途中ケリアに寄りホータンに到着です。ケリヤは2006年11月21日~23日に紹介済みです。
ホータンといえばなんといっても「玉」(ギョク)です。といっても私には豚に真珠ですが。玉体、玉顔、玉音、玉座、玉杯、玉石混淆など玉という字は古来尊く貴重なものを意味してきました。その「玉」はホータンに産するのです。ホータンは崑崙山脈の雪解け水が白玉河になってオアシスを形成したところです。その白玉河の白い砂礫に「玉」は見つかります。というわけで我々も一攫千金を目指して白玉河を目指しました。
クチャから西域南道のニヤ(民豊)までタクラマカン砂漠720kmを一日で縦断南下しました。タクラマカン砂漠については2007年5月25日~6月4日にかけて比較的詳しく紹介しました。
翌日ニヤから西域南道を西にホータン(和田)へ向かいました。右がタクラマカン砂漠、左が崑崙山脈というわけです。崑崙山脈は砂漠の砂塵などでめったに見ることはできないそうです。しかし今回は参加者の日ごろの精進がよかったせいかうっすらと左手に崑崙山脈が見えました。一同歓声。
同じく夕暮れの公園。昔懐かしい射的ですね。写真のメモリーでは午後21時44分となっていますが、この明るさです。というのも中国は東西も広いのですが時間は北京時間で統一されていているので西のこの地は日が暮れるのが遅いというわけです。
コルラから西域南道(2006年12月21日)を西にクチャに向かいました。ここは古くから亀慈国として知られたオアシス都市です。したがって遺跡群の宝庫です。2007年2月28日~3月2日にそれらの史跡を紹介しました。今回は人口40万人の現代の街内を紹介します。
朝の散歩の時に出会った風景です。ロバ車とバイク車が併走しているのがなんとなく面白かったので撮影しました。バイクのほうはタクシーでしょうか。ロバは親子? ロバタクシーもいるそうです。
fengdanさんコメントありがとうございました。
「中国シルクロード」を再開します。
ちょっと復習をしておきます。旅程図は2006年9月4日と2006年9月30日にあります。中国シルクロードの主要幹線は北から天山北路、天山南路、西域南道に分かれます。今回はそのすべてを通るという欲張ったツアーでした。最初ウルムチから天山北路で西に向かいカザフスタンとの国境(2006年11月1日)まで行きそこからバインブルグ大草原(ここの写真は私の自慢の一枚なので未見の方はぜひご覧ください。特に2006年9月26日 また普通ここはパックツアーではめったに行きませんので貴重な?写真です。「ガイドブック地球の歩き方」にも記載がありません)を通り天山山脈を越え天山南路のコルラまで南下しました。そのコルラから天山南路を西にクチャに向かいそこからタクラマカン砂漠を縦断南下してニヤに出て今度は西域南道を西に向かいホータンを通り新疆ウィグル自治区の最西端で古のグレートゲーム(後日紹介)の舞台になり最近ではウィグル族の警察襲撃事件のあったカシュガルに向かいます。またカシュガルは天山南路と合流するところでもあります。
今まであちらこちらと話は飛んでいますが、主要にはタクラマカン砂漠縦断まで紹介してきました。今回からはその後を紹介します。
その前にコルラを忘れていたのでそこから始めます。 コルラ市の中心から13kmのところに鉄門関という砦があります。
この写真はマラケシュのホテルから写しました。良く見てください。かなり広い道路の十字路です。かなりの交通量ですが信号機がありません。警察のパトカーがいます。混乱したときにパトカーが出動して誘導していました。モロッコでは広い十字路でも交通信号が無いところが多いようでした。ちなみに10万人あたりの交通事故死者は13.1人(2006年)で特別多くはありません。交通信号はあるが無視する人が多いイランでは2008年5月25日に紹介したように10万人当たりの交通事故死者は42.8人でした。
今回で「モロッコ」編を終わりにします。次回からは長らく中断していた「中国シルクロード」を再開します。