アルメニア人虐殺とクルド人の関係について「トルコ」(岩波新書)の著者内藤正典氏に以下のようなメールをしました。
内藤正典様
前略
貴著岩波新書「トルコ」を拝読しました。大変興味深く勉強になりました。ありがとうございました。拝読しながら以前から気にかかっていたことを思い出しました。それはアルメニア人虐殺についてです。2003年アルメニアの首都エレバンのジェノサイド博物館訪問した時での現地ガイドの以下のような説明でした。「アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの大虐殺にクルド人も一役買ったのです」
この話は本当なんですか。ご教示いただけますと幸いです。
なお貴著p165「多くのアルメニア人が住んでいたとされる東部地域から、彼らは出て行った。その後をクルド人が埋めていった地域も多い」はこのことと関係していますか。
以上ご教示、ご返事をいただければ幸いです。
以下のようなご返事をいただきました。ありがとうございました。
山田様
拙著をお読みくださり、ありがとうございました。お尋ねの件ですが、直接の証拠は知りませんが、そのように言われています。ただ、元々、アルメニア人とクルド人は居住地が重なっていたため、一方がいなくなると他方がその土地を自分のものにするのは、あり得ることだと思います。意図的にクルド人を唆した可能性も否定できません。当時は「トルコ政府」と呼べるような政府はありません。イスタンブールのオスマン帝国政府は統治能力を失い、エンヴェル、タラアト、ジェマルの3人の将軍が動き回っていました。アルメニア人の大量追放と殺戮の首謀者は、タラートとドイツの軍事顧問たちの発想ではないかとも言われています。
取り急ぎ