谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(31)(創元社、2018年02月10日発行)
「ないしょのうた」のことばの変化がおもしろい。
「じめんのした」の「した(下)」は見えない。同じように「奥」も「向こう」も見えない。地面の下は土にさえぎられている。森の奥は木にさえぎられている。夕焼けの向こうは、たとえば山にさえぎられている。でも星と星の「あいだ(間)」と見える。
しかし、これはまた別の言い方もできる。
「地面の下」には何かが「ある」。「土」がある。「森の奥」には木が「ある」。「夕焼けの向こう」には知らない街が「ある」。でも、「星と星の間」には? 何も「ない」。「無」が「ある」。
「あいだ」は不思議な「存在」である。
二連目では「あいだ」はこうつかわれる。
この「あいだ」は「時間」である。(星と星の「間」は「空間」である。)知らない「うち(内)」にであり、知らない「ま(間)」でもある。無意識と言いなおせば、そこに「無」がある。この「無」を「無間」と仮に呼ぶことができる。「無意識時間」の省略形である。そしてこの「無間」を「空間」と比較すると、ちょっと「錯乱」のようなものが私の中で動く。「空」と「無」は、どこか通じるものがあるからだ。
三連目は、
「しんだ」おとうとは、この世にはいない。「無」である。「いた」けれど「いなくなった」のが「死んだ」。「ある」と「ない」が不思議な形で結びついている。この世に「ない」。でも思い出すとき、この世に「ある」。思い出すというのは「意識」の働きだね。さらに「死ぬ」を「空しくなる」と言いなおすと、ここに「無」と「空」が再び重なり合うものとしてあらわれてくる。
そして四連目。
「あいだ」は「なか」にかわっている。
この「なか」にいちばん近いものは、この詩では「奥」かなあ。からだの「奥」でうたっている。「しらないあいだに」を「しらない内に」と読み替え、その「内」を借りて言えば、「からだの内で」になるかもしれない。そのとき「なか」は「無」ではないね。からだの中が「空洞」ではないのだから。
そうすると「あいだ(間)」は四連目で消えてしまう?
「ほしとほしのあいだ(間)」は、「ほしとほしの真ん中」と読むことができる。そうすると、そこに「なか」が入ってくる。
ただし、この「からだの真ん中」は「ほしとほしの真ん中」のように何もないではないね。ぎっしりつまっている「真ん中」。「ま(間、隙間)」が「ない」。
ただし、その「真ん中」(奥、内)というものが、「からだ」のなかにあらわれるのは、
なのだ。
「だれにもいえないことがあるとき」には「ある」ということばがつかわれているのでわかりにくいが、これは「言いたいことがあるのに、いえないとき」である。そして「どうしていいかわからないとき」とは「しなければならないことがあるのに、どうしていいかわからないとき」である。
「ある」と「ない」が絡み合っているのだが、「いえない」「わからない」の「ない」の方に力点がある。
その「ない」が「からだのなか」を刺戟して「ぎっしりつまった中」を浮かび上がらせる。気づかせる。その「ぎっしりしまった中」というのは、言い換えれば、「なにもかもがからみあった混沌」のようなものだ。「ある」のだけれど、名前がまだ「ない」何か。
名前が「ない」から、その「ない」ものをなんとかしたくて、「うた」にする。聞こえてくる「うた」にあわせてみる。「声」をあわせてみる。「声」は「からだのなか」から出てくる。「からだのなか」には「何か」を「生み出す」力がある。「力」が「なか(間)」を埋めている。
「ないしょ」は「内緒」と書く。(「内所」「内証」という書き方もある。)「緒」は糸口、はじまり。「端緒」ということばがある。からまっているものが、ほどけて、そこから糸(道)がのびていく。まだ、どこにもつづいていない「混沌」のようなものに通じる。
「ないしょ」は、自分ではわかっているが、他人にはわからないこと。「からだのなか」にある「混沌」は、まだ、ことばになっていないから、だれにもわからない。けれど、自分には「わかる」。
声をあわせるのは、どこかから「聞こえる」ものを手がかりにして、からまっている「意識の糸(こころの糸)」をほどき始めるのに似ている。
これって、「詩」の書き始めに似ていないだろうか。あるいは、詩の読み始めにも。
書きたいことが「ある」。でも、それはどう書けばいいのか、わからない。最初のことばが出てこない。読んで感じることが「ある」。でも、それは、どう書いていいのかわからない。
書き始めると、ことばが四方八方にひろがり、とりとめもなくなるが。
こういうことを「からだのなか」と結びつけて考えているところがおもしろい。
書きながら、読みながら、「からだ」は「じめん」や「もり」や「ゆうやけ」や「ほし」という形で世界になってあらわれている。「じめん」を見ると「地面」になる。「もり」を見ると「森」になる。「ゆうやけ」を見ると「夕焼け」に、「ほし」を見ると「星」になる。
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「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「ないしょのうた」のことばの変化がおもしろい。
じめんのしたからうたがきこえる
もりのおくからも
ゆうやけのむこうからも
ほしとほしのあいだからも
ないしょのうたがきこえてくる
「じめんのした」の「した(下)」は見えない。同じように「奥」も「向こう」も見えない。地面の下は土にさえぎられている。森の奥は木にさえぎられている。夕焼けの向こうは、たとえば山にさえぎられている。でも星と星の「あいだ(間)」と見える。
しかし、これはまた別の言い方もできる。
「地面の下」には何かが「ある」。「土」がある。「森の奥」には木が「ある」。「夕焼けの向こう」には知らない街が「ある」。でも、「星と星の間」には? 何も「ない」。「無」が「ある」。
「あいだ」は不思議な「存在」である。
二連目では「あいだ」はこうつかわれる。
しらないあいだに
わたしのからだにはいってきたうた
この「あいだ」は「時間」である。(星と星の「間」は「空間」である。)知らない「うち(内)」にであり、知らない「ま(間)」でもある。無意識と言いなおせば、そこに「無」がある。この「無」を「無間」と仮に呼ぶことができる。「無意識時間」の省略形である。そしてこの「無間」を「空間」と比較すると、ちょっと「錯乱」のようなものが私の中で動く。「空」と「無」は、どこか通じるものがあるからだ。
三連目は、
もしかするとしんだおとうとも
うたってる ないしょのうた
「しんだ」おとうとは、この世にはいない。「無」である。「いた」けれど「いなくなった」のが「死んだ」。「ある」と「ない」が不思議な形で結びついている。この世に「ない」。でも思い出すとき、この世に「ある」。思い出すというのは「意識」の働きだね。さらに「死ぬ」を「空しくなる」と言いなおすと、ここに「無」と「空」が再び重なり合うものとしてあらわれてくる。
そして四連目。
こえをあわせて
わたしもからだのなかでうたっているの
だれにもいえないことがあるとき
どうしていいかわからないとき
「あいだ」は「なか」にかわっている。
この「なか」にいちばん近いものは、この詩では「奥」かなあ。からだの「奥」でうたっている。「しらないあいだに」を「しらない内に」と読み替え、その「内」を借りて言えば、「からだの内で」になるかもしれない。そのとき「なか」は「無」ではないね。からだの中が「空洞」ではないのだから。
そうすると「あいだ(間)」は四連目で消えてしまう?
「ほしとほしのあいだ(間)」は、「ほしとほしの真ん中」と読むことができる。そうすると、そこに「なか」が入ってくる。
ただし、この「からだの真ん中」は「ほしとほしの真ん中」のように何もないではないね。ぎっしりつまっている「真ん中」。「ま(間、隙間)」が「ない」。
ただし、その「真ん中」(奥、内)というものが、「からだ」のなかにあらわれるのは、
だれにもいえないことがあるとき
どうしていいかわからないとき
なのだ。
「だれにもいえないことがあるとき」には「ある」ということばがつかわれているのでわかりにくいが、これは「言いたいことがあるのに、いえないとき」である。そして「どうしていいかわからないとき」とは「しなければならないことがあるのに、どうしていいかわからないとき」である。
「ある」と「ない」が絡み合っているのだが、「いえない」「わからない」の「ない」の方に力点がある。
その「ない」が「からだのなか」を刺戟して「ぎっしりつまった中」を浮かび上がらせる。気づかせる。その「ぎっしりしまった中」というのは、言い換えれば、「なにもかもがからみあった混沌」のようなものだ。「ある」のだけれど、名前がまだ「ない」何か。
名前が「ない」から、その「ない」ものをなんとかしたくて、「うた」にする。聞こえてくる「うた」にあわせてみる。「声」をあわせてみる。「声」は「からだのなか」から出てくる。「からだのなか」には「何か」を「生み出す」力がある。「力」が「なか(間)」を埋めている。
「ないしょ」は「内緒」と書く。(「内所」「内証」という書き方もある。)「緒」は糸口、はじまり。「端緒」ということばがある。からまっているものが、ほどけて、そこから糸(道)がのびていく。まだ、どこにもつづいていない「混沌」のようなものに通じる。
「ないしょ」は、自分ではわかっているが、他人にはわからないこと。「からだのなか」にある「混沌」は、まだ、ことばになっていないから、だれにもわからない。けれど、自分には「わかる」。
声をあわせるのは、どこかから「聞こえる」ものを手がかりにして、からまっている「意識の糸(こころの糸)」をほどき始めるのに似ている。
これって、「詩」の書き始めに似ていないだろうか。あるいは、詩の読み始めにも。
書きたいことが「ある」。でも、それはどう書けばいいのか、わからない。最初のことばが出てこない。読んで感じることが「ある」。でも、それは、どう書いていいのかわからない。
書き始めると、ことばが四方八方にひろがり、とりとめもなくなるが。
こういうことを「からだのなか」と結びつけて考えているところがおもしろい。
書きながら、読みながら、「からだ」は「じめん」や「もり」や「ゆうやけ」や「ほし」という形で世界になってあらわれている。「じめん」を見ると「地面」になる。「もり」を見ると「森」になる。「ゆうやけ」を見ると「夕焼け」に、「ほし」を見ると「星」になる。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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