金→奴隷とヨーロッパ列強の富の源泉であるエルミナは彼らの争奪戦の地でもありました。1482年ポルトガル→1637年オランダ→1872年イギリス→1957年独立。ヨーロッパ列強の消長をそのまま表しています。
今は人口2万人の漁港になりました。
金→奴隷とヨーロッパ列強の富の源泉であるエルミナは彼らの争奪戦の地でもありました。1482年ポルトガル→1637年オランダ→1872年イギリス→1957年独立。ヨーロッパ列強の消長をそのまま表しています。
今は人口2万人の漁港になりました。
その後、金は急速に枯渇し、この地はアメリカ大陸での砂糖、タバコなどのプランテーション栽培、金銀の鉱山の労働力として大量の奴隷輸出港になります。もちろんエルミナも重要な奴隷輸出港になりました。写真はこの砦に残されている「アメリカに送られる奴隷(slave )の船待ちの出口」です。
私の子供時代はこのガーナや後日紹介予定のベナンに当たる地域すなわちギニア湾沿岸の地名は黄金海岸、象牙海岸、奴隷海岸などの名前でした。もちろんこれらの名前はヨーロッパ列強がこの土地から持ち出した商品にちなんで付けたものです。「海岸」というのもヨーロッパ列強が大陸内部にまで支配の手を伸ばしたのではなく海岸地域で砦を築きそこからアフリカ人国家と取引をしていたことを現わしています。
この地に最初にやってきたヨーロッパ人はポルトガル人でした。そしてこの地に最初に築いた砦がエルミナです。1481年のことでした。(1482年説あり)エルミナというのはポルトガル語で「金鉱山」という意味です。それから分かるようにここから大量の金が輸出されました。一説にはここを中心とした地域から16世紀初頭には地球に存在する10分の1の金が輸出されとされています。なお、2007年6月28日にヨーロッパと西アフリカの金交易について少し紹介しているので参考にしてください。
写真はサハラ以南で最古のヨーロッパ建築とされ世界遺産に登録されているエルミナ砦です。
彼の胸像が研究所にありました。頭の白いのは私のカメラの腕前がまずいのか、はたまたカメラ屋さんのプリントが悪かったのか、実際そうであったのか、今になってはよくわかりません。(2002年撮影)
子供の夢を壊すような本を数年前に読んだことを思い出しました。ベストセラーになった福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」です。
「数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとして全く顧みられていない」(p21)
「渡辺淳一の野口評伝『遠き落日』には「結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、許嫁や彼の支援者を裏切り続けたと活写している」(p22)
これらの話は専門家の間では常識のようです。
真実とは冷酷ですね。
児童文学「野口英世伝」はいつまで生き残るかな。千円札の運命は?
児童文学の偉人伝のトップはで何と言っても「野口英世伝」です。彼が黄熱病研究でアフリカにわたりその黄熱病に罹り亡くなったのはここガーナのアクラでした。(1928年)アクラ近郊に彼を記念した日本政府からの寄付で建てられた研究所がありました。(1979年)最近また研究充実のため日本政府の寄付の話があるようですね。
マリの次の訪問国はガーナでした。マリの首都バマコからガーナの首都アクラへ午後飛行機の予定でしたが予定の時間に飛ばなくてホテルと空港の間を何回も往復した結局翌朝の出発となりました。ほとんで眠っていない状態でのガーナの第一印象は「暑い」でした。ということはマリが涼しかったということでもあります。マリでは朝夕は寒いと感じるほどでした。
さてガーナといえば私の世代ではンクルマ(1909~1972)初代大統領です。
サハラ以南のアフリカで1957年初めて現地人が中心となってヨーロッパ宗主国から独立を達成した国がガーナです。それが刺激になり1960年代はアフリカ独立のラッシュとなりました。その独立の父とされたのがンクルマでした。彼はまた「アフリカ合州国」を夢見た人でもありました。しかし、経済政策の失敗でクーデタが起き1966年失脚しました。
写真はアクラにある彼を記念する公園です、中には入りませんでしたが彼を記念する小さい博物館もあるそうです。
ついでにガーナの著名人を紹介します。7代国連事務総長(1997~2006)アナン(1938~)です。彼は2001年にノベル平和賞を受賞し、2006年の引退時にアメリカ合州国の覇権主義を批判しました。
マリ共和国を通じてのガイドはアブドゥラさんでいた。名前でわかるようにイスラーム教徒です。ちなみにこの国の宗教はイスラーム教徒が85%、キリスト教徒が5%、伝統宗教が10%ぐらいです。彼は森本哲郎さんの著書「私のニジェール探検行」の時のガイドで森本さんの名刺を見せてくれました。彼は今マリは貧乏だが資源も豊富だし必ず豊かになると終始語ってくれました。
その彼について後日添乗員の本橋さんが次のようなことを教えてくれました。本橋さんが彼に独立(1960年)以前の話を聞くと涙ぐんで語りかけたので途中で話をストップしたそうです。
涙の理由はわかりませんが、今でもマリは世界10大最貧国の一つで生まれてくる赤ちゃんの24%が5歳までに死亡するそうです。(lonely planet Western Africa 5th edition)
なぜか、かれの写真がありません。代わりに?首都バマコの空港を紹介しておきます。
雑誌「週刊金曜日」2月11日号に私の投書が掲載されました。そこでこのブログにも転載します。
伊達直人現象に思う
閉塞状況にある日本で最近の明るいニュースは伊達直人現象でしょう。日本でこのような行動が外国に比べてすくないのは「恥じらい」の精神が日本人には強いからであるとのテレビなどでの識者の指摘があります。
私はそうではなく、このような善意の人がこの世にはいないと信じている多数の世間の人たちの常識が善意の人の行動を阻害しているような気がしています。
私の乏しい経験を紹介します。ある時ある事情で米が余分になったので、何か福祉関係で役に立てばと思い地域の民生委員に相談しました。ところがその方はそのお米を買い取りましょうと言われました。少し唖然として無料での提供を言いました。ところが引き取り来られた時には高価な果物をお持ちになりました。少し悲しくなりました。
知人の生活上のことで福祉事務所に連絡しました。その実態を話して説明をしたところ、そのことについての質問はほとんどなく、私と知人の関係について、「親戚か、近くに住んでいるのか」などの質問を執拗にされました。
またある人の生活上の問題の相談に乗り解決したところお礼をもらうためにしたと噂が立ちました。
伊達直人現象がこのような世間の常識の解消に役立つことを期待しています。