100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ブータン」編 仏教8 経文旗(ルンタとダルシン)5 トムシン・ラ(峠)3

2011年09月28日 08時38分28秒 | ブータン

 今回の旅の安全を祈願してこの峠にルンタをハ・ゲロー(仏の勝利)(私にはいやな言葉ですね、禿げろーとは)叫び、奉納?しました。この峠からの下界?の写真は霧でだめでした。


「ブータン」編 仏教4 経文旗(ルンタとダルシン)1

2011年09月25日 08時05分20秒 | ブータン

 今回の旅行はインドから陸路で国境の町プンツリオンへ入りました。風景が一変しました。経文旗のはためきです。この経文旗にはルンタとダルシンがあります。ルンタとは「馬の風」という意味でチベットなどでタルチョ呼ばれているものと同じです。風に吹かれ旗がはためくたびに功徳があるとされます。したがって風の通りの良い所に置かれるようです。


「ブータン」編 仏教3

2011年09月22日 08時18分48秒 | ブータン

 ここはどこだと思いますか。お寺ではありません。民家の仏壇です。8畳くらいの部屋が仏間専用になっています。豪華さはともあれ日本の仏壇とは決定的に違う点があります。それは先祖の位牌がないことです。日本では先祖のことを「ホトケサマ」と呼びますがブータンではそのような祖先崇拝の考えはないのです。したがってお墓もありません。それについては後日触れる予定です。

 お供えに「柿の種」がありますが、日本人の仕業のようです。

 


「ブータン」編 仏教1

2011年09月22日 08時09分43秒 | ブータン

 ブータンは仏教(ティベット仏教系)を国教とする世界で唯一の国です。

 この13日に仏画の教室を紹介しましたが、ブータン小・中学歴史教科書「ブータンの歴史」は「ブータンの文化と歴史における絵画の重要性」という章を設け18ページにわたって絵画と仏教とのかかわりを詳説しています。一部抜粋紹介しておきます。

 

 「ブータンの芸術は宗教の要素が強く、芸術は単なる作品に終わるものではない。仏教において、絵を描くということは布教活動や瞑想行為の役割を持つ。つまりブータンにおける芸術とはまず何よりも、信仰行為という意味なのである。 西洋をはじめとする多くの国で、芸術や絵画は自己表現の手段である。絵画や彫刻に託されるのは個人の思いである。芸術家は作品を通じて自身の世界観を表現するものである。しかし、ブータンではそうではない。描くこと、彫ること、それ自体が宗教行為なのである」

 

 このように絵画に対する考えは絵画だけでなくすべての人間活動に適用されているようです。

 現地ガイドのブタさんは寺院に入ると説明前に必ず礼拝の儀式を行います。まずこの写真のようのポーズになり、ついで(次ページ

 

 

 

 

 

 


「ブータン」編 王様8

2011年09月19日 08時12分01秒 | ブータン

 

 「ン」は現在ブータンでは12か所あります。元来は日本の戦国時代の城にあたるものですが現在は地方行政、司法と寺院が同居した建物です。首都ティンプーではタシチョ・ゾン(「栄光の宗教砦」という意味)と呼ばれ中央政府機能を兼ねています。写真は右が国会議事堂で左が王宮です。

 

 「建築には、本来は設計図を用いず、釘を一本も使わない。木はふんだんに使用され、巧妙な細工が施され、色彩豊かな種々の意匠が描き出されている」(「ブータンと幸福論」p35)ですが、屋根は写真でははっきりしませんが、トタン葺です。艶消しというか、画竜点睛を欠くといった感じです。現地ガイドのブタさんによれば環境保全、森林保護の立場から以前の板葺の屋根から国策としてこのようにトタン葺になったそうです。これはゾンのみならず民家を含む全建築物がトタン葺でした。

 

 その事情について今枝由郎氏は「ブータンに魅せられて」(p129)で以下のように述べられています。

 

 「ブータンの近代化が始まった当初、動植物資源の豊かな中で森林が最も注目された、しかし1980年代に近隣諸国が犯した森林伐採の過ちを反面教師として、ブータンは抜本的に政策を転換した。先代国王は『ヒマラヤが聳え、雨雪が降り、森林が茂る限り我が国は安泰である』と語った」

 現在森林伐採は許可制です。

 

 

 

 

 

 


「ブータン」編 王様7

2011年09月16日 08時20分15秒 | ブータン

 “ Gross National Happiness is more important than Gross National Product”

 ( 国民総幸福は国民総生産よりは重要である)

 この言葉は先代の国王が21歳の時1976年スリランカのコロンボで開かれた非同盟諸国会議後に記者会見で発表したものです。この“GNH” の思想は今世界でも注目を浴びています。

 この国王は2008年に立憲君主制に移行し国会選挙を行うことを宣言し2006年に息子に王位を譲り引退しました。初の国政選挙の模様については最初に紹介したユーラシア旅行者の添乗員伊藤さんのレポートを2008222日、24日に載せていますのでご覧ください。(操作は画面を下におろし左にあるカレンダーのところです)なお、ここで紹介されていた候補者の内男性の方は当選で、女性は落選したということを今回の旅行で確認しました。

 

 20071215日の朝日新聞は以下のように当時の様子を報じています。

 「泣きながら王制の存続を直訴する各地の国民に『悪い王の時にも国が存続できる仕組みが必要だ』と懸命に説得する前国王の姿が人々の心に焼き付いているという」

 

 憲法は国王の65歳定年制、環境権などが記載されています。なお、国王に男子継承者がいない場合は女子に継承権があるとは現地ガイドのブタさんの話です。

 

 写真はこの先代の国王と4人の后妃です。后妃は姉妹です。19794人同時結婚です。現在の国王は最初に生まれた男子で3番目の后妃との子供です。

 なお現在の国王が何人の后妃を持つかとの質問に現地ガイドのブタさんによれば多分(maybe)一人だけとのことでした。

 

 

 

 


「ブータン」編 王様6

2011年09月16日 08時14分52秒 | ブータン

 「k5」というウィスキーがあったので名前の由来を聞いたところking5すなわち5代目国王ということでした。この「k5」も「coronation」もイギリスとの合弁会社で作られたウィスキーで味痴の私にも美味でした。

 なお、ブータン固有の酒については中断している「世界の酒」編で後日紹介の予定です。