詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

杉惠美子「うごく」ほか

2024-04-08 22:56:42 | 現代詩講座

杉惠美子「うごく」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年04月01日)

 受講生の作品ほか。

うごく  杉惠美子

白木蓮の落下のあとに
寂しさはない

拡がる一筋の
ぬくもりと その気配は
春をあつめ
私の部屋へと
春を届ける

行間に落ちる
花びらが
潤いと 時の動きを告げ

遅れてやってきた
風は
少しはにかみながら
今を届ける

あらゆるものを忘れて
落ち着いた
時がうごく

 「尺八の音が聞こえてくる。精神性が落ち着いている。白木蓮の落下に春のすがすがしい空気を感じる」「一連目『特に寂しさはない』がいい。三連目の『行間に落ちる』という表現が好き」「落下ということばが具体的で強い響きを持つ。気配や時間が動く。『行間に落ちる』という表現が詩的。最終連、春らしく、ゆっくりした空気がいい」「最終連にこころを動かされた」
 三連目、時の動きと漢字で書かれているのが最終連で時がうごく、とひらがなになっている。(タイトルのひらがな)このことを、どう読むだろうか。
 「感情が変化している。深淵を感じる」「意識/無意識の対比。柔らかさ、しなやかさを感じる」「ひらがなの方が、動いている感じがわかる。漢字だと硬い」「漢字だと観念的な印象になる。行間ということばとはあっているが、最後はひらがながいい」
 「最近の詩は、以前とは違った印象がある」という声も出て、それに対しては杉は「肩の力が抜けたのかなあ」と言っていたが、「爆発力が杉さんの特徴なので、以前のような作品も読みたい」との声も。
 いろんなことばの響き、声の調子を試してみるのもおもしろいと思う。
 私は四連目がとてもおもいしろいと思う。「遅れきてた」のなかに「時」が隠れていて、「今」と重なりながら、最終連に、もう一度「時」があらわれる準備をしている。とても丁寧な「伏線」だと思う。「少しはにかみながら」がどちらかというと観念的な世界に、やわらかな肉体感覚をもたらすのもとてもいいと思う。

めざめ  青柳俊哉

空のうえで涙をながしている
胚芽のようなもの

なみなみと泳ぐ球根の芽のようなもの

無意識への、植物的な覚醒 
白く。うまれたばかりのわたし

淡く すがすがしく涙をながして
空をながれる 

ふかふかのタンポポの帽子を被り 裸足のまま
時が根をおろさない風のようなもの

わたしの中から森や川や海をあふれさせて
岩々の嶺をくぐる 空から空へ

吹きぬけていくまっすぐな雪

 「三連目、『白く。』という表記に注目した。六連目にはばたこうとする大きな意思を感じた」「タイトルについて考えた。最後に雪が出てきて、雪のことを書いているだとわかった。そして、こどもがはじめてる見る雪の印象をおとなのことばで書いているのだとおもった」「みずみずしさ、透明さを感じた。三連目の『白く。』は印象的」
 そうした意見のなかで、こんな発言。
 「最後の雪がないほうが好きだなあ。ないと、雪だとわからないけれど」
 これは、とてもおもしろい。考えてみたい問題である。何かを読むとき、どうしても「わかる」を求めてしまう。しかし、「わからない」というのもとても大事。「わかる」と「わかった」と思って、すばやく通りすぎてしまうことがある。「わからない」につまずき、それが間接的に「通りすぎる」意識を覚醒させてくれる。
 この詩に登場した句点「。」も、素通りしそうになる意識を覚醒させてくる。句読点というのは不思議なもので、そこには書き手の「呼吸」があらわれる。「呼吸」というのは、無意識の場合が多いのだけれど、無意識だからこそ、句読点が「誤植」されると、そこにたいていの筆者は気がつく。漢字やひらがなの「誤植」は見落としてしまうが、句読点の誤植には気がつくと、たしか五木寛之もどこかで書いていた。
 この詩の場合「白く。」が最後の「雪」ということばを結晶させているようで、とてもおもしろいと思う。

「永遠に桜なるものが われらを高きに導く」  堤隆夫

会いたいときに 会えない
人生は いつもそうだった
ふるさとの桜の花よ
そなたは今日も しとどに濡れ 
花嵐に泣いているのか
会いたい人に 会えなくて 
切なくて 苦しくて
今日も こぼれ桜の涙なのか

思いながら 散って行く
この世から 思い出だけで散って行く
わたしと桜 わたしとまだ見ぬあなた
ひとの世は 一期の花筵
泣きながら 微笑みながら 散って行く
心に秘めたひとのことを 
銀河の果てまで探し求め
泣きながら 微笑みながら 散って行く

すべて世はこともなしか? 

桜の花よ そなたは徒花だったのか

純粋ゆえに儚きものたちよ 
寂しくて散るのなら それも人生
人生の目的が 心の平安ならば
そを乱す 自らの死の想念を超え
花霞の桜川の此岸で そなたと共に 無心に舞い続け
共に闘い 桜雨に濡れながら 生き抜く 

後世のより良き人生のため 現世の不条理と闘い続ける
それこそが あらまほしき人生

 「あまりつかわないことばが多い。桜の花について、こんなに深く広くことばを展開していることに驚く。『寂しくて散るなら……』『銀河の果てまで……』が壮大な世界」「久しぶりに雄大な詩を読んだ。桜に仮託した強い意思が感じられる。最終連が強烈」「桜と人生を語る、力強く男性的な詩。『すべて世は……』が印象に残る。「こころの内を表現できるのはすばらしい。気持ちがわかる。生きる意味をこめて書いたのかなあ」
 あまりつかわれないことば。たとえば「そなた」、「そを」。その音に含まれる太く重い響きがほかの漢字のことばと強く響きあっている。全体に「漢文」の響きがあり、ことばが凝縮されているのがとても印象的だ。
 そのなかにあって、「思いながら 散って行く/この世から 思い出だけで散って行く」は「漢文体」というよりは、どちらかといえば「和文体」「ひらがな体」とでも呼びたくなるような文体だが、「思いながら」「思い出だけで」の呼応がとてもやわらかくて深い。「思い出だけで」の「で」という助詞がなんともいえず、不思議な味がする。「で」という助詞はつかいかたによっては、とても安易なものになってしまうのだが、ここでは「で」以外はありえないつかい方だ。

 以下二篇は、受講生がみんなで読むためにもってきた作品。

スズメ  やまもとあつこ

Ⓡ きのう
  公園で スズメがすわっててん

Ⓐ どこらへんで?

Ⓡ あの大きい木の横の椅子のとこで

Ⓔ スズメ 何人いてたん?

Ⓡ ひとり

Ⓒ 誰かと一緒に見たん?

Ⓡ ぼくだけ

Ⓑ なんでスズメはすわってたん?

Ⓡ それはしらんけど…
  そこに じっとおってん

  あっ そうや
  それで 近づいて
  頭 なでてん

Ⓑ えーっ
  逃げへんのん?

Ⓡ うん 逃げへんかった

Ⓒ スズメ 目つむってた?

Ⓡ 目は ぼくを見てた

Ⓛ どうやって 頭 なでたん?
Ⓡ こうやって

Ⓡは右手の人差し指一本でそっとなでてみせた

 こどもの会話を聞き書きしたような作品。いままで見たことがないスタイルに注目があつまった。「聞き書き」であったとしても、どこまでほんとうかわからない。また、こどもの話していることばが、どこまでほんとうなのかもわからない。それが、たぶん、いちばん楽しいところだと思う。
 「あっ そうや/それで 近づいて/頭 なでてん」と、突然雄弁になるところがポイントだと思う。最後の一行だけ「セリフ」ではなく描写なのだが、それが嘘だとしても、気持ちはほんとうなのだ。だから肉体が動く、というのは私の読み方だが。
 気持ちが肉体を動かすのではなく、肉体が気持ちをつくっていく。そこから、ほんとうがうまれてくる、と私は感じている。

井上ひさし「せりふ」集

「うれしい」だけでは心もとないからこそ、
「キンツバを頬張った頬っぺたを
牡丹餅で叩かれたようなうれしさ」という具合に、
比喩の突支棒をかうのだ。
大袈裟であればあるほど、突飛であればあるほど、
比喩という名の突支棒は太くなり、丈夫になり、
そして「うれしい」ということばがたしかなものになる。
                 「国語事件殺人辞典」

人は誰でも口という楽器を持つス。
                 「國語元年」
                 (スは、原文は文字が小さい)

言葉こそ、
人間を他の動物と区別する
ただひとつの
よりどころなのであります。
                 「日本人のへそ」

闇がなければこの世は闇よ。
                 「夢の裂け目」

新しいもの、うつくしいもの、
すばらしいもの、
あらゆるものがゴミになる。
それが世界のありのままのすがた。
ただし、
ただひとつの例外は、時間じゃ。
               「決定版 十一ぴきのネコ」

涙は各自(てんで)に手分けして
泣くのがいいのですよ。
                「頭痛肩こり樋口一葉」

 このなかで、どのことばがいちばん好きか。そう問いかけてみた。「涙は各自(てんで)に手分けして/泣くのがいいのですよ。」が人気があったように記憶しているが、ちょっとメモがなくなって、はっきりしない。「人は誰でも口という楽器を持つス。」はどういう意味だろう、という声もあった。ひとの声は、それぞれ響きが違うし、その響きが巻感情をなまなましくあらわすということかもしれない。「せりふ」なので、やはり役者の声をとおして聞いてみたいと思う。とくに「人は誰でも口という楽器を持つス。」は(たぶん)東北訛りで語られることを想定していると思う。そのときの「楽器」としての声を聞きたいという欲望を刺戟するせりふである。


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こころは存在するか(31)

2024-04-05 11:43:21 | こころは存在するか
 神谷美恵子「生きがいについて」(著作集1、みすず書房)を読んでいて、「人格」ということばにであった。
 
 死刑囚にも、レプラのひとにも、世のなかからはじきだされたひとにも、平等にひらかれているよろこび。それは人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでるものではなかったか。
 
 「人格」ということばは、何度も何度も和辻哲郎の本のなかに出てくる。その定義はむずかしいが、私は、ひとが実践をとおして肉体の内部にかかえこむひろがりと感じている。
 「おおきな人格」というのは、実践がそのひとを「おおきく」見せるのだと思う。そして、その「おおきさ」は客観的には測れないが、自然にわかってしまう「おおきさ」であり、「おおきなもの」は大きな引力をもっているから、それに引きつけられてしまう。
 神谷は「人格」を「生命そのもの」とも呼んでいるが、この「読み替え(呼び方)」も、私には和辻に通じるものがあると思う。もちろん、この「思い」は私の「誤読」であり、神谷が和辻から影響を受けているかどうかは知らない。しかし、私は、私の「誤読」を通じて神谷と和辻をむすびつけるとき、妙に安心する。
 ことば、あるいはひとのつながりはとても不思議なものだ。
 私が神谷を読んでみようと思ったのは中井久夫の文章をとおしてである。アウレーリウス「自省録」(神谷訳)を読んだのも、中井が神谷について書いている文章のなかに登場したからである。そして、その神谷の文章のなかに「人柄」という和辻の大事にしていることばが出てきたとき、単に神谷と和辻が結びついただけではなく、中井とも結びついた。直接、中井と和辻を結びつけることばではないが(中井の文章のなかで「人柄」ということばがあったかどうか、いま、思い出すことはできない)、私の肉体のなかで「世界」がぐいと広がるのを感じた。「ことば」は時間も空間も超えて、「世界」を広げてくれる。
 「人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでる」を神谷は、こんなふうにも書き換えている。「生きがいの」の発見を「心の世界の変革」ととらえる視点から、こう書いている。
 
以前大切だと思っていたことが大切でなくなり、ひとが大したこととは思わないことが大事になってくる。これは外側から来た教えではなく、また禁欲や精進の結果でもなく、すっかり変わってしまった心の世界に生きるひとから、自然に流れ出てくるものと思われる。
 
 「自然に流れ出てくる」。この「自然に」が「人格」なのである。そして、この「自然」に注目すれば、夏目漱石の「人間の自然」へもつながるだろう。漱石の描いている人間は、最初は何か「窮屈」である。つまり、苦悩している。それが何かのきっかけで「窮屈」を打ち破り「自然」に動き出す。ああ、あれは「人間」ではなく、ひとが「人格」になって動き出しているのだと思い出すのである。
 そのときひとは「道」を歩いているのだ、と考えれば、それはまた和辻につながる。
 「こころは存在しない」と考える私と違って、神谷は「心の世界」ということばをつかっているが、この部分をどう整理しなおすかは、書こうとすればかけるが(書きたいことはたくさんあるが)、長くなるので、書かないでおく。「こころは存在するか」というタイトルで書いているので、補足しておく。
 
 もうひとつ、どうしても引用しておきたいことばが神谷の文章のなかにあった。読んでいて、ふいに涙があふれてきた。神谷の「人柄」を、私は、この文章に感じたのである。
 
 深い苦しみと悲しみを克服して来たひとたちにも、以前と変わらぬ欠点や弱点を持った人間である。
 
 
 
 
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イタリアの青年と「論語」を読みながら

2024-04-04 21:24:51 | 考える日記

 いま、イタリアの青年といっしょに「論語」を読んでいる。中国語ではなく、日本語で。テキストは岩波文庫(金谷治訳注、和辻哲郎が「孔子」を書くときにつかったテキスト)。私は中国の歴史をまったく知らないので彼からいろいろ教えてもらうことが多い。日本語は私の方が彼よりも詳しいので、日本語教師としていっしょに読んでいるのだが、きょう、とてもおもしろいことを体験した。
 イタリアの青年は「論語」を読むくらいなのだから、ふつうの日本語はほとんど問題がない。会話は、博多弁(福岡弁)が得意で、私よりも上手だ。その彼が、つぎの文章でつまずいた。

子曰く、已んぬるかな。吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。
先生がいわれた、「おしまいだなあ。わたしは美人を好むように徳を好む人を見たことがないよ。」

 イタリアの青年は「現代語訳」の「わたし」は孔子ですね、と念を押す。正しい。しかし、つづきを、「わたし(孔子)は色を好む」と読み、変だなあ、と混乱したのである。「論語」を読み進んで、孔子が好色ではないことを知っている。もう一度「わたしは孔子だよね」と問い返してくる。この「わたし(孔子)」は「わたしは/見たことがない」とつづくのだが、この主語と動詞の距離の遠さが誤読の原因だった。
 多くの外国語の場合、「わたしは見たことがない、美人を好むように徳を好む人を」というような「構文」になる。主語と動詞が密接である。
 外国語文体のような倒置法(の文体)を避けるときに、「美人を好むように徳を好む人を、わたしは見たことがないよ」と現代語訳すれば、誤解はされなくなる。しかし、直前に「おしまいだなあ(已んぬるかな)」という心情の吐露があるので、日本人の感覚では、直後に「わたしは」と言いたくなる。「おしまいだなあ」という気持ちが強いから、「わたしは」とつづいてしまう。これが、日本語の特徴なので、「おしまいだなあ。美人を好むように徳を好む人を、わたしは見たことがないよ。」にすると、なんというか「理屈っぽい」感じになる。「うるさいなあ」という感じになる。(このニュアンスは、なかなか説明しにくい)。「おしまいだなあ。わたしは、美人を好むように徳を好む人を見たことがないよ。」と主語の後に読点「、」を挿入する方法もあるが、これもちょっと「うるさい」。ことばのスピード感がなくなる。
 金谷は「日本語教材(テキスト)」を書いているわけではなく、日本人向けに書いているから、どうしてもこうなるのだが、この「日本語の問題点」を理解できるようになれば、私は彼に何も教えることがなくなるなあ、と後から思った。
 と、書いて、少し脱線するのだが。
 このことを書く気になったのは、実は、ほかに事情がある。私は、私が通っているスペイン語教室の先生だった人の短編を翻訳を試みているのだが、その過程で、これに類似したことにぶつかったのである。
  「わたしは見たことがない、美人を好むように徳を好む人を」のような文体に出会って、はた、と悩んだのである。英語で言えば「that」以下の文が長い。そして、長くなるに連れて、その長い部分が「装飾的」に感じられて、「美人を好むように徳を好む人を、わたしは見たことがないよ」とはしにくいのである。するならば「わたしは美人を好むように徳を好む人を見たことがないよ」にするしかないのだが、今度は、それがまたややこしい。このまま日本語で例を書けば、「その美人というのはクレオパトラか小野小町のような古典的な顔だちなのである」というような具合に長いのである。つまり、あえて書けば、「私は見たことがないよ、クレオパトラか小野小町のような古典的な顔だちの美人を好むように徳を好む人を」が原文のスタイルである。これを「私は、クレオパトラか小野小町のような古典的な顔だちの美人を好むように徳を好む人を、見たことがないよ」にすると、うーん、昔の大江健三郎みたいな入り組んだ文体になってしまう。そういう文体だと思って、なれてしまえば理解できるが、なれるまでに気が滅入るかもしれない。
 で。
 「おしまいだなあ(已んぬるかな)」と書いたら(言ったら)、どうしてもその直後に「わたしは」とつづけたくなるというような「文体論(感情論?)」は、日本語検定試験なんかでは問題になることもないし、文学や哲学の奥深くにまではいりこまないかぎり、まあ、どうでもいいことじゃないかと処理されてしまう問題なのだが、こういう問題があるから、実は文学、哲学はおもしろい。
 ちなみに。原文では、問題の部分は、「已矣乎、吾未見好徳如好色者也」。「やんぬるかな、わたしは見たことがないよ、徳を好む人を、まるで(徳を)美人を好むように(好む人を)」になる。主語(わたし)と動詞(見る/見たことがない)が直接結びつき、それから「徳を好む」という大事なことが語られ、追加して「美人を好むように」がつづく。エッセンスは「私は、見たことがないよ、徳を好む人を」であり、「美人を好むように」は「補足」である。これが「日本語」になると、順序がまるで逆だから、それはやっぱり日本語学習者には、たいへんな「つまずき」の原因になる。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(94)

2024-04-03 23:43:44 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「アルゴナウトの人たち」は、突然はじまる。どんな詩も(文学も、あるいは芸術は)突然はじまるものかもしれないけれど。

して、魂よ、

 「して」は「しかして」「しこうして」が縮まったものなのかもしれないが、それが「しかして」「しこうして」、あるいは「そうして」であったとしても、やはり突然感間がある。「しかして」が接続詞なのに、その前に何もない。何かが切断されたまま、接続詞が動いて、次のことばがあふれてくる。そうなのだ。それは、接続詞には違いないのだが、前に何が書かれてあったかよりも、これから書くことの方が大事なのだ。実際、この詩では、引用し、何かを書きたいという行が次々に登場するのだが、それについて書くよりも、やはり書くべくことは「して」なのである。
 「しかして」よりもさらに短く、「して」のみ。
 ここには、漢文体が口語になって動くような強烈さがある。緊迫感がある。動きにゆるみがなく、スピード感がある。めんどうくさいことは蹴散らして、本気で言いたいことをいうという気迫がある。「して」は気迫に満ちたことばだ。
 たったひとことで、充実した緊密感を鮮やかに描き出す中井の訳は、ほんとうにおもしろい。
 私は、こころも、精神も、魂も存在しないと考える人間であり、特に魂ということばは好きではなく、うさん臭いと感じるのだが、「して」につづくことばは、こころや精神ではなく、魂でなくてはならないという感じがする。とても強く響きあっている。

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料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(googlemeetかskype使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
1回30分、1000円。(長い詩の場合は60分まで延長、2000円)
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。

お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

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