ユングフラウヨッホから下山してフランスへ入りシャモニーからモンブランやアルプスを展望できるエギュイ・デュ・ミディ展望台(3842m)へロープウェーで登りました。(8月7日の旅程図を見てください。但しコースは逆です)高山病とまではいえませんが、体がフワフワした感じになりました。気温はマイナス5度でした。写真は展望台から見たアルプスの山々です。左の奥にはマッターホルンが見えましたが、残念ながら写真には写っていません。
余談ですが、スイスからフランスへ入ったとたん道路事情が悪くなりました。
展望台を降りてユングフラウヨッホを背景の写真です。
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先日「お墓」編の追加をしましたが、2005年11月11日の「お墓 アイルランド」を未見の方にはぜひ見ていただきたいのです。日本のガイドブックに紹介されていなく観光ツアーのスポットでもないのですが、貴重な画像?なのでぜひご覧いただきたいと思います。お願いします。
ここは何処だと思いますか。ユングフラウヨッホの氷河の中をくりぬいて造られたアイスパレス(氷の宮殿)の中です。氷だし人が大勢来るのですべるのではないかと心配しましたがなぜか私のような運動神経の鈍いものでも大丈夫でした。
昨年の10月24日から今年の1月28にまで飛び飛びでしたが番外編「お墓」と題して各地のお墓や追悼碑を紹介して1月28日でフェデリコ大王の話で終わりにしました。しかしスイスの景観を紹介していて、スイスのルツェルンのライオン記念碑を落としていたことに気づきました。
この記念碑はフランス革命時の1792年衛兵としてフランス王家に仕えていたスイス傭兵が、革命派によって殺されたことを追悼する碑です。奇妙ですね。外国の傭兵なっていた人を追悼するとは。これには理由があります。スイス傭兵部隊とは(スイス)国家管理の輸出産業だったのです。「金のないところスイス兵なし」といわれるほど金と略奪品を求めてスイス兵はヨーロッパ各国の傭兵として活躍しました。余談ですがスイスの銀行の秘密性は有名ですがこれは傭兵から送られてくるお金の秘密保護に由来しています。
スイスで外国軍隊への軍務が禁止されたのは第一次世界大戦が終了して10年後の1927年のことです。
「古来戦争とは忠誠、祖国愛といった観念とは対極に位置していた傭兵たちによって担われていたのである。それがいつしかナショナリズムにより途方もない数の人々が祖国のために身を捨てる国民戦争に変質したのである」(菊池良生著「傭兵の2千年史」p5)
この変質時期はナポレオン時代からです。ナポレオンの軍隊が強かった理由に勲章の発明がよく挙げられますが、その元はフランス革命時に作られ現在のフランス国歌「ラ・マルセーズ」の冒頭の「起て祖国の子」で表される祖国愛=愛国心です。愛国心というイデオロギーにマインドコントロールされそれが具象化された勲章によって傭兵より安上がりで強い(国民)軍隊が出来たのです。それは「国家のために殺される」のではなく「国家のために死ぬ」という考えにつながります。
今日本では靖国問題が議論されていますが、靖国神社とは「傭兵」よりは安上がりで強い軍隊を作るために愛国心とその具象化した勲章が一体化したものだと思うのですが。暴論ですかね?皆さんはどう思われますか。
アイガーの下をトンネルで通る登山列車でユングフラウヨッホに到着です。ヨーロッパで一番高いところにある鉄道駅です。(3454m)この後ユングフラウヨッホの景観を紹介しますが、この日下山したときもう一度感動がありました。同行の人がユングフラウヨッホでカメラを置き忘れたのですがあきらめていたそのカメラが下の駅に当人より先に届いていたのです。私は海外旅行をするようになって釣銭、両替などの時にお金を確認する習慣がつくようになりました。ところがスイスでは同行の1人が蝦蟇口をあけてそのまま釣銭を入れてもらっていました。
車椅子の人とヴォランティアのハイキングも見ました。
大手の旅行会社が社員に今両親を海外旅行に誘うとすればどこかというアンケートをとったところ「スイス」が断然トップだったそうです。 しかしよいことばかりではありません。スイスは物価が高いのです。私の今まで旅行して来たところではスイスが一番です。
グリンデルヴァルトからユングフラウヨッホへのハイキング途中谷間から澄んだ高い鈴の音がこだましながらかなりにぎやかに聞こえてきました。放牧している牛の首につけた鈴でした。写真に小さくゴマ粒のように見えるのが放牧の牛です。
グリンデルヴァルトから登山電車→ロープウェー→ハイキング(1時間半)→クライネシャイデック(2229m)→登山電車(アイガーの下のトンネル)→ユングフラウヨッホ(3454m)でした。ゴミ1つないきれいな風景でした。途中の写真です。