100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「韓国」編 日本と韓国6 柳寛順ユガンスン

2011年04月30日 08時14分43秒 | 韓国

 以下柳寛順ユガンスンについての記述は主に「観光コースでない韓国」によります。

 天安(329日の旅程図では扶余と水原華城の中間点にあります)で生まれた彼女は31日当時ソウルの梨花学堂(名門梨花女子大学の前身)3年生16歳でした。同級生たちと小遣いを出し合って太極旗を作りデモに参加する準備をしていましたが学校側は参加を禁止し、キャンパスからでることができませんでした。学校は休校になりました。彼女は故郷に帰り地元の有力者と相談して旧暦の31日にあたる41日を蜂起の日と決めます。当日数千人のひとが集まり「独立宣言」が朗読され、続いて柳寛順は次のように訴えました。

 「我々は四千年の輝かしい歴史をもつ独立国家の民です。しかし、倭奴の弾圧を受け国を失い10年の歳月を圧迫されてきましたが、今回フランスのパリで開かれた講和会議で世界弱小民族に自由と解放が与えられようとしています。海外の我が革命家は代表キムキュシク博士を送って我々の願いを世界に訴えています。この時我々が黙っていていいのでしょうか。去る31日ソウルで我々は堂々たる自主独立国家であることを宣言し、独立万歳の叫びは三千里の村々にかけることなく伝わっています。我々が脱落していいものでしょうか。みなさん我々も独立をかちとるための万歳を叫びましょう」

 この集会は日本の憲兵に弾圧され彼女の両親は虐殺されました。彼女自身は逮捕されソウルの西大門刑務所に送られ拷問を受け獄死します。現在この刑務所は歴史館として保存されています。最後の言葉は「日本は必ず滅びる」だったと言われています。韓国の小学校の教科書は10ページにわたって彼女を取り上げています。

 前述のように彼女の生家(記念館になっています)は天安にあります。今回のツアーコースから少し横にそれれば訪問可能だと思いおねがいしましたが拒否されました。時間的にも十分可能だと思ったのですが。韓国人の愛国心に期待した私が馬鹿でした。資本の論理には勝てません。

写真は西大門刑務所歴史館にあった彼女の肖像です。なおこの歴史館はツアーコースにはなかったので自由時間を利用して訪れました。後日紹介します。

Fengdan さんいつもコメント有難うございます。ご質問は私の今回の旅行のテーマでもありますのでこれから少しずつ考えていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 


「韓国」編 日本と韓国5 パゴダ(タプコル)公園5

2011年04月27日 08時39分41秒 | 韓国

  韓国のジャンヌダルクといわれている柳寛順ユガンスンの勇姿です。彼女については次回紹介します。

 この場所で柳寛順、3・1運動について現地ガイドから熱く語ってもらいたかったですね。そのことによって不快感を覚える日本人はいません。もしいたとしても全くの少数で、むしろ日本人の蒙を開くことの意義の方が大きいと思います。観光業の妨げにもなりません。もし観光業の妨げになると現地手配会社や日本の旅行業者が考えていたとすればそれは大きな間違いです


「韓国」編 日本と韓国3 パゴダ(タプコル)公園3

2011年04月27日 08時28分29秒 | 韓国

 子供連れの夫婦が子供たちに独立宣言の前で説明をしている光景に出会いました

 この公園には各地で日本の官憲に抵抗する民衆の姿を描いた10枚の銅板レリーフがありました。「観光コースでない韓国」p3337(小林慶二著)の説明文を基に以下3枚紹介します。なお10枚すべての銅板と説明をご覧になりたい方はこの「観光コースでない韓国」高文研をどうぞ。

 191931日午後2時パゴダ公園のチョン・チェヨンの独立宣言書朗読の場面です。

 話は変わりますが、私の手元に2003年度版と2009年度版の日本人観光客向けの韓国観光公社の発行したガイドブックがあります。2003年度版にはこの公園の紹介がありますが、なぜか2009年度版では見当たりません。何故ですか。


「韓国」編 日本と韓国2 パゴダ(タプコル)公園2

2011年04月24日 08時12分04秒 | 韓国

 写真は英訳された独立宣言です。なぜか日本語訳がありません。さみしくなりました。よく見れば隣接する商店街には日本人観光客で溢れかえっていましたが、ここには日本人は私をのぞいて一人もいませんでした。悲しくなりました。

 現地ガイドとのトラブルで現地手配会社、韓飛旅行社の常務理事の高さんと話をしていた時、彼は「日本人は3・1運動なんか知りませんよ」といいました。日本人として、はずかしく思いながら一方では、何故韓国人は、現地手配会社は、積極的に31運動、パゴダ公園を日本人に紹介しようとしないのかと不満と寂しさ悲しさを感じていました。そして日本の旅行会社にも。

 日本人の一人として言っておきたいことは日本には前回紹介したように高等学校に歴史教科書にも3・1運動についての記載があります。また韓国からも批判を浴びているかの悪名高い扶桑社の中学校用歴史教科書「新しい歴史教科書」ですら31運動との名前こそありませんが「日本は韓国内の反対を、武力で抑えて併合を断行した。***民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり、その後も、独立回復の運動が根強く行われた」(市販本 新しい歴史教科書2001年版p240)と書いています。

 

 野沢秀雄コメント有難うございました私も「日本に支配されたことは韓国人もなるべく忘れたがっているのでは」のご意見に賛同します。後日紹介の予定ですが、景福宮の南門の光化門のすぐ横に威圧するがごとき存在の日本の旧総督府の取り壊し問題もその一例だと思います。日本人としてこの韓国人の感情は十二分に尊重すべきと思います。しかしそれだから**という観点から今後このブログを書きたいと思っています。今後とも貴重なご意見をたまわりますようお願いします。

 


「韓国」編 日本と韓国1 パゴダ(タプコル)公園1

2011年04月21日 08時14分43秒 | 韓国

 日本と韓国の関係は特別です。日本が韓国を不幸にした関係、韓国から先進文化を学んだことなどです。日本人が韓国旅行をするのは、イギリスやリビアなどに旅行をするのとは全く意味あいが違います。違いがあるべきです。

 ところが、今回の旅行は一般的な23日ではなく、10日間という比較的長いパックツアーであるにもかかわらず韓国と日本との関係を示すところにはほとんど案内されませんでした。意図的にそのような歴史的な場所への観光が削除されているようでした。

 そこでドイツのヴァイツゼッカー元大統領の「過去に目をつぶるものは現在に対しても盲目である」を胸に刻んで、意図的(意図的とはどういうことかについてはご後記の予定です)に削除されていると思われる所を添乗員にお願いして行った所、日本との関係が深いところでも現地ガイドがそのことに触れなかった所、自由時間を利用して行った所をいくつか紹介したいと思います。多分韓国に旅行された人でこのブログを見ていただいている方もご存じないところがあるかと思います。

 意図的に削除されと思われる代表的な場所がソウルにあるパゴダ(タブコル)公園です。ソウルの仁寺洞(インサンドン)商店街の隣り合わせにパゴダ公園があります。この商店街には1時間以上の散策の時間を与えながら、パゴダ公園への案内にはありませんでした。

 1910年に日本は韓国を併合しました。

 「191931日***民族代表者33名の名前で独立宣言を発表***ソウルではタプコル(パゴダ)公園に集まった各級学校学生と市民が市街地に出て万歳示威を***大極旗の波と大韓独立万歳を叫ぶ声全国に***日帝は憲兵警察はもちろん、陸海軍まで緊急出動させた。平和的な示威によって正当な要求を主張したわが民族は、無差別の銃撃によって殺傷**」(国定韓国高等学校歴史教科書日本語版1996年版p405406

 もちろん日本の歴史教科書にも記述はあります。

 「191931日、ソウルで宗教・文化界の名士数十名による『独立宣言』を発表し、学生・市民を中心に『独立万歳』トンニンマンセをさけぶ示威行動をおこなった。独立運動は軍事弾圧を受けながら全国に広がった」(実教出版高校世界史Bp180

 「三・一運動が集中的に展開された三月、四月の二カ月間、当時の朝鮮の人口の一〇%以上にあたる二百万人が参加し****武力弾圧により七五〇九人が死亡した」(韓国の歴史を知るための66章p264

 そうなんです、パゴダ広場は日本からの独立運動の発祥地なんです。何故、この場所への案内が無いのですか。

 

 私は有り余る買い物時間を利用してパゴダ公園に行きました。写真はパゴダ公園にある「我々はここにわが朝鮮が独立国いうことと、朝鮮人が自由民であることを宣言する」に始まる独立宣言です。

当時の文章は現在の日本の漢字と仮名表記と同じで漢字とハングル文字ですね。

 

 Fengdan さんコメント有難うございました。ここに見える漢字は日本語表記の場合で一般的には史跡などをのぞいてほとんど漢字表記はなく、すべてがハングル文字表記でした。

 


「韓国」編 東日本大震災1

2011年04月15日 08時12分52秒 | 韓国

 今回の旅行の最初の訪問地は済州島でした。空港での最初のお迎えは放射線検査の器具を持った係員でした。ビックリでした。写真を撮らしてもらうように頼みましたが拒否されました。

 済州島のホテルにある新聞を見るとハングル文字の新聞のなかに英字新聞が置かれていました。ハングル文字は全然わからないのでこの英字新聞をのぞいてみました。” The Korea Herald “ という韓国の英字新聞でした。そのトップ記事が画像のような「放射能雨に対する韓国人の用心深さ」(Koreans wary of  radioactive rain )という見出しの記事と写真でした。

 写真の説明は「通学中のソウルの生徒が放射能から身を守るために傘をさしマスクをしている」です。

 今までこのブログの更新は2日に1度でしたが、今後は3日の1度の更新にしますのでよろしくお願いします。したがって次回は418日です。