「学問的素養」が必要であり、つぎに「思考」を具体化していくための「設備」が必要である。そういうものには金がかかる。ときには膨大な資金がいる。どんな「学問」であろうと、個人の力(自由)だけではできないことがあるのだ。
 「理系の学問」だけではなく、「文系の学問」もおなじである。金がかからないようにみえる。個人の自由でなんでもできるではないか、と思うのは、「学問」をしたことがないからではないのか。私の個人的体験で言えば、私のやっていることは「ことば」を読み、それについて感想を書くというだけのことだが、こういうことにしたって「自由(好き放題)」にはできない。読みたい本が「図書館」にあるとはかぎらない。必要な本を買うには金が要り、その金を稼ぐためには働かないといけない。「好き勝手」にみえて、「好き勝手」だけでは生きていけない。さらに、「あの本は発行禁止にする」と政府が決定すれば、その瞬間からその本さえ読めなくなる。
 「自由」とは憲法に書いてあるように、国民の不断の努力によってしか成立しないのだ。

 脱線したが。

 権力にとっていちばん必要なのは、権力を批判する「自由」なのである。それを保障しないかぎり、権力は「独裁」になってしまう。
 コロナ感染拡大ひとつをとってもみて、わかる。「gotoキャンペーン」の危険性を多くの専門家(医師)が指摘している。「専門家会議」も指摘している。しかし、その批判を拒み、菅はキャンペーンをつづけている。不都合な批判(指摘)を無視するというのは、菅が抱え込んでいる「専門家」というのは単に菅にとって都合がいいことを宣伝するための道具ということである。
 学術会議は(その一部の会員候補)は菅にとって都合のいいことを言わないおそれがある、ということで任命を拒否された。(菅は名言はしていないが。)「独立化」ということばはまともにみえるが、やっていることは政府の言いなりになる学術会議にしてしまうということである。そのために「第三者機関」という政府のいいなりになる組織を新たにつくるということだ。「第三者機関」を「独裁」をすすめるための道具として利用するということだ。
 「学問」の世界は、私のような人間にはなんのことかよくわからない。そういうよくわからないところで「弾圧」が起きても、その「弾圧された」という実感はわたしにはさらにわからない。こういう「わからない世界」(日常から遠い世界)からはじまる変化は非常に危険だ。気がつけば自分のすぐ側にまで来ていて身動きがとれないということが起きる。国民にとって「わかりにくい世界(遠い世界)」から弾圧を始める。それを弾圧と感じさせないために「第三者機関」というものさえつくろうとしている。
 学術会議(学問の自由)は民主主義の根幹である。桜を見る会や鶏卵わいろのように、わかりやすい金の動きがない。そういうことも、この学術会議スキャンダルに影響して、その問題の大きさが見えにくくなっているが、絶対に見過ごしてはいけない。








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敵圏外から攻撃能力?

2020-12-09 09:19:18 | 自民党憲法改正草案を読む
 2020年12月09日の読売新聞(西部版・14版)の一面に、安倍が辞任会見した直後に報道された「特ダネ」、敵基地攻撃能力をもった「武器」を開発するという記事の続報が「特ダネ」として掲載されている。続報だから、どこが新しいのか目を凝らさないとわからない。

長射程程ミサイル開発/敵圏外から攻撃能力/来年度予算案

 「長距離射程ミサイル開発」に関して言えば、すでに「敵基地を射程にした装備」と言っているのだから、新味は「ミサイル」ということばが具体的に出てきたところか。
 しかし、「敵圏外から攻撃能力」とはどういうことか。
 仮想敵国がどこか明確には書いていないが、北朝鮮も中国もすでに日本を射程にしたミサイルをもっている。ロシアももちろんもっている。日本はすでに「敵圏外」ではない。だいたい「敵の圏外」にいるのなら、その「敵国」は日本にとって危険ではないだろう。緊急の危険性を感じる必要はないだろう。
 「敵圏外から敵基地を攻撃できるミサイル」とは、何か。
 記事には、こう書いてある。(番号は、私がつけた。)

①政府は、年末までに検討中の「ミサイル阻止」の新たな方針の一環として、敵ミサイルの射程圏外から攻撃できる長射程巡航ミサイル(スタンド・オフ・ミサイル)を新たに開発する方針を固めた。
②地対艦ミサイルを改良し、艦艇や航空機からも発射でき、地上目標も攻撃できるようにする。来週にも閣議決定する。

①に「長射程巡航ミサイル」ということばが出てくる。ここから「巡行」ということばを省略して、読売新聞は「長射程ミサイル」と見出しにしている。
②では「敵圏外」を「艦艇や航空機からも発射でき」るが、と具体的に言っている。「艦艇や航空機」は移動できる。つまり、敵国から攻撃されにくいということである。地上基地に固定化されたミサイルは、基地を攻撃されたらつかえなくなる。しかし、「艦艇や航空機」は「地上基地」に比べて攻撃されにくい。これが「敵圏外」の意味なのである。
 このことを、こんなふうに言い直している。

③艦艇からも発射できる新型巡航ミサイルの開発で、相手の対応をより困難にし、抑止力の強化につなげる狙いがある。

 「相手の(敵の)対応をより困難にする」が「敵圏外」ということになるが、これはあくまで「対応をより困難にする」であって、完全に「敵圏外」を意味しない。読売新聞(あるいは、この特ダネをリークしたひと)は、このミサイルを「抑止力の強化」呼んでいる。
 だが、別の見方もできる。
 「艦艇や航空機からも敵の地上目標を攻撃できる」ということは、たとえ日本の地上の基地が攻撃によって完全破壊されても、なおかつ敵基地を攻撃し続けるということである。これは言い直せば「戦争が長引く」、戦争の長期化を意味する。どこまでも破壊がつづく。
 「抑止力」というと聞こえはいいが、私は「戦争の長期化」を想定しているだけだと推測する。安倍から菅が「継承」する「政策」が、これである。絶対に戦争をする。戦争は、絶対に「長期化」させる。これは、言い直せば、「軍事独裁」の期間をより長く維持するということである。
 菅は、戦争の「長期戦」を目指している。「長期戦」の「手段」が「艦艇、航空機から発射できる長距離巡行ミサイル」なのだ。もう、これは「防衛」でもなんでもない。読売新聞が見出しにとっているが「攻撃」でしかないのだ。
 新聞(ジャーナリズム)に求められているのは、「リークされたことば」をそのまま垂れ流すのではなく、ことばを分析し、批評し、解説を加えて記事にすることだ。
 「長距離巡行ミサイル」は何のために、どうやって運用するのか。その結果、どういうことが起きるのか。単に敵基地を攻撃する(反撃する)ということ以外のことが起きる。それがわかる見出しと、記事の構成が必要である。

 まあ、読売新聞は「攻撃能力」(見出しに注目)と、いつものように「正直」をさらけだしているのが、おもしろいところではある。しかし、「正直」に「攻撃能力」と書いてしまったのだから、そのあとも「正直」をつづけないといけないのに、それができない。
 そこに問題がある。

 おなじ紙面の「編集手帳」には、有馬朗人を忍んで、こういうことを書いている。

<友の死や雲の峯よりB29>。敗戦から75年の今夏、十四歳の空襲体験を詠んだ。「戦争で軍事施設のみ攻撃されるなんて嘘だ」と本紙に語っている。 

 戦争は、はじまれば、もう「戦争」しかない。終わりなのである。
 長距離巡航ミサイルで「敵基地」を攻撃する、抑止力を高めるというが、戦争になればきっと「敵基地」以外も攻撃する。日本も「基地」以外も攻撃される。つまり「防衛手段」を持たない国民は、いつでも簡単に殺され続ける。
 そういうことを体験してきたからこそ、憲法で、国に対して戦争をさせないと宣言している。それを国の指導者が率先して破り続ける活動をしている。憲法違反をしている。
 それをごまかすために「敵圏外」だとか、「抑止力」ということばをつかっている。








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自衛隊派遣

2020-12-08 14:00:58 | 自民党憲法改正草案を読む
自衛隊派遣

 2020年12月08日の読売新聞(西部版・14版)の一面。

コロナ拡大/大坂に自衛隊派遣へ/北海道も検討 医官や看護官

 政府は7日、新型コロナウイルスの感染が拡大している北海道と大阪府に対し、正式に要請があれば、自衛隊の医官や看護官を派遣する方針を固めた。看護師などが不足する自治体側の実情を踏まえ、政府は地域医療体制の確保に全力を挙げたい考えだ。

 なんとも「いやあな感じ」がする見出しと記事である。
 私は「自衛隊派遣」を実現するために、菅はわざとコロナを拡大させているのではないかとさえ考えてしまう。コロナ感染を抑止できていれば、自衛隊派遣などしなくてもする。感染拡大防止のために何をしてきたか、それを検証もしないで「自衛隊派遣」で乗り切ろうとしている。
 しかも。
 自衛隊の派遣というのは国が勝手にできることではなくて、自治体から要請かあって派遣するという形をとるので、一義的には国の判断ではない。自治体まかせ、という面がある。
 これは逆に言えば、コロナ感染拡大については国には責任がない。自治体が適切な政策を実施しなかったために感染が拡大している。そういう地域に対しては、国はいつでも自衛隊を派遣し、支援すると、いわば「恩を売る」形をとることだ。そうすることで「自衛隊はやっぱり必要だ」という意識を国民に植えつける。
 何か変だなあ、と思うのである。
 読売新聞の記事は、最後に、こう書いている。

 防衛省によると、医官と看護官は約1000人ずつおり、各地の自衛隊病院や部隊で活動している。新型コロナを巡っては、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でのPCR検査の実施などにあたった実績がある。

 これはたしかにその通りだが、このときのコロナ騒動は一種の「自然災害」のようなものである。どうして発生したのか、どう対処すればいいのか、まだだれもわからなかった。自治体の能力を超えていた。
 でも、それから半年以上もたっている。何が有効か、何が問題かも、だんだんわかりつつある。それなのに有効と思われることをせず、危険と思われることをすすめておいて、「自衛隊派遣」というのはおかしくないか。
 各地に隔離病棟を建設する、医師・看護師確保のための方策をつくす。感染者を拡大させないという施策をとる。しかし、それでもなおかつコロナ感染の拡大が抑制できず、自衛隊の支援を求めるというものではない。
 それなの「自衛隊派遣」が大きな政策のように平気な顔で発表する。新聞は新聞で、それ菅の「大判断」であるかのように宣伝する。
 これって、統治者(首相)として恥ずかしいことではないのか。
 自分の打ち出した政策ではコロナ感染者を抑制できなかった。そのために自衛隊を派遣しなければならないところにまで追い込まれた。大宣伝する前に、まず国民に謝罪すべきことだろう。国民に謝罪し、自衛隊に対しても、自分の失政のために派遣せざるを得なくなったと謝罪すべきだろう。
 ジャーナリズムの立場からいえば、菅の失政が招いた事態として、厳しく追及すべき問題だろう。




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読売新聞の菅記者会見報道からわかること

2020-12-05 09:20:24 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の菅記者会見報道からわかること

 2020年12月05日の読売新聞(西部版・14版)に菅の記者会見の記事がある。私は「記者会見」を見ていないので(たぶんテレビ中継されたと思う)わからないのだが、読売新聞の報道の仕方から見えてくることがある。
 1面の見出しと、前文。(番号は、私がつけた。)

環境投資2兆円基金/首相会見 コロナ時短対策1・5兆円/ひとり親世帯 給付再支給

①菅首相は4日、首相官邸で記者会見し、8日に決定する追加経済対策で、2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする目標に向け、環境分野の技術革新などに投資する企業への支援策として2兆円の基金を創設する意向を表明した。
②デジタル関連で1兆円超の関連予算も計上し、
③新型コロナウイルスの感染拡大で疲弊した経済の再生を進める決意を示した。

 これにつづく記事には「記者会見は、4日に臨時国会が事実上閉会したことを受けて行われた」とあるが、国会で話題になったことは、あまり書かれていない。
 国会では、まず「学術会議の6人任命拒否」「GoTo批判(コロナ対策)」「安倍の桜を見る会」が問題になった。しかし、見出しと前文からは、「学術会議」に関することはすっぽりと抜け落ちている。
 ①は臨時国会の主な議題ではない。たしかに菅は温室効果ガスについても主張しているが「2050年」へ向けた展望は、いま問題になっていることとはまったく関係かない。「2兆円」というのは今後30年間にとってどれくらいの「価値」があるものかも、私には見当がつかない。「2兆円」を前面に出した単なる「宣伝」にすぎない。
 ②も菅のやりたいこと、やりつつあることの「宣伝」であり、国民がいま求めている緊急の問題ではない。
 ③でやっと「コロナ対策」が登場するが、これでは、わざわざ記者会見を開いて、国民に直接訴えることにはならないだろう。これでは、国民の行動指針にはならないだろう。
 「見出し」にとっている「コロナ時短対策1・5兆円」や「ひとり親世帯 給付再支給」は国民生活に影響してくるが、年末年始の買い物対策、帰省対策など、身近なことがぜんぜんわからない。「国民まかせ」で知らん顔している。

 この「記者会見」は、逆に読んでみる必要がある。読売新聞は、なぜ「学術会議」や「桜を見る会」の問題を見だしにとっていないのか、というところから記事を読み直していく必要がある。
 そうすると、3面に「記者会見」というよりも「国会閉会」に関して、おもしろいことが書いてある。「『実績重ね解散』戦略」という見出しでくくった記事である。

今後の政権運営で焦点となるのが、衆院解散・総選挙の判断だ。(略)自民党内でも内閣支持率が好調なうちに早期解散を望む声が多かった。ただ、感染者の急増に加え、安倍晋三前首相や吉川貴盛元農相を巡る「政治とカネ」の問題が浮上したことで機運はしぼんだ。

 首相の仕事は、自民党議員を何人当選させるかという「選挙対策」だけらしい。政策は、つまり「公約」(たとえば、環境投資2兆円基金)というのは、「当選したい/国会議員として金儲けをしたい」を隠蔽するための「方便」にすぎないことがわかる。
 という「表面的」なことよりも。
 この3面の記事でいちばん問題にすべきなのは、ここから「学術会議」が消えていることである。
 「学術会議の6人任命拒否」には菅の「違法行為」が関係している。学術会議法を読むかぎり、菅は6人をそのまま任命しなけれどいけない。しかし、そうしなかった。首相が違法行為をしているという意味では「桜を見る会」とおなじなのである。しかも、「桜を見る会」の問題のように、「秘書」に責任をなすりつけてごまかすことのできない問題である。
 このことから読売新聞がスクープした「桜を見る会」問題は、菅が、菅の違法行為への批判を隠蔽するために、安倍を利用するためのものであることがわかる。つまり、「リーク元」が菅(側近)であることがわかる。
 「学術会議6人拒否」は菅の「タブー」になっている。だから、読売新聞は、それについては触れないようにしている。
 4面にも、おもしろい記事がある。おもしろいというのは、記事の書き方がおもしろい、ということである。ここに、この日の新聞ではじめて「学術会議」が登場する。(番号は、私がつけた。)その「触れ方」が非常におもしろい。

⑥今国会は、首相が学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題で論戦がスタートした。
⑦首相は任命拒否の具体的な理由は答えず、「推薦された方々を必ずそのまま任命しなければならないわけではない」と正当性を主張し続けた。一方で、学術会議の会員の選考方法を「閉鎖的で既得権益のよう」と指摘し、組織の問題点に矛先を向けた。
⑧野党は、学術会議問題への世論の関心が高まらないと見ると、中盤からは新型コロナウイルスの感染拡大を受けた政府対応の追及に軸足を移した。感染拡大の原因は、首相が旗振り役を務める政府の観光支援事業「Go To トラベル」にあると指摘し、事業の中止を要求。首相は事業は地域経済に欠かせないとして、感染対策と経済回復の両立を訴えた。

 ⑥は「6人任命拒否」がなぜ「問題」なのか、その説明を省略している。すでに報道しているから書かないという理由は成り立つことは成り立つが、それでは不十分である。
 ⑦は菅の一方的な言い分である。菅は「正当性」を主張しているが、その根拠は示されていない。読売新聞は単に菅の主張をそのまま「宣伝」しているだけである。
 ⑧の「世論の関心が高まらない」という問題は、単に野党だけの責任ではない。ジャーナリズムが、この問題をどう報道してきたかも関係する。この問題が発覚したとき、読売新聞はどう報道してきたか。すでにブログで書いたが、読売新聞は「梶田新会長」という人事を大きく扱い、「6人拒否」はわきにおいやる紙面構成で報道していた。(他紙は「6人拒否」が主力で「梶田新会長」を見出しにとっているのは毎日新聞くらいであり、しかも単に人事の紹介なので1段見出しだった。)世論の関心が「6人拒否=菅の違法行為」にむかないように情報操作をしてきた読売新聞が、その責任を「野党」におしつけるのは筋違いだろう。
 「学問の自由侵害」はかならず「報道の自由(表現の自由)侵害」につながる。政府を批判する「言論」は弾圧される、ということを招く。被害を受ける最先端の報道機関が、この問題から目をそらさせるような操作をしてきて、「世論の関心が高まらない」と書いてはいけない。
 そして、この「世論の関心が高まらない」という書き方そのものが「情報操作」なのだということに気づくべきだ。「学術会議」よりも将来の温暖化対策(環境問題)の方が重要だ、デジタル対策の方が重要だというのは、「学術会議問題(権力の学問の自由の侵害)」を隠蔽することだ。

 読売新聞の記事を1面、3面、4面とつづけて読んでいくと、そこには「国会」で問題になったことが一応全部書かれている。だから読売新聞は、何も「嘘」は書いていない、ということにはなる。
 しかし、ことばというのは、何をどういう順序で語るかという「方法」のなかに、語った内容と同等の、あるいはそれ以上の「思想」を含んでいる。
 「学術会議問題」を「世論の関心が高まらない」と切り捨て、何もなかったかのように装う。そこに「思想」がある。読売新聞の、権力にべったりと寄り添い、すがりつく姿勢が見える。
 この問題が発覚したとき、私は、菅は国民からいちばん遠いところから「独裁」を始めたと指摘した。国民から見ると「学者」というのはもともと手が届かない世界である。「学問」として語られることは、難しくてわからない。だれが正しくてだれが間違っているのか。どの部分が正しくてどの部分が間違っているか。それを「学者」と対等に語り合える国民などほとんどいない。だから、そのひとたち「学術会議会員」に任命されようがされまいが、ぜんぜん気にならない。だいたいだれが選ばれたかを気にしている一般国民はいないだろう。(したがって、その会長にだれがなるかなんて、全く関心がない。それなのに読売新聞は、だれが会長になったかが大問題であるかのように3段見出しで報道している。)そういうところから「弾圧(独裁)」を始め、徐々に国民生活そのものにまでしめつけをくわえる。それが菅の手法なのである。
 「学術会議」問題は、コロナ対策や「桜を見る会」とは違って、これからも延々と尾を引き、徐々に「効力」を発揮してくる。コロナは最終的には医学が問題を解決するだろう。「桜を見る会」は安倍の握っている権力が弱まれば、それで決着するだろう。しかし「学術会議」の問題、権力の暴力、「学問の自由侵害」はさまざまな形で「言論の自由」を圧迫し、その力を強めてくるだろう。民主主義の本質にかかわる問題なのだ。
 だからこそ、菅はそれを隠蔽しようとしている。そして、読売新聞はその隠蔽に加担している。
 記者会見がどういうものだったのか、読売新聞の記事からはいっさいわからない。記者会見で、記者が「学術会議問題」を追及したかどうかもわからない。もし、記者が「学術会議」問題に対して質問しているのに、そのことをいっさい書かないのだとしたら、ここにも「隠蔽工作」がおこなわれていることになる。











#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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安倍の今後

2020-12-04 09:59:27 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の今後

 2020年12月04日の読売新聞(西部版・14版)1面。

「桜」前夜祭/安倍前首相聴取で調整/東京地検 月内にも実施か

 この見出しは、いよいよ安倍逮捕か、という期待(?)をいだかせるが、4面の「内幕記事(?)」を読むと、私の期待は消えてしまう。
 途中を省略するが、記事をつないで読んでいくと、読売新聞がこの問題をスクープした理由というか、読売新聞に「リーク」した人の狙いがみえてくる。見出しは「自民 安倍氏捜査を注視/国会閉会 幕引き狙う」となっているが、そんな「狙い」など記事を読まなくても想像がつく。いつもの自民党の手口だからだ。
 実際には、何が起きているか。読売新聞に書かれているさまざまな発言者の声をつなぐと見えてくるものがある。(番号は、私がつけた。)

①安倍氏の出身派閥の細田派幹部は「一応話を聞くということだ。安倍氏本人への刑事処分はないと結論を出すためにも必要な手続きだろう」と語り、事態を注視する考えを示した。幹部は、来年中とされる安倍氏の細田派への復帰には影響しないとの見通しを示す

 「刑事処分はない」とまず、「結論」が語られる。
 そのうえで、今回の「報道の狙い」がどこにあるかが、少しずつ語られる。

②首相経験者が事情聴取されれば、衝撃は大きい。閣僚経験者は「以前のように表舞台で活動するのは難しいだろう。首相への『再々登板』を口にする人もいなくなるのではないか」と解説する。

 「桜報道」は安倍の「再々登板」を封じるためである。まず、そう「大筋」が語られる。
 これを補足する材料として、

③安倍氏は、(略)衆院解散・総選挙の時期を巡り、「私だったら1月に衆院を解散する」と繰り返し発言し、波紋を呼んだこともあった。

 (菅)首相の権限である「解散権」に口出ししている。それが気に食わない。
 この安倍の「野望」については、もうひとつ追加事項がある。

④3日夜には参院細田派議員の会食に参加し、前日の2日夜は麻生副総理とともに、東京都内での細田派と麻生派の若手議員による会合に出席した。2日の会合は最大派閥の細田派と第2派閥の麻生派の蜜月ぶりを示し、菅内閣で存在感を増す二階派をけん制する意図もあったとみられる

 「安倍の聴取打診」が報道されたのは3日の夕刊。つまり2日夜の麻生を加えた会合のあと。「まだ麻生と組んで再々登板を画策しているのか、許せない」ということだろう。そして、「聴取打診」が報道されたにもかかわらず、安倍はその3日夜にも「会食」を開いている。菅の怒りが安倍にはつたわっていないと判断して、きょう4日の「特ダネ」の「年内にも安倍聴取か」になったのだ。きょうの「特ダネ」は菅の怒りがどれだけ激しいかを証明するものなのだ。これは菅の「脅し」を代弁しているのである。
 それが証拠にというのも変だが、きょう4日の朝刊には、安倍のうろたえぶりが、こんな具合に書かれている。「安倍氏は3日、東京・永田町の衆院議員会館で報道陣の取材に応じ、特捜部による聴取の打診について『聞いていない』と述べた。」。
 特捜部が「打診している」というニュースなのに、聴取を受ける安倍が何も知らないというのは、安倍が嘘をついているのかもしれないが、とても奇妙なことである。

 話を元に戻すと、菅は安倍に対して不満を抱いている。それを明確にするために、
 そして、わざわざ、

④安倍氏本人が事情聴取される方向となり、再始動に冷や水を浴びせられた格好だ。

 と、だめ押しのように、「再始動」の動きを批判している。
 おもしろいのは、この③④の部分には、「だれ」が批判しているのか、「主語」がない。「再始動に冷や水を浴びせられた格好だ」はだれの発言なのか。
 だれでもない。「読売新聞」の状況判断である。これは、言い換えれば読売新聞は、安倍の動きに冷や水を浴びせるために、この記事を書いているということである。一連の記事は安倍に冷や水を浴びせるために「リーク」したものである、ということである。その「リーク元」の怒りを、読売新聞は、そのまま反映させている。
 「正直」が出てしまう読売新聞は、こういうことを隠せない。
 で、問題の「リーク元」には、つぎのように語られて記事を締めくくっている。

⑤政府関係者は最近の安倍氏の言動について「衆院解散は菅首相の専権事項で、安倍さんの発言は余計だった。少し静かにしていた方がいい」と苦言を呈した。

 ここに再び「衆院解散」は「菅首相の専権事項」が登場し、すべてをバラしている。
 安倍の発言に菅が怒り、安倍封じをするために「リーク」した。そのことを「政府関係者」は「少し静かにしていた方がいい」と露骨なことばで説明している。それを、読売新聞は、わざわざ「苦言を呈した」と解説し直している。
 読売新聞は「正直」がうりもの。こういう「正直」は、読んでいて、たまらなくおかしい。

 で、まとめると。
 安倍の動きさえおさえることができるなら、菅はそれで満足。それが目的の「桜問題の再掘り起こし」なのだから、もちろん立件は狙いではない。逆に言えば、政治資金規正法違反(不記載)で秘書を立件すればおしまい。そのために(というか、そうさせるために)、3日の朝刊では、わざわざ「4000万円」という額を出して、問題は「桜」ではなく、秘書の帳簿処理という「方針転換」を説明している。
 菅としては、秘書の処分で桜問題を隠蔽するのだから、ありがたく思え、と恩を売っているんだろうなあ。

 それとは別に、私は、こんなことも考える。
 すでに読売新聞の「特ダネ」第一報の直後に書いたことだが、この「桜」とコロナウイルス(GoToキャンペーン)の問題がクローズアップされたために、「学術会議」問題が見えにくくなった。「6人任命拒否」は菅の違法行為であるという問題が見えにくくなった。野党の追及がどうなっているのか、新聞などでは、わからなくなっている。
 これを考えると、菅は菅自身が問われている違法行為を隠すために、安倍の違法行為をひっぱりだしたということになる。
 推測だけどね。

















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不記載4000万円?

2020-12-03 08:43:06 | 自民党憲法改正草案を読む
不記載4000万円?

 2020年12月03日の読売新聞(西部版・14版)が、またまた安倍問題で「特ダネ」。この書き方がとても興味深い。

「桜」前夜祭/安倍氏公設秘書 立件へ/東京地検 不記載4000万円か/規制法違反容疑

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、東京地検特捜部は、政治団体「安倍晋三後援会」の代表を務める安倍氏の公設第1秘書を政治資金規正法違反(不記載)容疑で立件する方針を固めた。特捜部は安倍氏側による補填分だけでなく、参加者の会費徴収分も含めた開催費全額を後援会の政治資金収支報告書に記載すべきだとの見方を強めており、収支を合わせた不記載額は4000万円規模に上る可能性がある。

 私は野次馬読者だから、はっきりとは覚えていないが、これまで取り上げられていた問題は前夜祭の「補填800万円以上」ということだった。しかし、突然その5倍の4000万円という数字が出てきた。
 ちょっと見た目には、えっ、4000万円補填?と仰天してしまう。
 ところがよく読むと、その4000万円は「収支を合わせた不記載額」とある。この「収支をあわせた」という意味が私などにはよくわからない。たとえば「収入2000万円+支出2000万円=4000万円」なのか、「収入4000万円-支出4000万円=0円(帳簿の帳尻があう)」なのか。「会計事務(処理)」に詳しい人なら悩まないだろうけれど……。
 そして、この「わからない」ところをさらに面倒くさくさせるのが、「不記載」ということばだね。
 「参加者の会費徴収分も含めた開催費全額を後援会の政治資金収支報告書に記載すべきだとの見方を強めており」と記事には書いてある。800万円補填したかどうかよりも、「収支報告書に記載したかどうか」が問題であり、そこから「政治資金規正法違反」の容疑が発生する。
 で、この瞬間。
 「800万円補填」が隠れてしまった。
 「800万円補填」は、問題じゃない?
 800万円補填も問題だろうけれど、その5倍の4000万円の「不正」がある。そっちの方が大きい問題だろう。だから、それを重視する。それを問題にしないのは、おかしいだろう、といいたいんだろうなあ。
 ここから「4000万円」と「不記載」が固く結びついて、「800万円補填」は隠される。「800万円補填」は安倍の問題だが、「4000万円不記載」は秘書の問題になる。「800万円補填」はそのうちの一部になる。つまり、安倍は「切り離される」(不問にされる)のである。
 この部分については、はっきりこう書いてある。

 補填分の領収書は、ホテル側から安倍氏が代表を務める資金管理団体「晋和会」宛てに発行された。ただ、前夜祭は後援会が主催していた実態から、特捜部は会計処理も後援会が担うべきだと判断したとみられる。

 「ただ」ということばがとても大事な働きをしている。領収書は「晋和会」宛てであると認めた上で、安倍には責任がない、と主張する。そのために、「秘書」がすべては後援会の収支を担当していたという「論理」を導入する。責任を「秘書」におしつけるための「論理」をつくるために「ただ」ということばがつかわれている。「論理構成要件」には「事実」だけではなく、「接続詞」が重要な働きをしている。あ、ちょっと問題がずれてしまったか。でも、私が問題にしたいのは、こういう「論理」の問題、「論理」にだれが、どんなふうにつくっていくかうそしてその「論理」によってだれが何を隠すかという問題なのだ。
 言い直そう。
 「判断した」と書いてあるが、これは「判断した」のではなく、そういう「結論」に達するように「論理」を作り替えた、という意味である。ここでは「論理」が展開されているのではなく、「論理」が捏造されていると読むべきである。「4000万円不記載」という「事実」は捏造はされていない。しかし、「4000万円不記載」を強調することで「800万円補填」を隠すという工作がおこなわれている。読売新聞は、それをそのまま「宣伝」している。
 念押しするように、記事の最後にこう書いてある。

 市民団体などが政治資金規正法違反容疑などで提出した告発状の対象者には、公設第1秘書のほか、安倍氏らも含まれている。安倍氏は後援会では役職に就いておらず、特捜部は事情聴取の必要性などを慎重に検討しているとみられる。

 「慎重に検討している」というのは、安倍を聴取しないですませる方法を慎重に検討している。安倍を聴取しないですませるための「論理構築を慎重に検討している」ということである。つまり、どうすれば安倍を聴取しないですませられるかを検討しているということである。
 そして、その「仮説」のひとつが、「800万円補填」を「4000万円不記載」のなかに含めてしまうことなのである。「800万円」を大きく上回る「額」がどうしても必要だったのだ。「800万円不記載」では、どうしても安倍と直結してしまう。しかし「4000万円」なら安倍(桜を見る会)と直結しないものもある。そこに焦点を当てようとしている。
 「トカゲの尻尾切り」に違いないのだが、そのトカゲの尻尾の大きさを強調することで、安倍を隠そうとしている。
 これは東京地検の「方針」そのものなのか、「4000万円」を表に出すことで、世論がどう反応するかをみるための「リーク」なのか、よくわからない。私は、後者だと思っている。「4000万円」に世論がとびつき「800万円補填」を忘れてしまうなら、「秘書立件(秘書逮捕)」は大成功。安倍は放免されるからだ。

 で。
 問題は、こういうとき記事をどう書き、見出しをどうとるかなのだ。記事と見出しは「800万円補填隠し」のために「4000万円不記載」を強調している。これを「4000万円不記載」よりも「800万円補填」をめぐる安倍の嘘答弁が問題であるという視点から問題をとらえ直せば、「4000万円不記載」に安倍はどうかかわっていたのかを追及しなければならない。つまり、「安倍を聴取する方向で検討している」という地検の「声」を引き出してこないといけない。そういう「声」を引き出す質問を記者はしないといけない。そういう「ねばり」のようなものが感じられない。単に「リーク」されるままに「特捜部は事情聴取の必要性などを慎重に検討しているとみられる」と書いている。今後、この問題は「4000万円」がひっぱっていく。他の報道機関も「4000万円」を問題にせざるを得なくなる。そして「4000万円」が強調されるたびに、安倍は見えなくなるのである。
 だいたい「慎重に検討します」は「ていねいに説明します」とおなじで、単なる「表面的なことば」。「検討しません」「説明しません」という意味である。こんなことばを新聞が「宣伝する」のはおかしい。地検が「やっているふり」をしているのを追認する必要はない。世論を味方に、地検をひっぱっていくくらいのことをしてほしい。




















#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「内輪話」は読売新聞の独壇場

2020-11-28 09:55:08 | 自民党憲法改正草案を読む
「内輪話」は読売新聞の独壇場

 2020年11月27日の読売新聞(西部版・14版)はとてもおもしろかった。
 「編集手帳」で菅を、夏目漱石の『三四郎』を引き合いに出して、揶揄している。

<用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない>◆「会見」という言葉を含むのを思い出して、菅首相の顔を浮かべながら文庫本に先の記述を探した。新型ウイルスの感染が急拡大して以降、立ち話の取材は受けるものの、一度も記者会見を開いて国民への呼びかけをしていない

 やっと批判する気になったらしい。
 でも、この視点から言えば、23日の「桜を見る会」の特ダネを掲載した日のトップ記事、「goto札幌除外26日」は、やはりこんなに手間取ると指摘すべきだったのだと思う。
 で、きょうは一面に「大坂・札幌市発 自粛要請」という見出し(記事)がある。これは、菅のどたばたを象徴するニュースだが、おもしろいのは二面の「裏話」。「GoTo見直し 不協和音」という見出しの記事の後半に、こういう記事がある。

トラベル事業利用者の感染者は26日時点で202人にすぎないこともあり、政府は事業と感染拡大に因果関係は認められないとの立場だ。首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音とされる。首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており、政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした。
 別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた。「目的地制限」とは異なり、出発地については自粛要請にとどめたのは、分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いたようだ。

 非常に「克明に」菅周辺の「心理」を描写していることである。「首相は運用見直しを最小限にとどめたいのが本音」と説明したあと、これでもか、これでもか、というぐらいに説明している。
①首相官邸は分科会が「出発地制限」を求めたことにいら立っており
②政府高官は「勝手な意見だ。のりをこえている」と不快感をあらわにした
③別の高官は「何もしなくていいならそれが一番いいが、分科会の意見を無視するわけにはいかない」と打ち明けた
 びっくりするは「主語」が①②③と別人であることだ。「首相官邸」「政府高官」「別の高官」と三人も「証言」している。いっしょうけんめい菅の心理を代弁している。「分科会の主張を全面的に受け入れるわけにはいかないとの判断が働いた」というのは読売新聞の記者の判断だろう。だから「だろう」とつけくわえているのだが、これだけではまだ菅の周辺でおきていること(菅のいらだちにみんながピリピリしていること)がつたわらないと思ったのか、こうつけくわえている。

分科会との橋渡し役の西村経済再生相への風当たりも強い。政府関係者は「分科会にきつく言われるたびに、政府がずるずる付き合っている」と苦言を呈する。

 あらたに「政府関係者」が登場した。合計四人もの人間が「菅の思い通りにならない」(ということに菅が怒っている)と証言しているのだ。
 異常じゃない? こんな書き方。
 これを、どう読むべきなのか。読売新聞は、菅にこんなに同情している、と読むべきなのか、「自分の思い通りにならないからと会見も開かずすねてしまう菅はもうだめだ」と印象づけたいのか。23日の新聞に「二階派閥の伸張」を語る「作文」が載っていたが、菅から二階に乗り換えよう、ということを誰かに語りかけているのかな?
 よくわからないが、こんな「内幕」を長々と書いてしまうところが読売新聞のおもしろいところ。ニュースとは関係ないように見えて、こういう「ごちゃごちゃ」が意外とニュースの本質なのかもしれない。
 「学術会議」にしても、結局、「なぜ菅の思い通りにならないんだ」といういらだちが、むちゃくちゃに拡散してしまった。「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」が通らなかったために、いくつもいくつも「理屈」をでっちあげ、でっちあげるたびに破綻した。菅の政策は、たったひとつ「首相は俺だ、俺の言うことを聞け」という「独裁」が就任以来つづいている。そういうことを読売新聞は間接的に(独裁)ということばをつかわずに書いている。

















#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「学術会議」の基本的問題

2020-11-28 08:30:02 | 自民党憲法改正草案を読む
 「桜を見る会前夜祭」と「goto中止(コロナ感染拡大)」で書く人が少なくなったいまだからこそ、書いておきたい。

 「学術会議」を「国の特別機関」から切り離すという案がある。
 その意見の根幹にあるのが、国から予算が支出されているのだから、国(内閣)の方針に反対するのはおかしい、という意見である。つきつめていえば、国から金をもらうものは、国に反対してはいけない、ということになる。
 でも、これはおかしい。
 まず、国と内閣は違うということを理解していない。また国民のなかは、内閣(国)の政策に反対する人もいる。そういうひとも税金を納めており、その税金から予算が成り立っている。だから、内閣の方針に反対する人にも、税金は再分配されるべきである。
 いちばん簡単な例で言うと、国会議員には国の方針に賛成の「与党議員」と反対の「野党議員」がいる。国の方針に反対する議員に金を出す必要はない、切り離せ、ということになったらどうなるのか。
 いったん、菅が主張している「学術会議独立(実際は、分離、切り捨て)」を認めてしまうと、きっと、そうなるのである。
 もちろん、すぐに野党国会議員を排除する(当選を認めない)ということはおきないだろう。しかし、徐々に、そうなっていく。国会議員の排除は目立つが、学者の排除は国民には見えにくい。その見えにくいところから、「事件」はおきる。学者の次は、市民活動家がねらわれる。そのあと、国会議員が排除対象になる。そして「独裁」が完成する。

 しかし、アメリカやイギリスでは「学術会議」に類する組織は国から独立しているではないか、日本はどうして独立した組織になれないのか、という意見もある。
 これは、アメリカ、イギリスと日本の歴史が違うからだ。
 「憲法」から見ていけばいい。
 日本の憲法は、第二次世界大戦を引き起こしたのか日本の政府であるという認識の上に成り立っている。日本政府は暴走し、戦争を引き起こした「歴史」を持っている。政府に反対する国民を弾圧し、自由を奪い、国民を死に追いやる戦争を引き起こし、近隣諸国にも大きな被害をもたらした。そういう政府を二度とつくらないという決意のもとに日本の憲法は成り立っている。
 つまり、常に政府を監視するときのよりどころ(ついつでもだれでも国民は政府を批判できる根拠)として憲法がある。
 「学術会議」もおなじ。政府を監視し、批判する組織として、存在する。もちろん批判、監視だけではなく、さまざまな提言もするだろうが、そういう提言もまた「こうしなさい」というすすめであり、「監視」の一種である。政府の「手先」になって国民を説得するための「道具的組織」ではない。
 私の書いているようなことは、もちろん「学術会議法」には書いてはいない。しかし、同時に「学術会議」は内閣(国の方針)にしたがわなければならないとも書いてはない。学術会議法の3条には「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」とある。「独立して」ということばが、明確に書かれている。「独立して」というのは自分の判断で、ということであり、他人の判断にあわせて、ではない。

 私は何度も書いているのだが、税金を納める国民の全員が内閣の方針(施策)に賛成しているわけではない。反対している国民のためにも、税金は再配分されるべきなのである。どんなに国に反対しようが、「反対者」を排除、除外してはいけない。どんな反対意見も、それを言う権利を「保障」するのというのが国のいちばんの仕事(責任)である。言い直さば、「倒閣運動」を保障するのが憲法である。
 私は他国の憲法を読んだことがないのではっきりとは言えないが、国(政府/行政機関)を批判してはいけない、革命を起こしてはいけない、ということを規定している憲法は、民主主義を掲げている国には存在しないだろう。
 いま、菅がやろうとしていることは、民主主義そのものの否定、破壊である。
 これは、コロナ感染が拡大しているさなか、「goto」を実施し、批判を浴びてやっと「中止/抑制」はしたものの、そのことに対して国民に具体的に説明をしない菅の態度に露骨にあらわれている。「マスクをしろ、手を洗え、三密はだめ」とは言うが、国は何をするのか説明しない。国がやっていることを、ただ黙って聞け、という態度にあらわれている。
 「桜」と「goto」に目を奪われて、「学術会議」を忘れてはいけない。みっつの問題の根っこはおなじである。権力が権力の利益のために、国民の税金をつかっている。「学術会議」の会員(候補)のなかには、そういうことに反対するひとがいる。だから、それを排除しようとしている。「学術会議」そのものを排除しようとしている。

 「桜を見る会」問題は、菅がリークしたという説もあるが、もし菅がリークしたのなら、それは「学術会議問題」から国民の目をそらすための「誘導作戦」といえるだろう。

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「東京」の意味は?

2020-11-27 08:39:02 | 自民党憲法改正草案を読む
「東京」の意味は?(ニュースは最後まで読もう)(情報の読み方)

 2020年11月27日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「桜を見る会前夜祭」の続報。

秘書供述「記載必要だった」/「桜」前夜祭補填分 安倍氏側収支報告

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏の公設第1秘書が東京地検特捜部の事情聴取に対し、費用の一部を補填したことを認めた上で、「補填した分は政治資金収支報告書に記載しなければならないとわかっていた」と供述したことが関係者の話でわかった。主催した政治団体の報告書には補填分の記載はなく、特捜部は政治資金規正法に違反する疑いがあるとみている。

 「政治資金規正法」に違反することがわかっていて、記載しなかった、と供述したという部分が「特ダネ」なのだと思う。だから「記載しなかった」ではなく、「記載しなければならないとわかっていた」という「供述」を前文にとっているのだろう。見出しの「必要だった」は必要性を認識していたということを強調している。
 ここから、責任はあくまで秘書にある、というところへ「事件」がむかっていることがわかる。安倍は無関係。あくまで秘書がやったこと、ですませるつもりなのだろう。「違反」も「政治資金規正法」が対象であって、「公選法」を含まない。
 こんな見方はよくないのだが、これはいつものパターン。また、これで逃げるのか、というのかと思ってしまうが……。
 読売新聞の記事で注目したのが、最後の部分。(番号は、わたしがつけた。)

①公設第1秘書は10月頃から特捜部の任意の聴取に応じ、当初は「補填分の会計処理は東京に任せていた」などと説明していたが、
②「後援会の収支報告書に記載すべきだった」との供述を始めた。
③また「書かないことが慣例となっていた」とも話しているという。

①の「東京」とは具体的には何を指すのか。あるいは誰を指すのか。「公設第1秘書」の仕事を、記事中には「公設第1秘書は安倍氏の地元の「金庫番」として、後援会を含めた複数の政治団体の会計処理を実質的に担当」と書いている。「地元の金庫番」。それなのに「東京に任せていた」。どうしたって「東京」は知っていたということになる。
②は供述を翻したのかどうか、判断がむずかしい。「変化」したことだけはたしかだ。東京に処理を任せていたのだから、東京が何かをすべきなのにしなかった。その結果、「(地元の)後援会の収支報告書」の記載が必然的に漏れてしまった、ということなのか。(後援会というのが、地元の外にあるのかどうか知らない。)
③の「慣例」と重要だ。一回の「記載漏れ」なら気づかない、見落としたということがあるかもしれないが、「慣例」になっているなら誰かが気づくのではないか。あるいは「慣例」ならば、そのことは当然報告されているのではないか。
 ほんとうのニュースは「見だし」にとっている部分ではなく、見出しにとっていない最後の部分にあるのではないだろうか。「東京」と「公設第1秘書(地元)」の「やりとり」にあるのではないだろうか。「公設第1秘書/地元の金庫番」から「東京」ということばを引き出したこと、それを記事にしていることにあるのではないか。
 さらに。
 問題は「公設第1秘書」が「東京に任せていた」という記事は直接つたえず、それを翻して(?)、「後援会の収支報告書に記載すべきだった」と「東京隠し」をしはじめた段階で報道する、という姿勢にある。
 もちろん「東京に任せていた」は、この段階で初めて入手した情報なのかもしれないが、それにしても、この見出しと記事の書き方では印象が、やはり秘書が悪いのだということろに落ち着いてしまう。
 書き方次第では、「見出し」はこうなる。

「桜補填、処理は東京任せ」/秘書供述、記載必要と認識

 悪いのは「東京」という感じになるでしょ?
 ひそかに書かれている「時系列」にしたがって、つまり「時系列」を中心に事件をとらえ直せば、そういうことになるでしょ?
 私の読み方(見出しのつけ方)が事実を隠蔽しているのか、読売新聞の見出しのつけ方が事実を正確につたえているか。「ことば」はいつでも「事実」をつたえるけれど、同時に何かを隠すものでもあるという認識で、「報道」を読むべきだと思う。
 読売新聞のおもしろいところは、ときどき、「隠しているもの」を書いてしまうところ。今回の記事も「当初は「補填分の会計処理は東京に任せていた」などと説明していた」はなくてもニュースとして成立する。実際、前文にはそれが省略されている。でも、ついつい書いてしまう。「忖度」しているふりをしながら、秘密を暴いている?








#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

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「桜」の行方/答弁してもらった?(情報の読み方)

2020-11-25 08:26:03 | 自民党憲法改正草案を読む
「桜」の行方/答弁してもらった?(情報の読み方)

 2020年11月25日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「桜を見る会前夜祭」の続報。気になる点がふたつ。

「桜」前夜祭/安倍氏側 領収書破棄か/不足分 周辺者、補填認める

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏側が費用の一部を補填した際、会場のホテル側から受け取った領収書を廃棄していた疑いのあることが関係者の話でわかった。東京地検特捜部は安倍氏側の補填額が昨年までの5年間で計800万円超に上るとみており、政治資金規正法違反(不記載)容疑などでの立件の可否を検討している。

 これが、見出しと前文。
 23日の第一報(特ダネ)では、「容疑」の部分を、こう書いていた。

 前夜祭を巡っては、市民団体や法曹関係者ら複数のグループが、政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で告発状を提出していた。

 24日続報でも、こう書いていた。

 前夜祭を巡っては、差額分を安倍氏側が補填していたのではないかと野党が追及。市民団体なども政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で特捜部に告発状を提出していた。

 23日、24日の報道では「政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑」となっているが、きょう25日の紙面では「政治資金規正法違反(不記載)容疑など」となっており、「公職選挙法違反の容疑」が消えている。
 もちろん「消えている」といっても「など」に「公職選挙法違反」が含まれると「説明」はできる。
 でも、「政治資金規正法違反(不記載)」と「公職選挙法違反」では問題の重さが違うだろう。書類への「不記載」はいつでも「記載漏れでした。修整します」ということができる。実際、そういう事例がこれまでもたくさんあるのではないか。しかし「公選法違反(たぶん、買収)」となれば「お金を補填することが買収にあたるとは知りませんでした」とは「言い逃れ」できない。
 だからこそ、これまで安倍は「安倍(事務所)はいっさい支出していない」と言ってきた。
 で、この「報道の仕方」からわかることは、読売新聞の追及が「政治資金規正法違反(不記載)」に傾いている、「政治資金規正法違反(不記載)」の範囲内で問題をかたづけようとする「方針」(だれの方針かは、いまのところわからない)に加担しているのではないか、ということだ。
 これは見出しの「主語」が「安倍氏側」「周辺者」ととっていることからもわかる。書類をつくっているのは安倍自身ではなく、「事務所の職員」である。見出しでは、このあたりを強調するために「安倍氏側」の「側」をわざわざ「周辺者」と言い直している。「安倍氏側」というのは「安倍氏ではなく、その側(そば)にいる人」という意味であり「「側にいる人」は「周辺者」である。新聞の見出しは、基本的に短さを目指すはずである。同じ「主語」を二度繰り返す必要はない。「主語」をことばを変えて繰り返すくらいなら、かわりに「800万円」を補って、

800万円、補填認める

 とすべきだろう。もちろん「800万円」はまだ「推計」であり、「安倍側」が「認めた」のは「補填」という事実だけであり、金額には触れていない、ということなのだろうが……。また、「800万円」はすでに24日に、

安倍氏側 800万円超補填か/東京地検 「桜」前夜祭 5年間

 と報道しているから省略したと言うこともできるが。
 で、ここで問題になるのは、やはり、何を省略したか、なのだ。
 「10万円」でも「800万円」でも「補填」は「補填」。しかし、読者の印象は違うだろう。
 だからこそ、私は、こういう部分に「忖度」を感じるのだ。「800万円」を省略し、「政治資金規正法違反(不記載)」を強調するために、「安倍氏側」「周辺者」を繰り返す書き方に。
 記事は、こんな書き方をしている。(番号は私がつけた。)ここからが、気になった点のふたつめ。読売新聞は、とてもおもしろい書き方をしている。

①24日に取材に応じた安倍氏周辺によると、前夜祭の問題を巡り、安倍氏が事務所の担当者に対し、事務所で差額を補填していないかどうかを確認した際、担当者は「支出はしていない」と虚偽の説明をしていたという。
②安倍氏は昨年11月の参院本会議で、前夜祭の費用に関して「後援会としての収支は一切なく、政治資金収支報告書に記載する必要はない」と答弁していた。安倍氏周辺は、「収支報告書に記載していなかったため、そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」としている。
 
 ともに、安倍には問題はない、という書き方である。
①は、安倍が事務所に問い合わせたら、担当者は虚偽の説明をした。つまり騙されたのは安倍である。安倍は進んで虚偽を語ったわけではない。
②も、周辺(①では担当者)が、不記載を隠すために「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という。ここでも「主語」は安倍ではない。悪いのは「周辺(者/担当者)」であり、安倍は進んで虚偽答弁をしたのではない、と「弁護」していることになる。
 それにしても。
 ②の最後の記事の「周辺(者)」の「説明」が非常に長いのが、なんといっても不自然である。「答弁をしてもらう」と「もらう」という表現も、非常におかしい。
 「もらう」というのは、私の感覚ではふたつの方法がある。ひとつは、自分が不都合なことをした場合、それを「隠蔽して」と頼んで、隠蔽「してもらう」。もうひとつは、「隠蔽して」と頼んだわけではないが、相手が「忖度して」くれた。後者は、ふつうは「してくれた」という。「もらう」ではなく「くれた」。これは「主語」をどう認識するかという問題がからんでくる日本語特有の微妙な表現なのだが、「もらう/くれる」にしろ、そこには単なる「事実」ではなく「心理」が動いている。「周辺(者)」が「もらう」という表現をつかっているかぎり、そのとき、そこには安倍と周辺(者)の間で「交渉」があったのだ。どうしたって、安倍は、「事実」説明だけではなく、「事情」説明も知っているはずである。
 そして、それは周辺(者/担当者)が独断でやれることではないだろう。「800万円」の金が動いている。簡単に言い直せば、「800万円」補填するということは、会計に「800万円」の赤字が発生することである。そういうことを「黙って」担当者がやれるのか。責任者が支持しないかぎり、できないだろう。
 読売新聞の記事の書き方は、そういうことを「暗示」しているとも言えるが、知っていてそれを隠すために複雑な書き方をしているともいえる。

 しかし、まあ。
 今回の読売新聞の「手柄」は「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という周辺(者)の声を引き出し、「正確に」再現しているところにあるのかもしれない。周辺(者/担当者)、つまり、部下が、安倍に「答弁をしてもらった」。「もらった」としか言いようのないことがあったとつたえていることだ。
 くりかえすが、「もらう」というのは、かなり日本語独特の含意の多いことばである。そういうことばが、一面の記事にまぎれこんでいるのは、たいへんたいへんたいへん、おもしろいことである。この「もらう」ということばが、安倍自身の「関与」を濃厚に浮かびあがらせるからである。「周辺(者/担当者)」説明を鵜呑みにして、安倍が知らずに間違った答弁をしたときは、それ「してもらう(してもらった)」とは言わないからである。





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「桜」続報(情報の読み方)

2020-11-24 08:01:03 | 自民党憲法改正草案を読む
「桜」続報(情報の読み方)

 2020年11月24日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

安倍氏側 800万円超補填か/東京地検 「桜」前夜祭 5年間

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、会場のホテル側に支払われた総額が、昨年までの5年間に計約2300万円に上ったのに対し、参加者からの会費徴収額は計1400万円余りにとどまっていた疑いのあることが関係者の話でわかった。東京地検特捜部は、差額の計800万円超を安倍氏側が補填していた可能性があるとみて、捜査している。

 デジタル版には「独自」のマークがついている。「特ダネ」ということらしいが、この800万円は、すでに23日夜のNHKで報道されていた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201123/k10012727211000.html?fbclid=IwAR1tJbsfGhUAc0A-7Tw3k2HphU4AKE4KH6dcBGr-t9L8PZrm7QmlHxfKWYY

 23日の「特ダネ」を、後追いのNHKに追い抜かれたかたちだ。
 23日の新聞にはすでに、

 特捜部はこれまでに、安倍氏の公設第1秘書や私設秘書のほか、地元の支援者ら少なくとも20人以上から、任意での聴取を実施。安倍氏側からは出納帳などを、ホテル側からは明細書などの提出を受けて分析を進めている。関係者によると、前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していたという。

 と書かれていた。たぶん、このときすでに「800万円」はわかっていたはずである。わかっていたけれど、「続報」として書くために「隠して」おいた。
 ほかのメディアが読売の記事を追いかけても、「秘書ら任意聴取」までしか取材できなはずと想定して、そういう書き方をしたのだと思う。他のメディアが「任意聴取」と報道しているときに「800万円」を報道すれば、読売の「特ダネ」が際立つからである。
 しかし、そういう小賢しい小細工をしているから、NHKが先に「800万円」を報道し、それを追いかけるかたちになってしまた。
 さらに、毎日新聞デジタルは、こう書いている。
 https://mainichi.jp/articles/20201123/k00/00m/040/210000c?fbclid=IwAR0XkMdkbpk3pl5pR0KueAc7OGNsMnXenXJN4WNJHiukzDwoa6KgkStO5CY

特捜部は立件の可否を判断するため、前首相への事情聴取も検討している模様だ。

 「模様だ」という憶測だが、この「前首相への事情聴取も検討」くだりは読売新聞にはない。
 読売新聞は「特ダネ」を大事にかかえこんでいる内に、他のメディアに大事な部分を攫われてしまった感じだ。

 で、ここからちょっと思うのだが。
 読売新聞は続報で「800万円超補填か」ということまでしか書けなかったということは、ニュースはここでおしまいになるおそれがあるということだ。
 それ以上、「リーク」されていないというよりも、これ以上ニュースは進まない。いや、進むのだが、野次馬の私が期待しているようには進まない。安倍の逮捕というようなことはおきないなあ。

 前夜祭を巡っては、差額分を安倍氏側が補填していたのではないかと野党が追及。市民団体なども政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で特捜部に告発状を提出していた。

 と読売新聞は書いている。きっと「政治資金規正法違反」が適用されるくらいで終わるのだろう。そういうことを「暗示」する書き方だ。安倍は「記載ミスでした。秘書の処理が間違っていました」と、いままでの主張を言い直すだけなんだろうなあ。
 それではいけないのだが。
 なんというか、メディアの「本気度」がぜんぜん伝わって来ない「続報」なので、がっかりしてしまった。






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「桜」のもうひとつの見方(情報の読み方)

2020-11-23 19:23:20 | 自民党憲法改正草案を読む
2020年11月23日(月曜日)

「桜」のもうひとつの見方(情報の読み方)

 2020年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面の一面の

安倍前首相秘書ら聴取/「桜」前夜祭 会費補填巡り/東京地検

 については、すでに書いたのだが、また別の視点から考えたことを書いておく。
 なぜ、このタイミングか。

 これはトランプが敗れ、バイデンが大統領になることと関係しているのではないか。簡単に言えば、アメリカは安倍はもう「用済み」と判断し、逮捕されようがどうしようが関係ないということを「誰か」につたえたのではないのか。
 田中角栄が逮捕されたとき、立花隆の「角栄研究」が引き金のように言われたこともあったが、立花が書いたことはジャーナリズムの世界では周知のことであって、それが原因ではないという説も聞いた。
 角栄は、アメリカからのベトナム戦争に自衛隊を派兵するよう要求された。しかし、それに反対した。だから角栄を追放するために逮捕させた、という説である。
 どちらが正しいのか、まあ、わからないことだと思うが。

 コロナ対策に失敗した菅。その菅への追及を弱めるという「国内事情」だけではなく、トランプ以後のアメリカが安倍をどう見ているか、という視点も必要なのかもしれない。こういうことは、なかなか新聞には載らない。アメリカの機関が日本のジャーナリズムに情報を「リーク」するということがないからかもしれないが。
 NHKが読売新聞の記事を「後追い」報道しているのを見て、そんなことを思った。NHKも読売新聞と同様、「ニュースソース」を明確には言っていない。隠しておきたい「情報源」なのだ。

 ふと気になったので、メモしておく。



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