前回述べたようにヌワラ・エリアでのホテルは農村地帯にありました。ホテルの前は道路でそこには壁のように林があり向こうが見渡せないようになっていました。いつものように私の「キョロキョロ」精神が刺激されこの道路わきにある壁のような林の向こうを探検?することにしました。写真はようやく林を通り抜ける場所を見つけて入ったところの光景です。バラック立てのタミル人の家屋です。写真の左側が壁のような林で道路そしてホテルとなります。ゲスの勘繰りかもしれませんが、壁のような林はどうもこの景色を観光客などの目から遮断するためであったような気がします。
Lonely planet のスリランカ茶畑労働者の説明に以下のような文章がありました。彼らはひどい基準以下の住居に住まいしており ”You see these barracks-like buildings down in gullies(小峡谷)”(p288) まことに失礼でしたがこの家屋に入り写真を撮らせていただきました。それは後日紹介の予定です。
このお寺の主神は「ガネーシャ」でした。許可を得て写真を撮らせていただきました。ヒンドゥ教にはたくさんの神々がいますがガネーシャは商売・学問の神です。日本の仏教の天台宗・真言宗の歓喜天(聖天)はこのガネーシャに由来します。
ヌワラ・エリアでは農村地帯にあるホテル(旅館?)に泊まりました。早く到着したので近所をぶらぶらしました。出会ったのがこのヒンドゥ教のお寺でした。4月14日に紹介したようにこの地には南インドから来たタミル人が数多く住んでいます。彼らの多くはヒンドゥ教徒です。
茶摘みの労働者は当時イギリスの植民地であった南インドからイギリス人に連れてこられたタミル人です。現地のシンハラ人はいません。それは過酷な労働条件(低賃金、過大なノルマ・一日20kg)そしてプランテーションによる森林破壊などに対する反感などでシンハラ人に嫌われたからです。
なお、後日タミル人労働者について取り上げる予定です。
「もともと東アジアにあった茶の葉が、ヨーロッパへの輸送中に発酵してしまったことから紅茶が生まれた」と私は今の今まで信じていましたが、今、ウィキペディアを見てみるとこれは俗説だそうです。自分の無知を恥じ反省!「現在の紅茶の製造法は、19世紀中頃、イギリスが中国紅茶の製法を参考に」したものだとは同じくウィキペディアの指摘です。
写真は茶摘風景です。