これはスペイン最大のそしてヨーロッパではローマのサンピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ規模のセルヴィアのカテドラルの側面の写真です。奥行き116m、幅76mです。モスク跡に建てられたのでイスラーム様式が色濃く残っているそうです。
カテドラル(大聖堂)とは何? といわれてもキリスト教には縁の無い私には良く判りません。広辞苑には司教の座席がある聖堂とありますが、司教とは?などと、むずかしくなります。というわけでキリスト教の大きな教会と考えておくことにします。イタリアではドーモです。
このスペイン、ポルトガルの旅行では毎日のようにカテドラル観光でした。複数の時もありました。不謹慎になるかもしれませんがいい加減うんざりでした。しかし、せっかくですから、カトリックの項の締めくくりに2つのカテドラルを紹介しておきます。スペインでのカトリックの総本山に当たるのはトレドにあります。そこで写真はトレドのカテドラルです。
以前にも書きましたようにカトリックは一神教ではなく二神教ではないかと思われるほどマリア信仰が盛んなので美術館の絵でもマリアが多い様な気がします。今回私にはちょっと珍しいと思われたマリアを二つ紹介します。
ヴァレンシア美術館は珍しくフラッシュなしで撮影が許されました。この図はマリアの慈愛を表すもので下にいる人々にもおっぱいのおこぼれを与えるものだと私は思いました。ところが次は?
ついでにサグラダ・ファミリア聖堂の写真を。なおガウディとその作品については後日紹介の予定です。
親孝行で余談話を一つ。海外旅行をしていてヨーロッパの人たちと日本人の共通点はいずれもジジイとババが殆どであるということです。それに対して親孝行を重んじる儒教の国の中国、韓国は若者の比重が高いことです。何か別の理由があるのですかね。
旅行の途中で現地ガイドに「イエスは親孝行をしましたか?」と質問をしようと思いました。親孝行という英語が分からないので和英辞典を引いてもぴったりした訳語が見つかりません。そこでその質問をやめました。考えて見れば英語だけでなくヨーロッパキリスト教国ではどうやら「親孝行」という言葉はあまりポプラーではないようです。
私は聖書をとびとびにしか読んだことが無いので以下の記述は間違いかもしれませんがキリスト教では親孝行という日本的な道徳観は一般的でないような気がします。たとえばマルコ福音書1章19節~20節では弟子たちが父親を残してキリストに従うという話がありますし、マルコ福音書3章33節~35章の話は有名です。同じマルコ福音書10章では「私のためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てたものはだれでも、今この世で、迫害を受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑を百倍受け、後の世では永遠の命を受ける」(29節~30節)とあります。(この項での「後の世」では「父」が抜けていることにも注目ください)
というわけで、スペインのみならずヨーロッパの美術館などを訪れたとき宗教画を多く見ることが多いのですが、キリストの親孝行の絵を見ることはないし、マリヤはたくさん見ますが、お父さんのヨセフの登場する絵もめったに見ません。ヘロデの弾圧を恐れてヨセフ、マリア、キリスト3人でエジプトに逃げる絵は時に見ますが、お父さんの影は大体薄いようです。
ここまでがこの写真を紹介するための前置きです。これはガウディで有名なサグダラ・ファミリア聖堂にあるキリストがお父さんの大工仕事の手伝いをしている親子孝行?の珍しい像です。(お父さんのヨセフは大工さんです)お父さん(ヨセフ)お母さん(マリア)がそっぽを向いているところも面白いですね。
ヴェテランの添乗員堤さんに聞いたところ彼の記憶のかぎりではイスラエルのナザレで大工仕事の絵を見たことがあるだけだそうです。どなたかイエスの大工仕事の手伝いをしている親孝行の絵や像を見られた方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。
サンティアゴの町に入る手前に「モンテ・ド・ゴソ」(歓びの丘)という少し小高い丘があります。かって長い旅をしてきた巡礼者は我先にこの丘に登り遠く見えるカテドラルに歓喜の涙を流したそうです。写真はその丘からの街です。中央に小さく見える3本の塔がカテドラルです。この日は天候が悪く小雨が降っていたのでこの景色は駄目だと思っていましたが、幸いこの丘に登ったところで晴れてきました。多分カトリック信者の人がいればマリヤさんのおかげと思ったことでしょう。
Fengdanさんコメントありがとうございます。このマークもサンティアゴの方向を示したものです。ホタテ貝は巡礼のしるしです。
スペイン北西部に位置するサンティアゴ・デ・コンポステーラ(2009年3月29日の地図参照)はローマ、エルサレムと並んでキリスト教の3大聖地です。多くの巡礼者が世界各地から訪れます。いわれはキリストの12使徒の一人聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の墓が9世紀に発見されたことによります。
現在では徒歩での巡礼は少なくなっているそうですが、それでもレオンから私たちのバスは巡礼道と一部で平行しており多くの徒歩巡礼者を見ました。サンティアゴでセヴィリアから来た人たちに尋ねるとレオンまで交通機関を利用してそこから徒歩できましたとの返事でした。
写真はレオンで出会ったバイクの巡礼者です。背中にホタテ貝があります。巡礼者のしるしです。