アクスムの最盛期はキリスト教を取り入れたエザナ王(在位303~356)の時代でした。このエザナ王の碑文が1985年近所の農民によって偶然に発見されました。エザナ王が対外戦争をほこり神に感謝する碑文です。ロゼッタストーンのようにギリシャ語、サバ語、ゲエズ語で書かれていますが残念ながらシャンポリオンに相当する人がいまだ現れなく、サバ語は未解読のままです。
このアクスム王国が伝説の世界から歴史に登場するのがAD1世紀ころで12世紀まで続きます。その最盛期2世紀~3世紀ころ建てられとされるのが写真のオベリスク群(石柱、ステラ)です。すべて1枚岩の花崗岩です(継ぎ目なし)一番高いのが33mですが建てることはできなく途中で崩壊したもと言われています(左側手前)。二番目が右側あるもので24mあります。これは1936年にイタリアのムッソリーニのファシスト軍隊が三つ折りにして強奪、ローマのコロッセオの門に建てられました。その後2005年に返還され2008年にこのように建てられました。これらはエジプトのオベリスクより高く世界一とされています。文字が刻まれていなく謎が多いのですが王、王族、貴族たちの権威を示すものだと考えられています。またこの下に墓が発見されましたが主は特定されていません。
この池はご覧の通りにかなり濁っていますが、アクスムの人たちには重要な水源地です。このようにこの池から水をくみ上げて運んでいる子どもたちや大人が行列をなしていました。洗濯だけではなく飲料水としても利用されているそうです。健康に良いと信じられています。
アクスムはエチオピア発祥の地で日本でいえば奈良にあたります。伝説によればシバ(シェバ)の女王(マケダ)がBC10世紀エルサレムのソロモン王に知恵を拝借に出かけます。(この話までは旧約聖書にあります)その時ソロモン王と一夜をともにし、アクスムに帰国して産んだ子がメネリク1世で彼がエチオピアの最初の皇帝でその皇統がAD1974年まで連綿と続いたとされています。日本の天皇の皇統より長いですね。
メネリク1世が成人した後、父親のソロモン王に会うためエルサレムに行きます。その帰国の際エルサレムからひきつれてきた人々が1月9日に紹介したファラシャの起源であるとの説があります。これはファラシャの起源については最も面白い話だと思いますが、最も信頼性が薄いようです。
メネリク1世が帰国の際にアークを持ち帰ったとする説がエチオピア人には広く信じられています。アークというのはモーゼが神との契約のしるしとして与えられた「十戒」の石板を収めた箱のことです。これは旧約聖書に記載があります。ソロモン王はエルサレムの神殿に納めますが、その後行方が分からなくなりました。ユダヤ教徒、キリスト教徒にとっては重大な問題です。現在に至るまで行方に強い関心がもたれています。
そのアークはメネリク一世がアクスムに持ち帰り現在アクスムの聖マリア教会の礼拝堂におさめられているとされています。現在門外不出です。写真の覆いがかぶさっているのがその礼拝堂です。老朽化して雨漏り状態だそうです。なお、聖マリア教会そのものは入室可能ですが女人禁制です。
1999年イギリスのBBC放送がエチオピアの総主教に科学的調査について質問したところ「信仰と科学的証拠とはべつです。アークはアクスムにあると、私たちは信じています。それを他人に客観的に証明する必要はありません。信じたいと思えば、それはあなたの自由です。また信じないのも自由です。でも、私たちはここにあると信じています」という返事でした。