詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

洞口英夫『一滴の水滴が小鳥になる』

2024-07-30 21:22:28 | 詩集

 

洞口英夫『一滴の水滴が小鳥になる』(思潮社、202407月20日発行)

 洞口英夫『一滴の水が小鳥になる』はタイトルが魅力的だ。そのタイトルになっている作品。

一滴の水滴が
小鳥になる
私の死んだあとに
まるいとうめいな
球が出現して
その中に小さな私が
はいっていて
どこへともなく
とんでいった

一滴の水滴が
小鳥になる

 一滴の水がどうして小鳥になるのか。なんの「説明」もないのが、とてもおもしろい。夢を見た、その夢をそのままことばにした感じ。論理で、見たものを補足しようとしていない。何も補うことができないのだ。補えば、そこから嘘がはじまる。
 そのままにしている。何もしない。これは、簡単なようで、なかなかむずかしい。この「そのままにしている」というのは、「コスモス」では、こう書かれている。

コスモスが
風にゆれている
それだけで いい

道ばたに
青い小さな花が
咲いている
それだけで いい

みなそのままで いい
私は私のまま
いなくなる
それで いい

人にふまれても
咲いているタンポポそれでも
そのままで いい

いつか地球が
なくなる
いつか地球がほろびて
宇宙になる

 「それだけで いい」は「そのままで いい」と三連目で言いなおされている。だから、私が先に書いた「そのままにしている」というのは、たぶん「それだけで いい」と通じるだろう。
 何もしなければ、世界は(宇宙は)完璧なのだろう。宇宙自身の「理」というか「法」として、そこにあることになるのだろう。
 最終連の、最後、そこには「それだけで いい」が省略されているのか、それとも、最初から「ない」のか。
 たぶん「ない」のである。最後に「それだけで いい」と書き加えると、それはやっぱり「結論」のようなってしまうので、何もないのがいい。「それだけで いい」は洞口の「納得」のなかにあれば、それでいい。読者が肉体のなかでことばが動けば、それでいい。何も書かないことが「それだけで いい」を誘うのである。
  「それだけで いい」「そのままで いい」、つまり「何もしない」は「餓鬼」では、こう書かれている。「私」が「修業」している山の上に、「餓鬼」が攀じ登ってくる。それが、こわい。しかし、

私がここで
何か一ツでも、心にもない行為したら
終りだとおもって
私はじっと魂にしたがった
そしてじっとがまんしてたら
餓鬼共は皆谷底に落ちていった

 「何もしない」を「心にもない行為(を)したら」と言いなおしているのだが、これは、いいなあ。そうなのだ。人間はいつでも「何かをしよう」としたら「心にもない行為」になってしまうのだ。だから、「こころ」を動かさない。「そのままで いい」(それだけで いい)。「一滴の水滴が……」で私がつけくわえた「何も補わない」というのは、「こころにもないことば」をつけくわえないということである。補足しようと思ったときから、それは「こころにもない(こころが、その瞬間にうけとめたものとは違ったもの/こころがつくりだしたもの)」になってしまう。ことばは、こころを「飾る嘘」になってしまうことがある。だから、何もつけくわえない。「そのまま」にしておく。
 この世界につながるのが「くるみ」。

たにまのくるみの
樹の枝が
 川の流れのある方に
  枝を伸ばしていって
    たねを落とすように
人はいつか
 永遠の流れにのびていって命を落す

 「くるみ」の描写、木、枝、たね(実)の描写がとても美しい。私は、私の故郷にあるくるみの木を思い出す。川岸にあって、そのくるみは確かに川の法に枝をのばしている。川で泳いでいると、くるみの実が落ちて、岩に当たる。そこにとどまったままの実もあれば、流れにのって、どこかへ行ってしまうものもある。それは「無常」の世界かどうかしらないが、私はこの詩を読みながら、故郷の、あのくるみの木になった気持ちになった。そこに川の流れがあるから、そこに枝を伸ばす。それから先は考えない。そのくるみの木が、私には忘れることができない。

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