アルジェリア最後の写真です。 高台にある記念館から見たアルジェの街と地中海です。「アルジェリア」編は今回で終了です。次回は1月3日から始めます。それでは良いお年を!
海外旅行をするようになって特に最近思うことは、日本の歴史はなんとシンプルなのかということです。外国を旅行するときはその国のある程度の歴史を知らなければと思い少しは勉強をするのですが、日本史と比べて複雑すぎていつも中途半端に終わります。アルジェリアも例外ではありません。それでもフランス植民地化以後は比較的わかりやすくなります。もちろん日本に比べれば複雑です。アルジェリア人も国の歴史に興味を持っているのはフランス植民地時代からだということを聞いたことがあります。
そのフランス植民地化の始まりは1827年の「扇の一打」事件です。写真はこの記念館にあるこの時の状況を絵画にしたものです。
当時アルジェリアはオスマントルコの支配下にありそしてトルコからのデイ(太守)が支配をしていました。そこにフランスが進出してきてフランスの領事がデイを挑発愚弄してデイがその挑発に乗ってフランス領事を扇(日本でいうハエ叩きのようなもの)で一打しました。それを口実にフランスはアルジェリアに軍隊を派遣し、1854年に完全に植民地化します。その間トルコはあっさり手を引きますが、アルジェリア人の抵抗がありました。その代表例が6月14日に紹介したアブド・マルカーディルです。完全植民地化されたのちも独立への戦いは続き1945年のセティフ事件が起きます。(8月24日紹介)そしてついに1954年独立戦争がはじまり1963年独立を達成します。
その間日本でも独立を支援する運動がありました。1957年に第10回全学連大会でアルジェリア人学生が「アルジェリア全学連は日本全学連の諸君とともにあらゆる形の外国の支配を断罪して、平和と独立のためにたたかう」とあいさつしました。(「アルジェリアを知るための62章」p254)
露店のパン屋さんで添乗員の伊藤さんが皆さんにおごってくれました。味は?忘れました。まずくはなかったように思います。
カスバは老朽化が進み崩壊の危機に直面しています。実際、人影はあまり見かけませんでした。そこで少ない人影から以下4枚の写真を紹介します。なお、治安も悪いということで私服の警官の護衛が付きましたが、あまり危険な雰囲気はありませんでした。この作業場は何を作っているのですかね。
「望郷」のワンシーンのようです。ですが、この高低差はわたくしのような老人には困ります。現地の人も大変だと思います。高齢者には住みにくいところです。
カスバは度々アルジェリアを舞台とする映画などに登場します。有名なのが「望郷」(1937年)です。わたくしも以前この映画を見たようなかすかな記憶があるような気がします。フランスからアルジェリアに逃げた泥棒がカスバに潜伏するという話です。どうです泥棒の潜伏しそうな雰囲気があるでしょう。
カスバとはアフリカ北部のアラブ諸国に多く見られる、城塞に囲まれた居住区域を言います。今まで紹介してきたオアシス都市もカスバです。しかし、カスバといえばアルジェリアの首都アルジェのカスバをイメージするのが一般的です。地中海に面し高低差118mにも及ぶ「白き都市アルジェ」です。