100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「アルジェリア」編 ティミムーン27 カナートと畑3

2019年10月29日 08時13分14秒 | アルジェリア

 

 ちょっと貧弱なようですが。

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「アルジェリア」編 ティミムーン26 カナートと畑2

2019年10月29日 08時10分40秒 | アルジェリア

 

 このカナートからの水で農作物が育ちます

 

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「アルジェリア」編 ティミムーン25 カナートと畑1

2019年10月29日 08時01分37秒 | アルジェリア

 

 カナートの水の出口です。カナートとは砂漠地帯で遠くから水を引いてくる灌漑地下用水路のことです。遠いところでは50㎞というところもあるそうですが、ここでは水源は30km先だとは伊藤さんのメモです。

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「臨時特別」編 天皇即位宣言に思う

2019年10月26日 08時02分38秒 | 時評

 

 今年5月3日にこのブログに「『臨時特別編』 天皇は気の毒でかわいそうだ」を書きました。以下それに一部追加修正して再録します。

 

 最近のマスコミは皇位継承一色です。私はできるだけこの関係ニュースは見ないことにしていますが、いつも思うことは天皇が気の毒でかわいそうだということです。全く基本人人権は剥奪され、売買されないところだけが異なるだけで奴隷と同じです。天皇は日本国家が所有する奴隷です。私には「象徴としての天皇」と言う言葉が「奴隷としての天皇」と聞こえてきます。たまたま雅子さんの外務省時の姿がTVに出たのを見ましたが眼光鋭く人間性にあふれていました。しかし今はどうです、奴隷主に媚びる作られた笑顔です。かわいそうです。

日本国は直ちに天皇を奴隷身分から解放し、旧江戸城(皇居)を博物館にして公開しその館長に任命し生活を保障して後は自由にしなさいとすべきです。(実はこの博物館館長説は20数年前にわたくしが夢に見た話に由来します。2016年8月11日に紹介しています)

(したがってわたくしは天皇制廃止者ですから、その意味で憲法改正論者です)

この地球上で奴隷が存在するのはトゥアレグ人社会(2007年7月2日に紹介)と日本だけです。と、ここまで書いてきて「奴隷船の世界史」(布留川正博著)読んでいたら「現代世界の奴隷は2016年時点で約4030万人存在」(p229)だそうです。勉強不足!

ついでに元号について。

私は西暦一本化論者です。私はいまだに昭和が何年までだったかを知りません。パスポート更新時いつもトラブリます。西暦で申請書類を出すと元号に書き直せといわれます。私「交付されてくるパスポートには元号の記載はなく西暦ではないか」。当局「規則で元号申請になっています」。結局いつも私が西暦で書き当局は勝手に元号に訂正して私が黙認するということになります。外務省に電話をしたことがあります。外務省「あなたの言い分には理があるが、受付のコンピューターが元号受付になっているのでしょう」私「?」。

 最近のマスコミ報道では、外務省は今期を契機として西暦一本化を決めたが、自民党右派の反対で頓挫したそうです。

 以上、天皇制についてのサイドからの論評。

 写真(ウィキペディアより)は少年時代の平成の天皇と、彼の家庭教師だった平和主義者で帰国後ヴェトナム反戦運動で逮捕されたことがあるクエーカー教徒のヴァイニング夫人です。

 

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「アルジェリア」編 ティミムーン24 要塞跡3

2019年10月23日 08時08分18秒 | アルジェリア

 

 左に見えるちょっと変わった建物はたぶんお墓だと思うのですが。

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「アルジェリア」編 ティミムーン23 要塞跡2

2019年10月23日 08時05分57秒 | アルジェリア

 

 まだまだ上があります。わたくしはここでギブアップ。上からの景観は素晴らしかったでしょうね。

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「アルジェリア」編 ティミムーン22 要塞跡1

2019年10月23日 08時02分43秒 | アルジェリア

 

 12世紀に巨岩の上に築かれた要塞跡を訪れました。以下3枚紹介します。

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「臨時特別編」クルド人の悲劇

2019年10月20日 08時02分23秒 | クルド人

 

 最近シリアのクルド人がトランプ大統領に見放され、やむなくシリアアサド政権と手を結ぶという話が伝わってきています。またもクルド人の悲劇が、と思いました。そこで2015年10月20日のブログを思い出したので(追記をして)再録します。ここでぜひ読んでいただきたいのが「3つ目の話題」と紹介しているところです。ヒットラーをして「アルメリア人の虐殺に比べれば俺のユダヤ人虐殺ぐらい大したことはないと」豪語したアルメニア人虐殺にクルド人が関与したことです。わたくしはこの歴史的事実をこのアルメニア人ガイドから聞くまで知りませんでした。このことはマスコミなどでも伝えられていないし、たぶんクルド人問題に関心を抱いている人も知らない人が多いと思います。たぶん今回もシリア政権はクルド人に「独立」のえさをぶら下げているのでしょうね。

 

 先日、日本でクルド人とトルコ人の乱闘騒ぎがありました。そこで臨時に私が旅行中に出会ったクルド人ついて紹介します。クルド人は中東一帯に住む3000万人の世界最大の国家を持たない民族です。

 さてこの民族で高校の歴史の教科書にも出てくる英雄をご存知ですか。そうです、サラディーンですね。2006年5月13日にシリアのダマスカスで見たサラディーンの像を紹介しています。サラディーンの名前がマスコミをにぎやかしたのはイラク戦争時のブッシュ大統領の「この戦争は十字軍だ」という発言でした。当時のイラクの大統領サダムフセインはこれにたいしてサラディーンの名前を出しました。そうです。対十字軍の戦いのイスラーム側の英雄がサラディーンだったのです。ところが皮肉なことに、その時フセインはイラク国内のクルド人を弾圧していました。フセイン政権が崩壊後イラク国内のクルド人勢力は強力になり現在では自治州を形成し事実上の国家的存在になっています。そしてアメリカ合州国に忠実な存在となり対「イスラーム国」攻撃の一翼を担っています。ところがこのイラクでのクルド人勢力の拡大は国内に1000万人のクルド人を抱えるトルコにとっては迷惑の存在となっているのです。長年彼らはクルド人国家または自治州の成立をトルコに要求してきたからです。これが今回の乱闘騒ぎの原因です。

 2つ目の話題。クルド人は大多数がイスラーム教徒ですが、グルジア(現ジョージア)ではゾロアスター教徒に出会いました。2008年6月22日をご覧ください。

 3つ目の話題。アルメニア旅行中の現地ガイドの話です。19世紀末から20世紀初頭(オスマン帝国の崩壊の少し前から現在のトルコ共和国の成立のころまで)にかけてトルコ人によるアルメニア人追放、虐殺事件がありました。犠牲者は100万人~150万人といわれています。そのことについての現地ガイドの話です。2005年12月17日のブログに以下のように書いています。

「このときクルド人の悲劇がありました。アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの大虐殺にクルド人も一役買ったのでした。(この部分は私の質問に現地ガイドが答えたこと)」。これについてコメントをしたいのですが長くなるのでやめておきます。

 4つ目はこの写真です。2008年のイラン旅行のときのクルド人町の街角風景をバスから撮影したものです。バスからというのはこの町は危険だからということで下車できないとことでした。イランでもクルド人は差別されているようでした。もっともクルド人は国境を越えての密貿易をしているというということもあるようです。ダブダブのズボンをつけていますね。これがここのクルド人の特徴だそうです。

 この町の近くのホテルに泊まり翌朝散歩をしているときクルド人らしき青年が近寄ってきて” Can I help you? “(何か手伝うことがありますか?)と話かけられたのには、びっくりし、感激しました。私の外国旅行でこのようなやさしい言葉をけられたのは最初にして最後でした。7年たった今でも忘れることのできない”Can I help you? “です。

 5つ目(今回追加)わたくしが初めてクルド人に出会ったのは2000年のトルコ旅行の時でした。昼食のレストランで数人の浮浪者風のグループ(失礼)がいました。そこでわたくしは何となく話しかけたと思います。すると彼らは自分たちは「クルド人だ」と胸を張って答えてくれました。それまでおぼろげながらその存在を知ってはいましたが、はっきりと知ったのかこの時でした。そして強くクルド人だと言っているのが19年たった今もわたくしの脳裏に浮かびます。こんなに強く記憶しているので写真が残っているのではかと探してみましたが見つかりませんでした。

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「アルジェリア」編 ティミムーン21 洞窟3

2019年10月17日 08時10分03秒 | アルジェリア

 

 子供たちもたくさん見学に来ていました。

 

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「アルジェリア」編 ティミムーン20 洞窟2

2019年10月17日 08時07分32秒 | アルジェリア

 

 入口にこのように寝そべっている人がいました。体調不良のようではありませんでした。

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「アルジェリア」編 ティミムーン19 洞窟1

2019年10月17日 08時04分17秒 | アルジェリア

 

 ブログ開設から15年目に入りました。

洞窟見学に出かけました。

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「アルジェリア」編 ティミムーン18 市街地散策8

2019年10月14日 08時13分29秒 | アルジェリア

 

 なんでここにこんなにたくさんの人が集まっているのかよくわかりません。建物はどうも観光関係のようですが。

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「アルジェリア」編 ティミムーン17 市街地散策7

2019年10月14日 08時09分41秒 | アルジェリア

 

 あまり珍しい光景ではありません。

 

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「アルジェリア」編 ティミムーン16 市街地散策6

2019年10月14日 08時06分20秒 | アルジェリア

 

 これはなんだかよくわかりません。確かこの建物はモスクだったと思うのですが。

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「アルジェリア」編 ティミムーン15 市街地散策5

2019年10月14日 08時03分31秒 | アルジェリア

 

 履物修理屋さんですね。わたくしの世代ではちょっと懐かしいです。

 

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