写真の中央のドームのある背の低い建物は1909年に竣工した旧横浜正金大連支店で現在は中国銀行大連分行になっています。新しくできた高層ビルに取り囲まれていますが現役なのですね。場所は中山広場(ロシア時代はニコライフスカヤ広場、日本時代は大広場)にあり、旧大和ホテルの真向かいにあります。したがって写真の広場は中山公園です。
さてこの「中国東北部5都市紀行」を始めてから連続して日本時代の建物、それも政治、経済、産業の中枢の建物ばかり紹介してきました。私がこのような紹介をしたのは韓国の場合と比較したかったからです。2011年6月27日に以下のようなことを書いていました。
「旧朝鮮総督府庁舎が残り韓国政府庁舎や国立博物館として使用されてきました。しかし韓国民の間でこの庁舎が日帝時代の嫌な思い出ということで撤去運動がおこり(賛否両論あり)1995年に取り壊されました」
このように韓国では日本時代の建物はこの旧朝鮮総督府庁舎の場合が象徴するように「嫌な思い出」として撤去されてきました。反対に中国ではむしろ積極的にこれらの建物が利用されています。皆さんこの違いは何に由来すると思われますか?皆さんのご意見を募ります。