というわけで、日本に帰り色々調べたところこのカタコンベとキリスト教徒迫害とは関係がないことを知りました。なぜ日本の高等学校の世界史の教科書に誤った記載があるのでしょう。
カタコンベが単なるキリスト教徒の地下墳墓だとすればわざわざ教科書に取り上げる価値はないと思います。私が調べたかぎりでは一冊だけカタコンベに触れていない教科書を見つけました。
「実教出版 高校世界史B 平成14年版」でした。
そこでは迫害についても「ローマ帝政は宗教にがいして寛容でキリスト教は下層民や奴隷のあいだで信者を獲得し、上層民の信徒もしだいにふえていった」(P24)どうもこれが真実に一番近いようです。
私は海外旅行のための基礎知識として世界史の教科書を読んでみました。そこでいくつかの基本的な誤りを発見しました。それをここで述べる場ではないのでやめますが機会があればと思っています。一つだけ指摘しておきます。それはプロテスタント史観に偏っているのではないかです。
写真はカラカラ浴場です。
1996年イタリアを南はシチリア島から北は高級別荘が立ち並ぶコモ湖までパック旅行をしました。ローマでは午後の自由時間を利用して予てから行きたかったアッピア街道(注1)を歩きました。
(注1) BC312年に完成したローマからナポリ近くのカプアまでの最初の「高速幹線」路。
「すべての道はローマに通ず」の元祖?
カラカラ浴場(注2)までタクシーで行きそこからアッピア街道を徒歩で南下しました。勿論現在も利用されていて石畳の上をガタガタと車が走っていました。しばらくしてマイルストーン(注3)を発見しました。何の標識(当時は)もないので少し疑問に思いましたが、日本に帰って調べてみるとどうやら本物のようでした。ただし最近になって塩野七生氏の「ローマ人の物語の旅」を見ると本物ではなくレプリカで本物はカピトリーノの丘にあるそうです。
(注2) AD3世紀にカラカラ帝によって造られた大浴場。一度に1500人以上入れたそうで す。
(注3 )ローマから1ローマ・マイル(約1.5キロ)ごとに幹線道路に置いた大理石の円柱。
視界が広がり街道の脇に人が集まっていました。近づいて見るとカタコンベの入口でした。勉強不足のためここにカタコンベがあるとは予想していませんでした。そのとき昔学校で習ったカタコンベについて思い出していました。
現在の高等学校の世界史教科書では
「キリスト教徒は、ローマ皇帝の迫害に対し、カタコンベ(地下墳墓)にかくれて信仰を守っ た」(三省堂世界史{B}2003年版p40)、
「ローマ帝政時代に迫害されたキリスト教徒の地下の墓所兼礼拝所」(三省堂 詳解世界史p81 平成5年版)、
「このような地下墓所は、禁圧されたキリスト教徒の集会場」(山川出版社 詳説世界史p39 2003年版) と記述され、
いずれも「迫害」と「カタコンベ」との関連性が述べられています。この時点での私の理解もこの程度でした。しかし、このとき何かおかしいな、とも思いました。というのは、アッピア街道という日本では東海道に相当する交通量の多いいところ、気づかれ易いところにわざわざ隠れ場所を作るはずがないということです。目立たない人里はなれたところに作るはずだと。中に入って説明を受けたのですが英語だったので殆ど分かりませんでしたが、迫害の話はなかったような気がしました。長くなるので次回へ。写真はカタコンベ内部での説明会。
この写真はヨーロッパ最北端の地として有名なノールカップ観光の拠点ホニングスヴォーグ(人口2900人)でのサーメ人の民芸品製造販売店で撮影したものです。
「ヨイク」という言葉を聞いたことがありますか。サーメ人の民族音楽です。私もCDを買って帰りましたが、音痴なのでよくわかりませんが、非常に特徴のある音楽で心が休まる感じです。忙しい現代人を癒す音楽だと思います。事実ヨーロッパではガンに効く音楽と言われ病床で聞く人が多いいそうです。このブログでお聞かせできないのが残念です。
また余談になりますが、この店を出たところで”Could tell me where taxi station is ?" (タクシー乗り場を教えてください)と尋ねてきた人がいました。日本人でした。定年退職者のバックパッカーで日本を離れて一ヶ月になりアイスランドからこちらに回っていたそうです。日本にいる奥さんとは毎日インターネットで連絡しあっているそうです。私はいまだにそのやり方はわかりません。
トナカイといえば次に思い出すのはトナカイ遊牧民族のサーメ人です。北欧(ノールウェー、スウェーデン、フィンランド)に住む先住少数民族サーメ人(ラップ人)を紹介しておきます。その数4万人~10万人。
サーメ人は以前、ラップ人と呼ばれていましたが、これは蔑称で「単純な人」という意味で現在は彼ら自身がいう「サーメ人」という言葉が一般的になっています。日本からの添乗員が「ラップ人」という言葉を使い現地のサーメ人ガイドに注意を受けるということがありました。
写真はノールウェーで写したもの。