ユダヤ教のシンボル「ダビデの十字」の付いた家屋もありました。
なお、このブログでは世界各地のユダヤ人のゆかりの地をかなりたくさん紹介しているので興味のある方はぜひこのブログの左下にある検索欄に「ユダヤ」と入れて検索してみてください。
ユダヤ教のシンボル「ダビデの十字」の付いた家屋もありました。
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AD1世紀頃からユダヤ人はイベリア半島(スペイン・ポルトガル)住み始めたとされ自由な生活をしていましたが、589年に西ゴート王国がカトリックに改宗して以後ひどい迫害を受けるようになりました。しかしイスラームの侵攻とともにユダヤ人は再び自由を取り戻しました。しかし1942年グラナダがキリスト教徒により征服されて以後、再びユダヤ教徒への迫害が始まりました。しかしイスラーム時代のユダヤ人たちの痕跡はスペイン各地に残されています。コルドバにはそれがたくさんあります。
写真はコルドバにあったシナゴーグ(ユダヤ教教会)の跡の標示です。
町を歩いているとこのような掲示がありました。アラブ時代の井戸が残っているということです。そのとき思ったこと。アラブは今もスペインで生きている。ひょっとしてスペインがいち早くイラク戦争から撤退したのは、これか?
ローマ帝国は5世紀には衰退しゲルマン人がこの地に侵入しその一派西ゴート人が419年に西ゴート王国を建国し560年トレドを首都にしました。ところが今回の旅行で勿論トレドにも行きましたが、全く西ゴート時代の痕跡には出会えませんでした。
スペイン・ポルトガルで西ゴート時代のものを見る機会がありますか、と、添乗員の堤さんに聞いたところ、全く知りませんとの返事でした。「地球の歩き方」にもこの時代の文化遺産の紹介はありませんし、lonely planet にもごく少数の教会が北部に残されているだけとの記載でした。
というわけで、西ゴート時代はパスして、711年にジブラルタル海峡をわたってきたイスラーム時代の紹介になります。スペイン・ポルトガルに入ったイスラーム勢力はコルドバを首都にします。コルドバは1236年にキリスト教勢力に奪われるまでイスラーム文化の花を咲かせます。イスラーム時代の10世紀頃のコルドバの人口は45万人で当時では世界最大でした。ちなみに京都は18万人と推定されています。なお最終的にスペインからイスラーム勢力が追い出されるのは1492年のグラナダ陥落です。
イスラーム寺院といえばモスク(英語)ですが、スペインではメスキータといいます。本場アラビア語ではマスジドです。これについては2008年6月12日をご覧ください。コルドバには西イスラーム世界で最大といわれる奥行き178m、幅125mのメスキータが残されています。但しlonelyplanet がMezquita-Catedral と言うように後のキリスト勢力がこの中に大聖堂カテドラルCatedral を押し込んだものが現存のメスキータです。
写真はイスラーム様式を残した内部です。フラッシュ禁止の写真なので見難いですが。現在850本の柱が立っていますが、大聖堂のため63本が犠牲になりました。
ローマ時代の橋です。
ローマ帝国が支配した広大な地域を今までたくさん旅行して来ました。そのときいつも同じことを思います。数千人から10万人を収容する劇場、少女の水くみの苦労を解決したセゴヴィアの水道橋などのように、大衆に「パンとサーカスを」と揶揄気味に言われるローマ帝国ですが、少数者のためのでっかい建物(文化遺産)を残した他の文明との違いは歴然としています。ヨーロッパ人はギリシア、ローマ文化を古典文化と名づけ自分たちの文化の源流としてきました。うらやましいかぎりです。という感想でローマ時代を終わります。
附録
最近イランについてのマスコミ報道が多くなってきていますが、昨年当地を訪れ「イラン」編(未完)を書いています。今回のイラン報道を理解するに少しは役に立つことがあると思うのでご覧いただければ幸いです。特に2008年9月6日、2008年5月31日~6月2日(ハメイニー)2008年5月5日~5月23日(男と女)の話は参考になると思います。左のカレンダーをクリックしてください。
ローマ帝国は現在のスペイン・ポルトガルを5つの属州に分けましたがその1つルシタニアの州都がメリダです。そこにはBC8年に建設され現在も使用されている6000人の観衆を収容できる円形劇場がありました。
Fengdanさんいつもコメントありがとうございます。
同じくガルシア地方に「ア・コルーニア」(スペイン語=カスティリア語でラ・コルーニア)はあります。そこにローマ時代の2世紀に造られた灯台があります。今でも現役とのこと。
神話によればこの地の人たちを恐怖に陥れていた残酷な巨人ゲリオンを殺すためにヘラクレス(エルクレス)が建てたとされています。
この水道橋の近くにあったこの像はローマ建国伝説に基づくものです。スペイン各地で見かけました。ローマを建国したとされるロムルスとレムスの双子の兄弟が生まれてまもなく捨てられ、狼に育てられたという神話です。その後ロムルスはレムスを殺しロムルスはローマを建国し、彼の名にちなんで国の名がローマというわけです。