100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「東南アフリカ7カ国」編 ルワンダ9 スーパー2 OUT OF AFRIKA 1

2009年12月19日 08時15分00秒 | ルワンダ

 「アフリカの様子がおかしい。半世紀ほど前に植民地支配から独立し、豊かな資源を手に、希望に満ちた前途に踏み出したはずだった。しかし今、多くの国で人々は貧困にあえぎ、国民同士の殺し合いまで起きている。なぜだろう。****要するに、この大陸の多くの国では政府指導者が腐敗し、そのため国民が犠牲になっているのである」

 この書き出しで「アフリカ・レポート」(岩波新書)(松本仁一著)は始まります。そして後半では「指導者のせいで国が壊されつつあるアフリカで、政府に見切りをつけ、自力で生活の向上をめざす動きが民間から生まれはじめた」の例として、ケニアのナイロビに本社があるケニアナッツ社(社長日本人佐藤芳之)の「アウト・オブ・アフリカ」(OUT OF AFRICA)のブランド名で発売されているお菓子があると書かれていました。

 それをこのスーパーで見つけました。これはマカダミアナッツの蜂蜜コーティングですね。 “Out of Africa” は「人類の発祥はアフリカ」ということを意味しているのでしょうね。


「東南アフリカ7カ国」編 ルワンダ7 日常風景2

2009年12月17日 08時21分42秒 | ルワンダ

 キガリの市場を訪れました。喧騒を極めていますが、治安は全く心配ありません。通常このようなところはスリなどに注意してくださいなどの話があるのが普通ですがありませんでした。ジェノサイドがあるようなところだから危険ではないか、人が荒々しいのではないか、と思ってしまいますが、そんなことは全くありません。心やさし人たちです。よく賄賂の話がよく出ますが、この国では全く賄賂は通用しないそうです。


「東南アフリカ7カ国」編 ルワンダ5 大量虐殺(ジェノサイド)5「ミル・コリン」ホテル

2009年12月15日 12時09分22秒 | ルワンダ

 写真はキガリにある「ミル・コリン」ホテルです。ジェノサイドの最中このホテルのマネジャー、ポール・ルセサバギナが1268人の難民をこのホテルに匿いジェノサイドから命を救いました。 

 この話は「ホテルルワンダ」という題名で映画化されました。日本での上映がいろんな事情で危ぶまれましたが、「「ホテルルワンダ」日本公開を求める会」が結成され2006年に公開されました。

 また、ポール・ルセサバギナの著書「ホテルルワンダの男」が最近日本でも翻訳出版されました。


「東南アフリカ7カ国」編 ルワンダ3 大量虐殺(ジェノサイド)3

2009年12月13日 08時19分52秒 | ルワンダ

 建物内部は撮影禁止でしたが、外の敷地は広大な墓地になっていて撮影ができました。膨大な墓碑銘です。ここに葬られている人は25万人(注)と言われています。 

 (注)この数字はlonely planet (p576)によります。添乗員の藤下さんの記録では3万人です。ひとけた違う数字なのですが、私には彼女の信用度がいまいちなので25万人としておきます。


「東南アフリカ7カ国」編 ルワンダ2 大量虐殺(ジェノサイド)2

2009年12月11日 08時28分08秒 | ルワンダ

  写真はここに勉強に来ていた子供たちです、しかし来場者は少なく中は閑散としていました。そしてこの建物には虐殺記念館を表示するような標識はありませんでした。私は記念館を示すものを見つけて撮影しようとキョロキョロしましたがだめでした。何も知らない人がここの前を通ってもそれとはわからないでしょう。 館内の撮影禁止と、私自身がこのようの事柄を直視でない臆病者なので中の様子を紹介しませんが、かつて人類史上に起きた各地の虐殺事件が多く展示されているのが印象的でした。ナチのユダヤ人虐殺、カンボジアの虐殺、ボスニアの内戦など。人間とは何者なんですかね?


「東南アフリカ7カ国」編 ルワンダ1 大量虐殺 (ジェノサイド)1

2009年12月11日 08時21分16秒 | ルワンダ

 ウガンダの次の訪問国はルワンダでした。人口1000万人にも満たない小さな国ですが、不幸な事柄で世界的に有名になりました。1994年に起きた約3ヵ月間での100万人のルワンダ大量虐殺事件です。 遠因は旧宗主国のドイツ、ベルギーの「分割して統治せよ」の植民地政策でした。同じ文化的背景の同じ民族の中で主に牧畜を営む少数者をツチ(族)とし中間支配階級に、主に農業を営む多数派の人たちをフツ(族)として一段と劣った被支配者民族としたことから始まります。お互い間の通婚も行われていたのですが、独立後も少数派のツチは支配階級として残り多数派のフツの恨みをかい大量虐殺事件になりました。 写真は首都キガリにある、このことを悼む記念館の入り口です。厳重な安全確認ののち入場が許されます。