100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「エチオピア」編 古都アクスム8 エザナ王2

2012年01月30日 08時28分49秒 | エチオピア

 

 此の石碑の説明掲示板です。

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「エチオピア」編 古都アクスム7 エザナ王1

2012年01月30日 08時24分26秒 | エチオピア

 アクスムの最盛期はキリスト教を取り入れたエザナ王(在位303~356)の時代でした。このエザナ王の碑文が1985年近所の農民によって偶然に発見されました。エザナ王が対外戦争をほこり神に感謝する碑文です。ロゼッタストーンのようにギリシャ語、サバ語、ゲエズ語で書かれていますが残念ながらシャンポリオンに相当する人がいまだ現れなく、サバ語は未解読のままです。

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「エチオピア」編 古都アクスム7 オベリスク2

2012年01月27日 08時26分01秒 | エチオピア

 ホテルのある高台から見たオベリスク公園です。

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「エチオピア」編 古都アクスム6 オベリスク1

2012年01月27日 08時22分58秒 | エチオピア

 

 このアクスム王国が伝説の世界から歴史に登場するのがAD1世紀ころで12世紀まで続きます。その最盛期2世紀~3世紀ころ建てられとされるのが写真のオベリスク群(石柱、ステラ)です。すべて1枚岩の花崗岩です(継ぎ目なし)一番高いのが33mですが建てることはできなく途中で崩壊したもと言われています(左側手前)。二番目が右側あるもので24mあります。これは1936年にイタリアのムッソリーニのファシスト軍隊が三つ折りにして強奪、ローマのコロッセオの門に建てられました。その後2005年に返還され2008年にこのように建てられました。これらはエジプトのオベリスクより高く世界一とされています。文字が刻まれていなく謎が多いのですが王、王族、貴族たちの権威を示すものだと考えられています。またこの下に墓が発見されましたが主は特定されていません。

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「エチオピア」編 古都アクスム5 シバの女王の浴場2

2012年01月24日 08時41分58秒 | エチオピア

 この池はご覧の通りにかなり濁っていますが、アクスムの人たちには重要な水源地です。このようにこの池から水をくみ上げて運んでいる子どもたちや大人が行列をなしていました。洗濯だけではなく飲料水としても利用されているそうです。健康に良いと信じられています。

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「エチオピア」編 古都アクスム4 シバの女王の浴場1

2012年01月24日 08時38分49秒 | エチオピア

 2000年前にシバの女王の水浴のために作られたとされている貯水池です。

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「エチオピア」編 古都アクスム3 シバの女王の宮殿2

2012年01月21日 08時36分51秒 | エチオピア

 ここで子供たちが歌を歌って歓迎してくれました。どうやら土産物を売っていようでした。

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「エチオピア」編 古都アクスム2 シバ女王の宮殿1

2012年01月21日 08時34分22秒 | エチオピア

 ここはシバの女王の宮殿跡とされています。現在の見えるところは6世紀ころの中流階級の跡でこの下に女王の宮殿があったされています。(あまり信憑性はないようですが)

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「エチオピア」編 古都アクスム 1 シバの女王、メネリク一世とアーク

2012年01月21日 08時28分30秒 | エチオピア

 アクスムはエチオピア発祥の地で日本でいえば奈良にあたります。伝説によればシバ(シェバ)の女王(マケダ)がBC10世紀エルサレムのソロモン王に知恵を拝借に出かけます。(この話までは旧約聖書にあります)その時ソロモン王と一夜をともにし、アクスムに帰国して産んだ子がメネリク1世で彼がエチオピアの最初の皇帝でその皇統がAD1974年まで連綿と続いたとされています。日本の天皇の皇統より長いですね。

 

 メネリク1世が成人した後、父親のソロモン王に会うためエルサレムに行きます。その帰国の際エルサレムからひきつれてきた人々が1月9日に紹介したファラシャの起源であるとの説があります。これはファラシャの起源については最も面白い話だと思いますが、最も信頼性が薄いようです。

 メネリク1世が帰国の際にアークを持ち帰ったとする説がエチオピア人には広く信じられています。アークというのはモーゼが神との契約のしるしとして与えられた「十戒」の石板を収めた箱のことです。これは旧約聖書に記載があります。ソロモン王はエルサレムの神殿に納めますが、その後行方が分からなくなりました。ユダヤ教徒、キリスト教徒にとっては重大な問題です。現在に至るまで行方に強い関心がもたれています。

 

 そのアークはメネリク一世がアクスムに持ち帰り現在アクスムの聖マリア教会の礼拝堂におさめられているとされています。現在門外不出です。写真の覆いがかぶさっているのがその礼拝堂です。老朽化して雨漏り状態だそうです。なお、聖マリア教会そのものは入室可能ですが女人禁制です。

 

 1999年イギリスのBBC放送がエチオピアの総主教に科学的調査について質問したところ「信仰と科学的証拠とはべつです。アークはアクスムにあると、私たちは信じています。それを他人に客観的に証明する必要はありません。信じたいと思えば、それはあなたの自由です。また信じないのも自由です。でも、私たちはここにあると信じています」という返事でした。

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「エチオピア」編 ラリベラ岩窟教会群9 第二グループ3

2012年01月18日 08時26分14秒 | エチオピア

 教会は岩窟なので亀裂が生じます。

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「エチオピア」編 ラリベラ岩窟教会群8 第二グループ2

2012年01月18日 08時23分52秒 | エチオピア

 司祭さんの制服?

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「エチオピア」編 ラリベラ岩窟教会群7 第二グループ1

2012年01月18日 08時21分31秒 | エチオピア

教会でのお祈りはこのような楽器の伴奏があります。

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「エチオピア」編 ラリベラ岩窟教会群6 第一グループ3

2012年01月15日 08時47分54秒 | エチオピア

 これは教会の周りの岩で穴は歴代の王一族と臣下の墓跡です。

 

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「エチオピア」編 ラリベラ岩窟教会群5 第一グループ2

2012年01月15日 08時45分25秒 | エチオピア

 柱に寄り添っている人は司祭または修道僧です。柱は建てたものではなく岩そのものです。

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「エチオピア」編 ラリベラ岩窟教会群4 第一グループ1

2012年01月15日 08時42分32秒 | エチオピア

 第一グループには6教会があり互いに隣接しています。ここでも敬虔な信者たちがこのようにお祈りをしていました。

 

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