破戒僧の場2です。その様子を見ていた僧侶が踊りながらブネに近づきやがて一緒に踊りだします。
2011年3月29日に始まり2011年8月20日にいったん中断し2013年11月13日に再開した「韓国」編を今回で終了します。次回からは?
破戒僧の場2です。その様子を見ていた僧侶が踊りながらブネに近づきやがて一緒に踊りだします。
2011年3月29日に始まり2011年8月20日にいったん中断し2013年11月13日に再開した「韓国」編を今回で終了します。次回からは?
白丁の場です。斧と刀を入れた袋を担いで白丁(屠死を業とする)が登場すると、牛がのっそり入ってきます。白丁は斧で牛を殺し牛の睾丸を取り出し観客に向かって滑稽な言葉で問答をします。支配者階級の権威意識を風刺する意味をもつとされています。
この村には農民の最大の娯楽だった仮面劇が守り伝えられています。以下4場面を紹介します。
舞童の場と呼ばれる場面です。広大(クカンデ)(仮面劇をする者)たちが鼓、鉦、太鼓、銅鑼をならします。この時閣氏役が大人の肩に乗って舞童舞を演じてお金を集めます。閣氏とは、河回村の守り神で、いつも肩に載せられています。神ゆえに土を踏ませないという信仰からきています。
安東は朝鮮王朝時代(1392~1910)に王朝のイデオロギーである儒学者を多く輩出した所として著名です。
その安東にある河回村は朝鮮王朝の集落がそのまま残る珍しい地域で2010年8月に世界文化遺産に登録されました。
写真を見てください。茅葺と瓦葺の家屋がありますね、瓦葺が支配階級である両班(ヤンバン)の家で、茅葺が両班に隷属する人たちの家です。
この「高麗八万大蔵経」は高麗時代、蒙古軍の侵攻に苦しんだ挙句、仏の力に頼って敵を撃退するために作成されたものです。
日本は、室町時代以来、この高麗八万大蔵経に目をつけて、通算68回も使節を送って贈与を要請しました。(崔碩義著「韓国歴史紀行」p2229
写真はこの高麗八万大蔵経の版木で印刷した般若心経です。
この海印寺を世界的に有名にしているのはここに大蔵経(仏教の経典、論書などを聡集したもの)が納められているからです。海印寺にある「高麗八万大蔵経」は現存する大蔵経の中でも最高峰のものとされています。写真は「高麗八万大蔵経」が保管されている大蔵経板閣です。
追記(2015年10月16日
「この書庫は世界でもとりわけ古く、また損傷が少ない建物である」(「世界の図書館 美しい知の遺産」p20)
写真は高さ9.1m、下部直径4.9mの瞻星台です。善徳女王(632~647)の時造られた天文台で東洋で一番古い古いとされて韓国の国宝31号に指定されています。と、ここまではガイドブックなどで記載されている説明ですが、韓国でも天文台説には異説があり、須弥山を模った祭壇ではないかという説もあります。国定韓国高等学校歴史教科書(明石書店、日本語訳p111)には新羅美術の優秀な建築物として「美しい曲線美をもった瞻星台」とだけ紹介しています。
なお、この天文台説を最初に主張をしたのは日本の気象学者で朝鮮総督府観測所所長をつとめた和田雄治です。