写真の説明文を見てください。日露戦争に参加して生きて帰った記念碑と書かれていますね。今の人には理解困難ですが、当時の島人には記念として残す価値があったのですね。
この記念碑には重要なメセージが込められていたと私は思います。それが私に強烈なインパクトを与えた理由です。その理由を説明することは学才、文才のない私には非常に困難です。そこで、その時思い出した事例を2つあげて説明の代わりにします。
戦争中の田舎の小学校時代のことです。通学途中の傍らに一基だけのお墓がありました。普通お墓は複数で群れを?なしています。通学の登下校の際そのお墓の前を通る時には必ず敬礼をすることになっていました。「○○上等兵」のお墓と書かれていました。(最近親戚の人を通じて調べてもらったところ昭和13年4月26日中国広東省で戦死と書かれていました。今も残されています。今は敬礼をする人はいません)「○○上等兵」は被差別の方でした。疎開者で差別を感じていた私は問題に関心を持つようになって次第にこの墓の意味が分かるようになってきました。70年以上もたった今もこのお墓を鮮明に思い出します。
もう一つが「モーゼと呼ばれた男」(マイク正岡、ビル細川著)です。マイク正岡は日系2世アメリカ人で日本との戦争中に砂漠にある収容所に日系アメリカ人が強制的に入れられ多大の差別を受けていた時の日系アメリカ人のリーダとして活動した人物です。彼はアメリカ合州国に忠誠を誓うため志願して軍隊に入りイタリア戦線で武勲を立て負傷をします。彼の兄はイタリア戦線で戦死します。イタリア戦線では日系だけでの部隊が編成され数々の武勲を立てます。なお直接には日本に向かった兵は少なかったようですが、暗号解読などで日系人は重要な武勲を立てました。
さて以上の3事例に共通するものは? 戦争、差別、共同体から認められようとするアイデンティティ(この場合はナショナリズム)ですね。
なお、有吉佐和子の小説「私は忘れない」もこの問題に対するヒントを与えてくれます。それについては次回紹介の予定です。
戦争を媒介とするアイデンティティの確立、悲しいですね。最近のヘイトスピーチや戦争法案(安保関連法案)などによるナショナリズムというアイデンティティの確立も同じですね。悲しいですね。私は常日頃ナショナリズムは現代社会の悪の元凶だと思っています。勿論、戦争や、ヘイトスピーチなど他者排除でない健全なナショナリズムがあると考える人たち人たちも沢山います、いや定説でしょう。しかしながら私はナショナリズムは必ず戦争や他者排除につながると考えます。そうです。コスモポリタンこそこれからの人類の思想でなければなりません。
ついでに自己宣伝。 「北方領土を国連に 山田百三郎」でネット検索をしていただければ私のコスモポリタン的解決策の一つを見ることができます。
乞う、批判的なコメントを。