詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三木清「人生論ノート」の「瞑想について」

2022-11-13 21:03:41 | 考える日記

三木清講読。「瞑想について」。
この文章は非常に難しい。ふつう、人が考えるような「瞑想」とは違うことを考えている。
瞑想というと、こころを落ち着かせる( 安定させる) を想像するが、三木清は「思索」「思想」「瞑想」を比較している。
いきなり読んでも、つまずくばかりなので、最初に雑談をした。
「瞑想したことがある? 」
「ない」
「じゃあ、1 分、瞑想してみようか」
ということろから、はじめた。

「瞑想できた? 」
「できない」
「どうやっていた? 」
「目をつむっていた」
「何か考えた? 」
「いろいろ、1 分たったらタイマーが鳴ると言うので、いつ鳴るかなとか考えた」
「そういうのを、雑念というのだけれど、瞑想ってむずかしいね」「どうしても何か考える」
「どうやって、考えた? 」
「えっ」
「何をつかって考えた?」
「頭をつかって」
「うーん、たとえばピカソは絵の具をつかって絵を描く。モーツァルトは?」
「ピアノをつかって。音符をつかって」
「考えるときは?」
「ことばをつかって」

 そのあと、連想ゲーム。瞑想から思いつくことば、瞑想ということばが似合う人、似合わない人、いつ瞑想できるか、どんなふうにするか。どんな時瞑想できないか。
 どうも、瞑想は黙ったまま、静かな状態でするもの、ということがわかってくる。
 そして、その「静かな状態」というのは「黙って」するもの、ということを共通の認識としてもつことができた。
 最初にやった「瞑想」疑似体験から考えたことと重ね合わせると、瞑想は「ことば」とは縁がない、むしろ「無(心)」に近いということがわかる。そのイメージを共有して、三木清が「ことば」と「瞑想」「思索」「思想」をどう定義しているかに注目しながら読み進んだ。

 書き出しの「たとえば対談している最中に私は突然黙り込むことがある。そんな時、私は瞑想に訪問されたのである。」という文章の「対談」とはどういうことか。ことばをつかって、二人が話すこと。「黙り込む」とはどういうことか。ことばを話さないこと。「瞑想」は「黙り込むこと(沈黙)」と何か関係がある、ということになる。「黙り込む」のはなぜだろう。ことばが思い浮かばないからかもしれない。ことばをつかわずに、考えているのかもしれない……、という具合。
 二時間で、なんとか「読了」できたが、とてもむずかしかった。それは、結局、瞑想をしてみるという体験がないからだ。頭では瞑想ということばを知っているが、肉体で体験したことがない。そういうことは、考えることもむずかしいし、理解することもむずかしい。
 それがわかったのが、今回の「収穫」かもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木清「人生論ノート」から「嫉妬について」

2022-10-30 21:02:32 | 考える日記

読解はの方法を変えてみた。
(1)全文を読み通す。読めないことばは「なになに」と読んで、そのままつづける。わからないことばも、そのまま読み続ける。
(2)全文を読み終わったとあとで、わかったこと、考えたことを要約する。
(3)最初から、一段落ずつ読み直し、読めないことば、意味わからないことばの質疑・応答。
このとき、愛に関係することば、嫉妬に関係することば、愛と嫉妬の両方に関係することばを抜き書きしながら整理する。
(4)もう一度、(2)でやったように、考えたことをまとめる。

このあと、愛の反対のことば、「憎しみ」があるが、「憎しみ」と「嫉妬」はどう違うかを考えた。

*

読めない漢字や熟語がかなりあったのだが、最後まで読み、要約もできた。
「狡猾」は日本の高校生でも読めない人がいると思う。「術策」「詐術」も説明できる生徒は多いとは言えないだろう。
途中「特殊」を読めなくて、「特別」と読んだ。
あとで「特殊」と「特別」は似ている。全体の文脈のなかでは「特別」と読み替えても論理的には同じだと説明した。

5ページ強のテキストだが、作文の指導を含めて90分で済んでしまった。時間が余った。18歳のイタリア人。驚嘆の理解力。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木清「人生論ノート」の「人間の条件について」

2022-10-17 22:53:41 | 考える日記


何が書いてあるか、読めないかもしれないが。
私の「ノート」。
これに見ながら、イタリア人といっしょに「人生論ノート」を読んでいる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売新聞の「要約」の仕方(あるいは、世論操作の仕方)

2022-10-17 22:30:38 | 考える日記

 中国共産党の20回大会が開かれた。2022年10月17日の読売新聞(西部版・14版)は、一面の見出しと前文。
↓↓↓
中台統一 武力放棄せず/習氏政治報告 共産党大会開幕/米に対抗 核開発強化(見出し)
 【北京=吉永亜希子】中国共産党の第20回大会が16日、北京の人民大会堂で開幕した。3期目政権発足が確定的な習近平総書記(国家主席)は党中央委員会報告(政治報告)で、台湾統一について「武力行使を決して放棄しない。あらゆる選択肢を持ち続ける」と宣言し、台湾への関与を強める米バイデン政権と台湾の蔡英文政権を威嚇した。習氏は米国を念頭に核抑止力を強化する方針も示し、今後も強国・強軍路線を突き進む考えを鮮明にした。
↑↑↑
 見出しは、前文を的確に要約している。どこにも「間違い」はない。
 この見出し、記事(前文)を読むかぎり、中国は台湾統一へ向けて「武力を行使する」可能性がある、と読んでしまうそうになる。やっぱり「台湾有事」は起きるのか。中国が台湾に侵攻するのか。ロシアがウクライナに侵攻したように。たいへんなことになるなあ、と思ってしまう。
 でも、この読売新聞の「要約」は正しいのか。
 「政治報告の要旨(全文ではない)」が6面に掲載されている。そこでは、どう書いてあるか。(番号は、私がつけた)
↓↓↓
①「一つの中国」原則と「1992年合意」を堅持し、「台湾独立」に断固反対する。
②台湾問題の解決は、中国人自身が決める。最大の誠意と努力で平和的統一を実現するが、決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置をとる選択肢を残す。
③このことは外部勢力からの干渉とごく少数の「台湾独立」分裂勢力に向けたものであり、広範な台湾同胞に対したものではない。
④統一は必ず実現しなければならず、必ず実現できる。
↑↑↑
 少しずつ説明する。
①習は「台湾独立」に断固反対する、と言っている。「台湾を統合する(中台統一)」とは言っていない。中国は「台湾」を中国の一部と認定している。「統合する」もなにも、すでに「ひとつ」である。これは、国連も認めているし、日本も認めている。習がいっているのは「台湾独立反対」である。だから、見出しの「中台統一」、前文の「台湾統一」ということばは正確ではない。
②「台湾問題の解決は、中国人自身が決める」というのは、中国と台湾の問題は「国内問題」であり、国民の「中国人自信が決める」という意味であり、これは当然の権利である。そして、その当然の権利を守るため(国内問題を国民自身で決定する権利を守るため)なら、「武力行使の放棄を約束せず」というのである。つまり、外国が(正確に言えば、アメリカが)台湾を独立させるような動きをするなら、「内政干渉」を理由に、それに対して武力行使を辞さないというのである。「内政干渉」ということばは読売新聞の要約には書いていないし、習がそう言ったかどうかはわからないが、これまでの習の発言から推測すれば、そうなる。
③は、私が②で書いたことを、補足説明するためにつけくわえたものである。「武力行使の放棄を約束せず」という文言だけを取り出して、アメリカやアメリカに追随する国が、「中国は武力で台湾を統一しようとしている」と主張することがわかっているから、そうではない、と念押しするために、つけくわえたのが③である。「このことは外部勢力からの干渉(略)に向けたもの」である、と断言している。「干渉」ということばが、ここにはっきり書かれている。読売新聞は、これを「わざと」無視して、記事の前文、見出しを「ねじまげている」。
 もちろん、台湾にも「台湾独立」をめざすひとが、「ごく少数」いる。そのことは習も認識している。そのこともはっきり書いている。この「ごく少数」は習の「認識」であり、台湾の「実情」かどうかはわからないが、いまだって台湾の人々が権利を迫害されているわけではないのだから「ごく少数」だろうと私は推測している。
 だいたい中国人は、金もうけ第一主義的なところがある。金さえもうかるなら、中国に統一されたってかまわないと考えるひとの方が多いだろう。現実に、台湾と中国を行き来している経済人がいる。中国が世界一の経済大国になれば、台湾は、ぱっと中国に統一・吸収されるだろう。

 ちょっと余分なことを書いてしまったが、習は「中台統一のために武力放棄せず」とは言っていない。台湾を独立させようと「(内政)干渉」する「外部勢力」に対しては、それに対抗し「武力放棄せず」と言っているのである。
 これは言い換えると、アメリカが台湾を独立させるために、台湾や台湾周辺で軍事活動をするなら、それと戦う。そのとき「武力放棄せず」と言っているのである。前文に「米国を念頭に」ということばがある。これは何も、アメリカ本土を攻撃するということを前提にした発言ではなく、台湾問題についてアメリカがどう行動するか、その行動を抑止するために、ということだ。
 習は、【外交】という項目で、こういうことも言っている。これは先に引用した【祖国統一】という項目につづく部分である。
↓↓↓
 中国は独立自主の平和外交政策を揺らぐことなく実施する。覇権主義、内政干渉、ダブルスタンダードに反対する。中国は永遠に覇権を唱えることも、拡張することもない。
↑↑↑
 ここにはっきり「内政干渉」ということばが出てくる。「台湾独立」をそそのかすのは、「内政干渉」である。それは、アメリカの「覇権主義(台湾をアメリカの傘下に収める)」である。アメリカは、わざわざ中国のすぐそばまでやってきて、そこに軍事基地を造る必要はない。アメリカは、アメリカ国内におさまっていろ、と主張しているのである。

 そう認識して読売新聞の「見出し」「前文」を読み直すと何が見えてくるか。「台湾有事」を引き起こして、戦争によって金もうけをしようとしているアメリカの思惑に、読売新聞は寄り添っているということが見えてくる。自民党も、アメリカの軍需産業をもうけさせるために「台湾有事」を期待しているのだろう。日本がどうなろうが、アメリカの軍需産業さえもうかれば、その利益が自分たちに流れ込んでくると考えているのだろう。「台湾有事」葉、アメリカが望んでいることだ。それは「ウクライナ有事」が、同様にアメリカが望んだことをも意味する。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木清「人生論ノート」

2022-10-09 23:01:25 | 考える日記

「人間の条件について」(前半、254-257ページ)
本文を読む前に、まず「人間の条件」とはなにか、を考える。
人間に必要なもの。「いのち」。これがないと人間ではない。「いのち」の反対のものは「死」。

そのうえで、まず一行目に出てくる「集中」について考える。
「集中」とはどういこと? どういうときに「集中」ということばをつかうか。ここから「集める」が出てくるのだが、「集めて、何をする? 何のために集める?」ここから「形成する」も出てくる。それは「関係をつくる」ということ。
その反対は? 「ばらばら」「つながりがない」(関係がない)。ここから「分解」「要素」ということばが関係してくる。(分解、要素は「関係がある」)

似たことばと、反対のことば。
そのなかで、いちばんむずかしいのは一回しか出てこないことば。
何かを形成する、何かと何かを関係づけて、ひとつのものにする。そのとき大切なのは?
三木清は「秩序」ということばをつかっている。
これを探し出せるかどうか。

私といっしょに三木清を読んでいるイタリアの高校生は、これが、できた。
いやあ、びっくりした。
何かを集めて、形をつくる(形成する)、つまり、ものとものとの関係をつくる。しかし、関係自体は、どういうときでも「できる」。できてしまう。
たとえば、スニーカーの上にチョコレートを置き、そのうえにキャベツを置く。これは「現代芸術」なら表現としてありうるかもしれないが、日常では「ばらばら」(でたらめ)。だから、、、、「ばらばら」「でたらめ」にならないために、何かが必要。「区別」が必要。靴は「履物」であり、「食べ物」ではない、チョコレートと野菜は「食べ物」だけれど、ひとつは加工品、ひとつは加工されていない。で、こういう「区別」をほかのことばで言えるか。
「秩序」ということばを三木清はつかっている。「関係」がうまく「形成」されるためには「秩序」が必要である。

「秩序」さえあればいいのか、というと、これはまた別の問題だが。
それにしても、キーワードのひとつとして「秩序」を、この文章のなかから見つけ出し、それを全体と関連づけることができるというのは、たいへんな能力だと思う。

しかし、三木清の文章はおもしろいねえ。
書き出しの「どんな方法でもよい、自己を集中しようとすればするほど、私は自己が何かの上に浮いているように感じる。」わかります?  「浮いている」? この「比喩」めいた表現はいったいなんなのか。書き出しだけに、すぐには意味がわからない。
これがしばらくすると「海」と「泡沫」の関係として語られ、その「海」と「泡沫」は次の段落で「無数のもの」と「要素」と言い直される。「泡沫」は海の一部(要素)であり、海がなければ泡沫はないが、泡沫がなければ海もない。その「泡沫」としての人間。それが「浮いている」のなかに隠れている。人間は泡沫のようなものだ、という比喩だね。それが書き出しにもどってくる。

この「往復」のなかに、

「生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生のように異なっている。しかし虚無は人間の条件である。」

こういうかっこいい文章が出てくる。ここでの「虚無」を「死」と読み替えると、三木清が「死について」で書いていたことが、くっきりとよみがえってくる。
こういうときの「興奮」、覚えていますか? 昔読んだことが、突然、「いま」を支えてくれる。わからなかったものが(わかったつもりになっていたことが)、より鮮明にわかるようになる。その喜び。
こういうことは、私は、イタリアの青年(少年と言ってもいいかもしれない)といっしょに楽しんでいる。
自分が若がえっていくのがわかる。

私は、本のなかの活字よりも、書き込みの方が多いんじゃないかと思うくらい書き込みをする。書き込みをすることで、ことばを整理するのだが、イタリアの青年は、書き込みなしでこれをやってしまう。いつか、私の方が、彼から日本語を習うときがくるかもしれない。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸田の所信表明演説

2022-10-04 20:41:10 | 考える日記

 ほんとうは、別のこと(物価高)について書きたかったのだが、そのことについて書くために岸田の所信表明演説を読んで、びっくりした。読売新聞(2022年10月04日、14版、西部版、3面)によると、
↓↓↓
 首相は就任後、3回行った国会演説では、過去の例に倣い、勝海舟やジョン・F・ケネディ元米大統領らの言葉を引用した。政府関係者によると、今回も先人の言葉を引いて「国難」を乗り越える思いを示す案が浮上していたが、「ただ愚直に仕事に打ち込む姿勢を打ち出した方が危機感が伝わる」との判断から最終的に外したという。
↑↑↑
 ということで、とても短くなっている。短くなったのはいいのだが、これはねえ、単に岸田のゴーストライターが「手抜き」をした、ゴーストライターさえも岸田から離れ始めているということじゃないのかなあ。だれかのことばを引用するには、そのことばを読んでいる必要があるが、岸田がほんとうに先人のことばを読んでいるとは思えない。「聞く力」というが、岸田はもともと「聞く力」などもっていない。他人のことばの「読み方」を知らない。
 それは、所信表明演説を読むだけでわかる。この所信表明演説もだれかが書いたものだが、それを読んで「このままではわからない」(順序を変えないといけない)という判断もできずに、岸田はそのまま読んでいる。
 そのことを指摘しておく。読売新聞の「章立て」にしたがって紹介すると、①はじめに②政治姿勢③経済政策④新型コロナ、という具合につづいていく。私が注目しようとした経済政策(物価対策)は、①物価高・円安対応②構造的な賃上げ③成長のための投資と改革と三つにわけて対策が発表されている。この③の部分に、岸田の「理解力のなさ」があらわれている。
 ここから、突然「カタカナ」が増える。まず、こう書いている。
↓↓↓
社会課題を成長のエンジンへと転換し、持続的な成長を実現させる。この考えの下、科学技術・イノベーション(技術革新)、スタートアップ(新興企業)、GX、DXの4分野に重点を置いて、官民の投資を加速させます。
↑↑↑
 「カタカナ」が増えるのは、官僚の作文の特徴だが、「イノベーション」「スタートアップ」には「技術革新」「新興企業」と、日本語(?)で言い直されている。なんとなく、わかる。でも「GX」「DX」って、何? よほど経済政策に関するニュースを読んでいないとわからないだろう。「イノベーション」「スタートアップ」はなんとなく英語からも見当がつくが、「GX」「DX」って、なんなのさ。「カタカナ」でさえない。
 その説明は、あとに出てくる。
↓↓↓
 第三に、グリーントランスフォーメーション、GXへの投資です。
 年末に向け、経済・社会・産業の大変革である、GX推進のためのロードマップの検討を加速します。
↑↑↑
 最低限「GX=グリーントランスフォーメーション」であることは、最初に「GX」ということばを発したときに言っておかないと、なんと言ったかさえわからないひとがいるかもしれない。で、そのグリーントランスフォーメーションって、なんなのさ。
↓↓↓
 その中で、成長志向型カーボンプライシング、規制制度一体型の大胆な資金支援、トランジション・ファイナンス、アジア・ゼロエミッション共同体。これまで申し上げてきた政策イニシアチブを具体化していきます。
 同時に、GXの前提となる、エネルギー安定供給の確保については、ロシアの暴挙が引き起こしたエネルギー危機を踏まえ、原子力発電の問題に正面から取り組みます。
↑↑↑
 「カタカナ」だらけで、これまた、わからない。でも、きっと、だれにでも「エネルギー危機を踏まえ、原子力発電の問題に正面から取り組みます」はわかるな。原発を増やす、と言っている。原発を増やさなければならないということを言うために、カタカナでごまかしている。これが官僚の政策なのだが、エネルギー源に原発を活用すると言わずに、変なことばで、演説を聞いているひとをたぶらかしている。
 「そのことば、わかりません。説明してください」「わからないのは、おまえが勉強していないからだ。何も知らない人間は、だまって、知識のある人間(カタカナことばをつかえる人間)の言うことを聞け」
 これが官僚の「口癖」のようなものだが、岸田も「聞く力」を発揮して、それをそのまま受け入れ、「書かれた文章」をそのまま読んで、知ったかぶりをしている。
 岸田自身が自分で文章を書いたなら、少なくとも「GX=グリーントランスフォーメーション」は最初に言う。何のことかわからないから、「質問」もできず、そのまま読んでいるのだ。
 「DX」は、こうである。
↓↓↓
第四に、デジタルトランスフォーメーション、DXへの投資です。
↑↑↑
 そうか、Dはデジタルの略だったのか。それならそうで、これもやはり最初に言うべきだろう。いまどき「デジタル」ということばを知らない人間はたぶんいない。最初に「デジタル」ということばを出すだけで、演説を聞いていて、内容が推測できる。そういう「効果」を岸田は知らない。
 でも、つづきを読む(聞く)と、どうか。(途中にマイナンバーカード活用のくだりがある。原発とおなじように、じつは、これが目的か。)
↓↓↓
 また、メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービスの利用拡大に向けた取り組みを進めます。
↑↑↑
 これは、いったいなんなのか。何の説明もないまま、
↓↓↓
 産業のコメと言われ、大きな経済効果、雇用創出が見込まれ、経済安全保障の要でもある半導体は、今後特に力を入れていく分野です。
↑↑↑
 と、突然、だれもがわかるようなことばで視点をずらす。
 ということは、と私は、再び読み返し、考える。
↓↓↓
 また、メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービスの利用拡大に向けた取り組みを進めます。
↑↑↑
 ここには多くの人が疑問をもっている「マイナンバー」以上に危険なことが隠されている。それを知られたくないから、教えない。「えっ、そんなことも知らないの? 遅れてるなあ。わからなかったら、知っているひとの言う通りにすればいいんだよ」がここに隠されている。
 これから問題になる「デジタル化」の問題は「メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービス」と、私は、私の文書を読んでいる人に「警告」しておく。私はこういうことばに疎いから、実際にどういうことがこれから起きるか想像できないが、とても危険なことが「メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービス」としておこなわれる。それは「マイナンバーカード」どころの騒ぎではない。
 この問題は、岸田自身も理解していない。理解していて、それでなおかつ隠している、隠蔽している、とは思えない。岸田は、何度でも書くが、とても口の軽い男である。(私は口が軽いので有名だが、たぶん、私の比ではない。私から見てさえ、岸田は口が軽い、のだから。)
 で、その「口の軽さ」は、この所信表明演説にもあらわれている。つまり、わかりもしない「GX」「DX」を、そのまま知ったかぶりをして最初に言って、あとからカタカナで言い直しているところにね。少し慎重なら、「GX=グリーントランスフォーメーション」「DX=デジタルトランスフォーメーション」と言っておこう、と思うはずである。

 で、ついでに書いておくと、この所信表明演説を書いたのは「ひとり」ではない。複数の人間が手分けして書いた。問題の部分も「前文」
↓↓↓
社会課題を成長のエンジンへと転換し、持続的な成長を実現させる。この考えの下、科学技術・イノベーション(技術革新)、スタートアップ(新興企業)、GX、DXの4分野に重点を置いて、官民の投資を加速させます。
↑↑↑
 はだれか「経済対策」のリーダーが書き、「イノベーション」「スタートアップ」「GX」「DX」は別人に割り振ったのだ。だから、前後の統一性がなくなっているのだ。具体的に「GX」「DX」の部分を担当した人は「前文」を書いたひとの部下。だから、上司に対して「GX」「DX」の説明は、最初に言った方がいいのではないでしょうか、と提言もできない。そういうことも、この所信表明演説からは見えてくる。

 思想というか、考えていることは、単につかうことばだけではなく、そのことばのつかう順序(文脈構成)からもわかるものである。岸田がどういう人間であるか(彼の思想がいかに他人任せの借り物であるか)がよくわかる「所信表明演説」である。
 こんなことは国会では審議されない。だからこそ、書いておく。こういうことは、書かれている「内容(テーマ、意味)」以上に重要である。なんといっても「思想」の根本にかかわるからである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木清「人生論ノート」を読む

2022-09-25 19:21:21 | 考える日記

イタリア人(18歳)と一緒に三木清「人生論ノート」を読んでいる。そのときの、私のノート(といっても、本の書き込み)をアップしておく。
三木清は、ことばを少しずつ変えながら、ことばを定義していく。その過程がとてもおもしろい。
最初につかっていたことばが、あとで復活してきて、動く。そのとき、定義がより強靱になる。そういうことばの運動がとてもおもしろいのだが、この「日本語授業」についてこられることに私は仰天している。
きょう読んだのは「虚栄心について」。その前に「作文」の添削をするので、解読は90分くらいだが約7ページ(旧字体、旧かな)を読んで、理解してしまう。

私は、この「精読教室」を、ほんとうは日本人相手にやってみたいのだが。
興味のある人、います?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売新聞の特ダネ記事の書き方(その読み方)

2022-09-06 09:38:00 | 考える日記

 2022年09月06日の読売新聞(西部版・14版)に、安倍国葬を巡る、岸田支持の記事が書かれている。
↓↓↓↓
「国の儀式」に国葬想定/内閣府設置法 法解釈 2000年文書に明記
↑↑↑↑
 この見出しを読んで、いったい、何人が書かれている記事の内容を正確に把握できるだろうか。詳しく読み直したりはせず、簡単に「安倍国葬」に「法的根拠がある」と思うだろう。
 記事(前文)を読むと、こう書いてある。(番号は、私がつけた。)
↓↓↓↓
①政府が、2001年1月の内閣府設置法施行前から、内閣府所管の「国の儀式」の一つに「国葬儀(国葬)」を想定していたことが分かった。②00年作成の内部文書に明記されていた。③安倍晋三・元首相の国葬実施が決まる前から、政府の法解釈が維持されていることを示すものだ。ただ、国民に理解は広がっておらず、丁寧な説明が求められる。
↑↑↑↑
 ①注意しなければならないのは、まず「分かった」という書き方である。どうしてわかったのか。「読売新聞の調べでわかった」とは書いていない。独自に調査したのではない。だれかから教えられたのだ。つまりリークされた「特ダネ」なのである。
 ②は、内部文書の作成時期が安倍殺害前なので、時系列的にみて、国葬の根拠になるということだろう。しかし、それはあくまで「内部文書」である。つまり、公開されていない。そんなものを「根拠」といわれても、誰も納得できないだろう。③に関係するが「内部文書」なのだから「国民に理解は広がっておらず」は当然のことであり、こういう「内部文書がある」だけでは「丁寧な説明」にはなりえない。
 で、これは①につながるのだが、読売新聞はどうやってその「内部文書」を手に入れた? 書いていない。つまり、記者が自分で調べたのではなく、政府関係者が「これを書いてくれ」と提示したのだ。言い直すと、政府に代わって、読売新聞が「丁寧に声明」しようとしている。政府の「代弁」をしている。
 記事を読んでいく。
↓↓↓↓
④内部文書は00年4月、政府の中央省庁等改革推進本部事務局内閣班が作成した「内閣府設置法コンメンタール(逐条解説)」。同法4条が所管事務に挙げる「国の儀式」には〈1〉天皇の国事行為として憲法が定める儀式〈2〉閣議決定で「国の儀式」に位置づけられた儀式――の2種類があると説明。〈2〉の例として、「『故吉田茂元総理の国葬儀』が含まれる」としている。
⑤岸田首相は7月14日、この解釈に沿い、国の儀式として安倍氏の国葬を行う方針を発表し、同22日に閣議決定された。
↑↑↑↑
 ④は「内部文書」の説明。問題の「内閣府設置法」というのは「平成11年(1999年)」にできている。「内部文書」は読売新聞の報道では「00年(平成12年)4月」に作成されている。最初からあったのではなく、あとでつくられたもの。だから法案ができたときは、だれもそれを知らない。もちろん法案を審議するとき、その問題が討議されたかもしれないが、それならば、多くの国会議員が知っているだろう。どうも、そうではないように思える。
 問題の内閣府設置法の4条(3項33号←これは、記事には書いておらず、表の中に書いてある)というのは、詳しく見ていくと。
↓↓↓↓
第4条 内閣府は、前条第1 項の任務を達成するため、行政各部の施策の統一を図るために必要となる次に掲げる事項の企画及び立案並びに総合調整に関する事務(内閣官房が行う内閣法(昭和22年法律第5 号)第12条第2 項第2 号に掲げる事務を除く。)をつかさどる。
(略)
3 前二項に定めるもののほか、内閣府は、前条第2項の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
(略)
三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。
↑↑↑↑
 内閣設置法を読むだけでは「国の儀式」が何を指すかは「特定」できない。だからこそ、「内部文書」が必要なのだろうが、その「内部文書」が法の成立後にできているということは、法が成立する前は、そのことが審議されなかったことを意味するかもしれない。審議済みであれば、「内部文書」よりも、その「討議議事録」を明示する方が、「法的根拠」になる。つまり、このことは国会で審議しており、野党も了承済みと言えるのだが、そういう書き方をしていない。
 だからこそ、政府のだれかからリークされたことを、そのまま、書き流しているのだと推測できるのである。
⑤は、あたかも岸田が最初からそれを知っていたかのように書いているが、もし最初から知っていたのだったら、いまごろになって「丁寧に説明する」ではなく、最初の段階で、「国葬」は内閣府設置法4条にもとづく。該当項目は3項33号。2000年の「内部文書(逐条解説)」に明記されている、と言える。
 そうしなかったのは、知らなかったからである。
 国葬が問題になってから、すでに一か月以上たつが、その間に、誰もこの「内部文書」のことを言わなかったのは、だれもが知らなかったからである。やっと「内部文書」を見つけ出し、読売新聞に提供し、あたかも「特ダネ」のように報道させている。政府関係者(あるいは岸田)がいま公表すれば、なぜ、それを最初に言わなかったのかと批判されるからである。でも、読売新聞に「スクープ」させれば、そういう批判は避けられる。私のように、読売新聞は政府の代弁をしているというような批判がせいぜいである。

 さて。
 読売新聞の「見出し」にもどる。
↓↓↓↓
「国の儀式」に国葬想定/内閣府設置法 法解釈 2000年文書に明記
↑↑↑↑
 この見出しは「文書」とは書いているが「内部文書」とは書いていない。ここが「大きなウソ」の第一歩。「文書」という表現にであえば、たいていの読者は「公式文書」と思う。「法解釈」に関係する文書なら、なおさらだろう。
 しかし、その文書は「内部文書」なのである。だれも知らない。関係者しか知らない。それを「法的根拠」というのは、どうしたって無理がある。
 さらに「内部文書」で「吉田茂の国葬儀」が含まれると書いているからといって、それが安倍に適応できるかどうかは別問題である。統一教会の宣伝マンをやっていた、森友学園、加計学園、桜を見る会(前夜祭)などの「未解明」の問題がある。そういう問題を棚上げにして、「内部文書」を適用した、というのは、単なる政府の言い分である。
 「特ダネ」をリークされたら、それを報道することの「意味」も検討しないといけない。新聞にしろテレビにしろ、「知っていること」の全てを報道しているわけではないはずだ。そこに取捨選択がある。だとしたら、何を捨て、何を報道するか、そこから考え直さないといけない。
 読む方も、なぜこの記事は書かれているか、を考えながら読まないといけない。今回の読売新聞の記事は、「私は政府関係者からこんな内容のことをリークされた、私は政府関係者に通じている」ということを読売社内でアピールするためのものだったんだろうなあ。こうやって記者は、政府に気に入られながら出世していく、そして癒着がさらに深まっていくということだろう。
 「作文」を読むのは、ほんとうに楽しい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇退位と統一教会

2022-09-04 00:29:56 | 考える日記

 ある知人から、統一教会をめぐり、天皇退位にも関係しているのだろうか、と質問を受けた。私が「天皇の悲鳴」で天皇退位問題について書いていたからだと思う。
 私は、大いにありうると思う。
 そのことを書く。

 平成の天皇退位でいちばん問題なのは、だれが「生前退位」ということば(NHKのスクープのときにつかわれた)を思いついたかである。前の皇后が誕生日に「生前退位ということばに傷ついた」と言うまでは、マスコミは「生前退位」ということばをつかいつづけた。皇后の非難で、はじめて「生前退位」ということばをつかうと、それが天皇の本意ではない(皇室では、そのことばはつかわない、と当時の皇后は言った)ことがわかる。読売新聞が大慌てで「退位」に切り替え、朝日新聞が即座に追随した。
 さて、「生前退位」を思いついたのは、だれなのか。NHKが自ら「思いついた」とは思えない。だれがNHKに対して「生前退位」をリークしたのか。安倍の関係者だと私は思っているが、「生前退位」ということばを安倍が思いつくとは思えない。
 ブログに書き、それを大幅に簡略化した「天皇の悲鳴」でも書いたが、だれか「黒幕」がいる。それは、もしかしたら「統一教会関係者」であるかもしれない。
 それを「印象付ける」のが「令和」への元号切替日である。5月1日という、何がなんだかわからない日である。ところが、この日は統一教会の創立日である、という。もちろん、ただの偶然かもしれないが、「必然」かもしれない。統一教会は、天皇を韓国に呼び寄せ、謝罪させるというようなことを「主張」として掲げている。統一教会の創立日に、前の天皇が退位する、新しい天皇が即位するなら、それは前の天皇を「退位させた日」として、統一教会の「歴史」に記すことができるだろう。統一教会の創立記念日に、平成の天皇は退位した。天皇は、統一教会の「支配下」にある、ということを世界に知らせることができた、と言うだろう。あるいは、5月1日に即位した令和の天皇は、統一教会の操り人形である、と宣伝することができるかもしれない。その日を狙っているのだろう。
 荒唐無稽、と感じるかもしれないが。
 しかし、日本は韓国に服従しなければならない、日本の女性は韓国の男性と結婚し奉仕しなければならない、と主張し、他方で国家議員や地方自治体の議員を思うままにあやつっているのだから、それくらいはやるだろう。
 元号変更日を5月1日にした「理由」を安倍は、だれもが納得する形では説明していない。(私が納得していないだけかもしれないが。)令和の天皇の誕生日は「区切り」が悪い。4月1日は年度替わりだが「統一選」と重なり、社会が騒々しい。そんなことが、5月1日の「根拠」になるはずがない。5月1日って、ゴールデンウィークの真っ最中。みんな、どこかへ旅行したい。天皇なんか関係ない、が国民の思いだろう。6月1日でも、7月1日でもいいのに、なぜ5月1日か。
 統一教会が、この日がいいと「推薦」したのかもしれない。

 そこで。
 次は国葬である。9月27日って、何の日? だれか統一教会の歴史に詳しい人はいない? 岸田はなぜ9月27日という日を選んだのか。何が出てくるか、ちょっと楽しみだ。

 ということは、さておき。
 話をもとに戻そう。安倍が統一教会の「言いなり」になっていたということがわかった以上、「天皇生前退位」から、見直してみる必要がある。そのとき、「手がかり」は何度も書くが「生前退位」ということばをだれが思いついたか、である。
 それがわかれば、すべてがわかる。
 この「パンドラの箱」の蓋を、ぜひ、NHKに開けてもらいたい。NHKがスクープしたとき、だれが「退位」ではなく、「譲位」でもなく、「生前退位」ということばを提案したのか。それを、NHKは知っているはずだ。いま、あれこれ統一教会絡みの報道をして「アリバイ」づくり(あとだしジャンケンの自己保身)をNHKはしている。これも、もしかすると「生前退位」問題を隠蔽するためのものかもしれない。そう考えると、最近の、突然のNHKの豹変ぶりもわかる。なんとしても「生前退位」にまで問題をさかのぼらせてはならない、という意図が動いているのかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記事非公開(いやあな気持ち)

2022-09-02 09:49:54 | 考える日記

 2022年08月28日(日曜日)に投稿した「Estoy loco por espana (番外篇182 )Obra,  Jose Manuel Belmonte Cortes」が「非公開」になった。
 「理由」は推定できるが、確定できないので、goo 事務局(?)に問い合わせている。たぶん、写真が問題なのだろうと思う。「彫刻」の写真なのだが、その彫刻があまりにリアルなので、人間の写真と勘違いして、だれかが「通報」したのだろう。
 これは、まあ、私にとっては災難だが、ベルモンテにとっても「名誉」かもしれない。リアリズムに徹底している作風が、そのまま「リアルだ」と評価されたのだから。
 私がアップした写真(たぶん、ベルモンテが撮影)は、まだ、不鮮明だが、実際に作品を肉眼で見ると、笑いだしたくなるくらい「リアル」である。モデルのLuisが包茎であるかどうかは知らないが、その包茎の皮の形までがリアルなのだ。手抜きがいっさい、ない。
 もちろん作者が「著作権違反(無断転写)」を訴え、そのため「非公開」に設定されたということも「理論的」にはありうるが、現実的には、絶対にない。もう何度もベルモンテの作品は紹介してきているし、今度の作品は近く出版する本にも掲載する。それはベルモンテも知っている。

 いま、いやあな気持ちでこれを書いているのは。
 いったいだれが、ベルモンテの作品を「わいせつ」と判断したかということだ。なぜ、そう判断したか、ということだ。
 判断した人は、少なくとも私の書いた文章を読んでいない。写真しか見ていない。文章を読めば、それが「彫刻」であるとわかる。性器を露出した男の彫刻なら、世界にいくつでもある。ミケランジェロのダビデ像はあまりにも有名だ。だれもがその写真を撮るだけではなく、自分の姿といっしょに一枚に収めたりする。

 goo ブログの投稿が、一日当たりいったい何件あるか知らないが、私のような読者のすくないページをgoo 事務局がいちいち閲覧しているとは考えにくい。
 読者のだれかが「通報」したのかもしれない。それはそれでかまわないが、通報する限りは、文章も読み、アップされている写真が「実際の人間」のものか、「彫刻」かくらいは理解してほしい。goo 事務局も、「通報」があったから「非公開」にするというのではなく、「通報」が正しいかどうか、きちんと判断してほしい。さらに、どこに問題があるのか「規約違反」と言うだけではなく、具体的に指摘しないと意味がないだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弔問外交とは?

2022-09-02 09:07:46 | 考える日記

 ゴルバチョフが死んで、また「弔問外交」ということばが飛び交ったが……。
 安倍の「国葬」のときほどは疑問に思わない。安倍の「国葬」での弔問外交って、いったい何? たしか岸田が「弔問外交のチャンス(?)」というようなことを言っていたと思うけれど。
 何が疑問かというと、弔問外交というのは、弔問に行って、そこでなかなか会えない人と会い、交渉するということだと思う。
 たとえばゴルバチョフの「国葬」があると仮定する。岸田が参列する、と仮定する。バイデンも習近平も来る。そこで3人がことばを交わす。これは、たしかにチャンスだね。プーチンとも話せたら、それはすごいなあ、と思う。
 でも、これって「弔問」というくらいだから、「弔問」に行ったひとのすることだね。
 安倍の「国葬」。だれが来るか知らないけれど、岸田が、やってきた人たちと会談できるのか。たとえば、プーチン、バイデン、習近平、だれかわからないけれどイギリスの新首相が弔問に来たとして、岸田は、そのひとたちとどうやって会う? 時間調整は? 100国から弔問が来たとしたら、どう処理する?
 「喪主」ではないが、「国葬」の責任者(?)である岸田が、弔問客と会談している時間なんかあるのか。もちろん岸田以外の閣僚が会談するということも含めて「弔問外交」と呼ぶのだとしても、日本のだれかが外国のだれかと会うこと、そこで何らかの「会談の成果」が産まれるなんていうことは、まあ、考えられないね。

 簡単に言い直せば。
 ふつうの葬儀でも(私は、自分の肉親の葬儀を含めて、まだ10回くらいしか葬儀を体験していないので、実態を知らないのだが)、弔問に行って、遺族(喪主家族)と会談するというのはなかなか少ないのではないか。たいていは、そこで会った旧友、知人と「せっかく会ったのだからちょっと話そうか(飲もうか)」が「弔問外交」ではないのか。
 一般の葬儀とは違うが、「主催者側」に「外交/交流」をしている時間的余裕があるとは、私は想像できない。
 つまり。
 岸田は「弔問外交」の機会というけれど、岸田がほんとうにどこかの国の首脳と会談して、そこで何らかの「成果」をあげることができるのか。せいぜいが「私が日本の首相の岸田です」と言うことくらいしかできないだろう。まあ、顔合わせをして、名前を言う、つまり「面識」をつくるということが「外交」の「成果」と言うのがそれはそれでかまわないが、そんなことをしないと岸田であることを知ってもらえないのだとしたら、それこそ問題だろう。「存在感」がないということを証明するものだ。
 私は、ばかだから、他人のことばをそのまま信じたりはしない。
 安倍の「国葬」も、「国葬」なんかではない。国会で審議して、実施するわけではないのだから。岸田が発案し(?)、閣議で決定したのだから、「閣議葬」にしかすぎない。そこに税金をつぎこむのは、職権の濫用だ。
 でも、その岸田の職権が、はたして「弔問外交」で発揮できるか。岸田はバイデンと会談することに「閣議決定した」というようなことは、できないね。さらに、バイデンはこなかったがマバマが来たので(来ないだろうけどね)、岸田・オバマ会談を「日米首脳会談である、と閣議決定した」なんていうことがありうるわけがない。
 岸田に対して、「それはおかしい。そんなことは認めるわけにはいかない」と、だれも言わないから「閣議決定」が通ってしまう。これは、言い直せば、岸田が国民を支配していると思っているからだろう。バイデンやオバマに対して「日米首脳会談を閣議決定した」と主張し、「だから国葬に参列しろ」とは言えないでしょ?
 こんなことを書くと、アメリカ相手と、国民相手では「条件」が違う、というかもしれないなあ。そんなことは知っている。しかし、アメリカを相手にするとき、それなりの「手続き」が必要だというのなら、国民を相手にするときも、ちゃんとした「手続き」が必要なのだ。日本は「議院内閣制」の国なのだから、国会で審議し、その決定に従うという「手続き」が必要なのだ。
 「手続き」を踏まないことを、「独裁」と呼ぶ。
 安倍の「国葬」は、「独裁」の具体的な始まりなのだ。あの戦争法でさえ、国会で審議し、議決している。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな記事の大きな罠(読売新聞の情報操作の仕方)

2022-08-30 10:37:25 | 考える日記

 中国周辺海域で起きていることに関する小さな記事(2面、1段見出し)が2022年08月29日、30日の読売新聞(西部版)につづけて載っている。
 前半が08月30日の記事、後半(*以降)が31日の記事。
↓↓↓
【ワシントン=蒔田一彦】米海軍第7艦隊は、ミサイル巡洋艦2隻が台湾海峡を現地時間28日に通過したと発表した。ナンシー・ペロシ米下院議長が今月2、3日に台湾を訪問して以降、米艦艇の台湾海峡通過は初めてだ。報道担当者は声明で、「米軍は国際法が許す限りどこでも飛行し、航行し、活動する」と強調した。
 ミサイル巡洋艦のアンティータム、チャンセラーズビルの2隻が通過した。報道担当者は「国際法にのっとって航行の自由が適用される海域での定例の通過を行った」とし、「自由で開かれたインド太平洋への米国の関与を示すものだ」と説明した。

 防衛省は29日、中国海軍の情報収集艦1隻が28日に沖縄県の沖縄本島と宮古島の間を南下し、太平洋に入ったと発表した。領海侵犯はなかった。
↑↑↑
 何が問題か。
①米海軍第7艦隊は、ミサイル巡洋艦2隻が台湾海峡を現地時間28日に通過した
②中国海軍の情報収集艦1隻が28日に沖縄県の沖縄本島と宮古島の間を南下し、太平洋に入った
 ①と②は、同じ日に起きている。しかし、①のニュースはアメリカ発にもかかわらず29日の新聞、②は防衛省が発表しているのに一日遅れ。防衛省の発表が遅かった、というかもしれないが。
 でも、日本の領海近くを通ることが問題なら(危険なら)、その情報はいち早く発表、報道すべきだろう。なぜ、一日遅れ? ②に、国際法上の問題点がない(なんら違法性がない)から、そんなことをいちいち報道しなくてもいい、と判断しているからだろう。
 で、ここから次の問題が起きてくる。
 「米軍は国際法が許す限りどこでも飛行し、航行し、活動する」「国際法にのっとって航行の自由が適用される海域での定例の通過を行った」というのが、アメリカの主張なら、中国だって「中国軍は国際法が許す限りどこでも飛行し、航行し、活動する」「国際法にのっとって航行の自由が適用される海域での定例の通過を行った」と言うだろう。「主語」を変えれば、アメリカの主張と中国の主張はまったく同じ。
 なぜ、アメリカの主張にだけ「自由で開かれたインド太平洋への米国の関与を示すものだ」という「理由」がつけくわえられるのか。中国だって「自由で開かれたインド太平洋への中国の関与を示すものだ」と言えるだろう。同じ論理が展開できるはずである。

 なぜ、読売新聞はアメリカの主張だけを記事にするのか。中国の主張を記事にすれば、主張の違いがアメリカと中国の間にはないということがわかるからである。「法的根拠、主張」が同じであるということを読者に知られたくないのである。つまり、アメリカは正しいが、中国は悪い、ということを「印象づけたい」のである。
 こういうことは、30日の紙面にあるもうひとつの記事と比較すればわかる。
↓↓↓
 海上保安庁は29日、長崎県沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で海洋調査をしていた同庁の測量船が、韓国海洋警察庁から調査中止を要求されたと発表した。日本政府は、不当な要求だとして外交ルートを通じて韓国政府に抗議した。(略)(日本の測量船・平洋は)韓国海洋警察庁から「韓国の海域での調査は違法。直ちに退去せよ」と求められた。平洋は「日本のEEZにおける正当な調査」と回答。
↑↑↑
 韓国と日本の「主張」が併記されている。「日本の排他的経済水域」なのか「韓国の海域」なのか、私にはわからないが、まあ、接近しているのだろう。どちらが正しいか、私には判断できない。たぶん、読売新聞にも判断できない。だから両者の主張を「併記」している。
 ところが、「あいまいな海域」ではなく「国際海峡(で、よかったかな?)」を通行することに対して、一方は「主張」を正当化するように報道し、他方は危険な行動をしているように報道する。これは、どうしたって「不公平」というものだろう。
 アメリカ軍が「狭い」台湾海峡を通るのなら、中国が「広い」太平洋を航行したって問題はないだろう。なにもアメリカの西海岸にまで中国の艦艇が行ったというのではないのだ。
 中国は、アメリカ西岸近くまで艦艇を航行させたって「国際法」には違反しない。燃料のむだと、アメリカからの反発があるだけだろう。アメリカ西岸へ艦艇を集結させるかもしれない。
 そうであるなら、中国は、やはりアメリカ軍が中国大陸の近くまで航行してきていることを不快に思うだろう。それに反発するのは当然だろう。
 中国が嫌いは嫌いとして、それは読売新聞の「感情」。国際法上問題がないのなら、はっきりそう報道しないといけない。「領海侵犯はなかった」なら、それはニュースではないのだ。「宣伝」のための情報なのだ。一方にだけ「正当化」の理由を語らせ、他方には何も言わせないというのは、一方だけが「正当」であると宣伝するのと同じだ。
 小さな記事の積み重ねが、大きな「情報操作」になる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家公務員は憲法を読まないのか

2022-08-27 08:45:30 | 考える日記

ツイッターで、驚くべき発言を読んだ。

https://twitter.com/emil418/status/1562022901272150016?s=20&t=bfRp4xAljrgyFmmbSo3wZQ&fbclid=IwAR37g-1cje5KFDHlKQ5n6gfBYuA4SgghpgIG92Cwi7ODy0PCl1kwVbDXkDI 

 内閣法制局の職員が、「全国民が反対しても、閣議決定すれば国葬ができるのか」と問われて「できる」と答えている。
 このひとは、憲法を読んだことがあるのか。
 国家公務員になるとき、憲法を読まなくてもいいのか。国家公務員は、憲法に違反していいのか。

 日本は議会制民主主義の国である。
 行政(内閣)は、議会の信任(国民の信任)がなければ、その権力を行使することができない。
 法的な根拠がない限り、何もできない。
 「戦争法」を初めとするさまざまな法律でさえ、ちゃんと国会で議論し、それを成立させている。私は、安倍が強引に成立させた法律に賛成ではないが、それでも、それらは国会審議を経ている。
 ところが安倍の国葬は国会審議を経ていない。

 閣議決定をするかしないか、というよりも、閣議決定と国会審議(国会決議)の、どちらを優先するかが問題である。
 国にとってのいちばん大事な「予算」は、どうやって成立するか。
 最終的に、国会で可決されているではないか。

 ツイッターで紹介されている「議論」は、その後、どう展開したのかわからないが、質問しただれか(議員の名前を私は知らない)は、その後、どうしたのか。
 内閣法制局職員の言っていることが、国会軽視にあたり、憲法違反であると指摘したのか。法制局が憲法違反を推進していいのか。

 答えた職員は、権力(安倍-岸田、まだ安倍は生きているみたいだ)に嫌われて、昇進できなくなることが、そんなに怖いのか。ただ出世して、金をもうけるために国家公務員になったのか。何年も生きてきて、それだけしか学んでいないのか。
 個人的攻撃は意味を持たないかもしれないが、あまりにもひどい職員である。
 きっと学校の成績は優秀だったのだろう。国家公務員の試験の成績も優秀だったのだろう。「試験」は出題者の意向にあわせた解答をしないかぎり「正解」にはならない。ただひたすら、自分より上の存在(権力)の意向を的確につかみとり、それに自分の考えをあわせることに専念してきた人間なのだろう。
 そういうひとは、権力者がいなくなったら、どう生きるつもり?
 だれも、指示する人がいなくなったら、どうするつもり?
 安倍は死んだ、岸田もたぶん、この回答者よりも先に死ぬだろう。そのとき、だれの指示を待つのか。退職したあとは、だれの指示に従っていきるつもりなのか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木清「人生論ノート」の読み方。(習慣について、から)

2022-08-25 20:58:33 | 考える日記
修養(する)ということば、定義できます?
三木清の「人生論ノート」の「習慣について」のなかに修養ということばが出てくる。(全集、228ページ)
もちろん18歳のイタリア人は、その意味を知らない。
どうするか。
修養、ということばが出てきた文章を丁寧に読んでいく。
そのことばは一緒につかわれたことばは何か。
一緒につかわれていることばは、また別のことばといっしょにつかわれている。
これを、因数分解をするみたいに、組み合わせたり、ときほぐしたり。
そうこうするうちに、ちゃんと「道徳」と結びつけることができる。
大感激してしまった。
授業のあと、別の先生に、18歳の青年が、どうやって「修養」を理解したか、話さずにはいられなかった。
正直な話、辞書をつかわず、書かれていることばだけを手がかりに、意味を把握するというのは、日本人にもむずかしい。
でも、それをやってしまう。
*
きょうやったのは、まず前回の復習。
「習慣について」の最初の段落を読み返す。
形、が何回も出てくる。
あらゆる生命あるものは形をもっている
生命とは形である
習慣はそれによって行為に形ができてくる
習慣は単に空間的な形ではない
空間的な形は死んだもの
習慣はこれに反して生きた形
弁証法的な形である
生命的な形ができてくる
形をつくるという生命に内的な本質的な作用に属している
ここから、
生命=形(生きた形)
行為=形(弁証法的形)
ならば、
生命=行為(習慣)=弁証法=「形をつくる」
言い直せば、
習慣(人間の行為)は、人間(命)の形をつくること
それは空間的であるだけではなく、時間的なこと。生きること。
これを、まずしっかり理解する。記憶する。
 
つぎに、三木清が「形をつくる」というような表現を、どういうときにつかっているかを探す。
第一段落には書いていないが、「生きる=形をつくる」は、結局「道徳」をつくる(徳を身につけること)というのがわかる。
 
「修養」が登場する部分には「つくる」に関係することばとして、「技術」が出てくる。
修養というものはかような技術である
「技術」をつかった文章に
意識的に技術的にするところに道徳がある
すべての道徳には技術的なものがある
ここで道徳と技術(つくる)が結びつく。
意識的に技術を身につけるように、道徳を意識の技術として身につける。
この技術をみにつける過程が「修養」。
このための「訓練(練習)」のようなものが「修養」。
 
これが「修養」の定義(三木清の定義)。

こういう論理を18歳のイタリア人が展開する。
びっくりするでしょ?
私は、そのときどき、少しずつヒントを出すが、考えるのはあくまて18歳の青年。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のための世論調査?(読売新聞の記事の書き方/読み方)

2022-08-25 17:12:38 | 考える日記

 2022年08月25日の読売新聞(西部版・14版)一面に、「読売・早大協同世論調査」の記事。「「岸田首相は改憲派」50%/原発再稼働 賛成58%」という見出し。統一教会問題で世の中が騒いでいるときに、この世論調査は何? なぜ、内閣支持率がない? 「詳報」を読むと、支持するは61%ある。それを見出しに取らないのは、なぜ?
 からくりがある。
↓↓↓
 読売新聞社と早稲田大学先端社会科学研究所は全国の有権者3000人を対象に世論調査(郵送方式。回答率69%)を共同実施し、岸田首相のイメージを多面的に探った。有権者の50%が首相を「改憲派」とみており、「護憲派」との回答は39%だった。(略)規制基準を満たした原子力発電所の運転再開については、「賛成」58%が「反対」39%を上回り、同じ質問を始めた2017年以降、計5回の調査で初めて賛否が逆転した。
↑↑↑
 いつ調査したのか、書いていない。「詳報」が14・15面に掲載されているが、その前文は
↓↓↓
 読売新聞社と早大先端社会科学研究所が共同実施した全国世論調査(郵送方式)では、岸田内閣への支持は、実績よりも、「ハト派」と「タカ派」の顔をうまく使い分ける岸田首相のイメージが先行したものであることが読み取れた。ロシアのウクライナ侵略などによる安全保障環境の変化も内閣支持率にプラスに働いていた。
↑↑↑
 ここにも、書いてない。「新聞」は、「いつ」が重要だ。隅から隅まで読んで、「調査方法」というのを見つけた。
↓↓↓
 全国の有権者から無作為に3000人(250地点、層化2段無作為地抽出法)を選び、郵送法で実施した。7月11日に調査票を対象者に郵送し、8月17日までに返送されたのは2138。
↑↑↑
 つまり、これは岸田内閣の改造(8月10日)前に郵送された質問への「回答/分析」なのである。何のために? たぶん、岸田が9月に行うといわれていた内閣改造をにらんで、岸田をアピールするための世論調査だったのだ。しかし、調査票を送ったあと、そしてその回答締め切り前に内閣改造があり、統一教会問題が拡大し、何がテーマなのか、わけのわからない世論調査になってしまったのだ。
 内閣改造後の世論調査はどうだったか。8月11日の記事には、こうある。(ウェブサイトhttps://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20220811-OYT1T50203/ )
↓↓↓
内閣支持下落51%、旧統一教会対応「不十分」55%…読売緊急世論調査(見出し)
 読売新聞社は第2次岸田改造内閣が発足した10日から11日にかけて緊急全国世論調査を実施した。岸田内閣の支持率は、改造直前の前回調査(今月5~7日実施)から6ポイント下落の51%となり過去最低となった。不支持率は34%(前回32%)と過去最高だった。
 岸田首相が新閣僚らに対し、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)との関係を自ら点検し、見直すよう求めたことについて、十分な対応だと「思わない」は55%と半数を超えた。
↑↑↑
 今回、支持率を「61%」と書いてしまうと、調査結果としては「正しい」が、いまの実態とあわないかもしれないから、書かなかったのだ。
 ということは。
 私は、今回の世論調査について、先に「何がテーマなのか、わけのわからない世論調査」と書いたが、時系列を整理し直すと、「わけがわかる」調査の結果報告である。
 つまり
①8月10日に岸田内閣改造が行われた。その直後の世論調査では内閣支持率が6%下がった。
②統一教会問題も、どんどん拡大している。いま再び世論調査をすれば、内閣支持率はもっと下がるかもしれない。(これは、私の予測である。)先日の毎日新聞の世論調査では支持率が36%と急落した(8月20、21日調査)。
③改造前に調査票を送った世論調査を利用できないか。なんとか岸田をアピールすることはできないか。
 その「狙い」のもとに「岸田のイメージづくり」(イメージ再確認)が行われているのだ。
 前文に、「岸田内閣への支持は、実績よりも、「ハト派」と「タカ派」の顔をうまく使い分ける岸田首相のイメージが先行したものであることが読み取れた。」と書いてあった。この文章を、まっとうに読めば、イメージが先行しているだけで、実績はひどいものである、ということになるが、読売新聞は、けっして、そうは書かない。14面の見出しは、こう書いてある。

内閣支持 イメージ先行/岸田像「クリーン」「敵少ない」

 これを読めば、ふつうは、岸田はクリーンだ、敵が少ない、そのことが内閣支持を支えている、と読める。
 ここで「クリーン」とういうことばが選ばれたのは、まあ、実際にイメージとして「クリーン」を選んだのが38%だったからなのだが、それがほんとうに岸田の「イメージ」なのか、記事を読むと、ぜんぜんわからない。安倍や菅を「クリーン」と感じる人より、岸田が「クリーン」と感じる人が多いというだけである。
 いま、統一教会との関係が週刊誌をにぎわしている。なんとしても、岸田は「クリーン」をアピールしたいのだ。
 一面に、「クリーン」ということばをとるのは、さすがにまずいと思ったのだろうが、なんとしても「クリーン」を打ち出したくて、わざわざ特別面で見出しにとっているのだ。
 いま調査すれば、まったく違う数字になることはわかっている(つまり、調査内容は向こうということ、はわかっている)。
↓↓↓
 岸田内閣の支持率は、8月の内閣改造後に実施した電話方式の調査で51%となり、7月の参院選の直後の65%から大幅に下落した。今回の調査は、急落する前の回答が大半を占めるため、支持率は61%だった。岸田首相を「クリーン」と考える人に限ると内閣支持率は77%に上り、首相の「清潔なイメージ」は支持を下支えする要素の一つといえる。
↑↑↑↑↑↑
 記事には、今回の61%なの、「急落する前の回答が大半を占める」ためと書いてある。そうであるなら、「クリーン」というイメージも、支持率が急落する前のイメージにすぎない。けれど、その急落する前のイメージであることを無視して、「クリーン」を最前面に打ち出している。
 なんとも、ずるいというか、ここまでして岸田にすりよらなければならない理由が、私にはわからない。
 「支持率は61%」という調査内容が「無効」なら、その後の回答も無効である。状況の変化を知らない段階で、答えた世論調査にすぎない。こんな調査結果の公表の仕方では、調査に回答した人の意識も反映したことにならないし、こんな公表の仕方で読者から金を取るのはサギだろう。「間違い」(事実と違うこと)は、どこにも書いていない。しかし、そこに書かれていることが、「いま」を反映しているかというと、そうではない。そこにいちばん大きな問題がある。それを知っているからこそ、読売新聞は「いつ」を誰にもかわらないところに隠すように書いている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする