最近シリアのクルド人がトランプ大統領に見放され、やむなくシリアアサド政権と手を結ぶという話が伝わってきています。またもクルド人の悲劇が、と思いました。そこで2015年10月20日のブログを思い出したので(追記をして)再録します。ここでぜひ読んでいただきたいのが「3つ目の話題」と紹介しているところです。ヒットラーをして「アルメリア人の虐殺に比べれば俺のユダヤ人虐殺ぐらい大したことはないと」豪語したアルメニア人虐殺にクルド人が関与したことです。わたくしはこの歴史的事実をこのアルメニア人ガイドから聞くまで知りませんでした。このことはマスコミなどでも伝えられていないし、たぶんクルド人問題に関心を抱いている人も知らない人が多いと思います。たぶん今回もシリア政権はクルド人に「独立」のえさをぶら下げているのでしょうね。
先日、日本でクルド人とトルコ人の乱闘騒ぎがありました。そこで臨時に私が旅行中に出会ったクルド人ついて紹介します。クルド人は中東一帯に住む3000万人の世界最大の国家を持たない民族です。
さてこの民族で高校の歴史の教科書にも出てくる英雄をご存知ですか。そうです、サラディーンですね。2006年5月13日にシリアのダマスカスで見たサラディーンの像を紹介しています。サラディーンの名前がマスコミをにぎやかしたのはイラク戦争時のブッシュ大統領の「この戦争は十字軍だ」という発言でした。当時のイラクの大統領サダムフセインはこれにたいしてサラディーンの名前を出しました。そうです。対十字軍の戦いのイスラーム側の英雄がサラディーンだったのです。ところが皮肉なことに、その時フセインはイラク国内のクルド人を弾圧していました。フセイン政権が崩壊後イラク国内のクルド人勢力は強力になり現在では自治州を形成し事実上の国家的存在になっています。そしてアメリカ合州国に忠実な存在となり対「イスラーム国」攻撃の一翼を担っています。ところがこのイラクでのクルド人勢力の拡大は国内に1000万人のクルド人を抱えるトルコにとっては迷惑の存在となっているのです。長年彼らはクルド人国家または自治州の成立をトルコに要求してきたからです。これが今回の乱闘騒ぎの原因です。
2つ目の話題。クルド人は大多数がイスラーム教徒ですが、グルジア(現ジョージア)ではゾロアスター教徒に出会いました。2008年6月22日をご覧ください。
3つ目の話題。アルメニア旅行中の現地ガイドの話です。19世紀末から20世紀初頭(オスマン帝国の崩壊の少し前から現在のトルコ共和国の成立のころまで)にかけてトルコ人によるアルメニア人追放、虐殺事件がありました。犠牲者は100万人~150万人といわれています。そのことについての現地ガイドの話です。2005年12月17日のブログに以下のように書いています。
「このときクルド人の悲劇がありました。アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの大虐殺にクルド人も一役買ったのでした。(この部分は私の質問に現地ガイドが答えたこと)」。これについてコメントをしたいのですが長くなるのでやめておきます。
4つ目はこの写真です。2008年のイラン旅行のときのクルド人町の街角風景をバスから撮影したものです。バスからというのはこの町は危険だからということで下車できないとことでした。イランでもクルド人は差別されているようでした。もっともクルド人は国境を越えての密貿易をしているというということもあるようです。ダブダブのズボンをつけていますね。これがここのクルド人の特徴だそうです。
この町の近くのホテルに泊まり翌朝散歩をしているときクルド人らしき青年が近寄ってきて” Can I help you? “(何か手伝うことがありますか?)と話かけられたのには、びっくりし、感激しました。私の外国旅行でこのようなやさしい言葉をけられたのは最初にして最後でした。7年たった今でも忘れることのできない”Can I help you? “です。
5つ目(今回追加)わたくしが初めてクルド人に出会ったのは2000年のトルコ旅行の時でした。昼食のレストランで数人の浮浪者風のグループ(失礼)がいました。そこでわたくしは何となく話しかけたと思います。すると彼らは自分たちは「クルド人だ」と胸を張って答えてくれました。それまでおぼろげながらその存在を知ってはいましたが、はっきりと知ったのかこの時でした。そして強くクルド人だと言っているのが19年たった今もわたくしの脳裏に浮かびます。こんなに強く記憶しているので写真が残っているのではかと探してみましたが見つかりませんでした。