バスからの平壌市の街中の様子です。
平壌市は高層マンションが多かったです。
地震は大丈夫か聞いたら、地震はほとんどないとのことでした。
また、当時は電気事情がよくなく通訳してくれた方のお宅も高層マンションですが
ほとんど停電しており、エレベーターが動かず洗濯も手洗いと言っていました。
主体思想塔から平壌市内の眺めです。
主体思想塔は、朝鮮民主主義人民共和国の平壌市中区域にある、主体(チュチェ)思想を体現したという塔です。高さ170メートル。金日成の70歳の誕生日を記念して建てられ、1982年に完成しました。
写真の中央に見える三角の塔は、建設途中の柳京ホテルです。
板門店に行く途中かつて高麗王朝の首都として500年間栄えた町、開城市に立ち寄りました。
よく見ると信号機がありません。平壌市内でも信号機がなく交通量の多い交差点のど真ん中に台がありその上で婦人警官ぽい方がてきぱきと手旗信号で交通整理をしていました。
走っている車はベンツが多く高官などくらいの高い方へ何かの功績に与えられたものとお聞きしました。
あと、驚いたのは現地に到着してバス移動中夜が更けると街灯がないのか電気事情が悪く電気がついて点いていなかったのか外は真っ暗でした。
しかし、よく見ると現地の方がぞろぞろと歩いていました。
これも、板門店から平壌へ戻るときのバスからの風景です。
どなたか(多分、日本からの参加者で朝鮮語がわかる方)が「あの標識は、ソウルまで70㎞と書いてありますよ」と教えて下さいました。
すごい!
と思い、思わずシャッターを切ったのですが現地の通訳の方から
「勝手にとらないで下さい。失礼でしょ!」と怒られてしまいました。
そこの国境を守られている兵士の方と現地の日本語通訳の方です。
見学の際の説明や案内をして下さいました。この時は、質問タイムだった気がします。
ある程度日本人側からの質問が終わった後「こちらから質問よろしいですか?」と
兵士の方から質問がありました。どんな質問だったか、はっきりとは覚えていません。
板門店はいわゆる北朝鮮と韓国の軍事境界線上、北緯38度線にあります。
青い小さな小屋を挟んで、お互いの国から監視をしています。
小さい小屋の中間点に軍事境界線がありお互いの兵士が監視をしています。
その小屋の中は行き来することができるので、国境を超えることができます。
小屋と小屋の間のところを歩こうとすると注意されます。
正面奥にある大きな建物は、韓国側の建物です。
私たちは、似たような規模の北朝鮮側の建物からこの風景を写しました。
入国する時に、持ち込める物に制限があり、パソコン、携帯電話、雑誌など活字が書いてあるものは持ち込めませんでした。しかし、入国時の荷物検査はセンサーを通すだけでしたのでスルーして持ち込んだ方もいたようです。私は、旅行の時に役立つ韓国語日本語の会話ハンドブックを持っていきましたが没収されることもなく旅行中使用することができました。通訳の方にそれを見せると「いいですね~ いいですね~」ととてもうらやましそうにされていて差し上げようかすごく迷ったのですが、旅行途中でしたので使うこともあるだろうと差し上げませんでした。
元山の港に着くと現地の方が出迎えをして下さいました。その人々は、戦後の日本にタイムスリップしたような格好をしていました。