ポツダムといえば「ポツダム宣言」ですね。(若い人はダメかな)1945年のポツダム宣言を日本が受諾してようやく敗戦し戦争終結をしました。そのポツダム宣言が出されたところがポツダムにあるツェツィーリエンホーフ城(写真上)です。最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(1859~1941年)が皇太子時代、妃のツェツィリエのために建てた城です。
ここでちょっと余談話。この城に図書室があったので現地ガイドにからかい気味に”Mein Kampf”はあるかと尋ねました。現地ガイドは慌てた様子で”Nein Nein”(無い、無い)と答えました。”“Mein Kampf“(我が闘争)はヒトラーの著書で当時(1998年)ドイツでは禁書でした。2014年に出版が合法化されました。戦時中日本語訳が数冊出ましたが、日本を馬鹿にしたところは省かれていました。ただし最近そのうち2冊は完訳されていたとの説もあります。(ウイキペディア)戦後は角川文庫から完訳が出ています。わたくしはヒトラー、ナチズム、現代思想理解の必読の書だと思っています。
こんな問答をしていて書棚を見ていると、日本人の書いた本らしきものが見えました。著書名は
“Nikudan”著者名はSakura”でした。
写真中はプロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて、フリードリヒ2世(大王)(在位1740~1786)の命によってわずか2年で建てられたサンスーシー宮殿です。フリードリッヒ大王は啓蒙的専制君主として知られています。その啓蒙的側面を表すものとしてこの宮殿の敷地内にある「風車」がありますが、それについては今年の2月20日に紹介しています。
フリードリヒ大王は1786年8月17日、サンスーシ宮殿で老衰により崩御しました。遺体は遺言に相違して、ポツダム衛戍教会に葬られました。その後、第二次世界大戦中に遺体は各地を転々とさせられるなどの運命をたどりましたが、ドイツ再統一後の1991年、サンスーシ宮殿の庭先の芝生に墓が移されました。その時の記念式典には10数万人の見物人が集まりました。(写真下)花が置かれていました。彼は今も一定の評価を受けていると感じました。
その後、「孔雀島」を訪れました。(写真省略)そこでの現地ガイドは東ドイツ出身で日本語がわかるので少し会話が弾みました。コミュニズムについて尋ねると「理想としては良いと思うが現実は」という答えでした。今旧東ドイツでの問題は分裂時代旧東ドイツから西ドイツに亡命した人の不動産の所有権争いということでした。