1852年に着工されたが未完成のままのミナレットです。というわけで少しずんぐりむっくりしていますね。
未完成の理由についてはいろんな伝説があるようです。このミナレットがここから400km離れたブハラを見張るためだということを知ったブハラのハーン(王)がミナレットの職人を買収して工事をやめさせたという話が一番有名なようです。完成すれば高さ80mだっただろう思われていますが、26mでの中断です。
写真は1910年時の大臣ホジャによって建てられたヒヴァで最も新しく、一番高いミナレット(注)です。高さは45m、基底部の直径は6.5mです。
なお、ヒヴァの場所については2006年12月29日の地図をご覧ください。この地図では「ヒワ」と表記されています。
(注)2008年6月12日、2008年11月5日、2009年7月11日をご覧ください。
ホテルが世界遺産と紹介しましたが、実はヒヴァは高さ8m、厚さ6m、長さ2100mの城壁に囲まれ、20のモスク、20のメドレッセ、6基のミナレットがある博物館都市でその全体が1990年世界遺産に登録された街なのです。
この城壁の起源は1世紀には作られたといわれています。そして城壁の中には古来からの風習で戦死した兵士たちの骨が幾千も塗りこめられています。
またヒヴァは中央アジアで最大の奴隷市場があった町としても有名です。1873年ロシアの支配下になるまで続きました。
ミチさんコメント有難うございました。私は肉体的にも精神的にもヴァイタリティはありませんが、ただ幼い子供のようなキョロキョロ精神だけで生きているようです。今後ともよろしくお願いします。
この21日にNHKTVの「世界びっくり旅行社」という番組を見ました。そこでの世界遺産に泊まるという話題で、中央アジア、ウズベキスタンの中世都市ヒヴァで世界遺産のホテルに泊まったことを思い出しました。そこで飛び入りにこのホテルと中世都市ヒヴァを紹介することにしました。
1852年にアミン・ハーンが建造した中央アジア最大の神学校(メドレッセ、マサドラ)は世界遺産に指定されていますが、現在ホテルとして使用されています。
ここで面白い話がありました。暑いさなか(私が今までに経験した最高の暑さ)観光を終えてこのホテルに帰りシャワーを浴びようとしても水が出ません。同行の人が旅籠の人に抗議に出かけると時間制限があり今樹木に水をやっているところで、少し待ってくれとのこと、彼は憤慨していましたが、私はなんとなくホテルの人の気持ちが分かるような気がしました。
昨日8月15日は日本敗戦記念日でした。そのときシベリアに抑留された人たちについては比較的良く知られていますが、ウズベキスタンなど中央アジアにもたくさんの人が抑留されました。2005年11月Ⅰ日、3日、7日にかけてその人たちの足跡を紹介しているので興味のある方はぜひご覧ください。
中国シルクロードのナンをナンナンと紹介してきましたが、ついでに他の地域のナンについても触れておきます。 写真はウズベキスタン、サマルカンドのバザールで写したものです。少し中国のものより分厚く大きいようです。