ブータンの外貨収入で最も重要なのはインドへの水力発電での売電です。水力発電と言っても大規模なダムを作っての発電ではありません、小規模な発電所です。写真は分かりにくいですがブータンで最初に作られた(1986年)チェカ発電所です。
ブータンの外貨収入で最も重要なのはインドへの水力発電での売電です。水力発電と言っても大規模なダムを作っての発電ではありません、小規模な発電所です。写真は分かりにくいですがブータンで最初に作られた(1986年)チェカ発電所です。
ブータンの道路事情を説明するに最も理解しやすい数字をあげると以下のようになります。パロ~タシガン(2011年8月23日地図)の直線距離は190kmですが道のりは590kmです。3倍以上ですね。日本では林道でも直線距離の1・6倍以内だそうです。(「現代ブータンを知るための60章」p56)これはヒマラヤ山中にあるという地形上やむをえない側面があります。アップダウン、カーブで直線道路はありません。手の届くような地点まで3,4時間かかることも稀ではありませんでした。しかし、パキスタンの道路のように恐怖を感じるような道路事情ではなく安心してのドライブでした。ちなみにブータンには鉄道はありません。
前回紹介したように道路整備はインドの援助で始まりましたが、現在もインドの援助で舗装化と2車線化(片道1車線)による拡張化が進んでいます。写真のようにインドからの労働者によるほとんど手作業での道路整備が行われています。
2011年8月23日、2021年9月13日~11月30日で 中断していた「ブータン」編を再開します。
ブータンは最近まで事実上鎖国状態でしたが、現在は開国?して近代化、グローバル化の波に襲われています。
2011年10月7日に紹介した「登山禁令」、2011年11月30日紹介のプラスチックの使用販売の禁止、2011年9月19日紹介の森林伐採許可制などその対応の例でしょう。
今回は主にインフラの側面から近代化、グローバル化のいくつかを紹介します。
ブータンでは1960年までは車が通れる道路はありませんでした。したがって勿論車も一台もありませんでした。
1954年生まれの後に先代国王の后妃(国王の家族関係については2011年9月16日をご覧ください)になるドルジェ・ワンモ・ワンチュックが1963年生まれ故郷ブナカ(2011年8月23日地図)からブータン国境近くのインドの学校へ留学することになり、まず首都ティンプへ馬で3日、そこからインドからの援助によるこの年開通した自動車道路をジープでのインド国境近くのプンツォリオンの行程をその著「幸福大国ブータン」(p107)で次のように述べています。
「この旅はティンプまではゆっくりとして楽しかった旅と対照的に、自動車旅行への入門としての火の洗礼であり、悪夢の旅でした。と同時に***未知の世界のへの入門**新しい惑星への旅立ちでした」
さて写真は首都ティンプのメインストリートです。車も見えますね。御堂のような建物がありますが、ここに警察官がいて交通整理をします。以前ここに信号機がありましたが国王の「景観上似合わない」との一言で廃止になり、現在ブータン国内には信号機はありません。私の知っている範囲では信号機のない国はここ以外にマダガスカルがあります。
カマグエイはキューバの中でも最もカトリックの信仰が深い街です。このカトリック教会を見てください。2013年5月23日に紹介したサンテリアとは異なってマリアが普通のマリアですね。現地ガイドがpure (純粋の)なカトリックだと紹介していました。