いや、驚いた、まさか、ホントに38巻のエンディングが平行世界の一つでしかない、というのには。もちろん、「一旦終了」というところにも。
ということで、連載が終了した時に書いたエントリーの通りってことだよね。
魔法先生ネギま! 355時間目 再開予想
遠からず、平行世界の別の話が、多分、週刊誌とは別の媒体で、リスタートする、ということになる。
連載時の最終二話は、実はそのような平行世界の物語のサンプルの一つとしてさしだされていた、ということで。それは、この38巻での扱いを見ればわかる。
だから、あの連載の最終回は、一種のお花畑エンドとでも思っておけばいい。
まぁ、作者自身書いているとおり、伏線を全部回収しようとしたら100巻まで必要になる、というのは、確かに納得がいくことなので、とりあえず、一旦幕引きをした、ということ。
とはいえ、連載時に「堂々完結!」とうたっておきながら、最終巻の扉でこれは「一旦終了」であり、いずれ「復活する」と、いわば舌の根も乾かないうちに書いてしまうのはどうなのだろう。
まぁ、37巻の扉でも、ネギとナギの決着は・・・、と煽っておきながら、結局、本編ではそれを描かずに終わったわけだから、38巻の扉の内容についても、話半分で聞いておくべきなのだろう。
ただ、「メディアミックスも一通り終了し・・・」というのを作者が書いてしまうのはどうなのだろう。いや、プロデュース業務も作家の業務の範囲内というのはわかるけれど、そういうのは言わずが花、って感じがするかな。もっとも、そう自分で断らずにはいられないくらい、もしかしたら出版社との間もギクシャクしてしまってるのかもしれないけれど。
なんか、そういうのは厳しい。
ともあれ、38巻に戻ると、内容としてはもちろん連載時に読んでいるから、特段に目新しいことはないのだけど、とはいえ、まとまって読んでみると、あと、既に最終回の内容を知ってから読むと、ちょっと感じは変わってくる。さらに、「一端終了で」「再開あり」という情報も知ってしまってから読むとなると、少なくとも、連載時のように最終回に不満たらたら、ということにはならない。
この終わり方となるよう、実質的な最終回である卒業式回に向けて、ネギと明日菜の話でうまくまとめている。ネギの想い人はわからないままだったけど、この卒業式最終回までの流れは、明らかに、ネギと明日菜の物語として終えている。
で、細かいことだけど、そういう「恋」とは違う深い繋がりの関係のあり方については、実は、千雨が、茶々丸とのやり取りを通じて、さらっと指摘している。
「好きっていっても色々あんだろ、全部そっちに結びつけるなよ」
ってくだりがそれ。
そういうつながりが明日菜とネギとの間にもあった、ということで。
だから、これはこれで一つの終わり方としては理解できる。
つまり、ネギの元祖パートナーとして、中盤までの物語の牽引役を努めてきた明日菜に対する、ご褒美、というか、功労賞のような形で、最後に花をもたせた形。
結局、明日菜は、魔法世界編以後は、ヒロインの座を他のクラスメイトに譲ってしまっていた。ほとんどフェイトに幽閉されていたわけだし。ネギのパワーアップや成長にはほとんど寄与してないから。
裏返すと、連載の終わり方がいまいちだと思ったのもそういうところに原因がある。もはや明日菜は物語の中心にはいないのにも拘わらず、明日菜の話で無理矢理物語を閉じようとしてしまったから。だから、とても無難な終わり方になってしまった。というか、魔法世界編以後本編を動かしてきた物語の流れと隔絶したまま、なんというか、ネギと明日菜の姉弟物語になってしまった。
そりゃ、不完全燃焼で、伏線丸投げ状態の終わり方になっても仕方ないよね。
明日菜はもう物語を動かすキャラではなく、物語世界の秘密の一つになってしまったわけだから。背景のひとつであって、変数ではなく定数になってしまったわけだから。
そういう意味では、魔法世界編の最後の段階で、造物主=ナギまで出してしまったのが勇み足だったんだろうな。まぁ、連載が終わることが確定していたのだから、あそこでナギを出すしか他に出す場所がなかったんだろうけど。
でも、あそこでナギを出さずにいれば、囚われの明日菜姫をネギが救い出して、という、いわゆるお姫様救出物語で終わって、そのネギと明日菜の繋がりを軸に最終回を迎える、というのでも様になったのだろうけど。
しかし、そういう姫の救出物語にはもはや魔法世界編の終盤はなってなかったし。
大体、みんなで明日菜の救出に向かってたわけだし。
しかも、もともと、明日菜がネギを守るために、ネギを魔法世界に単独では行かせずに、いわば従者としてついていっていたわけだから、最後の局面で、一応、彼女がネギを助けにやって来る、という構図にもなってしまって。
・・・って、こう考えると、魔法世界編の最後のあたりは、もう物語として破綻していたってことだよね。
それも、実は38巻の中で千雨が指摘していて、もともと、麻帆良学園という日常に戻ってくるために、明日菜らクラスメイトの面々はネギとともに魔法世界に行ったはずなのに、帰ってきたら、ネギは結局日常に戻れなくなってしまって、しかも、その帰れない方向に明日菜まで(巻き添えにして)連れて行ってしまう、という、当初の目論見から全くかけ離れた結末になってしまったわけで。この点は、ザジも「少年冒険譚の失敗例」と指摘しているわけで。
ホント、物語として破綻している。
やっぱり、順を追って、伏線をひとつずつ潰していくしかなかった。
けれども、連載の終了は決定事項であり、しかし、実は、それは一旦終了ってことに過ぎないので、むしろ、ネギま世界を後でリスタートするのに必要なネタを、いまさらながら伏線として仕込まない訳にはいかない・・・、ってことだったのだと思う。
だから、やっぱり、36巻のナギが登場したところから、物語としては破綻していた。
まぁ、これはひとえにキャラが多すぎて収拾がつかなくなった、ってことに終始する話なんだろうけどね。
だから、ネギま!はとりあえず志は高かったかもしれないけれど、途中で息切れして失敗作として終わってしまった作品として位置づけるのが適切だと思う。
リスタートはもちろん楽しみではあるのだけど、しかし、よほど密度を高めて一歩ずつ話を進めていかない限り、やっぱり物語としては収拾がつかないと思う。
そのあたりを考えずに始めると、島耕作のごとく、あるいはファイブスターだっけ?のように、だらだらとした一体何の話だったのか、分からないような、ただ、作者と(一部の)ファンの間の慰撫のようなものにしかならないんじゃないか。
ということで、一旦終了も、復活も、それがあったらいいなー、というぐらいで留めるのが最善のように感じる。作者もファンもともに年をとるわけで。ネギま!の連載だって9年もかかったわけだから。これをあと二回繰り返すのはあまりいい話ではないよ、やはり。
もっとも、作者がそれをライフワークにする、というのなら、それはそれでありだろう。昔、石ノ森章太郎が009を、手塚治虫が火の鳥を、それぞれライフワークにした例はあるわけだから。しかし、そこまでの物語の厚みをネギま!がもっているかどうか、というとさすがに疑問に思わずにはいられない。だから、あくまでもリップサービスとして捉えておきたい。
一度は、堂々完結といったのだから、異なる次回作の方こそを期待したい。
いいじゃん、失敗作でも。
途中は少なくとも十分面白かったわけだから。
ということで、連載が終了した時に書いたエントリーの通りってことだよね。
魔法先生ネギま! 355時間目 再開予想
遠からず、平行世界の別の話が、多分、週刊誌とは別の媒体で、リスタートする、ということになる。
連載時の最終二話は、実はそのような平行世界の物語のサンプルの一つとしてさしだされていた、ということで。それは、この38巻での扱いを見ればわかる。
だから、あの連載の最終回は、一種のお花畑エンドとでも思っておけばいい。
まぁ、作者自身書いているとおり、伏線を全部回収しようとしたら100巻まで必要になる、というのは、確かに納得がいくことなので、とりあえず、一旦幕引きをした、ということ。
とはいえ、連載時に「堂々完結!」とうたっておきながら、最終巻の扉でこれは「一旦終了」であり、いずれ「復活する」と、いわば舌の根も乾かないうちに書いてしまうのはどうなのだろう。
まぁ、37巻の扉でも、ネギとナギの決着は・・・、と煽っておきながら、結局、本編ではそれを描かずに終わったわけだから、38巻の扉の内容についても、話半分で聞いておくべきなのだろう。
ただ、「メディアミックスも一通り終了し・・・」というのを作者が書いてしまうのはどうなのだろう。いや、プロデュース業務も作家の業務の範囲内というのはわかるけれど、そういうのは言わずが花、って感じがするかな。もっとも、そう自分で断らずにはいられないくらい、もしかしたら出版社との間もギクシャクしてしまってるのかもしれないけれど。
なんか、そういうのは厳しい。
ともあれ、38巻に戻ると、内容としてはもちろん連載時に読んでいるから、特段に目新しいことはないのだけど、とはいえ、まとまって読んでみると、あと、既に最終回の内容を知ってから読むと、ちょっと感じは変わってくる。さらに、「一端終了で」「再開あり」という情報も知ってしまってから読むとなると、少なくとも、連載時のように最終回に不満たらたら、ということにはならない。
この終わり方となるよう、実質的な最終回である卒業式回に向けて、ネギと明日菜の話でうまくまとめている。ネギの想い人はわからないままだったけど、この卒業式最終回までの流れは、明らかに、ネギと明日菜の物語として終えている。
で、細かいことだけど、そういう「恋」とは違う深い繋がりの関係のあり方については、実は、千雨が、茶々丸とのやり取りを通じて、さらっと指摘している。
「好きっていっても色々あんだろ、全部そっちに結びつけるなよ」
ってくだりがそれ。
そういうつながりが明日菜とネギとの間にもあった、ということで。
だから、これはこれで一つの終わり方としては理解できる。
つまり、ネギの元祖パートナーとして、中盤までの物語の牽引役を努めてきた明日菜に対する、ご褒美、というか、功労賞のような形で、最後に花をもたせた形。
結局、明日菜は、魔法世界編以後は、ヒロインの座を他のクラスメイトに譲ってしまっていた。ほとんどフェイトに幽閉されていたわけだし。ネギのパワーアップや成長にはほとんど寄与してないから。
裏返すと、連載の終わり方がいまいちだと思ったのもそういうところに原因がある。もはや明日菜は物語の中心にはいないのにも拘わらず、明日菜の話で無理矢理物語を閉じようとしてしまったから。だから、とても無難な終わり方になってしまった。というか、魔法世界編以後本編を動かしてきた物語の流れと隔絶したまま、なんというか、ネギと明日菜の姉弟物語になってしまった。
そりゃ、不完全燃焼で、伏線丸投げ状態の終わり方になっても仕方ないよね。
明日菜はもう物語を動かすキャラではなく、物語世界の秘密の一つになってしまったわけだから。背景のひとつであって、変数ではなく定数になってしまったわけだから。
そういう意味では、魔法世界編の最後の段階で、造物主=ナギまで出してしまったのが勇み足だったんだろうな。まぁ、連載が終わることが確定していたのだから、あそこでナギを出すしか他に出す場所がなかったんだろうけど。
でも、あそこでナギを出さずにいれば、囚われの明日菜姫をネギが救い出して、という、いわゆるお姫様救出物語で終わって、そのネギと明日菜の繋がりを軸に最終回を迎える、というのでも様になったのだろうけど。
しかし、そういう姫の救出物語にはもはや魔法世界編の終盤はなってなかったし。
大体、みんなで明日菜の救出に向かってたわけだし。
しかも、もともと、明日菜がネギを守るために、ネギを魔法世界に単独では行かせずに、いわば従者としてついていっていたわけだから、最後の局面で、一応、彼女がネギを助けにやって来る、という構図にもなってしまって。
・・・って、こう考えると、魔法世界編の最後のあたりは、もう物語として破綻していたってことだよね。
それも、実は38巻の中で千雨が指摘していて、もともと、麻帆良学園という日常に戻ってくるために、明日菜らクラスメイトの面々はネギとともに魔法世界に行ったはずなのに、帰ってきたら、ネギは結局日常に戻れなくなってしまって、しかも、その帰れない方向に明日菜まで(巻き添えにして)連れて行ってしまう、という、当初の目論見から全くかけ離れた結末になってしまったわけで。この点は、ザジも「少年冒険譚の失敗例」と指摘しているわけで。
ホント、物語として破綻している。
やっぱり、順を追って、伏線をひとつずつ潰していくしかなかった。
けれども、連載の終了は決定事項であり、しかし、実は、それは一旦終了ってことに過ぎないので、むしろ、ネギま世界を後でリスタートするのに必要なネタを、いまさらながら伏線として仕込まない訳にはいかない・・・、ってことだったのだと思う。
だから、やっぱり、36巻のナギが登場したところから、物語としては破綻していた。
まぁ、これはひとえにキャラが多すぎて収拾がつかなくなった、ってことに終始する話なんだろうけどね。
だから、ネギま!はとりあえず志は高かったかもしれないけれど、途中で息切れして失敗作として終わってしまった作品として位置づけるのが適切だと思う。
リスタートはもちろん楽しみではあるのだけど、しかし、よほど密度を高めて一歩ずつ話を進めていかない限り、やっぱり物語としては収拾がつかないと思う。
そのあたりを考えずに始めると、島耕作のごとく、あるいはファイブスターだっけ?のように、だらだらとした一体何の話だったのか、分からないような、ただ、作者と(一部の)ファンの間の慰撫のようなものにしかならないんじゃないか。
ということで、一旦終了も、復活も、それがあったらいいなー、というぐらいで留めるのが最善のように感じる。作者もファンもともに年をとるわけで。ネギま!の連載だって9年もかかったわけだから。これをあと二回繰り返すのはあまりいい話ではないよ、やはり。
もっとも、作者がそれをライフワークにする、というのなら、それはそれでありだろう。昔、石ノ森章太郎が009を、手塚治虫が火の鳥を、それぞれライフワークにした例はあるわけだから。しかし、そこまでの物語の厚みをネギま!がもっているかどうか、というとさすがに疑問に思わずにはいられない。だから、あくまでもリップサービスとして捉えておきたい。
一度は、堂々完結といったのだから、異なる次回作の方こそを期待したい。
いいじゃん、失敗作でも。
途中は少なくとも十分面白かったわけだから。