100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

臨時特別編「ウクライナとベラルーシのナショナリズム」ウクライナの場合3

2022年03月13日 07時52分01秒 | ウクライナ

前々回紹介したようにリヴィウは最もウクライナ色が強くロシア語が通じにくい地域とされています。ウクライナ民族主義の拠点とされています。その象徴的な存在がユニエイト教会です。ポーランド・リトアニア共和国に支配されていた1596年にカトリックとロシア正教会の妥協の産物として成立し、東方正教会の典礼(儀式)を守りながらローマカトリック教皇の権威に従うという珍しい宗派です。ウクライナ・カトリックとかギリシア・カトリック、東方カトリック教会などとも呼ばれており今ではロシア正教会とは一線を画しウクライナ民族主義の一端を担っています。
 このリヴィウでのガイドのテイニアさんはやはりユニエイトでした。
写真はヴィウにあるユニエイトの元本部の聖アンドレア教会の内部です。2005年に本部はキエフに移されました。
 私には建物の説明はできませんが、添乗員の堤さんによれば正面の作りは東方正教会と同じで、少し見にくいですがベンチがあるのがカトリック様式だそうです。折衷ですね。
 今回でウクライナのナショナリズムの紹介を終わります。ここでちょっと余談話。現在のウクライナ大統領ゼレンスキーはユダヤ系ですね。古くからウクライナにはユダヤ人が多数生活していました。そこで2012年6月4日、7日、10日、13日、16日にかなり詳しく紹介しているのでご覧いただければ幸いです。
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臨時特別編「ウクライナとベラルーシのナショナリズム」ウクライナの場合2

2022年03月10日 07時52分57秒 | ウクライナ

キエフでの最初の観光がウクライナ民族主義運動の英雄であるシェフチェンコ(1814~61)に因んだ場所でした。シュフチェンコ記念キエフ国立大学もあります。
国民的英雄シェフチェンコ(1814~61)の像は今やレーニン像に代わってウクライナのほとんどの都市で見ることができるとはlonely planetの記述です。
 彼は農奴の子として生まれ友人のカンパによって領主に金を支払い自由身分になることができました。ウクライナ文学史上最大の作品とされる農民の口語・方言と古代教会スラブ語を統合したウクライナ語による詩集「コブザーリ」を出版しました。彼によってウクライナ語がロシア語と対等な言語として認められるようになりました。47年革命運動に参加したため逮捕10年間流刑生活を送ることになりました。
 写真はキエフにある彼の像です。
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臨時特別編「ウクライナとベラルーシのナショナリズム」ウクライナの場合1

2022年03月07日 07時49分05秒 | ウクライナ

ウクライナ情勢がますます緊迫しマスコミが毎日報道をしています。2月12日に以下のようなことを書きました。
「今回の(2006年)の旅行ではロシアとウクライナの関係について何も知ることはできませんでした。しかし2012年の「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」の旅では政治的なことは別にして一般民衆の対ロシア感などを少し知ることができました。それについては2012年5月14日〰8月18日の「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」の中で少し触れています。そこで関係部分を再録しようと思ったのですが、長くなるのでやめました」
 しかし考え直して2012年の体験を修正再録をすることにしました。
まずはリヴィウから。
リヴィウはポーランドに近くウクライナでは地理的には辺境になりますが、最もウクライナ色が強くロシア語が通じにくい地域とされています。ウクライナ民族主義の拠点とされています。
3月4日の朝日新聞の記事は「ポーランド国境まで車で約1時間半のリヴィウは、外国人を含めた多くの人たちの退避場所や国外脱出の中継地点になっている」
そのリヴィウの夜、ホテルでの夕食を終え一杯機嫌で散歩に出かけました。ホテルにほぼ隣接する市民の憩いのリノック広場がありました。多くの市民が夜の憩いを楽しんでいました。写真のような若い家族連れに出会いました。ウクライナ語の挨拶言葉を書いたメモを見ながら挨拶を交わし後は片言の英語でおぼつかない会話を交わしました。彼らはウクライナナショナリストであることが分かりました。ロシア語でなくウクライナ語での挨拶でよかったと後で思いました。この家族は今?
その時以前ソ連邦の一員であったウズベキスタンの首都タシケント空港でのことを思い出していました。
 パスポートチェックの時係りの女性に「スパシーバ」(ロシア語のありがとう)というと彼女は間髪を入れずに、しかし、にこやかに「ラフマット」(ウズベキスタン語のありがとう)と訂正してくれました。次の「ダスビダニア」(ロシア語のさよなら)にも、「ハイール」(ウズベキスタン語のさようなら)とすばやく、毅然として、笑みを浮かべながら、訂正してくれました。

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「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 キエフ4

2022年02月17日 07時53分00秒 | ウクライナ

 キエフ最後の観光はドニエプル河のクルージングでした。(写真上中)その後リトアニアに向かいました。キエフ空港で可愛い坊やに出会いました。(写真下)
 最近ウクライナ情勢が緊迫しマスコミが毎日報道をしています。しかし、不思議なことは肝心のウクライナ国民の声がほとんど報じられていないことです。今回の(2006年)の旅行ではロシアとウクライナの関係について何も知ることはできませんでした。しかし2012年の「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」の旅では政治的なことは別にして一般民衆の対ロシア感などを少し知ることができました。それについては2012年5月14日〰8月18日の「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」の中で少し触れています。そこで関係部分を再録しようと思ったのですが、長くなるのでやめました。そこで関係部分の日付のみを再録します。ベラルーシについては2012年6月19日、8月18日。ウクライナについては2012年6月22日、6月22日、6月25日、6月28日、7月4日、7月25日、6月15日です。 興味のある方は左の欄のバックナンバーで日付を検索してご覧ください。マスコミでも報道されていない話があります。
ついでに余談話をもう一つ。
第二次世界大戦後の国際秩序の枠組みを確立した1945年のルーズベルト、チャーチル、スターリンの会談が行われたのはウクライナのヤルタでした。それについては2012年7月16日、19日、22日、25日28日、31日に紹介しています。

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「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 キエフ3 付録 建国記念の日

2022年02月14日 07時53分04秒 | ウクライナ

写真上は歴史文化財博物館の壁にあるBC7世紀〰BC3世紀にかけて黒海北岸に強大な遊牧国家を建設したスキタイ人の石像「ババ」です。
写真中下は「キエフで一番チャーミング通り」(地球の歩き方p256)「アンドレイ坂」で見かけた風景です。写真下は弦が60本前後もあるウクライナ民族弦楽器バンドゥーラを演奏する大道芸人です。現在日本でもバンドゥーラ奏者として活躍するウクライナ出身の女性歌手ナターシャ・グジーがいます。わたくしは知りませんけれど。
アンドレイ坂については2012年{ウクライナ・ベラルーシ・モルドヴァ}を旅した時再度訪れ2012年9月26日に紹介しています。
付録 建国記念の日
 わたくしは1週に一度養護施設にお世話になっています。先日の11日が週に一度の日でした。暦で「建国記念の日」となっていますね。利用者、職員の誰一人(20代〰90代)としてその由来を聞いても知っている人はいませんでした。そのうちの一人(30代前半)の返事にびっくり感動をしました。「現在の憲法ができた日でしょう」間違いですが大正解ですね。現憲法の精神が国民にどの程度浸透しているのかと常日頃思っていましたが。そうです、5月3日を「建国記念の日」すべきですね。「紀元節」でもいいですね。最近の一番うれしい気分の一日でした。皆さんどう思われますか。ぜひコメントをください

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ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 キエフ2

2022年02月11日 07時53分25秒 | ウクライナ

 写真上はホテルから見たキエフの町です。写真中はキエフを流れるヨーロッパではボルガ川、ドナウ川に次ぐ第3の大河ドニエプルです。
キエフでもたくさんのキリスト教会を観光しました。聖アンドレイ教会、聖ソフィア大聖堂、ペルチェルスカヤ大修道院などです。ちょっと食傷気味です。そこで今回はそれらを省略して写真下のような風景で代用します。
余談話 横綱大鵬の父親はウクライナ人です
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「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 キエフ1 赤恥笑い話

2022年02月08日 07時52分41秒 | ウクライナ

 「黄金の環」観光を終えてモスクワに戻り一泊してウクライナの首都キエフに向かいました。ウクライナではキエフの一日だけの観光でした。そこでわたくしは大恥をかきました。そのことについて2005年11月23日に紹介済みですが今回一部修正追加して再録します。
写真はキエフのドニエプル河畔での新婚さんです。私はここで大恥をかきました。事前にバスの中でドニエプル河畔には新婚さんがたくさんいるとの情報が入っていました。この地方では結婚式のあとドニエプル河畔で写真を撮る習慣があるそうです。そこで私は現地ガイドに「結婚おめでとう」をウクライナ語でどういうのか教えてもらいました。ところが語学音痴でなかなか覚えられません。その間同行の人は覚えてしまいました。とうとう言いだしっぺの私だけがバス下車まで覚えることができなく、皆さんに馬鹿にされました。バスから降りて同行の皆さんは覚えたての「結婚おめでとう」を乱発して引き出物?(お菓子だったかな?)をもらいました。私は皆さんに遅れなにももらえませんでした。
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「敬老の日 臨時特別」編 ウクライナ キエフにて

2008年09月17日 08時27分21秒 | ウクライナ

 このブログのためにアルバムを取り出しこの写真を見たとき今まで私の瞼?にあったイメージと違いました。場所はウクライナのキエフでドナウ河の観光遊覧船の船付き場であったように記憶しています。(2000年6月)そこで勲章(多分旧ソ連時代の軍人の)をつけて誇らしげに歩いている人を見つけました。その時のイメージが私の記憶です。呼び止め撮影したのがこの写真のようです。そこで記憶と写真のギャップが起きたようです。写真ではその勲章が目立ちませんが私には今もこれが記憶に焼き付いています。彼の気持ちをあれこれと忖度するのは失礼でしょうね。

 もう一枚ルーマニアのマラムレシュ地方(1999年)で出会った老人を紹介しようと思ったのですが、すでに2006年2月5日にこのブログで紹介済みでした。

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道草7 スラブ=美女説立証の巻2

2005年11月23日 10時07分01秒 | ウクライナ

 写真はウクライナ、ドナウ河畔での美女新婚さんです。私はここで大恥をかきました。事前にバスの中でドナウ河畔には新婚さんがたくさんいるとの情報が入っていました。この地方では結婚式のあとドナウ河畔で写真を撮る習慣があるそうです。そこで私は現地ガイドに「結婚おめでとう」をウクライナ語でどういうのか教えてもらいました。ところが語学音痴でなかなか覚えられません。その間同行の人は覚えてしまいました。とうとう言いだしっぺの私だけがバス下車まで覚えることができなく、皆さんに馬鹿にされました。バスから降りて同行の皆さんは覚えたての「結婚おめでとう」を乱発して引き出物?(お菓子だったかな?)をもらいました。私は皆さんに遅れなにももらえませんでした

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