最初にこの本を読んだのは1年近く前、香港でデモが激しくなった頃だった。
中国語の先生が「800万の人口の地でどうやったら200万もの人が集まってデモが出来るのか」とその数字について疑問を投げかけた事がきっかけだった。
その際「天安門事件の時も、すごく大きく報道されていたけれど、あの時だって参加している人は学生だけで、一般市民は生活に支障があって大変だった。」という内容の話をしていたのだ。
私は、今香港に住む人々は自分達を中国人でなく香港人と考えている事、中国に飲み込まれることを、一国二制度を失うことを恐れているであろうということを伝えると、「何も悪い事しなければなんの問題もないのよ。それの何が問題なの?」日々の生活を犠牲にしてまでデモをする心情が分からないとの事だった。
*****
「何も悪い事をしなければ、国家統制の元で平和な社会(たとえ制約があっても平和に変わりはない)の恩恵を享受できることが出来る」という内容の話を自分なりに理解したいと思って、その手助けになればと思ってこの本を手に取ったのだった。
結局1年前には感想をうまくまとめることが出来なかったのだが、31年目を前に更に締め付けが厳しくなるだろうという報道を目にして、今月に入り、もう一度読み返してみたのだ。
****
運動が学生と知識人だけで盛り上がり、一般市民の参加が無かった事。学生も自分達の運動の正しさに酔い、落としどころを考えて行動出来なかった事・・・その運動が参加した人の人生にどんな影響を残したのか、また、活発に活動したはずの学生がどのようにフェードアウトし、今何を考えどんな風に生きているのか・・・最後まで読み進めると、一つ一つのインタビューがパズルのピースのように思えてくる。
一つ一つのピースを組み合わせ、31年前の出来事がどのように今に続いているのかをこれからゆっくり自分で考えて見たいと思う。
*****
あの当時運動中心にいた学生たちの子供たちは、今大学生あるいは社会人になったばかりの年代だろう。経済的に成功している人も多いはずだ。
「何も悪い事をしなければ、国家統制の元で平和な社会(たとえ制約があっても平和に変わりはない)の恩恵を享受できることが出来る」という幸せを手放すはずはないと思う。私は「天安門事件」が再び起きる確率はとても少ないだろうと思う・・・・
香港警察、コロナ理由に天安門事件の追悼集会認めず 過去30年で初