100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「中国シルクロード」編 最終回 現地ガイドの発言色々

2011年02月05日 08時22分26秒 | 中国シルクロード

 

 中国ルクロードの旅は1998年のウルムチから北京までの敦煌を含む河西回廊など(以下「前」と略記)と、206年のウルムチからカシュガルまでのタクラマカン砂漠縦断、天山北路、南路など(以下「後」)の2回で、このブログでの紹介は主に「後」でした。そこで最終回にあたり現地ガイドの話を少し紹介しておきます。個々の人たちを特定して紹介すると差しさわりがあるといけないのでそれは省略します。

 「前」「後」通じて巧拙はありますがかなりの僻地でもすべて日本語でのガイドでした。

 面白いことに、「前」では私が確認した限りでは一人を除いてすべて共産党員であったのに対して「後」では逆に一人を除いてはすべて共産党員ではありませんでした。そのことについて「後」の人に尋ねたところ「今は党員で無くても仕事が自由にできる」という印象深い話が聞けました。

 もっと面白いことに共産党員の「前」の人たちの多くが非共産党員の人を含めて共産党批判、政治批判が激烈だったということです。

 その一人は父親が共産党員で党の指令である重要都市に移住して現在は年金生活者ですが、彼はいまの党は堕落していると言っているそうです。当人(党員)の発言「日本は国の責任者を下から選ぶが中国では上の人が選び民主的でない」も興味深かったです。この人を含めて「前」の人たちは「周恩来」を尊敬しているといった人たちが多かったです。

 これも「前」の人でしたが、あまりにも共産党批判、政治批判が強いのでそんなことを言って大丈夫かと心配して言うと「日本語の分かるやつはいないから大丈夫さ」と言っていました。

 敦煌へ向かっている時(「前」)写真のようなトラックの大群に出会いました。積荷は綿花です。これを見て現地ガイドは「この綿花はすべて軍用で民間にはいかない」と噛んで吐き捨てるように言っていたのも印象的でした。

 これに対して「後」の人たちの共産党、政治批判は控えめのようでした。しかし貧富の格差について嘆く人は多かったようです。幹部の給与はボーナス部分が多くそれには税金がかからないのが不公平だと言っている人がいました。「後」はウイグル族の多く住むところでしたが、遠慮がちにイスラーム教に対する共産党の政策について不満を述べていました。共産党員でイスラーム教徒の人がいましたが、周囲に分からないようにラマダン(イスラーム教徒の断食)をしていると話してくれました。

「後」は日本の首相が小泉→安部の時でしたが、小泉はカッコ良く好きだが、安部は嫌いだといっていたことも思い出しました。

 もう一つ。名門大学を卒業して、日本の一流大学に留学予定の若者がいました(「前」)。彼は日本でいえば昔の恩賜の時計(成績優秀者に与えられる)にあたる毛沢東のロゴのある腕時計をしていました。当時日本では毛沢東のスキャンダル本が出て評判になっていたのでその本を日本から送ってやろうかと冷やかしていました。間もなくその時計は姿を消して違った時計になっていました。

 

 以上でバインブルク大草原で始まった(2006926日 写真は私のPCの壁紙にしています)「中国シルクロード」を終わります。次回からは「西アフリカ」編を再開します。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 シルクロード始発

2011年02月01日 08時33分58秒 | 中国シルクロード

 西安の西門から始まる西方へ向かうシルクロードの起点です。(1998年撮影)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 最西端の万里の長城 嘉峪関2

2011年02月01日 08時29分47秒 | 中国シルクロード

 最西端の長城を守る嘉峪関です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 最西端の万里の長城 嘉峪関1

2011年02月01日 08時26分31秒 | 中国シルクロード

 テレビなどでよく見る万里の長城は北京郊外のですが、最西端にある嘉峪関の長城を紹介しておきます(1998年撮影フィルム)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 道教3

2011年01月30日 08時31分57秒 | 中国シルクロード

 もう一枚。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 道教2

2011年01月30日 08時28分24秒 | 中国シルクロード

 道教のお坊さん道士です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 道教1

2011年01月30日 08時13分47秒 | 中国シルクロード

 

 張液では道教のお寺を訪問しました。「道教は漢民族固有の宗教で****現在でも台湾東南アジア華僑華人の間ではかなり根強く信仰されている宗教である。中華人民共和国では文化大革命によって道教は壊滅的な打撃を受けたが、民衆の間では未だにその慣習が息づいている」とはウィキペディアの記述です。

 この120日に紹介したフートンの玄関の絵柄とよく似ていませんか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟10 

2011年01月28日 08時35分42秒 | 中国シルクロード

ここへ行くのは黄河をせきとめた劉家峡ダムを船で行かなければなりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟9

2011年01月28日 08時32分59秒 | 中国シルクロード

 このようなところに4世紀から19世紀にかけて183の石窟に多くの壁画、仏像が刻まれています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟8

2011年01月28日 08時30分19秒 | 中国シルクロード

こちらは炳霊寺石窟の高さ27mの大仏さんです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟7

2011年01月26日 08時28分56秒 | 中国シルクロード

 麦積山の遠望です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟6

2011年01月26日 08時26分34秒 | 中国シルクロード

 このように絶壁に造られた桟橋をめぐっての見学です。4世紀から11世紀にかけての壁画、彫像があります。ここで余談話。ここまでいつも大言壮語の同行者の一人がここで急に沈黙しました。どうやら高所恐怖症だったようです(私ではありません。念のため)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟5

2011年01月26日 08時23分59秒 | 中国シルクロード

 この麦積山石窟は私が一番好きな石窟です。正面の17mの阿弥陀仏像です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟4

2011年01月24日 08時29分46秒 | 中国シルクロード

 鳴砂山の名前は砂山を人が滑り降りると地響きのような音を立てることあることからきています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国シルクロード」編 三大石窟3

2011年01月24日 08時27分02秒 | 中国シルクロード

 ついでにこの莫高窟の近くにある鳴砂山を紹介します。

 東西40km、南北20kmの砂山です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする