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「出会いふれあい」編 シリア・ヨルダン・レバノンの旅から 2

2024年10月18日 07時55分32秒 | 出会いふれあい

ヨルダンのガイド、ジャミールさんは浅黒い肌の典型的な中東の人でした。  
 彼は豚肉を食べないし、ラマダンも行う敬虔なムスリム(イスラム教徒)でした。奥さんは1人だそうです。彼にローレンス(アラビアのローレンス)(注1)を尊敬しているかと尋ねてみました。彼はスパイでcheater(ペテン師)だとの返事でした。サラディーン(注2)について同じ質問をしてみました。勿論尊敬しているとの返事なので次の質問をしてみました。バイバルス(注3)についてはどうかと。この質問は牟田口義郎の「バイバルスはサラディーン**より今でも庶民の間で人気があり」(「物語 中東の歴史」 p221中公新書)を確認したかったからです。ところが期待したような強い返事が無く牟田口氏の説を確認できませんでした。これはシリアのガイドの場合も同じでした。
 (注1)イギリスの軍人・考古学者。1914年~18年、オスマン帝国の支配に対するアラブ人の反乱をイギリスの工作員として支援。アラビアのローレンスと呼ばれました。(1888~1935)
(注2)十字軍と戦い勝利したイスラム軍の将軍で後にエジプトのアユーブ朝の建設者。アメリカのブッシュ大統領がイラク侵略戦争をする時に十字軍を引き合いに出し、これに対して当時のイラクのフセイン大統領がサラディーンの名前で対抗したしたので一躍有名になりました。ところがサラディーンはフセインが抑圧したクルド人出身であったことは皮肉でした。(1138年~1193)
最終的に十字軍をこの地方から追い出し、またモンゴル軍にも勝利した奴隷上がりの将軍でマムルーク朝のスルタンになりました。トルコ系遊牧民クマン人出身。(1228年頃~1277年)クマン人は現在、他民族に同化し殆ど消滅しましたが、ハンガリーの傭兵として現在のハンガリーに定住した人たちがマイノリティーとして残っています。ブタペストの北東100kmにある木造建築(世界文化遺産)で有名なホローケー村がそうです。(NHKのスペシャル番組「ドナウ河紀行」でここが紹介されましたが、クマン人の末裔の住む村であることに触れられなかったのは残念でした

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