私たちはブンブレット谷にあるホテルに泊まりました。写真はホテルの中庭です。木の実はアンズです。アンズ狩りというわけです。その他子供の時の懐かしい桑の実もありました。桑には白い実をつけるのがあるということをここで始めて知りました。白い実のほうが美味しかったです。
写真の右上を見てください、ここが深い谷あいにあることが分かると思います。
私たちはブンブレット谷にあるホテルに泊まりました。写真はホテルの中庭です。木の実はアンズです。アンズ狩りというわけです。その他子供の時の懐かしい桑の実もありました。桑には白い実をつけるのがあるということをここで始めて知りました。白い実のほうが美味しかったです。
写真の右上を見てください、ここが深い谷あいにあることが分かると思います。
歴史的には20万人もいた彼らは周囲のイスラーム教徒から劣った人間と差別され時には奴隷狩りの対象となりこの谷あいにかろうじて残った3000人が閉じ込められるようになったと思われます。現在ではイスラーム教徒と平和な通婚も行われているようです。写真の子供たちをご覧ください。カラーシャの服装とイスラームの服装の両方の子がいます。イスラームの子が元カラーシャの子でイスラームへの改宗者かもしれませんが。
ここで思い出したのは2007年9月20日~9月30日に紹介したマリ共和国のドゴン人です。彼らもまた独自の宗教を持ち周辺の民族から奴隷狩りの対象になりながらあの断崖絶壁に住むことを余儀なくされてきました。
前回カラーシャ族の起源、歴史には不明なことが多いと述べましたが、彼らの伝承ではアレクサンダー大王遠征軍の末裔とされています。人種的にはインドアーリア系のようで青い目の人が見られました。写真でははっきりしませんがこの子達は青い目をしていました。
ひどい悪路をジープでカラーシャ村に向かっていると、大学生のドライブ遠足の一行に出会いました。そのなかに現地ガイドのサリームさんの従兄弟がいました。話をしているとそのなかにカラーシャ族の女性がいました。カラーシャ族との初対面です。彼女はカラーシャ族最初の大学生だそうです。
写真を撮らせてくれましたが、中谷さんの旅日誌によれば「友達の一人が『すっぴんで写真に撮られるなんていい度胸しているな』とからかったせいで走っていってしまいました」。この写真はその走り去る寸前の時のものです。
前々回、前々前回にカラーシャ族の服装について紹介しましたが、なかなか特徴のある民族なので世界でも初公開と思われる写真とともに以後数回にわたって記載します。
居住地は2008年6月26日の地図にあるブンブレット谷とあるところです。これで分かるとおりアフガニスタンに接した峻険な山岳地帯です。地図にはブンブレット谷とだけありますが、その他ルンブール谷、ビリール谷と3箇所の谷に約3000人が住んでいます。この地では珍しい非イスラーム教徒で独自の多神教を信じています。周辺のイスラーム教徒からはカフィールと呼ばれていました。このカフィールを私の知っている日本語のすべての文献は異教徒としていますが、私はlonely planet(p41) の”nonbelievers”「神を信じない人たち」のほうが正しいのではないかと思っています。
言語はカラーシャ語でインドヨーロッパ語族に属します。起源、歴史は文字を持たないこともあって不明なことが多いようです。(ごく最近カラーシャのアルファベット作られました)かっては20万の人たちが現在のアフガニスタンとパキスタンにまたがって住んでいましたが、現在はアフガニスタンで強制的にイスラーム教徒にさせられた3000人と、ここパキスタンに旧来の宗教を保持している3000人だけになっています。
このカラーシャの村に入るにはこの地の行政府(チトラール)で許可書をもらわなくてはなりません。パスポートの点検と警察署長との面談です。かなり時間がかかりました。写真はこのときの警察署長さんです。
警察署は暇なようで珍しい外人の周りをたくさんの暇人が取り囲みました。私はアイアム アブドゥラと自己紹介をしました。アブドゥラというのはイスラーム圏ではよくある名前で{神の奴隷}という意味です。この冗談が通じたのか飲み物をおごるというのでビールといったら断られました。(イスラーム圏ではアルコール厳禁)添乗員の中谷さんの旅日誌には「さすがにたくましい皆さん、警察訪問を少し楽しんでおられる方も??」と書かれていましたが、どうやら私のことだったようです。
入村料が必要で一人200ルピー(1ルピー=2円)払いました。
イランでも服装が一色というわけでもありません。以前(今年6月22日)ゾロアスター教のことで紹介したアブヤーネ村(今年3月31日地図)の人たちはイランでは特色ある服装です。このことを「地球の歩き方」(p108)では「かつてこの村がゾロアスター教徒の村であった名残」と記しています。
男は今までの写真で分かるとおりパキスタンのイスラーム教徒と同じ服装です。しかし「ハレ」の時には民族衣装があります。残念ながら、今回のその写真は撮れませんでしたが、わだ晶子さんのホームページにありましたので無断ですが転載して紹介します。
なお、わだ晶子さんについては後日紹介の予定です。
どこの国の場合でも同じですが、同じ国の人がみな同じ服装ではありません。この北部パキスタンに非イスラーム教徒の人口わずか3千人のカラーシャ族が住んでいます。6月26日の地図にあるブンブレット谷というところです。
今回は服装ということでカラーシャ族を紹介しますが、後日その他の風俗習慣、日本人(わだ晶子)とのかかわりなどについてあらためて紹介する予定です。 この写真はブンブレット谷のホテルに到着した時、中庭で何かの記念撮影か?というような状況で、慌てて盗み撮りをしたものです。
このときはこの女性の美しい民族衣装は「ハレ」の時に着るものかと思いました。しかし、次ページをご覧ください。
このブログのためにアルバムを取り出しこの写真を見たとき今まで私の瞼?にあったイメージと違いました。場所はウクライナのキエフでドナウ河の観光遊覧船の船付き場であったように記憶しています。(2000年6月)そこで勲章(多分旧ソ連時代の軍人の)をつけて誇らしげに歩いている人を見つけました。その時のイメージが私の記憶です。呼び止め撮影したのがこの写真のようです。そこで記憶と写真のギャップが起きたようです。写真ではその勲章が目立ちませんが私には今もこれが記憶に焼き付いています。彼の気持ちをあれこれと忖度するのは失礼でしょうね。
もう一枚ルーマニアのマラムレシュ地方(1999年)で出会った老人を紹介しようと思ったのですが、すでに2006年2月5日にこのブログで紹介済みでした。
観光地で有名なローテンブルクを自由時間にぶらぶらしていると立派なひげを生やし少し怖そうな老人に出会いこの日のために覚えてきたドイツ語「貴殿の写真を撮らしていただけませんか」(そのドイツ語は今は忘れました)を恐々としゃべりました。すると顔に似合わず?気さくに応じてくれました。なぜかいまだに忘れることのできない人です。
私たちが訪れた時、キリスト教の儀式が行われていました。
なお、このフッゲライは通常たいていのパックツアーでは観光コースに入っていません。 このときも予定には入っていませんでしたが、私がしつこくバスの運転手を巻き込んで頼み込み、行くことができました。通常はこのような変更を旅行業者はしません。
しかしアウグスブルクを観光される方には必見のところです。