詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

なぜ26日? (情報の読み方)

2020-11-23 14:36:05 | 自民党憲法改正草案を読む
なぜ26日? (情報の読み方)

 2020年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面の一面。

GoTo札幌除外へ/北海道方針、26日にも/旅行停止 再生相「数日中に詳細」

 これを読んで、私がいちばん疑問に感じたのは、なぜ「26日にも」ということなのか。なぜ、すぐ除外しないのか、ということ。そして、こんなのんびりした記事のどこが「特ダネ」なのかと不思議でしようがなかった。
 記事中には、こんなことが書いてある。

 政府が21日に決めた一時停止の方針では、まずは都道府県知事が判断し、政府が最終決定することになっている。道は23日に同市と協議し、政府に意向を伝達する。道幹部らによると、早ければ26日にも停止し、期間は12月上旬までを想定しているという。

 で、なぜこれが「特ダネ」なんだろうと、思いながらネットを見ていたら、どこかのテレビ局の放送で、そのテレビ局の「経済局長」が出てきて、「キャンセル料をどうするかなどの制度設計に時間がかかる。担当の職員はいま大忙しだ」というようなことを言っていた。
 私はテレビを見ないので、どこの局か忘れた。ネットで探してみようとしたが、見つからなかったので、「情報源(出典)」は不明のままに書いておくが、これを聞いて、あ、そうか読売新聞の「特ダネ」は、「26日にも札幌を除外する」ではなく「札幌を除外するまでに時間がかかる、最速でも26日」という意味だったのかと思いなおした。
 でも、そういうことは、読売新聞の記事を読んでもわからない。かろうじて、

 西村経済再生相は22日のNHK番組で、事業の一時停止について、「この何日かで方向性を出し、感染が拡大している都道府県の知事と連携しながら対応していく」と述べ、数日中に対象地域などの詳細を決める考えを示した。停止によって生じたキャンセル料は国が負担する方向だ。

 という部分の後半、「数日中に対象地域などの詳細を決める考えを示した」からうかがえるだけてある。ここは「見出し」にもとっているが、まさか「詳細」な「基準」が設定されていなかった(つまり、GoToを売り出したものの、中止せざるを得なくなったとき、キャンセル料などはどうなるのかは考えられていなかった)のだとは……。
 しかし、こんなことは「見出し」と「記事」を読んだだけではわからない。
 しかし。(わた、しかし、をくりかえしてしまうが。)
 しかし、この記事を書いた記者はわかっているはずである。そして、「見出し」にもそのことを明示するように要求したはずである。私のようなふつうの読者には「数日中に詳細」というようなことが見出しにとってあったとしても、それがどういう意味かさっぱりわからない。なぜさっさと中止しないのか、おかしいじゃないか、という疑問しか思い浮かばない。

 で、ここから、言うのだ。

 読売新聞の「見出し」と「記事」はおかしいだろう。たしかに「方針としての事実」を伝えているが、ニュースの本質はそんなところにあるのではない。「26日から札幌が除外される」と知って、急いで札幌へ旅行に行く人がいるだろうか。札幌が危ないとわかったら、お金を損してもいいから行くのはやめよう、でも、キャンセル料はどうなるのかなあ、それも自分の負担になるのかなあ、大損だなあ、というようなことを考えるのではないだろうか。さっさとGoToを中止にしてくれれば、金の問題は国が解決してくれる(国の負担になるのでは)と考えるのではないだろうか。
 そして、これこそが問題だったのだ。
 「GoToをやめたら経済がまわらなくなる」と菅は言い続けたが、「GoToを中止しなければならなくなったとき、どういう問題が発生するか、損失はどういうかたちで補填するか」をいっさい考えていなかった。コロナ感染は終息すると勝手に予測していた。「希望的観測」で、「希望的施策」を実施した。
 やっていることが、まったくデタラメだったのだ。
 旅行の計画を立てた国民も困るが、客を受け入れるために設備投資をしたホテル、旅館も困るだろう。
 読売新聞は「26日にも札幌除外」という方針を、ただ「リーク」されたまま報道するのではなく、なぜ「26日まで除外できないのか」という視点でこそ、記事を書き、問題を提起すべきだったのだ。
 「GoTo中止」が「後手後手」だっただけではなく、中止時の制度設計をしていなかったために、その中止さえ「後手後手」になってしまっている、というのがニュースなのだ。

 こういうことを書けば、それこそ、もう一本の「特ダネ」、

安倍前首相秘書ら聴取/「桜」前夜祭 会費補填巡り/東京地検

 というニュースどころではなくなる。安倍はすでに首相をやめている。捜査が拡大し、安倍が逮捕されたとしても「やっとか」くらいの衝撃しかないだろう。しかし、菅の政策に大問題があるということが指摘されれば、菅政権はさらに揺らぐ。野党の追及、国民の批判にさらされ、崩壊するだろう。
 GoToとコロナ感染拡大の「因果関係」は科学的に指摘されているわけではないが、ずさんな政策しか菅は打ち出せないということが国民に知れ渡る。信頼感が消えてしまう。マスクしながら会食だとか、三密回避だとか,手洗い励行だとかは、「政策」ではないからね。
 菅がコロナ対策で実行した唯一の「政策」が「GoToの見切り発車」だからね。
 菅の「無能さ」が、「Goto」であからさまに露顕したのだ。

 うがった見方をすれば、読売新聞の記者は、GoToをすぐに中止できない(最低でも26日まで時間がかかる)のは、制度そのものに問題があるからだということから読者の目をそらさせるために「26日にも札幌を除外」というトーンで記事を書いた、そういう見出しにしたということになる。
 国民のいのちがかかわっている問題なのに、国民よりも菅に「忖度」していて、どうするのだ。「リーク」されたことをそのまま「特ダネ」と大いばりして書いて、どうするのだ。









*

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いつ?(情報の読み方)

2020-11-23 08:45:47 | 自民党憲法改正草案を読む
いつ?(情報の読み方)

 2020年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面に「特ダネ」。

安倍前首相秘書ら聴取/「桜」前夜祭 会費補填巡り/東京地検

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏らに対して政治資金規正法違反容疑などでの告発状が出されていた問題で、東京地検特捜部が安倍氏の公設第1秘書らから任意で事情聴取をしていたことが、関係者の話でわかった。特捜部は、会場のホテル側に支払われた総額が参加者からの会費徴収額を上回り、差額分は安倍氏側が補填ほてんしていた可能性があるとみており、立件の可否を検討している。

 この記事でいちばん気になるのは「いつ」任意で事情聴取をしたか。
 二通り考えることができる。
①安倍の辞任前。任意聴取があったので、安倍がうろたえて体調を崩した。(仮病という説もあるが。)追及を逃れるために、病院へ駆け込む準備をした。
②学術会議6人任命拒否の「黒幕」が杉田と判明し、国会の追及(国民の批判)が杉田に向かった。
 どちらの場合でも、権力と検察の「蜜月」がほころびはじめたときである。①のときは黒川が黒川が検察庁長官構想が破綻した。②は杉田「公安」の支配力が低下するきざしを見せた。
 単純に考えれば、②が起きたから、遡って①も視野に入れているということかも。

 そして、記事には、こんなくだりもある。

 特捜部はこれまでに、安倍氏の公設第1秘書や私設秘書のほか、地元の支援者ら少なくとも20人以上から、任意での聴取を実施。安倍氏側からは出納帳などを、ホテル側からは明細書などの提出を受けて分析を進めている。関係者によると、前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していたという。

 任意聴取が20人以上。安倍の出納帳とホテルの明細書を付き合わせている。その結果「前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していた」という「証言」を聞き出している。
 もう一度、桜を見る会問題が国会で注目を集めるだろう。

 で、これからが、私の思うあれこれ。
 どうして、これが一面のトップではなかったのだろうか。1面トップは、

GoTo札幌除外へ/北海道方針、26日にも/旅行停止 再生相「数日中に詳細」

 コロナ感染が大問題になっているから、いま緊急の話題がトップというのは、たしかにわかる。しかし、GoToの縮小(なぜ即座に停止しないのかわからないが)は、すでに規定方針。しかも、「札幌除外へ」というのは「方針」。読者の驚きは、その決定が「26日にも」ということの方にあるかもしれない。私は、なぜ、きょうからではないのか思ってしまう。26日まで「延期」する理由がわからない。たぶん、キャンセル料を考慮しているのだと思うが、もしそうなら、なぜ26日まで決定をしないのかを追及する記事にしないといけないだろうと思う。
 そして、そうであるなら。
 読売新聞は、まだ、安倍に「忖度」をしていることになる。
 桜を見る会は「任意聴取」であり、「事件」になるかどうかあいまいだから(つまり、「予測」に過ぎないから)トップにしなかったということなのかもしれない。
 でも、先に書いたように「前夜祭の飲食代などの総額は、参加者の会費だけでは不足していた」という「証言」が引き出せたのなら、これはかならず追及される問題である。
 きっと今後、「桜費用、会費では不足判明」というような見出しの記事が出てくるはずである。ニュースとして広がり続ける。権力の犯罪が明るみに出る。

 GoToのドタバタも、権力(内閣)のめちゃくちゃ(ほかに表現がみつからない)が招いたものだが、もしかすると、このコロナ対策をめちゃくちゃを隠すため(コロナ対策批判が噴出しているが、その矛先を別のところに向かわせるため)に、「安倍秘書聴取」という情報が「リーク」されたのかもしれない。
 そう考えると、菅は、保身のために安倍を捨てた、ということも考えられる。菅は、安倍のやってきたことを隠蔽するために担ぎだされた人間だが、それが目的(?)を遂行できない、ということになれば、どうなるのか。
 私は、菅の任務は遂行されるべきではないと考えているから、大歓迎なのだが……。

 こんな余分なことを書くのは。
 読売新聞は、一面で「政治の現場」という連載を開始している。その一回目が「首相の厚遇 二階派の春」という作文。
 政治の裏側を派閥から描き出しているのだが、GoToと桜で問題が起きているのに、わざわざおなじ紙面で「派閥」の動き(政治の裏側)に目を向けることはないだろう。連載企画はきょうからはじめると決まっていたのかもしれないが、どうも紙面構成が奇妙である。
 最初に書いた「任意聴取」は「いつ」なのか。さらには、そこに書かれていることが「わかった」のは「いつ」なのか。
 これがわかると、記事はもっとおもしろくなる。
 私は野次馬なので、「桜」がどうなるか、とても気になる。読売新聞の「続報」が気になる。
 別ないい方をすると、読売新聞は、安倍にも菅にも見切りをつけて、「二階よいしょ」に傾き始めた、それを二階に知らせるために紙面を利用しているということなのかも、などと考えたりするのである。





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判断は知事?(情報の読み方)

2020-11-22 08:53:43 | 自民党憲法改正草案を読む
判断は知事?(情報の読み方)

 2020年11月22日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

感染拡大地域へ旅行 停止/首相表明「GoTo」見直し/判断は知事

 菅首相は21日、新型コロナウイルス感染症対策本部の会合を首相官邸で開き、感染者の急増を受け、需要喚起策「Go To キャンペーン」の運用を見直す考えを表明した。観光支援事業「Go To トラベル」では、感染拡大地域を目的地とする旅行の新規予約を一時停止する。対象地域は、都道府県知事の判断をもとに選定する方針だ。

 この記事には、いくつかわからない点がある。
①感染拡大地域を目的地とする旅行の新規予約を一時停止する。
「目的地」としか書いていない。出発地が感染拡大地域であってもいいということか。つまり東京や北海道へは行ってはいけないが、東京や北海道から感染者の少ない地域へは行ってもいいということか。
②旅行の新規予約を一時停止する。
いつから? すでに予約しているひとはどうなるのか。記事中には「停止によって生じたキャンセル料は国が負担する方向だ。西村経済再生相は記者会見で、「キャンセル料で取りやめをちゅうちょすることがないように、観光庁でしっかりと制度設計する」と述べた。」とあるのだが、いま旅行中のひとが旅行を短縮・中止した場合はどうなるのだろうか。
③対象地域は、都道府県知事の判断をもとに選定する。
感染地域の知事が「中止しない」と言った場合はどうなるのか。逆に感染地域の基準があてはまらない地域の知事が「中止する」と言った場合はどうなるのか。感染地域の基準未満(?)の知事が「中止する」と言った場合、キャンセル料はどこが負担するのか。菅は、国が判断したわけではないから、国は払わないと言うのではないのか。

 今回の「方針(首相表明)」で、いちばんわからないのは「GoTo」が国の事業なのに、国が主導権を取らないところである。読売新聞は、見出しに「判断は知事」ととっているが、これでは感染が拡大したら責任は知事に押しつけられる。
 コロナ感染が問題になった当初、国は検査基準を設定し、その基準をクリアしないと国民は検査も受けられない(保健所から検査対象外と言われる)という状態がつづいた。一方で現場の判断を拒否し、今回は現場の判断にまかせる。やっていることが逆だろう。

 なぜ、菅は「GoTo」をやめられないのか。やめるのに、こんなに時間がかかるのか。
 2面の記事に、こういう下りがある。
 トラベル事業は首相が官房長官だった今年7月、旗振り役となって、賛否両論の中、実現した。「社会経済活動を再開させる最大のエンジンだ」と周辺に語るなど思い入れが強い。

 見出しには「GoTo 苦渋の修整」とある。
 菅が「旗振り役」だったから、やめられないのだ。
 これは「学術会議」問題に、とてもよく似ている。問題が起きても「前言」を撤回できない。事業を中止できない。菅のことばにだれも反対できない。異論を言えないという状況が、混乱を拡大させている。
 今回のGoToを中止するかしないか、「判断は知事」と言うのも、結局のところ、「責任は菅にはない」と主張するためのものである。「旗振り役」の菅が決断しないといけないのに、判断を知事に押しつけている。「ぼくちゃん、悪くない」の安倍路線を継承している。
 「政府の方針に反対の人間は異動させる」という菅の方針が、すでに周知徹底され、だれも菅に反対意見を言わなくなっている。菅独裁の「後始末」のために混乱が拡大し続けている。
 「GoToを開始したのが間違いだった。学術会議の6人任命拒否は間違いだった」と菅が認め、謝罪しないかぎりは、混乱は拡大し続ける。コロナ感染は終息しない。トップの間違いのしりぬぐいを官僚に押しつけ続けるかぎり、コロナ感染は拡大し、民主主義は崩壊する。
 それにしても、読売新聞の記事(記述の仕方)はおもしろい。菅の「独裁」の問題点を「思い入れ」ということばで表現している。
 菅にあるのは「思い入れ」だけなのである。判断の客観的な根拠がない。

 一面には、こういう言及もある。

 有識者による新型コロナ対策分科会は20日、感染拡大地域では知事の意見を踏まえ、トラベルなどの運用を見直すよう提言した。

 20日に有識者会議が提言し、それを踏まえて21日に菅が方針を発表したと読むかぎりは、「時系列」的に、菅の判断に問題はないように見える。「客観的」な判断をしている、と読めないことはない。しかし、有識者会議が提言する前に、多くのひとがコロナ感染拡大の問題点、「GoTo」の危険性を指摘していた。そのなかには「学者(医者)」も大勢いる。それらの学者は菅にとっては「不都合な学者」ということになる。「不都合」とは「思い入れ」である。「有識者会議」のメンバーには、そういう「菅にとって不都合な学者」ははいっていないのだろう。「思い入れ」を忖度して「提言」をまとめてくれる専門家ばかりを集めたのだろう。その「菅にとって好都合な有識者会議(菅に対して忖度を働かせ続ける専門家)」さえ、菅に異を唱えざるを得なくなった。そして、やっと提言し、菅は方針転換に踏み切った。
 しかし、あとになって、菅はきっと言うに違いない。「有識者会議の提言が遅かった。有識者会議が何も提言しないので、対策が遅れた」と。西村や加藤も、それに口を合わせて「有識者会議の提言が遅れたことに問題がある。GoToに間違いはなかった」と言うだろう。





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コロナ感染者はなぜ増えた?(情報の読み方)

2020-11-19 09:24:56 | 自民党憲法改正草案を読む
コロナ感染者はなぜ増えた?(情報の読み方)

 2020年11月19日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

コロナ感染 最多2201人/東京493人 警戒最高へ

 この見出しは、感染者が増えたことを伝えている。でも、なぜ増えたのか。その理由は書いていない。
 1面には「コロナ最前線 拡大再び」という連載がはじまっている。そのなかに、こんなことが書いてある。

 感染者数の増加要因には検査数が増えていることもある。都内では4月には最大1700件ほどだった1日の検査数が、今月16日には8500件を超えるなど検査体制は大幅に増強が進んでいる。

 私が注目するのは「検査体制は大幅に増強が進んでいる」とわざわざ書いていること。
 経済再生担当相の西村は17日、兵庫県内の1日当たりの新型コロナウイルス新規感染者が初めて100人を超えたことに「検査数を増やしているがゆえ(の増加)」と語ったが、このことと合致している。
 第一波のとき、なぜ日本の感染者が少ないのかということが話題になった。検査数が少ないからだ、という指摘が相次いだ。それから半年以上もたって、なおかつ「検査数」と「感染者」の数の問題が話題になっている。
 いちばんの違いは、「検査数が少ない=感染者数が少ない」「検査数が多い=感染者数が多い」という「相関関係」を権力側が言い始めたことである。しかも、それを「感染者」が増えたことに対する「言い訳」として利用し始めたことである。
 この「相関関係」を認めたことは、安倍以来つづいている得意の「解釈の変更」である。
 なぜ、いま?
 ヨーロッパでは(世界では、と言った方がいいのかもしれないが、)「第二波」ともいうべき拡大がつづきフランスの累計患者は200万人を超えた。そういう動きを知りながら、政府は「検査数」をおさえてきた。やっと検査拡大に踏み切った。そして、検査数と感染者数の相関関係を認めた。これは、検査数がこれから増えるにしたがって感染者数が増えるという「予告」でもある。なぜ、そういうことをすると方針転換をしたのか。
 なぜ、いま方針を転換する気になったのか。
 最近、何があったか。
 バッハが来日し、東京五輪について語り合った。表向き、「観客を入れた形で五輪を開催する」ということが方針として報道されている。
 私は、このことと関係があると考えている。東京五輪開催のための「言質」のようなものをバッハから引き出した。だから、これからは感染者が増えてもかまわない、と検査数を増やしたのだ。バッハから「言質」を引き出すまでは、なんとしても感染者数を小さくしておく必要があった。「GoTo」や観客入りスポーツ大会の成果(?)をアピールする必要がある、ということだったのだろう。
 問題は。
 感染者が増えたからといって、「GoTo」や観客入りスポーツ大会をやめることができない点にある。バッハに「こんな具合にうまく言っている」と宣伝したばかりだからだ。ここで中止すれば、東京五輪はやっぱり無理、ということになる。だから「原因」を「GoTo」や観客入りスポーツ大会に押しつけない形で、コロナ対策を進めないといけないことになる。
 で、そういう「意図」を汲んでのことだと思うのだが、読売新聞は最近の「拡大傾向」をこう分析している。

今回の全国的な感染拡大の背景には、クラスター(感染集団)の多様化がある。厚労省によると、16日までに確認されたクラスターは1週間で153件増えて2147件となった。夏場は接待を伴う飲食店が目立ったが、最近は大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティーなどに広がり、地域も都市部から地方に拡大している。

 これはあくまで「現象」の分析であって、「原因」の分析ではない。なぜ、「大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティーなどに広がり、地域も都市部から地方に拡大している」のか、分析して見せる気配もない書き方である。いや、大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方に「原因」があるという書き方である。
 ウィルスはウィルス自身で移動するわけではない。人間が移動しないかぎり、動けない。人間が移動するから感染が拡大する。つまり「GoTo」や観客入りスポーツ大会がどうしたって関係しているのだ。ヨーロッパの第二波も夏のバカンスの移動がどうしたって影響している。
 そうであるならば、これから拡大はさらにつづくということだ。そして、その「責任」を大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方に押しつけようとしている。政府に責任はないと言おうとしている。
 そして。
 日本の感染拡大は「第三波」である。これは、何を意味するだろうか。ヨーロッパでは、「第一波」が遅かったから、いまが「第二波」である。これは言い直せば、ヨーロッパにも「第三波」に襲われる可能性があるということである。クリスマスシーズンを控えて、ヨーロッパではなんとか「第二波」をクリスマスまでにおさえようとしているが、それがおわったら「第三波」に襲われる可能性がある。
 日本の「第三波」がどうなるか、これがヨーロッパの動き(あるいは世界の動き)のひとつの目安になると思う。(日本のクルーズ船対策のどたばたが、そのままヨーロッパの「第一波」のどたばたに類似しているのに似ている。)日本が「年末・年始」を乗り切り、拡大を抑制できればヨーロッパの「第三波」もそれを手本にできるかもしれない。
 しかし、ヨーロッパの「第二波」の急拡大を、日本が「第三波」で追いかけるようにして動いていて、しかも、その対策が「GoTo」の維持、観客入りイベントの継続というのだから、「大失敗」の手本になるだけだ。菅(西村)のように、「感染者が増えたのは検査数が増えたから」と言い逃れるだけでは、感染が拡大するだけである。ヨーロッパでは、感染拡大を防ぐために経済活動を抑止し始めているのに、日本はその気配すら見せない。対策を国民の活動にまる投げしている。東京五輪のために。
 安倍が、開いてもいない東京五輪の「功労章」のようなものをもらったのだから、それで満足して、さっさと東京大会をあきらめて、コロナ対策に真剣に取り組まないと、ほんとうにたいへんなことになる。東京五輪が開かれなかったら「大赤字」になるのだとしても、このままコロナが拡大した形で五輪が開かれないという形になるよりは「被害」が少ないはずである。
 東京五輪にしがみついているときではない。東京五輪のために「情報操作」をしているときではない。「クラスター」発生の「原因」は大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方にあるのではない。大学の寮や職場、家庭、外国人コミュニティー、地方は「犠牲者」なのである。「クラスター」そのものが「加害者」ではなく「被害者/犠牲者」なのである。東京五輪にしがみついている電通のため、「被害者/犠牲者」が、これからますます増えていくのだ。





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バッハ会談続報(情報の読み方)

2020-11-17 14:29:03 | 自民党憲法改正草案を読む
 2020年11月17日の読売新聞(西部版・14版)を見て、私は、奇妙な違和感を覚えた。トップの見出し。

海図に「日本海」継続へ/「東海」併記なし 韓国反対せず/国際機関指針

 という「特ダネ」。日本海の呼称をめぐって日韓が対立していたことは知っている。「日本海」という呼称だけを継続するというニュースはそれなりに意味があるのかもしれない。
 ただ、この日は別のニュースもある。1面の二番手の見出し。

選手ワクチン IOC負担/バッハ会長 五輪に観客「確信」

 これは、16日の「特ダネ」、

五輪「観客あり」確認へ/首相・IOC会長 きょう会談

 の続報。
 「『観客あり』確認へ」から「五輪に観客『確信』」に変わっただけだから、トップでなくてもいいということか。それよりも「日本海」の呼称の方が大事、ということか。たしかに、そういう判断もあるとは思うが。
 私の感覚では、「特ダネ」の続報で、しかもその内容が「特ダネ」に沿ったものなのだから、そのままトップ記事にしてもいいのではないか、と思うのである。「違和感」というのは、このこと。
 他の新聞と比較しているわけではないので(また「特ダネ」の続報なので、比較してもはじまらないと思うが)、明確なことは言えないが、ほんとうに奇妙。
 バッハが、観客を「確信」しているというのも、表現として奇妙だなあ、と思う。「観客あり」という16日の「特ダネ」から一歩後退している感じもする。だからトップにできなかったのではないか。
 「朗報」というより、「暗雲」の方が強い、ということかなあ。
 記事を読んでみる。(番号は、私がつけた。記事は、一部省略している。)

①来日中の国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は16日、東京都内で記者会見し、新型コロナウイルス対策として、来夏の東京五輪に参加する選手のワクチン接種費用をIOCが負担する意向を表明した。菅首相との会談では、観客を入れて五輪を開催する方針で一致した。

 この「前文」を読むかぎりは、見出しと整合性がとれている。記事も見出しも、まず「ワクチン接種費用をIOCが負担する」「観客を入れて五輪を開催する」という順序になっている。ただし「菅首相との会談では、観客を入れて五輪を開催する方針で一致した」が「確信」ということばに要約できるかどうかは疑問が残る。
 記事を読み進むと、ほかのことも疑問に思えてくる。

②バッハ氏は同日夕、大会組織委員会の森喜朗会長らと記者会見に臨み、「ワクチンが入手可能ならIOCがコストを負担する」と明言した。「接種を義務化しない」とも語り、大会の参加要件にはしない方針を示した。

 ワクチン接種費用負担には「ワクチンが入手可能なら」という条件がついている。まだ、どうなるかわからない。五輪選手に優先接種できるかどうか、何もわからない。だいたいワクチンが完成しているかどうかもわからない。さらに「接種を義務化しない」というのなら、感染拡大防止にどれくらい効果があるのかわからない。
 だから1面の「会談のポイント」の4項目にも含まれていない。
 ほんとうは、どう語ったのか。4面に「会談要旨」がのっていて、そこには、こう書いてある。

ワクチンが開発され、入手可能になれば、大会参加者や訪問客が接種できるように努力したい。

 「努力したい」と言っているだけである。この「努力したい」を見出しにして、「決定事実」のように書くのはなぜなのか。
 16日に「特ダネ」で報道した「観客あり」が、「観客あり」とは言えない状況に追い込まれているからだろう。「観客あり」と見出しにしてしまっては「誤報」になりかねないと判断したから、それを避けた。「特ダネ」が「事実」であるとはいえないかもしれないと判断したから、二番手の記事に格下げしたのだ。
 トップは「継続へ(継続方針)」という「予測」記事。外れても、別に問題はない。「へ(方針)」と書いているのだから、ということだろう。
 で、もう一つの見出しになっている、「五輪に観客『確信』」の方は、「会談内容」を正確に伝えているのか。これが気になる。

③会談後、首相は記者団に「観客の参加を想定した様々な検討を進めていることを説明した。極めて有意義なやり取りができた」と語った。バッハ氏は「来年の大会では会場に観客を入れるということについて確信を持つことができた」と評価した。

 なんと、これは「会談内容」ではなく、会談後の「記者会見」でのことばであり、しかもそれは、日本が入念に準備していることを「確信した」ということにすぎない。この「確信した」は「評価した」である。言い直せば「確認した」になるかもしれない。さらに言い直せば、「菅よ、しっかり準備しろよ」と「念押しした」ということだろう。
 記事全体を読めばわかるのだが、バッハは実は何も言っていない。実質的には、菅が「大会を開きたい。そのために日本はこんな準備を進めている」と説明し、バッハが「そうか、がんばれ。菅ががんばるなら、そして、ワクチンができたなら選手に接種する費用は負担してもかまわないよ。選手が望めばだけれどね」とリップサービスしただけとしか思えない。
 こういう「ニュアンス」は取材した人間でないと実際のところはわからないものだが、そんな「ニュアンス」がつたわってくる記事である。そして、そういう「ニュアンス」を伝えながらも、それを必死になって隠そうとしているようにも見える。だから、読んでいて非常に奇妙な感じがするのだ。
 菅と電通が必死になっていることだけが、日々、つたわってくると言えばいいのか。

 それにしても。
 五輪がらみのもう一本のニュース。「安倍氏に五輪功労章」は、ばかげているなあ。現実にコロナを征服し、その結果として東京五輪を開催したあとなら、五輪のために安倍ががんばったと言えるかもしれないけれど、開かれてもいない東京五輪のために安倍ががんばっているという理由で表彰するのは、あまりにもおかしい。逆に見れば。東京五輪中止が決定してしまうと安倍を表彰する機会がなくなるから、そうならないようにするためにいま表彰したということ。つまり、東京五輪中止はIOCでは折り込みずみ、ということか。IOCにいろいろ金を貢いでくれて、ありがとう、という意味なんだろうなあ。






*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
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#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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やっぱり「GoTo」は五輪のため(情報の読み方)

2020-11-16 08:33:15 | 自民党憲法改正草案を読む
やっぱり「GoTo」は五輪のため(情報の読み方)

 14日に、菅はなぜ「GOTO」にこだわるか、ということを書いた。オリンピックの観客が宿泊するためのホテル、旅館を倒産させないためだ、というのが私の見方だ。そのことをあらためて感じさせるのが、2020年11月16日読売新聞(西部版・14版)1面の記事。

五輪「観客あり」確認へ/首相・IOC会長 きょう会談

 という見出しがついている。ウェブサイトには「独自」というマークがついている。特ダネということだ。こんな「会談内容予測」が「特ダネ」というのは、ニュースの価値づけとしては、非常に「奇妙」である。「会談」はまだおこなわれていない。密室でおこなわれた会談の内容(実際に話されたこと)を秘密のルートで入手した場合は「特ダネ」だろうが、まだおこなわれていない「会談内容」が「特ダネ」であるはずがない。読売新聞が報道していることが話されない可能性がある。だから「確認へ」と「へ」をつけごまかしている。「秘密」会談後ならば「確認」という「へ」のない形で報道される。そしてそれが読売新聞だけが入手できた内容ならば「特ダネ」になる。
 こんなまだおこなわれていない「会談内容」を、なぜ「特ダネ」という形で報道できるのか。それは、この「会談内容」が「会談内容」ではなく、菅(側)がバッハに伝えたいことがら、会談で主張することがらだからである。読売新聞は、菅の側近のだれかに取材し、菅が何を話すかを聞き出したのだ。そして、それはたぶん「聞き出した」というよりも、だれかが読売新聞に「リーク」したのである。記者が聞き出したのなら、ほかのメディアも聞き出しているかもしれない。「特ダネ」ではない可能性もある。「特ダネ」と言えるのは、取材先(リークしたひと)が「これは、読売新聞だけに教えること」と言っているからだろう。(もちろん、記者が自分から接近し、取材後に「この内容について他のメディアからも取材を受けていますか」と確認し、「受けていない」というこ回答をもとに「独自」と判断することもできるが。)
 記事を読んでみる。(番号は、私がつけた。)

①菅首相は16日、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と首相官邸で会談する。両氏は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で来夏に延期された東京五輪・パラリンピックについて、観客を入れた形で開催する方針を確認する見通しだ。

 これは「前文」。いわば、記事の「要約」。ここでは「両氏は」「確認する見通しだ」と書いている。あくまで「見通し」なのだが、読売新聞が菅(側近を含む)とバッハ(側近を含む)の「両方」から情報を入手したかどうかは、これだけではわからない。

②バッハ氏は15日に来日した。16日午前に首相と内閣発足後、初めて対面で会談する。午後には、五輪延期を決めた安倍前首相と会う。

 「本記」の書き出し。バッハ来日は事実報告。その後は、すでに決まっている予定。ただ、とても奇妙なのは見出しにとっていることとは無関係な「午後には、五輪延期を決めた安倍前首相と会う」とわざわざ、安倍の名前を出しているところである。この部分は、記事の末尾で「また午後には、五輪延期を決めた安倍前首相と会う」で十分なことがらである。「本記」のどこにも、そのご安倍の話は出てこないのだから。
 記事のつづき。

③菅首相はバッハ氏との会談で、東京五輪を「人類がウイルスに打ち勝った証しとして開催する」との決意を表明する。安全・安心な大会とするため、バッハ氏との間で緊密に協力することで一致する方向だ。

 菅が「決意を表明する」と書いている。これは、「リーク」された内容だ。しかし、その後のことは「一致する方向だ」と逃げている。一致するかどうかはわからない。わかっていることは菅が「決意を表明する」という菅側の「予定」だけである。「決意を表明する」には「方向だ」ということばがついていない。ニュースの「主語」は菅であり、バッハは「脇役」。
 東京五輪を「人類がウイルスに打ち勝った証しとして開催する」というのは、すでに安倍が言っていることである。安倍のときからの「規定路線」である。ここでは安倍が「主役」のように振る舞っている。(「安倍よいしょ」を読売新聞はやっているわけである。)
 このあとの記事が非常に重要。「本記」中の「本記」部分だ。

④首相は、大会に参加する外国人選手らが入国後、14日間待機せずにすむ仕組みを今月から導入し、大会準備も進んでいることを説明する。海外からの観客受け入れや、観客数の上限、防疫措置についての調整状況も話題となる見込み。

 ここでは実際の「大会運営」のあらましが書かれている。ここでも「説明する」と主語は菅であって、バッハは登場していない。注目しなければならないのは、「大会に参加する外国人選手ら」と書き始めながら、大会運営の説明の「主力」が「選手」ではなく、後半で「海外からの観客」に移っていることである。五輪は「選手優先」であるべきだと思うが、選手をほうりだして、観客対策を「説明」するらしい。
 つづきは、こう書いてある。

⑤政府は観客数の上限について、プロ野球など国内のスポーツイベントの規制に準じることを検討。観客の受け入れ方針は国内外の感染状況を踏まえ、来春に最終決定する見通しだ。

 すべてはまだ「検討」なのだが、ここでも「主題」は「選手」ではなく、「観客」である。そして、そのことに注目するならば、五輪開催の「検討資料」にするために、プロ野球などの観客数制限が緩められた、と読むべきである。ここには書いていないが「GoTo」の結果も、もしかすると検討されるかもしれないが、これは「感染拡大」を招いているという批判があるので、「資料」としては提供しないかもしれない。ただし、「宿泊施設」については説明をするだろう。「ホテル・旅館」の経営は大丈夫だという説明をするために、「GoTo」の利用状況(宿泊施設の経営状況)は説明されるだろう。その説明をするために「GoTo」は絶対必要だったのだ。また今後も宿泊施設を維持するためにはキャンペーンをつづける必要があるのだ。「GoTo」をつづけなければ倒産してしまう宿泊施設が出かねないのだ。(私はある大手のホテルマンから、このままではつぶれる、という悲鳴を聞いた。)
 あらゆることが「五輪」のためにおこなわれている。国民の健康はどうでもいいのである。そして、この「五輪のため」というのは、たぶん「電通のため」なのである。五輪が開かれないと、電通の想定していた「収入」がすべて消える。政権を支えている「宣伝機関」がつぶれてしまう。そうならないようにするために、安倍・菅は懸命なのである。

 こんなことは、どこにも書いていない。
 しかし、読売新聞の記事からは、五輪には「観客がやってくる」(観光客がやっていくル、経済がもちなおす)という「宣伝」が込められている。
 「来春に最終決定する見通し」とすべてを「将来」にまる投げする形で記事を締めくくっているが、こんな予測をしている状況ではないだろう。コロナの感染状況はどうなっているか。
 31面に、こう書いてある。

 国内の新型コロナウイルスの感染者は15日、新たに38都道府県と空港検疫で1440人確認された。3日連続で過去最多となった14日からは減少したものの、1400人を超えたのは5日連続となる。死者は5道府県で計7人だった。

 「14日からは減少したものの」ということばが挿入されているが、この「確認」は「土曜・日曜」を挟んでいるから検査数自体が少ないかもしれない。それでも「1400人を超えたのは5日連続」という状況である。この状況を考えるならば、とても五輪の観客確保を語っているときではないだろう。五輪には外国から観光客がやってくる、とのんきに宣伝しているときではないだろう。日本だけではなく、世界中で感染が拡大しているさなかである。アメリカや欧州、いや東南アジア以外のあらゆる国からは、選手が出場できるかどうかさえわからない状況ではないのか。
 こんなときに、五輪の観客確保対策を話し合うことは非常識である。
 「リーク」されたならリークされたでかまわないが、リークされた内容を批判する視点が必要である。リークされたから、それをそのまま「宣伝」の形で書いているのではジャーナリズムとは言えないだろう。リークされたことであっても、そこに隠されている問題点をこそ暴くべきである。



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なぜ「GOTO」にこだわるか(情報の読み方)

2020-11-14 18:39:06 | 自民党憲法改正草案を読む
なぜ「GOTO」にこだわるか(情報の読み方)

 2020年11月14日読売新聞(西部版・14版)1面。

新型コロナ/首相「GoTo」継続強調/感染1750人、2日連続最多

 という見出し。とても奇妙に感じる。記事の書き方は、ちょっと微妙。(番号は私がつけた。)

①政府は、新型コロナウイルスの新規感染者数の急増に警戒を強めている。本格的な冬場は感染拡大のリスクがさらに高まるとされており、経済活動を進めながら、増加傾向に歯止めをかけるという難しい課題に取り組むことになる。
②菅首相は13日、首相官邸で記者団に「飲食を伴う懇親会やマスクを外しての会話など、感染リスクが高まる『五つの場面』を踏まえ、今一度、基本的な感染防止対策に努めてほしい」と国民に呼びかけた。
③政府は一方で、緊急事態宣言の再発令や需要喚起策「Go To キャンペーン」の見直しは現時点で検討しない方針だ。首相は「専門家も現時点でそのような状況にないとの認識を示している」と強調した。加藤官房長官も記者会見で「県をまたいだ移動の自粛を一律に要請する必要があるとは考えていない」と述べた。(略)
④13日は新たに国内で1705人の感染が確認された。12日の1660人を超え、2日連続で過去最多を更新した。都道府県別では大阪府(263人)、岩手県(13人)、長野県(23人)が最多を更新した。
 
①は「前文」。全体の記事の紹介。それにしたがえば、「本記」は、まず「新規感染者数の急増」について書き、次に「政府は警戒を強めている」。そのあとに「経済活動を進めながら、増加傾向に歯止めをかける」ということになる。
 私の割り振った番号でいえば、④②③の順序に書かないといけない。そうしないと、読者が混乱する。見出しも

感染1750人、2日連続最多/首相、感染防止呼び掛け/(しかし)首相「GoTo」継続強調

 という順序にしないと、論理の整合性がとれない。
 言い直すと、感染者が1750人になった。感染が拡大しているから注意が必要。しかし、政府は「GoTo」を継続すると強調している。(でも、なぜ?)
 で、ここから言えることは、まず、読売新聞は「首相、感染防止呼び掛け」を見出しに取らなかったということ。つまり、国民の不安、警戒心には触れないようにしている、ということ。そして、「GoTo」を継続については「疑問」を書かないようにしていることがわかる。
 (でも、なぜ?)
 これは、私が先に記事を要約したときにつけくわえたことばだが、このことは書かれていない。そして、これが問題だ。
 政府は「経済活動を進めながら、増加傾向に歯止めをかける」というのだが、私はこの書き方にも疑問をもっている。
 「経済活動」って、なに? 「GoTo」にかかわる「経済活動」といえば、まず、旅行。ホテル、旅館である。それをなんとしても維持したい。
 でも、なぜ?
 書かれていないからこそ、私は想像する。そして、すぐに思いつく。最近、政府が血眼になってやっていることを見ると、すぐに気づくことがある。
 政府がコロナ対策の傍ら、いまもうひとつ一生懸命にやろうとしていることがある。東京オリンピックだ。その東京オリンピックと「GoTo」は関係があるのだ。いま、ホテル、旅館はたいへん厳しい経営環境にある。つぶれてしまいそう、と悲鳴を上げているところがたくさんある、と聞く。もし、ホテル、旅館が東京オリンピック前に倒産し、営業できなくなったらどうなるか。選手には「選手村」があるかもしれない。しかし「オリンピック観戦客」の宿泊場所がなくなるのだ。それでは観光客がやってこれない。観光客を受け入れようにも、受け入れることができるホテル、旅館がない。観光客が落としてくれる金で日本の経済を立て直すきっかけにしたい、と考えている政府(あるいは電通か)にとっては、これはたいへんな問題だ。東京オリンピックが終わるまでは、ホテル、旅館に倒産してもらっては困るのだ。だから、躍起になっている。
 これは、安倍の残した大きな負の遺産だ。菅は「安倍継承」を訴えて首相になったので、オリンピックを中止して日本経済を立て直すという「新方針」を提出できないのだ。
 日本国民の健康はどうでもいい、なんとしても電通が企画したとおりにオリンピックを成功させないことにはたいへんなことになる。そういう「見方」しかできなくなっている。それが「GoTo」継続(ホテル、旅館を倒産させない、資金援助をする)という政府方針になってあらわれている。
 こういうことは、実際に「取材」していれば、「肌」で感じ取れるはずのことである。しかし、それを隠している。「なぜ?」という疑問を書かずに、菅の言うことが「正しい」と思わせる書き方をしている。そのために、記事そのものが混乱している。「前文」の記述内容の順序と、本記の記述内容の順序が食い違うという奇妙な書き方になっている。新聞記事にはどういうふうに書かなければならないという「決まり」があるわけではないだろうが、ちぐはぐな(わかりにくい)文章の流れ、見出しのつけ方から、私は、そんなことを思ってしまうのだ。もう菅(政権)に見切りをつけて、国民のためにほんとうのことを書くべきではないのか。







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「独立案」?

2020-11-12 09:18:05 | 自民党憲法改正草案を読む
「独立案」?

 2020年11月12日の読売新聞(西部版・14版)の4面に「学術会議」問題の記事がのっている。

学術会議/「国から独立」案 検討/自民PT 「非公務員化」焦点

 この見出しだけ読むと、学術会議が国から独立しようと検討していると勘違いしそうである。実際は、自民党が学術会議を「独立させよう」と検討している。「独立させる」が「独立」と省略されている。
 これは新聞の見出しの原則に反する。
 たとえば田中角栄が「逮捕された」ときは「田中角栄逮捕」という見出しになるが、必ず「警視庁 収賄容疑で」というような補足の見出しがつく。文章にすると「警視庁は、田中角栄を収賄容疑で逮捕した」である。角栄は「逮捕された」が、それは警察が角栄を「逮捕した」と「主語」「述語」「補語」を明確にしている。
 
学術会議/「国から独立」案 検討/自民PT 「非公務員化」焦点

 という見出しは、読売新聞に言わせれば、自民PTが、学術会議を「独立させる案」を検討しているという意味だということになるのだろうが、どうしたって、学術会議が「国から独立する案」を検討していると誤解してしまう。
 言い直すと、そういう誤読を誘うような見出しになっている。
 なぜ、そんな見出しにしたのか。
 ここには、ごまかしというか、嘘があるのだ。
 記事にはどう書いてあるか。

 日本学術会議のあり方を検討する自民党のプロジェクトチーム(PT)は11日の会合で、来週から論点整理に入り、年内に政府への提言をまとめる方針を決めた。政府の特別機関との位置づけを変え、国から独立させる案を含め検討する。特別職の国家公務員である会員の身分の見直しを求める意見も強まっている。
 PTはこの日、経団連や日本工学アカデミーなどから非公開で意見聴取した。関係者によると、経団連は2015年にまとめた学術会議の見直しに関する提言を基に、国から独立した法人とする案などを訴えた。

 「国から独立させる案」は「国から独立した法人とする案」と言い直されている。どこにも「恣意的」なものはないように見える。
 しかし。
 「独立する」ということばは、はたしてこんなふうにしてつかうことがあるのか。「独立する」というのはあくまで「主体的」な行為であり、「〇〇が独立する」といういい方が基本である。「〇〇を独立させる」では〇〇以外のものが関与する。それは「独立する」とはいわない。関与したものが「〇〇の独立」を装って、〇〇を支配することがあるからだ。真の「独立する」は文字通り「独り立ち」することである。
 ふつう、こういうとき、日本ではどういうことばをつかうか。
 会社ならば、「〇〇部」を「独立させる」とはいわない。〇〇部を切り離し「子会社化」する、という。言い直すと「分離する」である。そして、このときの「分離」は表面的には分離しているが、影で「支配」されていることが多い。子会社は親会社の意向にしたがって活動する。親会社の意向から「独立している」わけではない。
 もし、だれかが会社を辞めて新しい会社をつくるならば、それは「独立する」だが、そのときは〇〇さんが「独立した」であって、会社が〇〇さんを「独立させた」ではない。
 こう考えると、読売新聞の書いている「独立(する/させる)」は、日本語の用法として間違っている。あるいは、不適切(不十分)であるといわなければならない。
 なぜ、こういう表現になったのか。読売新聞が独自に考え出したのではなく、自民党のいうままに書いているのだが、この他人のことばをうのみにして書くというところに問題がある。
 自民党がやろうとしているは、学術会議の「分離」である。
 しかし、いまだって学術会議は「政府の特別機関」であり、政府そのものとは「分離」状態にある。「完全支配」されているわけではない。だから、自民党がやろうとしているのは「分離」以上のことである。
 それは、なにか。
 「排除」である。会社で言えば「クビ」。会社の例で言えば、〇〇さんは「独立した」のではない、会社が「クビにした」のだ。しかたなく〇〇さんは自分で起業したのだ、ということになる。
 「排除する」というと問題が大きくなるから、それをあたかも「独立した」(本人が臨んでいるようにした)と言い直す。
 なぜ、学術会議を「排除」しようとするのか。
 記事の最後に、こう書いてある。

自民党の甘利明・税制調査会長は自身のホームページで、学術会議に所属していた研究者の姿勢に関し「日本の安全保障研究には否定的な一方で、軍事研究につなげることを宣言している中国の大学との研究には能動的だ」と疑問を示している。

 甘利はあいまいな部分がある。学術会議(のメンバー)が中国の大学のどの部門との研究に能動的なのか、それが明確ではない。中国の安全保障に関しない研究に能動的なのかもしれない。だから、その部分は除外して考える必要がある。甘利が指摘しているのは「日本の安全保障研究には否定的」ということだろう。それを印象づけるために「軍事研究につなげることを宣言している中国の大学との研究には能動的だ」と読むべきだろう。 で、ここから明らかになるのは、簡単に言い直せば、「日本学術会議は、日本の安全保障研究には否定的」だから排除してしまえ。予算など出すな、である。「日本の安全保障研究」とは、もちろん「軍事(軍備/武器)研究」である。
 「安全保障」にはいろいろな面があるが、問題にしているのは「軍事研究」である。
 なぜ「軍事」だけ狙い撃ちにするのか。
 たぶん。
 「軍事研究」というのは、あるいは「武器」というのは、つかおうがつかわまいが、「消耗品」である。古くなれば、用をなさないことがある。軍事産業は必ずもうかるのである。軍事産業が自民党の「財政(献金)」にとってかかせないということなのだろう。自分たちの金儲けのために、学術会議に軍事研究をさせようとしている。それに反対するのなら、そんなものは「排除」してしまえ。でも、「排除」というと問題になるから「独立させる」とごまかすのである。
 そして、この「排除」ということばをもとに考えれば、「6人任命拒否」が「6人排除」であったことがよくわかる。
 任命されなくても「学問の自由」が侵害されたことにならない、というのはもっともらしい言い方だが、「排除された」ならば、それは「被害」なのである。任命されない学者はたくさんいる。候補リストにあがった105人以外は任命されない。しかし、その人たちは「排除された」のではない。単に任命されなかっただけ。6人は「任命されない」ことによって「排除された」。
 ことばが違えば、事実も違うのだ。
 ことばは「認識」そのものをあらわす。つまり「思想」をあらわす。「独立する」と「独立させる」は「事実」が違う。「独立する」と「分離する」も違うし、「独立する」と「排除する」も違う。
 新しいことばが出てきたときは、必ずことばを支える「思想(ことばを生み出す現場)」にまでさかのぼって点検しないといけない。
 自民党が「独立させる」案を検討していると主張しているなら、「独立させる、というのは分離するという意味ですか? 排除するという意味ですか?」と確認しないといけない。「学術会議から独立したい、独立させてほしいと言ってきているのですか?」と問い直さないといけない。
 そういうことをしないならば、それは単に自民党の宣伝にすぎない。

 



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新しいことばを、どう伝えるか

2020-11-09 09:47:50 | 自民党憲法改正草案を読む
 きのう書いたことのつづき。(あるいは、まとめ。)
 共同通信が、次の記事を配信した。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/8b16798e0adde7928ea231da18a21fc50ac023e7?fbclid=IwAR1JK1ecmQXwCvo8C3_mbI9Pi0JLckbR6c7wPwuaAzv-L6WZOlXBIvKsw2U

 首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。安全保障関連法や特定秘密保護法に対する過去の言動を問題視した可能性がある。複数の政府関係者が明らかにした。
 菅義偉首相は国会審議で6 人の任命拒否に関し「個々の人事のプロセスについては答えを差し控える」と繰り返し答弁。拒否理由は今回の問題の核心部分となっていた。日本学術会議法は会議の独立性をうたっており、政治による恣意的な人事介入に当たるとして、政府への批判がさらに強まる可能性がある。

 ネット配信の記事はここまでだが、ほんとうはもっと長いのかもしれない。
 同じ書き出しの記事が、東京新聞(写真は中沢けいさんのフェイスブックから借用)と他の新聞(山本義彦さんのフェイスブックから借用、静岡新聞だろうか)にも掲載されている。2紙の記事はもっと長いから、それぞれの記者が独自に取材したのかもしれないが、文言がまったく同じなので、共同が取材したものだと思う。
 同じ記事だが、見出しがそれぞれ違う。



共同通信 官邸、「反政府先導」懸念し拒否 学術会議、過去の言動を問題視か
東京新聞 政府方針 反対言動を懸念/官邸、安保法など巡り
別の新聞 「反政府」懸念 6人を拒否/学術会議 官邸、言動問題視か

 共同通信と山本さんがアップしていた新聞には「反政府」という文字がある。東京新聞にはない。
 新聞の見出しは、原則的に記事にあることばをつかう。「解釈」して別の表現にすることもあるが、そういうときは、見出しをつける部門は取材もとに、こういう表現の見出しにしていいか確認する、と聞いた。(ときには、こういう表現をつかいたいが、記事にその文言を書き加えることは可能か、と問い合わせることもあると聞いた。)
 東京新聞は、どういう基準で「反政府」を「反対言動」に変えたのかわからないが、ここには大きな問題がある。
 中沢さんは、フェイスブックで、共同通信の「タイトル問題あり。政府批判を『反政府』とは言わない。ましてや「先導」なんて的外れ。」と書いていたが、「反政府」は記者が率先してつかったことばではなく、「複数の政府関係者」である。記者は「複数の政府関係者」がつかったことばをそのまま書いている。見出し(タイトル)も、その表現をそのままつかっている。
 問題は、タイトル(見出し)でもなければ、記者がその表現をつかったことでもない。「複数の政府関係者」が語ったことばを、何の批判も加えずに、そのまま公表したことである。
 いままで学術会議に対して「反政府運動を先導している」というようなことは、公式に語られたことはない。「複数の政府関係者」が語ったと報じられたことはない。だから、これはある意味では「特ダネ」である。「特ダネ」であるからこそ、共同通信は表現に手を加えず、正確に伝えている。
 中沢さんが指摘するように、共同通信の見出し(タイトル)は刺戟的である。
 そして、これからはネットの世界では、この「学術会議=反政府(運動を先導する)」という表現が横行するだろう。
 どうすればよかったのか。
 たとえば、私が新聞記者ならどうするか。

「学術会議を反政府運動」と定義/官邸、安保法への言動巡り

 くらいの見出しで、「複数の政府関係者」(および官邸)に問題があると指摘する。
 悪質なのは「学術会議」ではなく、官邸である。官邸は「学術会議」を「反政府運動を先導する団体」呼ばわりした。
 「学術会議」にかぎらず、国民はだれでも政府を批判する権利と自由を持っている。批判はもちろん「反対意見」を含んでいるが、「反対意見」があるからといって「反政府」であるとは言えない。6人の発言の詳細を私は知らないが、政府のある方針に反対し、批判的意見を述べたからといって、政府の存在そのものを否定したわけではないだろう。政府に政権放棄を迫ったわけではないだろう。「反政府運動」とは言えない。言えないからこそ、そこをごまかして「先導する」と「複数の政府関係者」はつけくわえたのだろう。実際には「反政府運動をしていないようにみえる。しかし、先導している」と。
 私の、官邸は「学術会議」を「反政府運動を先導する団体」呼ばわりした、という批判に対しては、「複数の政府関係者」はきっとそう反論するはずである。「反政府運動をしている(反政府団体である)と断定していない」と。

 いまおこなわれているのは、非常に手の込んだ「罠」なのだ。「複数の政府関係者」はマスコミを利用して「学術会議=反政府団体」というレッテルをはろうとしている。もちろん、先に書いたように、「複数の政府関係者」は「学術会議=反政府団体」とは言わない。言わないけれど、そう国民が感じるようにしむける。そのことばが国民の間に浸透するように工夫する。
 「学術会議=反政府運動を先導する団体」というのは、リークされた情報なのである。「学術会議=反政府団体」ということばを浸透させるためにリークしたのだ。
 リークされた情報をどう処理するか。これは非常にむずかしい。
①官邸が、「学術会議=反政府運動を先導する団体」という認識をもっていることを「正しい」と判断し、それをそのまま公表する。
②問題が大きい認識であり、そのまま「正しい」と感じられる形で報道するのはまずい。政府認識を批判する形で報道する。
③この認識が公になれば、政府の独裁的(独断的)な姿勢が明確になる。そういう批判が起きると困るのではないかと忖度し、その報道をしない。
 大きくわけて、三つ考えられる。
 共同通信の見出しと山本さんが紹介している新聞の見出しは、どちらかといえば①である。「正しい」とは書いていないが、読者はたいてい新聞に書かれていることは「正しい」という認識で受け止める。(私のように、新聞に書いてあることはどこまで正しいのか、この情報の裏にはどんな認識が動いているか、ということを疑うひとは少ないと思う。)
 東京新聞の見出しは「反政府」という文言が刺戟的すぎる(問題がある)と考えて、「反対言動」という表現にしたのだと思う。「批判言動」ならすでに言われていることである。「批判」から一歩踏み込んで「反対」ということばにしている。これは「工夫」していると言えばいいのか、政府に配慮しているといえばいいのか、私には判断しかねる。新聞制作現場で、どんなやりとりがあったのかわからない。
 ただ思うのは、政府を批判し続けている東京新聞でさえ、こういう見出しにしてしまうことに、私はおそろしさを感じる。「学術会議=反政府団体(を先導する)」という認識に問題があるとするならば(そう感じるならば)、それを紙面にしないといけない。政府認識を批判する立場から見出しをつけ、記事を補足しないといけない。記事が共同通信から配信されたものだとしたら、その内容に対して記者が批判的な解説を書く、あるいは誰か識者(?)から批判コメントを取材し、それを紙面にするという工夫が必要である。

 ここまでは、きのう書いたことの「復習」である。そして、これから書くこともきのう書いたことの「復習」なのだが、書いておく。
 「新しいことば」に出会ったとき、ことばに接する仕事をしているひとが最初にしなければならないのは、そのことばを疑うことである。なぜ、いままでつかっていたことばではなく、別なことばをつかうのか。いままでのことばでは、何が言えないのか。新しいことばをつかうことで、いったい何をあらわし、何を隠そうとしているのか。
 たとえばコロナウィルスの拡大に伴っていろいろな「新しいことば」が飛び交うようになった。「新しい生活様式」だとか「3密」だとか「ソーシャルディスタンス」とか。
 このなかでいちばんややこしいのは「新しい生活様式」である。たしかにいままでとは違った生活様式をとらないといけない。それこそ「3密を回避する」「ソーシャルディスタンスを維持する」ということが求められている。でも、それは「新しい」と呼ぶのにふさわしい生活様式なのか。遠く離れているひとが身近に接して人生を楽しむことができない、というのは「新しい」のではなく「古い」生活様式である。世界のどこへでも行き、そこにいるひとと直接会って、ハグして、キスして、セックスもする。こういう生活は消費を拡大し、その消費の拡大が経済の拡大を支える。そういうことを私たちは「豊かな生活」と信じて行動してきた。そのための交通手段も発達してきた。それが一気に封印される。これは「新しい」生活ではなく、「古い」生活に逆戻りである。少し周りを見渡せば、すぐにわかる。客が来なくて困っているひとがどれだけいるか。飛行機会社もたいへんな赤字を抱えている。「新しい」ということばが持っている「豊かさ(夢)」は、どこにもない。それなのに、それが「新しい生活様式」と呼ばれる。
 なぜなのか。簡単である。こういう事態を招いた「政府の失敗」を隠すためである。「新型コロナ」と呼ばず、「新型肺炎」と呼んでいた今年のはじめごろ、政府がいち早く「中国封印」という方針を打ち出していたら、どうなったか。クルーズ船の対応をもっと厳しいものにしていたら、どうなったか。もちろん、こういう「後出しじゃんけん」に見える批判は、いまとなっては意味がないが、きっと状況は違っていた。日本がいち早く厳しい対応をとったから感染が拡大しなかったということになったかもしれない。台湾のように対応が評価されることになったかもしれない。そしてそれが「世界基準」になっていたら、いまの状態はずいぶん違っていたはずである。
 「新しいことば」は、大概の場合、何事かを隠している。間違いを「正しい」と言い直す(言い含める、ごまかす)ためにつかわれる。ときには、その「新しいことば」をふりまわし、「なんだ、おまえ、まだこのことばを知らないのか」と恫喝する。いまならば、たとえばマスクをしていないと「マスクをしろ(新しい生活様式を守れ)」と叱られる。「新しいことば」を知っている人間が正しい、という主張である。「新しい知識」はたしかに「正しい」ことが多い。しかし、「新しいことば」は「新しい知識」ではないし、「新しいことば」は「古い悪事を隠す」ためにつかわれることがある。
 「学術会議」を「反政府(運動を先導する)団体」と定義することは、政府が学術会議の存在を疎ましく思っていることを隠している。どんな世界にも、民主主義の国であろうとそうでなかろうと、批判は必ずある。そういう批判を「反」ということばでひとくくりにして排除するという姿勢が、今回の「政府関係者」のことばからわかる。
 この「排除」の姿勢が「反政府」ということばで隠蔽されている。学術会議が「反政府団体」なのではなく、政府が、自分とは異なる意見を排除する組織、異論を排除し、独裁を強める組織なのである。

 ことばをどう読むか。それは自分の立場をどう確認し直すか、ということである。「自分のコンテキスト」でことばを読み直す。「新しいことば」の問題点をさぐる。
 いま、私がやっているのは、そういうことである。けっして他人の「コンテキスト」を鵜呑みにしない。あらゆることばは、それなりに完結する「コンテキスト」を持っている。「ことば」をときほぐし、「コンテキスト」の根本をひっぱりだす。そして、その問題点を指摘する。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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逆に考えてみよう

2020-11-08 21:44:23 | 自民党憲法改正草案を読む


 日本学術会議の問題。
ついに「政府関係者」が共同通信に「リーク」する形で「反政府運動を先導する」という表現を世間に広め始めた。「反政府」の「反」は「反日」の「反」である。きっと、これからネットには学術会議を「反政府」き呼ぶひとが増えてくるだろう。政府を批判すれば、学者は「反日」と呼ばれ、それが定着すれば、市民が批判を書いても「反日」というレッテルが張られるだろう。 (いまでも横行しているが、それがさらに拡大するだろう。)

そのことと、少し関係があるが。
「学問の自由」について、いままで話題になってきたことと逆のことを考えてみよう。学術会議は学問が戦争に利用されてはならないという主張で団結した。そして、いろいろな形で政府方針を批判もしている。
 「6人任命拒否」が表面化したとき、あるひとたちが「学問は政府に任命されなくてもできる。学問の自由の侵害にはならない」と主張した。
 この論理は「正しい」か。
 逆に考えると、政府に支持されなくても「学問の自由」は確保できる、というのは嘘だと分かる。
 つまり、政府が「新しい戦争兵器」を開発しようとする研究をしている人に対し、それは日本国憲法の精神に反する。だから、研究費を出さない。そういう研究をしている教授がいる大学には補助金も出さない、と決めたらどうなるのだ。
 「新しい戦争兵器」の研究はすぐに行き詰まる。資金がない。研究所も確保できない。どんな「学問の自由」でも、資金がいるのである。「新しい戦争兵器」というみるからに金がかかりそうなものではなく、たとえば「現代文学の研究」においてでさえ、文献を集める必要がある。さらには「現代性」をさぐるために「古典」を参照しないといけないときがある。そうした文献を買うにも金がかかる。
 どんなものにも金がかかる。
 だからこそ、たとえば政府批判をすると、「中国から金が出ている」というようなでっち上げのことばが飛び出す。「政府批判=反日=中国共産党(の資金)」という構造を捏造する。このでっち上げの構造を利用して、政府関係者が「政府批判=反日=中国共産党」には金を出さない。それだけではなく、積極的に締め出し、レッテルをはってアピールするという作戦に乗り出したのだ。

 「反政府運動を先導する」という新しいことば。
 一部の新聞では「反政府」ということばが見出しにもなっている。
 こういう新しいことばが出てきたときは、それは「新聞が考えたしたもの」ではなくて、誰かが「リーク」したことばなのだ。
 取材してつかんだことばではなく、新聞が政府の意図を宣伝するために利用されているのだ。

 「ことば」には「裏」がある。
 「特ダネ」は特ダネではないのだ。「リーク」されたのだ。「リーク」かリークでないかを見破る方法は、とても簡単。そこに「新しいことば」があるかどうか。いままで聞いたことがなかったことばなら、それは「リーク」されたのだ。「反政府」ということばは、「新しい」という感じがしないかもしれない。しかし、政権がこんなことばで批判を封じ込めようとしたことはなかった、と私は思っている。思い出せない。
 安倍は、国会で「日教組」というヤジを飛ばしたり、街頭演説で「あんなひとたち」とは叫んだが、「反日」とは言っていない。「反日」に通じる「反政府」ということばは、記者が考え出せることばではない。また、そういうことばを記者が自発的に書いたのだとしたら、それを誰かが変だと指摘するはずである。こんな奇妙なことばが動いている「裏」にはたいへんなことが起きているのだ。
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だれが言ったか。

2020-11-08 10:39:55 | 自民党憲法改正草案を読む
共同がおもしろい記事を配信している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b16798e0adde7928ea231da18a21fc50ac023e7?fbclid=IwAR1JK1ecmQXwCvo8C3_mbI9Pi0JLckbR6c7wPwuaAzv-L6WZOlXBIvKsw2U

官邸、「反政府先導」懸念し拒否 学術会議、過去の言動を問題視か

このことについて、作家の中沢けいがフェイスブックで鋭い指摘をしている。

タイトル問題あり。政府批判を「反政府」とは言わない。ましてや「先導」なんて的外れ。うちはいつ「独裁国家」になったんだ?複数の関係者というあいまいなかたちで「過去の言動」が問題視されたとする記事に「反政府先導懸念」とタイトルをふったらそれだけで、社会的な委縮を生み出す可能性がある。政策批判、制度批判は現行の政治制度に組み込まれた正常な機能なのだから「批判を恐れる内閣」くらいのタイトルでいい。コンサバティブな学者の任命を拒否した政府に「反政府先導」というタイトルは、事実を誇張しています。どうしたらこんな大時代的なタイトルができちゃうのだろう?学者が難しいことを言って「反政府先導」なんかできたら、学術会議会員任命拒否には600以上の学会が非難声明を出しているんだから、もうとっくに政府は転覆しているよ。なんてばかばかしいタイトルをつけたんだ。

中沢さんの指摘は、どんなことばをつかってどうニュースをつたえるかという問題点に踏み込んだとても大切なものだ。
それを評価した上で、私は、ひとつ、つけくわえたい。
記事は、こう書いてある。

 首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。安全保障関連法や特定秘密保護法に対する過去の言動を問題視した可能性がある。複数の政府関係者が明らかにした。

よく読むと分かるように、記事中に、「複数の政府関係者が明らかにした。」という表現がある。
これを手がかりにすれば「反政府先導」ということばは記者が勝手につくりだしたものではなく、「政府関係者」が言い出したものである。
政府関係者が言ったので、それをそのまま「記事」にした。
記者が政府関係者の発言を「咀嚼」して言い直したのではない。
中沢さんの「読み方」は、少し(かなり)政府に好意的。
あるいは、記事の書き方の基本に配慮がされていない。
記者は「取材で聞いたことば」以外は書かない。たとえ鍵括弧つき(引用)というスタイルをとらないにしても。
(解説記事なら別だが、解説でない場合は、そんなゃとを言っていないと抗議を受けると困るから、「捏造」はしない。)

政府関係者が「反政府」ということばをつかって、国民の分断を図っている、と読むべきだと私は思う。その意図を、共同の記者に、こっそり語ったと読むべきだと思う。
つまり、これは一種の「リーク」なのだ。こういうことを記事にしてもらいたいと政府関係者が売り込んだものなのだ。
「政府批判」では、客観的(?)すぎて、いわゆる「右翼」を刺戟できないし、一般の国民にもアピール力が弱い。
学術会議は「政府批判」をしているのではなく、「反政府運動」をやっているのがという印象操作をしたいのである。
「問題視」ということばもみられるが、これは「反政府運動」として「問題視」したいということである。
「政府批判」という弱いことばでは「問題視」はできない。少なくとも、一般国民に「問題だ」と訴える力が弱い。

ことばはいつでも「表面的意味」だけではなく、だれがそれを言ったか(スクープさせたか)ということ結びつけて読む必要がある。
ことばが生まれてくるには、そのことばを生み出している何かがある。


これに類似したことが平成の天皇の退位スクープのときも起きた。NHKは「生前退位」ということばをつかった。このことばは皇后が皇后の誕生日に「生前退位」ということばは聞いたことがない、胸を痛めたと訴えるまでマスコミにあふれた。皇后の発言後、「生前退位」ではなく「退位」というようになった。
これは何を意味するか。
「生前退位」ということばが皇后の周辺(宮内庁関係者)から出たことばではなく、別のところ(たとえば安倍周辺)から出たということを意味する。皇室、宮内庁関係者なら「譲位」ということばをつかうはずだからである。


マスコミにあふれていることばはマスコミの創作ではない。記者が考え出したことばではない。そういうことをすれば「捏造」になる。政府関係者が言ったからこそ、それをそのまま「記事」にしている。
ここから記者の無能を読み取るか、それとも「隠し技」を読み取るかは、読者次第。
あの読売新聞には、「隠し技」的な表現があふれている。



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学問の自由は「乱用」できるものなのか。

2020-11-07 21:06:02 | 自民党憲法改正草案を読む
共同通信がおもしろい記事を配信していた。
https://this.kiji.is/697063830492546145

見出しは「伊吹氏『学問の自由は印籠か』/学術会議側をけん制」。
そこに、こう書いてあったのだ。

自民党の伊吹文明元衆院議長は5日の二階派会合で、日本学術会議の会員任命拒否問題に関連し「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくてはいけないのか。憲法は、自由は乱用してはならないと定めている」と述べ、学術会議側をけん制した。
↑↑↑↑
これを読みながら、私は、こう考えた。

非常に疑問に思うのだが、「学問の自由を乱用(濫用)する」ということばをつかったとき、伊吹はどういうことを想定して発言したのだろうか。
たとえば「学問」といえるほどのことではないが、私はいろいろな文学作品を読んで好き勝手な感想を書いている。「自由」に書いている。
これは、どれだけ自由に書いても、大丈夫か。
「谷川俊太郎の詩はつまらない。この作品のこのことばが納得できない」と書けば、谷川は怒るか。怒ったからといって、別に、だれの迷惑になるわけでもないだろう。
どんな基準で、どう評価するか、その評価を谷川がどう思うか、谷川のファンがどう思うか。
こういうことに対して、菅が「学問の自由を濫用している」と批判するわけがない。
そうすると、別のことを考えないといけない。
たとえば私は「詩人が読み解く自民党憲法草案の大事なポイント」という本を出した。あるいは「天皇の悲鳴」という本を出した。
その中では、2012年の自民党改憲草案を批判し、安倍の平成の天皇への圧力を批判している。
私の場合は「学問」という立派なものではないが、「学者」ならもっと厳密に批判するかもしれない。
もし「学者」が私が書いたようなことを研究し、公表する。自民党批判、政府批判を展開する。
たぶん、こういうときに「学問の自由を根拠に、政治批判をしてはいけない」ということが言われるのである。
「学問の自由は濫用してはいけない」は「自民党批判、政府批判をするために、学問の自由を主張してはならない」ということであり、「学問は自民党を肯定し、政府を肯定するものでなければならない」へと転換していくのである。
「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくてはいけないのか」という言い方には、とてもおもしろい視点が見え隠れする。
「学問の自由を根拠に、学者が自民党批判、政府批判をしたら、自民党や政府はその批判にひれ伏さないといけないのか(そんなことはない)」と言いたいのである。
いろんな現象にはいろんなものの見方がある。
たとえば原発問題。自民党、政府は「原発は安全である。経済的である」という「学者」の意見は積極的に採用し、それを前面に押し出す。
その一方で、「原発は危険である。廃棄処理に金がかかり、不経済である」という「学者」の意見は退ける。
「学者」の意見が対立したとき、どうするか。自民党、政府は、「原発は危険である。廃棄処理に金がかかり、不経済である」と国民に主張するのは「学問の自由の濫用である」と言い出すだろう。そういう批判があると、「原発を推進できなくなる(批判する学問は邪魔になる)」からだ。
実際に起きたこと(6人任命拒否)を中心に考えれば、もっとはっきりする。
6人は政府方針を批判した。つまり「学問の自由」に基づいて、自分自身の意見を言った。
菅は、なぜ「政府は、その6人の意見を水戸黄門の印籠のように尊重し、ひれ伏さなければいけないのか」、そんなことはしたくない。だから任命を拒否したのだ。
しかしなあ。
「水戸黄門の印籠」という例がけっさくだなあ。「ひれ伏す」という動詞の使い方がけっさくだなあ。
伊吹は、政治というものを「絶対権力」と「権力にひれ伏す」という関係でとらえている。
そして、そこに「学問」という「絶対中立」的な存在が入り込むことを恐れている。
「学問の自由」という言い方が、たぶん、「誤解」を招きやすいのだ。「学問の自由」という表現を利用して、伊吹は「自由の濫用」とことばを動かしているが、「学問の自由」とは実は「学問の中立性」にほかならない。
「学問」は権力に奉仕するためのものではない。権力にも国民にも、そして外国人にも(中国人や韓国人にも)「中立」のものである。誰でもが利用できる。それが「学問」。
そうであっては、困る、というのが伊吹の姿勢であり、菅や自民党の姿勢である。
伊吹は菅の主張を代弁しているだけである。
「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくてはいけないのか。憲法は、自由は乱用してはならないと定めている」という伊吹のことばだけでは、何が起きるのか、よくわからない。
でも、自分がしていることがどうなるか、ということを具体的にことばにしてみれば、伊吹の主張の危険性がわかる。
「乱用」ということばにだまされてはいけない。
特に「自由の乱用」ということばにだまされてはいけない。
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「閉鎖的」とは、どういうことか。

2020-11-03 10:23:41 | 自民党憲法改正草案を読む
「閉鎖的」とは、どういうことか。

   自民党憲法改正草案を読む/番外411(情報の読み方)

 2020年11月03日読売新聞(西部版・14版)に衆院予算委記事がある。1面の見出し。 

首相「学術会議は閉鎖的」/初の予算委 任命拒否「正直悩んだ」

 なんだろう。この見出し。「正直悩んだ」とは何を悩んだのか。こんな「心情」が「6人拒否」とどう関係があるのか。菅が悩んでいるから、悩みに寄り添え(同情しろ)というのか。学問や政治は「同情」の問題ではないだろう。
 ということは、またあとで触れることにして、記事を読んでみる。(番号は、私がつけた。)

①衆院予算委員会は2日、菅首相と全閣僚が出席して基本的質疑を行い、与野党の論戦が本格化した。首相は日本学術会議会員の選出方法について「閉鎖的で既得権益のようになっている」と指摘し、組織改革の必要性を訴えた。
②首相は「官房長官当時から選考方法、あり方について懸念を持っていた」と述べた。その上で、「会員約200人、連携会員約2000人の先生とつながりを持たなければ全国で90万人以上いる(研究者の)方が会員になれない仕組みだ」と強調した。
③会員候補6人の任命拒否に関して、「正直言ってかなり悩んだ。学術会議から推薦のあった方をそのまま任命する前例を踏襲するのは今回はやめるべきだと判断した」と説明した。

 ①に「閉鎖的」ということばが出てくる。この「閉鎖的」を説明しているのが②である。「閉鎖的」という事象の対象を「選考方法」と定義し、具体的に「会員約200人、連携会員約2000人の先生とつながりを持たなければ全国で90万人以上いる(研究者の)方が会員になれない仕組みだ」と言い直している。これだけ読めば、「なるほど、会員、連携会員とつながりを持たないと選ばれない(推薦されない=読売新聞の記事には書かれていないが「推薦制」に問題があると菅は言っていたはずである)のか」という気持ちになるが、これって、「事実」?
 いったい「90万人」のうち「会員200人、連携会員2000人」とつながりを持たないひとって、何人? 私は「学者」の生活を知らないけれど、「学者」なら「学会」へ出席するとか、同じテーマで意見を交換するとかするのではないのか。「論文」を互いに交換したり、意見を言い合ったりするのではないのか。誰ともつながりを持たない「学者」がいるとは思えない。人数の対比だけで、つながりの有無を断定することはできない。
 さらに、「学者」のうちの誰かが、「私は、会員になりたいのに、会員、連携会員とつながりがないので、推薦してもらえなかった」と訴えているのだろうか。「あなたの研究は非常に優れている。けれども私の研究を支援してくれている別のひとを会員にしたいから、あなたを推薦できない」と言われた学者がいるのだろうか。
 そういう「事例」があるなら、それを明示し、「閉鎖的」の根拠として示さないといけない。「会員200人、連携会員2000人、それ以外の学者90万人」という数字だけ並べて、「閉鎖的」と言う「結論」を出すのは無理である。
 「閉鎖的」あるいは「閉鎖性」というのは、「情報」がどれだけ開示されているかということと関係がある。
 菅は、学術会議に対して、105人の推薦者の推薦理由を問い合わせたのか。問い合わせたけれど、推薦理由が開示されなかった。誰が推薦したのか、推薦人も開示されなかった、というのなら、学術会議の推薦者の選考方法は「閉鎖的」と言える。しかし、それが開示されるなら、それはたとえ、事後報告であったとしても「閉鎖的」とは言えない。選考方法を点検し、批判し、次の選考に行かしていくことができる。
 この「情報の開示」という点から菅のやっていることを見直すとどうなるか。
 菅は6人を拒否した理由を開示していない。これは「選考過程」が開示されていないということである。しかも、国会で国民の代表である議員が質問しているのに、選考基準を明示しない。いままで断片的に語られているは、大学に偏りがあるとか、女性が少ないとか、であるけれど、それは多くのマスコミが指摘しているように「事実」ではない。菅は今回「閉鎖的」ということばをつかっているが、その「閉鎖的」と同じように、単なる「思い込み」である。「事実/事例」を明示して、閉鎖性を証明しているわけではない。
 多くで言われているように、6人が政権に対して批判的な言動をしたことが任命拒否につながっているのであれば、それこそ菅(政権)と友好的なつながりを持たないひとは学会会員になれないという「閉鎖性」を生み出す。
 「閉鎖的」なのは、菅の方なのである。「閉鎖的」でないと主張するのなら、明確な「基準」(選考過程)を開示すべきなのである。
 この政権(権力)の閉鎖性は、そして、他の分野にも次々に拡大されていくおそれがある。ある活動が(そして、その活動をしているひとが)、なんの理由も明らかにされずに排除されるということが起きかねない。安倍は安倍の「お友達」を優遇する手法を貫いたが、菅は菅の「敵」を排除するという手法をとるのである。(これは、結果的に、菅の「お友達」を優遇するということにつながるが、優遇を前面に出すのではなく、排除を前面に出すのが菅の特徴だ。すでに政府方針に反対の職員は異動させる、と排除姿勢を明確に語っている。)
 権力をもっているものは、その権力の行使について疑問をもたれたとき、行使の「根拠」を明示しないといけない。具体的に言えば「法」を明示しないといけない。
 これについては、菅は「学術会議法」を引用しているが、「解釈の仕方がおかしい」という指摘には「解釈を変えた」というようなことを言っている。「法」は行政機関が勝手に「解釈を変更する」ということがあってはならない。立法機関(国会)で審議し、見直さないといけない。この「解釈の変更」についても、菅は「後出しじゃんけん」のように内閣法制局に問い合わせたというようなことを語っているが、明確な文書は提示していない。学術会議にどうやって解釈の変更を伝えたか、その文書も残っていない。これでは正確な「情報開示」ではない。単なる「言い逃れ」である。
 いちばんの問題は、学術会議の「閉鎖性」ではなく、菅が行政が「閉鎖的」であるということだ。

 「正直悩んだ」の「悩んだ」が何を指すのか、③を読むかぎりでは、私には、まったく理解できない。「学術会議から推薦のあった方をそのまま任命する前例を踏襲するのは今回はやめるべきだと判断した」と語っているが、菅は「99人の名簿しか見ていない」とも語っている。見た99人をそのまま任命しているなら、それは前例踏襲そのままであり、何を悩んだかわからない。悩むとすれば、6人の任命拒否が適切であるかどうか、ということになる。6人だけでいいのか、もっと増やすべきではないのか、いや6人も任命すべきだ……と判断に悩むというのなら、わかる。でも判断が入り込んでいないなら、悩む理由などどこにもない。
 「閉鎖的」ということばについてもそうだが、この「悩む」ということばについても、読売新聞の記事は明確に定義してつかおうとはしていない。菅が言ったから、それをそのままつかっている。「報道」なのだから「言われたことばは言われたままに」ということなのかもしれないが、言論機関であるなら、こういう姿勢はおかしい。「閉鎖的」「悩む」ということばが適切につかわれているかどうかを含めて報道しないといけない。
 野党も同じ。私は新聞でしか予算委のやりとりを確認できないが、用意してきた質問を読み上げるだけではなく、菅の答弁を聞いて、そこに含まれる問題を指摘することが重要だ。「一問一答」なのに、用意してきた質問をするだけで終わるのは、まことにだらしない。
 「閉鎖的」とはいったいどういうことなのか、「悩む」とはどういうことなのか。こんなことをいちいち質問するのは小学校の国語の授業か学級会なみのやりとりだが、菅の答弁が小学生の言い訳のようにその場しのぎなのだから、それがいかにその場しのぎであるから指摘することからはじめないといけない。
 それにねえ。
 国会(予算委員会)は、菅の「悩み」を聞く場所ではない。「悩んだ」と打ち明けて、同情を集め自己主張をつらぬくなんて、まさに小学校の学級会なみのことではないか。どんなに悩んだにしろ、その判断をした「根拠」を明確にし、「根拠」を共有し、それからはじまる行動を共有するために論理を展開するというのが、リーダーの仕事だろう。








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縦割り打破?

2020-11-02 18:51:34 | 自民党憲法改正草案を読む
縦割り打破?

   自民党憲法改正草案を読む/番外410(情報の読み方)

 2020年11月02日読売新聞夕刊(西部版・4版)に衆院予算委の「一問一答」がのっている。

改革「デジタル庁に権限」/衆院予算委 首相「一問一答」初論戦

 という見出し。最初の質問者は自民党議員だから、夕刊で報道されているのは、いわば「身内のよいしょ」で固められた「宣伝」。そして、だからこそ、ここに「問題」が隠されている。
 記事には、こう書いてある。

 首相は、政権の看板政策である行政のデジタル化について、「行政の縦割りを打破し、大胆に規制改革を断行する突破口としてデジタル庁を創設する」と改めて表明した。その上で「社会全体のデジタル化に責任を持って取り組むため、各省庁が持っている権限を含め、(デジタル庁に)権限をしっかり付与していきたい」と述べた。

 ここで言う「縦割り行政」とは「各省庁」ごとの「縦割り」である。これをどうやって「打破」するか。菅は単に情報を「デジタル化」するだけではなく、「各省庁が持っている権限を含め、(デジタル庁に)権限をしっかり付与していきたい」と言っている。
 これは、言い直せば、
 「権限をデジタル庁に一元化する」
 ということである。この「一元化」は「デジタル庁」が新しい「縦割り」の元締めになるということである。
 さらに言い直せば、菅の意図を各省庁に伝える(各省庁を支配する/個別の反論を許さない)ために「デジタル庁」を利用するということである。

 これを私たち国民の「情報」と結びつけて言い直せば、国民のデジタル化された情報を全て「デジタル庁」が把握し、その情報を国民を支配するために利用するということ、国民を政府の下に置き、支配すること(独裁を完成すること)になる。

 どんなことでもそうだが、立場が違えば、ものの「見え方」が違う。ある立場からは見えなかったものが、別の立場から見える。
 たとえば「原子力発電」は「温暖化ガス」を排出しない。けれど放射能の危険が伴う。廃棄物の処理の問題が伴う。(ほかにも、いろいろあるが。)どちらか一方だけの「情報」を取り上げて、その「情報」をもとに全体をしはいしてしまうことは危険である。
 つねに多様な視点からの点検が必要である。「多様性の確保(多様性の担保)」について、菅は何も言っていない。
 すでに学術会議問題で明らかになったように、菅は「多様性の排除」を政権の目標にしている。
 同じ視点で「デジタル庁」を設置しようとしている。

 読売新聞の見出しは、まことに正直に菅の意図を代弁している。

デジタル庁に権限を集中させる

 と「集中(させる)」ということばを補えば、菅の狙いが明確になる。権限を集中させ、支配の「効率化」をはかる。異論を許さない(反論するものは排除する/異動させる)ということが、「デジタル庁」が設置されれば急速に進むのである。

 少し会社組織などと比較してみればわかる。いまは、どの会社でも「デジタル化」が進んでいる。どの会社にも「デジタル(情報)/システム」を支える部門はあると思う。しかし、そういうシステムや情報は、いわば「補助機関」である。組織の「主役」ではなく「脇役」である。「主役」になってはいけない機関である。
 「主役」は「企画・立案」である。何が問題であり、それに対して何ができるか。それを考える。そこから派生してくる問題をどうサポートするかというのが「脇役」の仕事であり、「デジタル処理/デジタルシステム」というのは、その一部である。
 しかし、菅は、その「脇役」を「主役」にしようとしている。
 「デジタル庁」はきっと戦前(戦中)の「軍隊」のように国民を支配することになる。たぶん菅は「軍隊」組織として「デジタル庁」を活用しようとする。すでに「警察国家」の様相を見せ始めているが、それがいっそう拡大する。
 「デジタル」ということばにだまされてはいけない。「情報検閲・情報支配組織」がその「正体」である。








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「言い逃れ」と「言いがかり」(その2)

2020-10-29 10:25:07 | 自民党憲法改正草案を読む
「言い逃れ」と「言いがかり」

   自民党憲法改正草案を読む/番外409(情報の読み方)

 2020年10月29日読売新聞(西部版・14版)に国会代表質問の詳細がのっている。その内の学術会議に関する菅の答弁。(番号は、私がつけた。)

①必ず推薦通りに任命しなければならないわけではないという点は、内閣法制局の了解を得た政府の一貫した考えだ。
②個々人の任命理由は人事に関することで差し控える。
③任命を行う際には総合的・俯瞰的な活動、専門分野の枠にとらわれない広い視野に立ってバランスの取れた活動を行い、
④国民に理解される存在であるべきだということ、
⑤民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られることも踏まえて、私が任命権者として判断した。任命を変更することは考えていない。

 この答弁からわかることは、菅のやっていることは「言い逃れ」と「言いがかり」であるということだ。
 こんな「やくざ手法」に対抗するには、菅のやっていることが「違法」であると指摘するだけではダメだ。もっと「俗なことば」で批判しないといけない。もっと「日常的なことば」、だれもが「理不尽」と実感できることばで批判しないといけない。
 「言い逃れ」「言いがかり」ということばで、菅のことばを分類してみる。

①「内閣法制局の了解を得た」と言っているが、その「了解」をあらかじめ学術会議に伝えているか。言い直せば学術会議の了解をとっているか。国会でも表明しているか。その記録はあるか。「後出しじゃんけん」のように「内閣法制局の了解を得た」というのは「言い逃れ」である。
②「個々人の任命理由は人事に関する」というとき、それは個人に配慮しての措置が基本だろう。理由を明らかにすることで、該当者、その関係者が不利益を被るときは「理由」を明らかにしない。また該当者も、「理由を明示しないよう」求めることもできるだろう。ところが、今回は、該当者が「理由」説明を求めている。不利益を被ったものが「理湯」を求めているのにそれを明示しないのは「言い逃れ」である。
 ここからさらに、こんなことを考えてみる。ひとはだれでも自分の「不利益」になることをいわなくてもいい。裁判でも「黙秘権」が認められている。憲法にも第38条に「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と書いてある。菅が、いまやっているのは、これである。「理由」を説明すると菅が「不利益」になる。だから、言わない。NHKの番組のなかで菅は「説明できることと、できないことがある」と開き直っている。これは「言い逃れ」である。

③6人の活動が「総合的・俯瞰的」「専門分野の枠にとらわれない広い視野に立った活動」ではない、という根拠はどこにあるのか。6人が政府の方針を批判している。「政策決定」は6人の「専門分野」ではないかもしれない。だとすれば、その6人こそ「専門分野の枠」にとらわれず「広い視点」で意見を述べている。「総合的・俯瞰的」に活動している。菅が気に食わないからといって、6人が「総合的・俯瞰的」「専門分野の枠にとらわれない広い視野」を持っていないというのは「言いがかり」である。
 菅は、何と何を「総合」したのか、どのような立場から「俯瞰」したのか。どの「専門分野」を問題にしたのか。何も明示していない。
 菅の方が、批判を聞き入れるだけの広い視野を持っていないし、総合的・俯瞰的に考えることを放棄している。
 「総合的・俯瞰的な活動、専門分野の枠にとらわれない広い視野」ということばは意味のない「言いがかり」である。
④「国民に理解される存在」もまた意味のないことばである。6人の学者の何を国民が理解できるか。「専門分野」に関して言えば、その専門家しか理解できないだろう。国民が理解できないことを理解している(研究している)からこそ「学者」なのである。国民に理解できるのは、その人が「専門分野」以外で(あるいは専門分野に関する何か日常的なことで)何をしたか、何を言ったかである。
 6人は政府の方針に反対意見を述べた。この事実は、私には理解できる。(たぶん、ほかの国民にも理解できる。)このとき、6人の意見に賛成であるか反対であるかは問わない。理解できるからこそ、賛成、反対が言える。
 菅が言いたいのは「国民に理解される存在」ではなく、「政権が賛成できる存在」である。これを「国民に理解できる存在」と言い換えて批判している。政権を国民に、賛成を理解と言い換えた「言いがかり」である。
⑤「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏り」というが、絶対数ではなく「割合」で見るとどうなるのか。たとえば国会議員でも東京都から出馬し当選した人の数は、島根県から出馬し当選した人の数より少ない。けれど、絶対数が少ないからといって、それが「不平等」ということにはならない。むしろ議員一人当たりの「有権者」が問題になる。つまり「一票の格差」が。もし「民間出身者や若手が少ない、出身や大学にも偏り」ということを理由にするならば、6人の選任によって全体のバランスがどう変化するのか、その詳細な情報が必要だろう。「専門分野」によっては、ある特定の大学でしか研究されていないということもある。そういう「情報」を提供していないのは、単なる「言いがかり」である。

 しかも、問題なのは、この「言いがかり」が「後出しじゃんけん」であるということだ。
 最初から学術会議のメンバーについて、どの分野は何人、どの大学は何人、さらには出身地別には何人、という基準があって、それを逸脱しているというのなら「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏り」とは言えるが、それがないなら、単なる「言いがかり」。一票の格差は、国民は法の前に平等であるという原則を逸脱しているが、菅の6人拒否には、そういう「明確な基準」がない。
 ただ6人を拒否したいがために、学術会議にまで「言いがかり」をつけている。つまり、「あり方の見直し」を主張している。
 「論点のすりかえ」というものではなく、「言いがかり」である。「言いがかり」で学術会議の存在をねじ伏せようとしている。

 私たちがここから考えなければならないのは、このことである。
 菅は国民に対してどんな「言いがかり」でもつけてくるだろう。そして気に食わない国民を排除しにかかるだろう。
 すでに政府方針に反対する官僚は異動させると明言している。官僚の世界の異動は国民にはよほどのことがないかぎりはわからない。「左遷」といわれても実感がない。「左遷」されても給料は一般国民よりもいいとなれば、「左遷」をどう判断して判断していいか、実感できない。単に、誰か知らない人の「出世」が遅れた、くらいにしかわからない。自分の家系に無関係だから、そんなことを気にする余裕はない。「学者」もおなじ。私の知らない「専門分野」のことを研究している人が会員に任命されなかった。会員になれなくても研究(学問)はできるはず、関係ない。「わからない世界で、わからないことが起きている。」でも、それは自分の生活とは無関係だから、気にしない。
 でも、その「わからない世界」が、私たちのすぐそばにもある。
 私はこういう文章を書いているが、おなじマンションに住むひとの何人がそのことを知っているか。だれも知らない。私が何をしているか、わからない。その「わからない人間」がある日、菅を批判する文章を書いたということで警察に逮捕されたとする。そのとき多くの人にわかることは、私が菅を批判したから逮捕されたということだけであって、私の批判が妥当かどうかは、だれも判断しない。だれも判断しないけれど、あ、菅を批判すると逮捕される可能性があるということだけは、わかる。
 そういうことが、私たちから遠い世界、「学者の世界」でこれからはじまるのだ。菅を批判すると冷遇される。きっと予算が削減される。それでは自分の望む研究ができない。自分のしたい研究をするためには予算が必要。菅を批判するのはやめておこう。そう考える人が出てこないとは限らない。そういう動きは、よそからは見えない、見えにくい。だから危険なのだ。国民から遠いところから徐々に「排除」の枠が押し迫ってくるのである。
 こういうことに対抗するには、菅のやっていることは「違法行為」であるというまっとうな批判だけではダメだ。(枝野のやっているような正当法では限界がある。)菅のやっていることは「言いがかり」をつけて気にくわない人間を排除するという暴力団の手口だと言う必要がある。気取っていてはダメだ。日常の論理、暮らしの感覚(日常使っていることば)で語らないといけない。
 私たちの身近にある「事実」から出発して、菅を批判することだ。
 たとえば「いじめ」。いじめも菅の手法だ。おなじ構造だ。パワハラもおなじだ。「あいつ、家でうんちせずに、学校でうんちしている。まだ、くさい。どうして家でうんちをしてこいなのか」というようなわけのわからない「言いがかり」からはじまり、それが拡大していく。いじめられたくないから、いじめる側に加担する。いじめられるひとを擁護するといじめられてしまう。
 「言いがかり」と「言い逃れ」しかできない「幼稚な人間関係」が政治を動かしている。その「幼稚性」を問題にしないといけない。菅を「教養がない」と批判した人がいるが、「教養がない」ではなく、「幼稚」なのだ。「幼稚な知恵」をふりかざして「言いがかり」で「大将」になって威張っている。








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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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