BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

Re:ゼロから始める異世界生活 第18話 『ゼロから』 感想2 なぜスバルは召喚されたのか?

2016-08-03 15:45:55 | リゼロ
やっぱり気になったので、ウェブ版の原作、ちょっと読んできた。

それではっきりしたのは、この18話の場面での、スバルの独白で、彼が彼を信奉するレムの言葉を聞きながら、彼女に対して、自分が「呪い」をかけてしまった、みたいなことを言っていた。

で、これで大分18話の様子がわかった。

つまり、スバルからすれば、レムの自分に対する振る舞いは、自分が彼女を助けるということで、死に戻りを繰り返したことの結果、というか代償だったんだ、ってことね。

スバルとしては、誰であろうと、目の前で自分の見知った人間が死んでしまう展開はどうにもやりきれないし、なんとかそのバッドエンドは回避したいと感じてしまう。そこで、死に戻りを繰り返すことで、皆が生き延びるルートを見出そうとする。

だから、そこでは、この人だから、という特定の感情はなかったわけだけど、でも、それはそのスバルの行為によって救われた側からみれば、決してそうはみえない。

その非対称なところがどうにもこの物語の後味が悪くなりがちな理由だよね。

そういえば、レム救済のルートにしたって、もともとはエミリアを守るたいと思っているがために、襲撃者を特定しようと行動していた時の、いわば副産物なわけだけど、けれども、レムにはそうは見えない。

レムの目にはスバルが英雄として映ってしまった。

そういう意味では、そのレムの好意に、どこまでスバル自身が、理解できていたのか、というのは疑問だし、多分、理解できてないよね。

まぁ、結局のところ、スバルは、コミュ障のヒキニートだったわけだしw

ただ、そうするとやっぱり、どうしてそこまでエミリアにスバルは拘るのか、って疑問は残る。

というか、この18話の場面はそれに尽きるのだけど、そのことに役立つような記述は原作にもなかった。

ってことは、多分、この「なぜエミリア?」って疑問をいだかせるのも、作者の狙いの一つだったってことなのだろう。

で思ったのは、そもそもどうしてスバルがこの世界に召喚されたのか?ってこと。

このことは全然明らかになってないよね。
というか、なんの鍵も示されていない。

そうなると、これ、もしかして、他人の空似、ってわけではなくて、マジで、サテラとエミリアが同一人物で、未来のサテラが、過去のサテラ、すなわちエミリアを守り抜かせるために召喚したのがスバルだった、ってことなのかな、と。

だから、召喚時に与えられた「死に戻り」の能力とともに、エミリア死守、がそれこそ「呪い」としてスバルにかけられてしまったのではないのか。

そう考えると大分すっきりしてくるような気もする。

つまり、『六花の勇者』のアドレッドと同じように、精神の奥底をすでに操作されてしまっていて、エミリアを一目惚れするようなイベントが最初から仕組まれていた、ということ。

いや、でもエミリアの世界には、すでに悪の魔女としてサテラの悪名は世界中に轟いているではないか、という反論はあり得ると思うのだけど、でもね、なにせ「死に戻り」が可能な世界なのだから、もはやそういう因果は超越している世界なんだ、と思ってもそれほどおかしくはないのでは?と思えちゃうんだよね。ナンデモアリの世界。

なんだろうね、まどマギのほむほむがサテラとして君臨しているような世界?
で、ほむほむ/サテラが自分を救わせようとしてこの世界に召喚したのが、自分の愛する?まどか/スバル、ってところかな。

まぁ、ほむほむついでの連想でいえば、そうしないとスバルが死ぬ運命しか見えなくなったサテラが、スバルを守り、そして自分をも守るために召喚したのがリゼロの世界。

あ、そういう意味では、エミリアはサテラと同一人物である必要はなく、スバルが無意識下のサテラと誤認する人形でもいいってことだよね。その場合は、エミリアの造物主がサテラってことになる。

あー、でも、これありそうだよな、実際。

だって、第一話で、そもそも、エミリアが本名を隠してサテラを詐称していたし。
あれにも、ちゃんと意味があったことになるから。

だとすると、むしろエミリアにかけられたパックの加護という「呪い」を解呪するためことが目的なのかもしれない。だって、パック自体は、エミリアベッタリの、要はいつまでも子離れできない親みたいなものなわけでしょ。しかも悠久を生きることができる精霊という存在。

そのパックにいつまでも付きまとわれるのが嫌になってサテラ/エミリアがなんとかしようと思ったのが、この世界なのかもしれない。

・・・という具合に、まぁ、あれこれ想像はできるw。

でも、こういう余白があるところが、リゼロの魅力なのかもしれない。
そして、それは映像であるかどうかとはあまり関係がない。
というか、自由にあれこれ想像できるという点では、むしろ小説の方がいいのかもしれない

実際、アニメの方はこのあたり、あまりうまく解釈や表現ができてなくて、ほとんど全部、スバルの顔芸で済ませている。

でも、実はあんなにいかにも苦悩してます!って顔を作る必要もないんだよね。
それよりも内面のボイスオーバーをどう処理するかって方に演出の知恵を使わないと。

18話の印象が、制作側の神回推し!に対して、いやー、それほどでも、と見る側が思ってしまうところはそこだよね。
もちろん、原作既読者は、原作のテキストを脳内再生しているはずだから、自然と映像から漏れてる部分も補ってしまう。

難しいところだけど。

でも、それは裏返すと、この物語は、映像と小説が別々に楽しめるってことでもありそう。

うーん、放送が終わってから原作に手を出すかどうか決めようと思っていたのだけど、これは、むしろ読んでから見た方がいいのか?とも思い始めてきたw

いや、でも積読もまだ残ってるんだよなぁ。

どうしよう。。。

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