このオストラキスモス制度で追放された人物で最も有名なのはペルシア戦争の時アテネ海軍を率いてギリシア連合軍を勝利に導いたテミストクレスです。したがってこのテミストクレスの名前が書かれたオストラコンを見ること多いのですが、この写真はアテネの民主制の最高指導者とされているペリクレスの名前が書かれています。(注)これにはちょっと私もびっくりしました。
もっともペリクレスは追放には遭いませんでしたが。しかし古代アテネ市民は後世、民主主義の元祖と言われる人にも批判の目を持っていたのでしょうね。
ここでオストラコンを見て始めて気がついたのですが、名前が2つ書かれています。どうやら姓・名でなく二人の名前のようです。単記でなく連記でもよかったのでかね。詳しい人がいらっしゃいましたら教えてください。
2500年も以前に文字で政治的態度を表明し政治を動かしていたとは、なんと古代ギリシア人はすばらしい人たちだったのでしょうか。識字率も当時の時代では群を抜いていたのでしょう。
も一つ、前回も紹介したのですが、多数の人々を対象とした劇場、競技場を古代ローマ、ギリシアの遺跡に見ることができます。一人の専制君主、少数の支配者のためのものではない建造物です。非ヨーロッパ人の私はこの地域を旅行するたびにいつもコンプレックスと、うらやましさを感じます。
(注)
上のほうの文字ですが、最初の文字「π」はラテン文字で「P」で、三つ目の「P」はラテン文字で「R」にあたります。そこでperikles ペリクレスと読めます。
それは写真のようなオストラキスモスに使われたオストラコンです。
オストラコンとはギリシア語で陶片または貝殻を意味します。オストラキスモスとは古代ギリシアの政治制度です。
一般に古代ギリシアの各ポリスは王政→貴族制→民主制と進みました。その典型的な都市がアテネ(古代名はアテナイ)でした。その貴族制→民主制の過渡期に非合法の独裁支配者が現れます。これをギリシア語でtyrannos といい日本語で僭主と訳しています。このtyrannos は英語のtyrant(暴君、独裁者)の語源になっています。しかしギリシアでは暴君的な意味はなくむしろ以後の民主制の発展に寄与している側面があります。しかし、民主制下ではこのtyrannosの出現 を警戒して市民は写真のようなオストラコンに危険と思われる人物名を書きアゴラ(市民広場)で投票し、アテネでは6000の票が出たときアテネ市から10年間追放されました。
これをオストラキスモス陶片追放といいます。オストラコンが貝殻も意味するので昔の日本の本では貝殻追放と訳していました。多分昔の日本人は現物を見なくて言葉だけでそう訳していたのだと思います。私の最初の出会いも貝殻追放であったような記憶があります。
柱廊博物館です。人がいないのは朝早かったのと、人がいない時をねらってシャッターを押したためです。ギリシアの遺跡のなかで唯一つ完全に復元された建築物です。私の今回の旅行で最大の目玉のところでした。といっても、この建物自体でなく、なかに展示されている遺物です。それは14年前の前回の旅行で見る機会がなく悔しい思いをしたものです。それは?次ページで。
前頁のパルテノン神殿の右側から見下ろしたところにディオニソス劇場が見えました。古代ギリシアの各都市には必ずこのような劇場があります。(2008年2月8日を参照してください)ここは紀元前6世紀ごろ造られ1万5千人が収容できました。
アクロポリスに建つパルテノン神殿です。アクロポリスというのは「高い都市」という意味で古代ギリシアの各都市国家(ポリス)にあり城壁に囲まれ聖域とされました。このアテネのアクロポリスが最も有名で東西270m、幅156m、高さ150mの岩山です。パルテノン神殿はアテネの守護女神アテナを祀っています。市内からはたいていの場所から見えます。
現在ここに残されていた浮き彫りや彫刻の多くは大英博物館にあってギリシアからの返還運動が起きています。
ギリシア編の最後はアテネです。 古代ギリシアはたくさんの神々が活躍します。その中で最高神とされているのがゼウス神です。写真はアテネにあるゼウス神殿です。背後に見えるのがアクロポリスとそこに建つパルテノン神殿です。