意識して リッツォス(中井久夫訳)
断る。断るともう一度彼は言う。断る。断る。
着物を裏返しに着る。
自分のコップを逆さまにする。
その水を裏返す。死を裏返す。
靴を手に履く。
手袋を足にはめる。
「嘘を吐くな」と連中は彼に言う。奴等は怒る。
女が三人、バルコニーで笑う。
彼は返事をせぬ。身じろぎもせぬ。
蠅が彼の頬に止まっている。
三人の女が露台で笑う。
女たちは若い。衣ずれの音。彼のほんとうに聞きたいものだ。
*
この作品にも何の説明もない。登場人物は「彼」、「連中」(奴等)、「女が三人」。何があったのか何も説明はない。ただ、「彼」がいまの状況に満足していないことがわかる。
「彼」は若い女とセックスがしたいのかもしれない。そして、「連中」はそうしろと唆しているかもしれない。からかわれているのである。女たちも、いっしょになってからかっている。彼を見つめ、わらっている。どんな反応をするか、見ている。
彼は何もできない。頬に止まった蠅を払いのけることさえできない。ただ、衣擦れの音を、幻のように聞いている。その音に意識を集中させている。ほかのことはすべて拒絶して。
1行目の、「断る。」の繰り返しがいい。「もう一度」がいい。何度繰り返しても、それは何度目かではなく、彼にとっては「もう一度」なのである。それしか、彼には思いつくことばがない。その純粋さ、純情さが、美しい。
何もかも反対にして、自分を、その場から拒絶している。
断る。断るともう一度彼は言う。断る。断る。
着物を裏返しに着る。
自分のコップを逆さまにする。
その水を裏返す。死を裏返す。
靴を手に履く。
手袋を足にはめる。
「嘘を吐くな」と連中は彼に言う。奴等は怒る。
女が三人、バルコニーで笑う。
彼は返事をせぬ。身じろぎもせぬ。
蠅が彼の頬に止まっている。
三人の女が露台で笑う。
女たちは若い。衣ずれの音。彼のほんとうに聞きたいものだ。
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この作品にも何の説明もない。登場人物は「彼」、「連中」(奴等)、「女が三人」。何があったのか何も説明はない。ただ、「彼」がいまの状況に満足していないことがわかる。
「彼」は若い女とセックスがしたいのかもしれない。そして、「連中」はそうしろと唆しているかもしれない。からかわれているのである。女たちも、いっしょになってからかっている。彼を見つめ、わらっている。どんな反応をするか、見ている。
彼は何もできない。頬に止まった蠅を払いのけることさえできない。ただ、衣擦れの音を、幻のように聞いている。その音に意識を集中させている。ほかのことはすべて拒絶して。
1行目の、「断る。」の繰り返しがいい。「もう一度」がいい。何度繰り返しても、それは何度目かではなく、彼にとっては「もう一度」なのである。それしか、彼には思いつくことばがない。その純粋さ、純情さが、美しい。
何もかも反対にして、自分を、その場から拒絶している。