今回のギリシアの旅の目玉の一つが4泊5日のエーゲ海クルーズでした。旅程図は2007年4月5日をご覧ください。
ところが日本を出発直前に我々が乗船予定の船がこのエーゲ海で難破、沈没すると言う事件が起きていました。代替の船のことを心配していましたが、幸い予定の船よりワンランク上のエメラルド号になりました。
2万6426トン、部屋数500室、乗客数1195人、長さ182m、幅26mという豪華客船でした。
写真はアテネの外港ピレウスからこのエメラルド号に乗り込む様子です。
乗り込むと一人一人にウエイター?が付き部屋まで案内してくれました。
「附録」
前回伊藤さんがアメリカ合州国の大統領選挙について書かれていました。私も候補者の一人オバマの伝記を読み終えたばかりです。
読みながら彼は「豊臣秀吉」や「ライス国務長官」のようにはならない人のような気がしてきました。そしてだんだんと妄想が妄想を呼んできました。
彼が大統領になりケニア人を父に持つアメリカ合州国の大統領としてケニアに対してケニアでの大統領選挙をめぐる暴力的な対立を中止してほしいと働きかける。それを受けてケニアは平和を取り戻す。
次にイスラーム教徒の父を持つオバマは世界のイスラーム教徒に対話を呼びかけそれがきっかけになり世界の宗教・民族対立に終止符が打たれ、世界平和が訪れる。これがアメリカ合州国の本当のmanifest destiny (明白な天命)ではないかと。(妄想が過ぎる)
この本の原題は”Dreams from My Father” です。
先日ハワイにいる彼の妹がTVに出ていましたが、彼女の父親はインドネシア人です。また彼の異母兄弟姉妹はケニアその他の地域にたくさんいます。
アメリカの大統領選挙が話題になっている。こんどの大統領は99%民主党の候補だろうと思って見ている。民主党となるとヒラリーさんかオバマさんだろうな。 どっちがなっても歴史的な大統領。 初の女性大統領か初の黒人大統領。 個人的にはオバマさんを応援しています。 初の女性大統領も面白そうだけどでもヒラリーはオバサンをとっくに通り越してお婆さんに近くなっているから。それにクリントン夫妻は好きでないからね。 やはりリーダーは40代から50代の若いリーダーのほうがいいと思う。
前置きが長くなったけどたまたま12月31日に居合わせることになったブータンの選挙です。 ブータンでは4代目のイケメン前国王が君主制から立憲君主制に体制を変換することに決定。 しかし06年、07年は黒い年で縁起が悪いから選挙は先送りされていて07年の年の瀬に一回目。 そして今月1月に二回目、その後に確かもう一回の計3回の選挙で上院と下院の候補者を決めるって聞いたな。 全部で40人ぐらい国会議員が選ばれるんだけどそのうちの5人はオオサマが任命する。 国の歴史始まって以来の選挙だからかなり気合が入っていて07年に2回予行演習をやって31日にホンバン。大きな混乱も不正もなく無事に終了。インドと国連らか派遣された選挙監視委員会もTVでフェアーな選挙だったと言っていた。 選挙前日の30日18:00から選挙翌日の朝06:00まで許可を受けた外人用ホテルと食堂以外は閉店してお休みにしないといけない。 違反すると罰金。 31日はインドとの国境は封鎖される。
選挙は以外にもほとんどの投票所で電子投票が行われた。 ちなみに投票所はお寺かその村長さんの自宅のお庭。 投票率は55%ぐらい。 以外に低いのは本籍地でないと投票できないから。 ちなみに世話になったガイドさんは実家が東ブータンで首都ティンプーからバス2日、そのあと更に歩いて1日かかる。
投票は正装で!! 男性は民族衣装の ゴ 着用。 女性は民族衣装の キラ 着用。 投票所にケータイ持込禁止。 ケータイは不謹慎らしい。 ← 確かにケータイの出会い系が大流行で離婚の増えているからね、、、。 投票前に酒を飲んではいけない。 候補者は、大卒でないといけない。 女性の国会議員数にはノルマがあった。 サイテーでも5分の一ぐらいは女性の国会議員をと。 なるべく若者を選ぼう。 国会議員は60歳定年。 ← どっかの国も絶対そうしてほしい。
投票は友達、知り合い、家族、親戚でなくて本当に国のため自分達のためになる人に投票しましょう。 ← ごもっとも!! さすが電子投票だけあって翌日には当選者が新聞に出ていました。
(管理人から)
1 写真は選挙ポスター掲示板です。国語である「ゾンカ」と英語が併記してあることにご注目ください。
2 2007年12月15日の朝日新聞の記事を紹介しておきます。 「泣きながら王政の存続を直訴する各地の国民に『悪い王の時にも国が存続できる仕組みが必要だ』と懸命に説得する前国王の姿が人々の心に焼き付いているという。」
3 fengさんコメントありがとうございました。ブータンの民族構成はチベット系が3分の1、ネパール系が3分の1です。宗教はご指摘の通り国教がチベット仏教です。ヒンヅー教徒もいるそうです。
高校の社会科の授業ではGNP(国民総生産)と言う言葉を習った。 GNP:gross national production 最近はGNPは使われずGDPが経済指標に使われる。 このGDP:gross domestic production の方がもっと適切らしい。 GNH:gross national happiness これは国民総幸福量と訳すらしい。
これは南アジアの小国ブータンがそして国連が提唱するあたらしい指標。 これをみると日本を始め東アジアの国々中国とか韓国はのきなみものすごく低い。ストレス溜まるしね。それに東アジアの人は楽観主義よりちょっと悲観主義を好むようだしそのほうがインテリに見えるからね。
東アジアでも日本はダントツで悲観主義だと思う。まっ、毎日の新聞とニュース、週刊誌を読んでいればその気持ちもわからないでもないけど、、。
ブータンは今年から君主制から立憲君主制に移行する予定。 06年にもう60過ぎている当時のオオサマの4世が退位していまのオオサマの5世に王位を譲った。前代の4世はなかなかの開明君主でいろいろな改革をオオサマ主導で行ってきた。08年からの民主化も4世がレールをひいてきた。 でも近隣国のネパールの状況を見れば民主化は早いほうがいいというのもうなずけるけどね。 そのオオサマが提唱しているのが国民総幸福量のGNH。 あまり国際的な地位の向上とか経済発展とかにこだわらずに国民の幸福感の向上に努めましょうと、、。
ブータンは人口がなんとたったの92万人(東京と人口の10分の1以下)で首都のティンプーも伊豆あたりの小さな温泉町といった感じで国全体が自分が生まれる前のテレビかなんかで観た日本の昔の田舎って感じ。 とてもよかったです。 こんどはプライベートで行きたいと思っています。 みんな幸福なんだろうなーと思っていた矢先に気づいたこと。 ケータイがものすごく普及していてみんなノキアのけっこういいケータイ使っています。もちろんケータイでネットもできる。 ケータイが普及してから離婚も普及したらしい。 なぜならケータイの人気サイトは出会い系だから。 ガイドで友達のツェリンさんも離婚の危機、、、彼の場合は仕事が忙しすぎるのとちょっとした浮気がばれたから、、、、。
インターネットやケータイが普及する前は半鎖国状態だったブータンにも国際化の波が押し寄せ、大人は外国文化の流入によってブータンの良さが失われると危惧している。 子供(ティーン)はインターネットで外国の情報がたくさん入ってきて自分達のアメリカのキッズみたいになりたいと思っている。 ティンプーで行ったクラブでタイガーネスト(虎の巣 or 虎の穴??)ではhiphop や R&B系の音楽ががんがんにかかり民族衣装のゴやキラを着ている人は誰もいなかった。
ブータンでは去年まで民族衣装のゴやキラを着るのが提唱され、公務員は民族衣装が義務だった。 08年から全国民が民族衣装の着用を義務付けられるらしい、、、。 ホテルのレセプションのオニーさんとオネーさんは一緒にクラブに行ってビール飲んだときにブータンは退屈だと文句をいっていた。 天国やパラダイスは死なないと行けないものなんだね。多分。
(管理人から) 写真は首都ティンプーから東のブナカへ向かう途中の風景です。撮影は勿論伊藤さん。
前回、BC7世紀にペリアンドロスが運河の開鑿を計画し断念したと紹介しましたが、実はそのとき代替としてディオルコスという敷石の軌道を設置して船を台車に乗せて引っ張るという路を作りました。このディオルコスは13世紀まで利用され今日遺跡として残されています。(写真)
このディオルコスは日本語のガイドブックにもなく、観光コースには入っていません。そこで現地ガイドに存在を確認して連れて行ってもらいました。この地にもたくさんの日本人観光客が来ていましたが、その存在を知る人はいませんでした。我々の添乗員も知りませんでした。この地にお出かけの方はちょっとしたわき道に入るだけですから、ぜひ立ち寄ってみてください。
2007年4月5日の旅程図では見難いのですが、アテネからアドリア海に抜ける海路はペロポネソス半島を迂回しなければなりません。そこでコリントスの所で運河を通すことが考えられました。
古くはBC6世紀コリントスの僭主(これについては後記の予定)ペリアンドロスが運河開鑿を計画しますが断念。AD67年にはかのネロ皇帝が6000人のユダヤ人囚人を使って開鑿を始めましたが、ゴール人の侵入で頓挫。
結局(1883~1893年)スエズ運河の開削に刺激されフランスの会社によって開通されます。
この運河は全長6436メートル、幅23メートル、高さは高い所で90メートル、水深8メートルです。
第二次世界大戦中ドイツ軍が運河を利用するのを阻止するためには意図的に運河を破壊せざるを得ないこともありました。この復旧には5年あまりかかりました。
現在は幅が狭いため主に観光船だけの通航のようです。しかしそれでも年間1万1000隻の船が通ります。
「予告」
現職の添乗員伊藤さん(ユーラシア旅行社)の原稿が届きました。時間・編集の都合で次々回にまわさせていただきます。ブータンからの最新情報です。新聞の外報よりもすばらしいレポートなのでご期待ください。 写真もご期待ください。
なぜかコリントスは2007年4月5日の旅程図に記載されていませんが、スパルタ→ナプリオン→コリントス→アテネに位置します。(この位置関係は次回紹介の運河に関係します)
古代ギリシアではアテネ、スパルタと並ぶ有力都市国家(ポリス)でした。ここの遺跡で最も有名なのはアポロン神殿です。(写真)コリントスの遺跡は多くはローマ時代のものですが、これはBC6世紀に建てられたものです。
写真で見られるようにドーリア式の石柱が7本残っていますが、建設当時は38本ありました。ギリシア神殿の石柱は普通輪切りにした胴石を積み上げて作られますが、これは珍しく継ぎ目無しの一本の石柱です。
ついでにシュリーマンが発掘したトロイの遺跡(木馬)を紹介しておきます。写真はフイルムのため1回クリックした後もう一度画面の下に出る拡大のアイコンをクリックしてください。
トロイ発掘についてこの項の最初に述べたのはシュリーマンが幼少時にホメロスのイリアスに感動したのがきっかけと紹介しました。当時トロイの実在は疑問視されていました。彼は実在を証明するため事業を起こし費用をためました。そしてついにトロイの遺跡発見となるのが彼の自伝「古代への情熱」のストーリーでした。
しかし、最近の研究によればどうやらこの話しはシュリーマンのウソであったようです。
「シュリーマン 黄金と偽りのトロイ」(トレイル著 青木書店)はシュリーマンの日記などを厳密に考証し彼の幼少時の話しをウソであると主張しています。この本は私も読みましたが、キワモノ的なものでなく信頼が置けるものと感じました。(読んだのが数年前のため詳細は忘れたので以下のようなことを付け加えておきます)
インターネット上の百科事典ウィキペディアもこのトレイルによっているのか幼少時の話しをシュリーマンの虚言癖、見得によるものとしています。そして30歳年下の再婚相手の教養と美貌にコンプレックスを感じトロイの発掘が子供の時からの夢だったと語ってしまい発掘する羽目になったとしています。
また英語版のウィキペディアも幼少時の話しを証明するものはないと言う説を紹介しています。
トレイルの本で紹介されているシュリーマンの離婚、再婚の話しも面白いです。興味のある人はこの本をお読みください。
ついでにもう1つ。シュリーマンはトロイの発掘以前に日本を訪れ(1865年)約1ヶ月滞在して将軍家茂の行列など見学し日記風の記録を残しています。
前回紹介した王家の墳墓をシュリーマンはトロイ戦争の英雄アガメムノンの墓と信じました。しかし今日の通説ではトロイ戦争以前のものとされています。しかしここでシュリーマンが発掘した黄金の仮面は今もアガメムノンの黄金のマスクと呼ばれています。
写真はアテネの国立考古学博物館に展示されているものです。(画面右側)