またも4月2日の予定のキプロス旅行はダメでした。新型コロナウィルスです。これで3回目です。最初は2年ほど前でしたが、参加人数不足で、先年はわたくしの体調不良で。おかげでキプロスについて3回勉強をしました。日本と比べてはるかに複雑な歴史を持つキプロスを理解することはわたくしの能力では困難を極めました。ようやく3回目の勉強で少しわかるようになりました。もうこの年では海外旅行は地獄行きしかないようです。そこで、今回勉強したことでぜひ皆さんにも知っていただきたい興味深い話を紹介します。
普通キプロスの歴史では330年~1101年はビザンティン帝国(東ローマ帝国)が支配していたとされています。わたくしもそう理解していました。ところが、よく調べてみると、688年ウマイヤ朝のカリフ・アブドゥルマリク(エルサレムにある「岩のドーム」を作ったことで有名)とビザンチン帝国ユスティニアノス2世がキプロスを共同統治する条約を結んでいます。それは965年ビザンチン帝国皇帝ニケフォロソ2世が軍を派遣するまで続きます。歴史的に見て2大強国が一定の領地を共同統治という条約を結んだという話はあまりないように思うのですが。わたくしは知りません。竹島(独島)や北方四島問題など思い出しました。
写真(ウィキペヂア英語版より)はこの平和条約が結ばれる前にこのキプロスに進撃していたウマイヤ朝の戦士を記念して18世紀(19世紀説あり)に建設されたイスラームでは4番目に重要なモスクとされている「ハラ・スルタンモスク」」です。
その戦士は預言者ムハンマドのcompanion(ウィキペヂア英語版)、aunt(lonely planet))
のウバダ・ビン・アル・サミトの妻・ウム・ハラムで、ここで落馬して死亡されたとされています。
「 ヘエー、イスラームで女性戦士とは」と、またも私の無知ぶりが。手元にあった小杉泰著「イスラーム帝国のジハード」を見ると「ムハンマド時代から女性たちが大きな影響力持っていた事例は枚挙にいとまがない」(p212)と書かれていました。
思い出したこと。
ツアーでの幾人かの若い女性添乗員に尋ねたことがあります。私「あなたは世界各地を駆け巡っていますがどの国の男性に惹かれますか」 かなり多数の答え「イスラーム圏の男性」 そのうちの一人「でも結婚となると?」と答えた彼女、その後の情報によるとイスラーム教徒のモロッコ人と結婚したそうです。 私「驚天動地」
というわけで私の無知ぶり二つを紹介。