チャーチルのトレードマークの葉巻姿が見えますね。此の宮殿は現在博物館になっており当時の貴族の調度品や絵画が沢山ありました。
78歳になりました。病弱な私がこれまで生きてこれたのは自分でも不思議です。2005年10月に始めたこのブログもよく続いたものです。いつまで続けることができる分かりませんが、今後ともよろしく。
チャーチルが滞在したのはこのリヴァーディア宮殿から少し離れたアループカ宮殿でした。此の宮殿はヴォロンツォフ伯爵がイギリスの建築家にデザインを依頼して彼の所領の農奴を集め1828年~46年にかけて建設されました。
チャーチルはこの宮殿を大層気に入りスターリンにこの宮殿を買いたいと冗談を言ったところスターリンはあなたにはもっといい買い物がありますよ。それは社会主義です。とジョークで返したという話を現地ガイドが紹介してくれました。今の時代では面白いと感じる人は少ないと思いますが、歴史的には一定の意味があり同時にスターリンの当時の自信がうかがえる話です。
この部屋でスターリンと二人だけの会談が行われソ連邦の対日参戦がルーズヴェルトから強く要請されその見返りとして樺太、千島列島のソ連邦への引き渡しが決められました。その意味でも日本にとって重要な部屋です。対日ソ連邦の参戦を強く非難する日本人は多くいますが、これにはルーズヴェルトの強い要請があったことを知っておくことも必要ですね。また北方領土問題もこの時のスターリンとルーズヴェルトの会談に端を発していることも忘れてはいけないと思います。
なお、北方領土問題について2009年11月15日にこのブログで発言しているのでご覧いただければ幸いです。
アメリカ大統領ルーズヴェルトは病身(ヤルタ会談後間もなく19454月12日死亡)と小児まひのため車いすの生活であったため前回紹介した会議場のすぐ隣の部屋が彼のベットルーム兼執務室になりました。写真がその部屋ですが説明文ではロシア皇帝(ツアール)の “grand reception study”とありますが私の英語力では日本語に訳せません。