goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

冬の枝

2016-02-14 00:57:53 | 
冬の枝

西脇が通りかかってまげたのか、その枝は雨のなかでねじくれている、という文章に落ち着くまでに、「暗くなった庭」と「暗くなった路地」ということばが消された。「冬の」ということばは、消され、もどされ、もう一度消されたが、まだ意識の底に残っている。

「太陽がかげると光の反射に拒絶されていた木々の姿がその窓に還って来る」という文章は長い間放置された。風が吹き、季節が動いた。緑は枯れて、裸になった。そのあとで「木々は窓ガラスをすり抜けて部屋のなかに侵入し、部屋のなかにとじこもって立ち並び、遠い空を見つめているように見える」ということばに反転した。

精神は、小さな棚に置かれた薬箱を見つける。瓶の底に胃腸薬の錠剤が数個残っていた、という日記を、「薬箱を開けると胃腸薬の匂いがした」と書き直すのは、匂いが鼻腔を通る瞬間を思い出したからだ。オブラートということばが、溶けかかった形でと顎のあいだに挟まった。
だめだ。このままでは、この部屋からことばは出ていけなくなる。

数日後。

西脇が通りかかってまげたのか、その枝は雨のなかでねじくれている、という文章は、「色をふかくした」の内部を破り、「古い剛さ」という線になった。「傷つく」かわりに、透きとおった冷気にひびをいれ、「破裂させた」という動詞と結合した。石垣ではさまれた坂のところに歩いていく男の、裾で冬の音が散らばるように。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 井戸川射子「川をすくう」 | トップ | 佐藤裕子「何処かでお会いし... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事