100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「またも残念! キプロス」編 2大強国の平和条約とイスラームの女性

2020年04月05日 07時53分14秒 | エジプト・キプロス


 またも4月2日の予定のキプロス旅行はダメでした。新型コロナウィルスです。これで3回目です。最初は2年ほど前でしたが、参加人数不足で、先年はわたくしの体調不良で。おかげでキプロスについて3回勉強をしました。日本と比べてはるかに複雑な歴史を持つキプロスを理解することはわたくしの能力では困難を極めました。ようやく3回目の勉強で少しわかるようになりました。もうこの年では海外旅行は地獄行きしかないようです。そこで、今回勉強したことでぜひ皆さんにも知っていただきたい興味深い話を紹介します。
 普通キプロスの歴史では330年~1101年はビザンティン帝国(東ローマ帝国)が支配していたとされています。わたくしもそう理解していました。ところが、よく調べてみると、688年ウマイヤ朝のカリフ・アブドゥルマリク(エルサレムにある「岩のドーム」を作ったことで有名)とビザンチン帝国ユスティニアノス2世がキプロスを共同統治する条約を結んでいます。それは965年ビザンチン帝国皇帝ニケフォロソ2世が軍を派遣するまで続きます。歴史的に見て2大強国が一定の領地を共同統治という条約を結んだという話はあまりないように思うのですが。わたくしは知りません。竹島(独島)や北方四島問題など思い出しました。
 写真(ウィキペヂア英語版より)はこの平和条約が結ばれる前にこのキプロスに進撃していたウマイヤ朝の戦士を記念して18世紀(19世紀説あり)に建設されたイスラームでは4番目に重要なモスクとされている「ハラ・スルタンモスク」」です。
その戦士は預言者ムハンマドのcompanion(ウィキペヂア英語版)、aunt(lonely planet))
のウバダ・ビン・アル・サミトの妻・ウム・ハラムで、ここで落馬して死亡されたとされています。
「 ヘエー、イスラームで女性戦士とは」と、またも私の無知ぶりが。手元にあった小杉泰著「イスラーム帝国のジハード」を見ると「ムハンマド時代から女性たちが大きな影響力持っていた事例は枚挙にいとまがない」(p212)と書かれていました。
 思い出したこと。
ツアーでの幾人かの若い女性添乗員に尋ねたことがあります。私「あなたは世界各地を駆け巡っていますがどの国の男性に惹かれますか」 かなり多数の答え「イスラーム圏の男性」 そのうちの一人「でも結婚となると?」と答えた彼女、その後の情報によるとイスラーム教徒のモロッコ人と結婚したそうです。 私「驚天動地」
 というわけで私の無知ぶり二つを紹介。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古代文明ロマンの旅」4

2020年01月06日 08時01分11秒 | エジプト・キプロス


 エジプトといえばピラミッド,○○宮殿などの紹介が普通ですが今はTVなどでよくみられるので省略しますが、このツタンカーメンの墓だけは何となく強い印象が残っています。
 もうひとつ、忘れることのできないのはルクソールからカイロへの機中から見た景観です。なぜか写真がありません。この旅行で使用したカメラはインスタントカメラで40枚ぐらいしか撮影でなかったことも関係していることもあるかもしれませんが、それでもなぜ撮影をしなかったかと25年たった今も後悔しています。
 それはナイル河、その沿岸に緑があり、その外には広大な砂漠が広がっていました。これがエジプト文明だと叫びたくなりました。感動のひと時でした。この景観は知識としては知っていましたので、あらかじめ添乗員(あの恐ろしい)に窓際の座席をお願いして嫌われましたが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古代文明ロマンの旅」3

2020年01月06日 07時57分07秒 | エジプト・キプロス


3大 ピラミッの近くでラクダに乗って楽しみました。頭が黒いですね。25年前ですからね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古代文明ロマンの旅」2 土産物・日本女性

2020年01月03日 08時07分28秒 | エジプト・キプロス


 写真は自分用の土産「パピルス」(余談な説明=古代エジプトで、パピルスという草の茎から制した一種の紙、英語のペイパーの原語)です。この土産は少し役に立ちました。碁友達の中学校の社会科の先生に教材として進呈して喜んでいただきました。
 話は全然変わりますが、この旅で日本女性に対する見方が変わりました。カイロ空港に降り立ち汚染された空気のいやなにおいを感じていた時、我々の添乗員(女性)の声が突然聞こえました。「なぜですか?女性にだけ荷物を運ばせて。男性のあなたは手ぶらとは。それだから日本の男性はダメなんです」。夫婦の女性か懸命に荷物を運んでいるのに、男性は手ぶらで後を、でした。びっくりしました。(感想省略)
ギリシアで一日のクルーズをしました。乗船人員400名ぐらいの船で日本人は100名ぐらいの国際的なクルーズでした。そこで総指揮をしていたのが日本人女性でした。
ギリシアでの現地ガイドも日本人女性でした。民放のTV「こんなところに日本人」で登場する外国での日本人の多くは女性ですね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古代文明ロマンの旅」1 大人数

2020年01月03日 07時57分14秒 | エジプト・キプロス

 わたくしが海外旅行を始めたのは1995年10月26日~11月4日の「古代文明ロマンの旅」(トルコ・ギリシア・エジプト)からです。その後、途中2005年に持病のリュウマチが悪化して旅行を断念せざるを得なくなりました。その時友人の勧めもあってこのブログを開設してそれまでの24回の旅の思い出話を始めました。その後少し病状が回復して2006年から旅行を再開して現在に至ります。もう体力・金力・寿命は終焉に近づいてきています。ブログ開設以前の24回の旅については充分な紹介をしていません。そこで記憶をたどりながら24回の旅の未紹介の事柄と、すでに紹介していることでも再度ぜひ見ていただきたいものを収録していきたいと思います。またその後の旅行についても次の旅行のため途中中断しているのもあるのでその再開もしていきたいと思います。
 さてこの写真は最初の旅「古代文明ロマンの旅」の参加者全員と現地ガイド、添乗員のスフィンクスを背景にしたものです。多人数ですね。40人くらいかな。そのためトイレ休憩などで時間を無駄にしました。しかもお土産屋さんにかなり時間を使いました。その時はこれが普通かなと思いました。土産物屋さんに連れて行くのは旅行業者へのバックマージンが理由のようです。時には添乗員の判断で行くことがありますが、これは添乗員個人のバックマージンのようです。帰国後調べてみると「最大募集人員25名」「土産物屋さんにはいかない」という旅行社を見つけました。それ以後この二つを売りにしている旅行社で行くようにしています。正確なことは知りませんが大手の旅行社は「多人数」「土産物屋」のようです。したがって53回の旅行で最初だけが大手で後の52回は中小の旅行社です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする