帰りもイラン人がたくさんでした。近くに日本語ペラペラのイラン人がいました。日本にかなり長く滞在しているようでした。写真のように頑丈な体をしていますが、イラン・イラク戦争」(1980年~88年 後記の予定)に従軍し腕にかなりの負傷の跡がありました。またクスリを飲んでいたので尋ねると、イラクの毒ガスの後遺症で呼吸器に傷害があるとのことでした。
coloさん、ミチさん、コメントありがとうございました。今回の「イラン」編は政治的に微妙な点についてすべては紹介できないこともありますのでご了解ください。
左の人が名刺をくれました。(画像)
裏のラテン文字表記には“ A. R. Sedaghat MD” (Head of Iranian Society of Radiology)とあるのでイラン放射線学会の会長さんのようです。
今回の飛行機はイラン航空で北京経由テヘラン(イラン首都)でした。何故北京経由なのかと思っていましたが、北京で多くの乗客が降り機内は4分の1程度になりました。北京で多くの客が乗り込み席は満室になりました。その多くはイラン人のようでした。私の隣に座った2人もイラン人でした。そして仕事ではなく観光客のようでした。隣の2人も観光旅行でした。
中国での観光の感想を聞くと私の腕を引っ張ってこのような目にあったとジェスチャを示していやな顔をして見せてくれました。何はともあれこれだけの人たちが中国観光旅行をしていたとは私の不明を恥じながら、ちょっとした驚きでした。
写真はその2人のイラン人です。