クリストファー・ザラ監督「型破りな教室」(★★★★)(KBCシネマ、スクリーン2、2024年12月27日)
監督 クリストファー・ザラ 出演 エウヘニオ・デルベス、ダニエル・ハダッド、ジェニファー・トレホ、ダニーロ・グアルディオラ、ミア・フェルナンダ・ソリス
「いつも心に太陽を」(ジェームズ・クラベル監督、シドニー・ポワチエ主演)のメキシコ版、小学校版といえばいいのかもしれない。
映画の中に、妹か弟かわからないが、幼い兄弟が生まれたために学校へ通うことを断念する少女が出てくるが、私は、なんとなく自分の小学生時代に重ねて見てしまった。私は末っ子で兄たちとは年が離れていたこと、病弱で農作業の手伝いをあまりできなかったことが重なり、兄たちの子供(私の甥、姪)の子守をすることが多かった。あやすのはもちろん、ミルクをやる、襁褓を換えるのも得意である。(甥、姪が生まれたころ、いちばん年の近い姉は中学を卒業しており、集団就職で、すでに家にはいなかったから、そういう仕事がまわってきたのである。)
また、父の弟の息子(いとこ)のことも思い出した。彼はとても優秀な成績だったのだが、父親が胃がんで死んだため、中学を卒業すると地元の小さな工場に就職した。母と弟ふたりをおいて都会に就職することはむずかしかった。田畑の仕事をする人間がいなくなるからである。そのとき、彼がどんなことを考えていたか、私は知らない。葬儀やなにかで帰省し、会ったとき「家に遊びにきて、板戸に『海外特派員になりたい』と落書きしていったのが、まだ残っている」などとからかわれたりするから、彼もまた、そういう夢をもっていたのかもしれない。
私は病弱ということもあって(とても30歳までは生きられないだろうと思っていたこともあって)、高校へは進学したが、大学へいくことなど考えていなかった。兄弟だけではなく、親類のなかでも高校へ進学したのは、私が最初だった。とても貧しかったのである。
学校は好きではなかったが、忘れられないことがひとつある。小学校には、図書室というか、本棚を置いた部屋があり、そこにはずらりと本が並んでいた。その本は、なんでも、故郷の市出身のひとが、東京でベビー用品の会社を経営し、その利益を故郷に還元するために、各小学校に毎年本を贈っている。その本だという。「シートン動物記」の全巻を読んだのを覚えている。読んだ本のことはほとんど忘れているが、その本を贈ってくれた見知らぬひとのことは、どうしても忘れられない。いつかは、そういうひとになりたいとも思った。そのひとがいなかったら、本を読む喜びを知らなかった。とても感謝している。
いま思い返せば、あのころから私は本が好きだったのだと思う。でも、なかなか本を読むことはできなかった。仕事をするようになって、本が買えるようになって、将来は本を読んで暮らしたいと夢みていたが、いまは視力が低下して読むのがむずかしい。
そんなこともあって。
この映画では、私は、学校へ行くことを中断した少女のことがとても気になる。あのあと少女は、子守から解放されて、好きな本を読むことができるようになったのだろうか。本を読みながら、自分のことばをみつけ、何かを語り始めただろうか。どうか、そうあってほしいと願わずにはいられない。
本を読むことは、ことばを知ること。考えるということを学ぶこと。
そこからちょっと進んで、もうひとつ、この映画でどうしても忘れられないのが、廃品を回収し、そこから金目のものを売って生活している父娘の、その父のことである。彼は娘の才能に気がついていない。娘に夢を見させても、結局、この現実にもどってくるしかない。夢を見た分だけ、傷が深くなると感じている。ところが、娘が望遠鏡を自分でつくったこと、一生懸命勉強していたことを知る。ああ、この娘の夢をかなえてやりたいと思う。(「リトル・ダンサー/ビリア・エリオット」の父親のよう。)だが、どうしていいかわからない。娘に語りかけることばもみつからず、泣いてしまう。
あのとき、あの父親の「肉体」のなかで、どんな「ことば」が動いていたのだろう。
人間なのだから、だれもが思想(ことば)をもっている。その「ことば」を、どうして私は聞き取れないのだろう、と悔しくなる。あの父親の「ことば」にならない声を、「ことば」にできたらどんなにいいだろうと思う。あの父親は、こういいたかったのだ、と「代弁」できたら、どんなにうれしいだろう。その「ことば」を少女に聞かせてやりたい。私が代弁しなくても、少女はちゃんと父親の「ことば」を聞き取っている。受け止めている。それがわかるからこそ、私は悔しくなる。その父親の「ことば」をきちんとすくいとれない私の「ことば」というものは、とてもつまらない「ことば」にすぎないのだ。少女は、ちゃんと「ことば」を聞き取る耳(肉体)をもっているのに、私には、それがない。
これは、私自身の父や母についても思うのである。人間だから、幸せになることを願って生きていたと思う。その父や母の、声にしなかった「ことば」を、私は語ることができない。もうすぐ父が死んだ年齢に近づく。肺がんで死んだ兄は、死ぬ前に「父が死んだ年と同じだ」と言ったが、ああ、そうなのか、我が家の男の寿命は、その年なのかと思った。同時に、父と兄は、仲がいい関係には見えなかったが、死ぬ前に父のことを思い出しているなら、そしてそこから兄自身のことを思っているなら、やはりどこかで「ことば」を共有していたのだとも思う。
私はいったいどんな「ことば」を両親と共有しているのだろうか。共有しているとしたら、それをどんなふうに表現できるだろうか、とも考えてしまう。
書きたいことだけ書いて、ふっと思い出せば。
この映画では、いろいろなことばを先生と生徒が、そして生徒同士が「共有」している。たとえば、ものの「密度」。体積と、体重。「密度」をはかるためには、どうすればいいか。数字も、計算も、みんな「ことば」。担任の先生が沈んだ水をためたおけ、校長先生も沈んだおけ、そのときの7センチと10センチの水位の高さの差。そして、そのときの水の輝き。それも「ことば」。共有できる「ことば」を求めあう、その共有のたしかさを確認するのが学校というものなのだろう。
これは「いつも心に太陽を」でも、あったなあ。最初、ポルノグラフィーを読ませる。生徒が興奮しながら「ことば」を、あるいは「読む」ことを身につけていく。ある日、「チャタレイ夫人の恋人」を読ませる。すると生徒が「なんてきれいなことばだ」と声を漏らしてしまう。「ことば」は共有するためにある。
そして、また、思うのである。私は和辻哲郎やプラトンの「ことば」が好きだが、そうしたことばを読みながら、やっぱり父と母につながる「ことば」を探している。「ことば」を探すために、生んでくれたのだと思うのである。