砂漠という字は「砂」で始まりますが、必ずしも「砂」ではなく岩がごろごろの所もあればこのタクラマカンのように非常に小さい粒子の土壌のところがあります。したがって水が少ないと言う意味で「沙」と言う文字を使うべきだと言われています。
日本の砂漠研究の学界は「日本沙漠学会」と表記します。2007年5月25日の写真を見ていただければ分かるとおり中国での表記も「沙漠」です。
タクラマカン砂漠に入るとまもなくタリム川に出合います。この河はパミール高原、崑崙山脈、天山山脈の雪解水を集めタクラマカン砂漠の北の端を東から西に約2200kmを流れます。以前は「さまよえる湖」で有名なノプノールに注がれていましたが今は途中で砂漠の中に消えています。
この河の橋を渡るときは車が猛烈なスピードで走るので危険だということで下車撮影ができなく車窓からの写真となりました。結構この砂漠道路は交通量が多いのです。
「ギリシア」編を中断して「中国シルクロード」を再開します。前回は天山南路(中国では天山中路というようです。写真をご覧ください)のクチャまで紹介しましたが、そのクチャから東へ天山南路を200kmバックして、そこから一路1995年開通した500kmのタクラマカン砂漠道路を縦断南下しました。(2006年9月4日と同年9月30日の地図をご覧ください)
なおこの世界第二のタクラマカン砂漠を紹介した後続けて第一位のアフリカサハラ砂漠とアラビアのローレンスが活躍したヨルダンの砂漠を紹介する予定です。というわけでしばし砂漠三昧です。
シーズンにこの地を訪れる人は一日に2000人にもなるそうです。このような俗化を嫌いもう一つの修道院群があるアトス山(ここへの観光客は一日に100人と制限)へ移る修道士が多いそうです。現在ここに居住する修道士(女)は50人ぐらいだそうです。
巫女さんコメントありがとうございました。 エチオピア人はキリスト教徒が多いと思いますがこの場合はイスラム教徒だったのですか。
Coloさんコメントありがとうございました。 骸骨についてはキリスト教関係の施設でたびたび見たような気がするのですが具体的には思い出せません。ただポルトガルのリスボンにあるジェロニモス修道院でギョットとしたことを思い出しました。ということで証拠写真を私のアルバムで探したが見つかりませんでした。(これも1996年のことなので記憶違いかもしれません)キリスト教徒には骸骨のみならず聖人の片手とか片足なども聖遺物として崇敬の対象になるようですね。ヴェネチアのサンマルコ寺院にある聖マルコの聖遺物(遺体)をめぐっての話も面白いですね。(塩野七生さんの「海の都の物語」参照。但しこの本の話しはかなりフィクッションがあるようですが)
今回はこのメガロ・メテオロン修道院の中をすこしのぞいてみます。写真はワイン庫です。私のような無宗教の者にはイスラム教とキリスト教は酷似しているような気がしていますが、アルコールに関してだけは?正反対です。キリスト教徒はワインをキリストの血として好みます。(この理屈も私には良く判りませんが)イスラム教徒は厳禁です。
そこでちょっと現地ガイドに聞いて見ました。修道士が酔っ払って不始末をしたことはありませんかと。ガイドは生真面目にきっぱりとそんなことはありませんと答えてくれました。