10月2日~10月19日東・南アフリカへ旅行します。訪問国はケニア、タンザニア、ジンバブエ、ナミビア、南アフリカです。旅程図は画像の通りで赤線のルートです。したがってこのブログを10月22.3日ごろまで休載します。
偶然写真(上)のような風景に出会いました。(観光用ではない?)占いです。そこで近寄ってみました。地面には下の写真のように模様がありました。どのような占いか良く判らなかったのですが日本に帰って見た「週刊世界遺産NO85」(講談社)に次のように書かれていました。全文を紹介しておきます。
「村の重要事などを占うオグロスナギツネの足跡占い。オグロスナギツネは、未来を予言する力をもつ動物として敬われている。占い師が地面に質問を書き、夜オグロスナギツネが残す足跡から答えを解読する」
同じく写真は上下2枚です。下の写真のように太鼓と呪術的(私の感じ)な歌で踊られます。なぜかNHKTVではこの呪術的な歌がありませんでした。
2回目のNHKへの問い合わせの時はすでに担当プロデューサーが海外出張で話しを聞くことができませんでした。
写真は2枚上下にあります。ドゴン人の有名な仮面踊りです。このときはに不幸があったということで通常はその地で行われるのですが外の広場で行われました。観客は我々たった9人だけなのですがこんな盛大な仮面踊りを見せてくれました。上の写真の奥に見える観客は現地の人です。NHKTVでも話されていましたが、この仮面踊りの伝統を引き継ぐ人も少なくなり、また我々のような観光客の前で披露することも少ない?のでこのように村人が来ていたのではないかと思います。
おなじトグナでの写真です。この人物は多分ホゴンと呼ばれる村の精神的(spirits)指導者と思われます。ホゴンは白い服装をしているからです。ホゴンは村の長老から選挙で選ばれ6月間ひげをそらない、体を洗わないなどの儀式(イニシエイション)を行い正式にホゴンになります。
ドゴン人の村です。三角帽子の屋根の建物は穀物倉庫です。
NHKTVでは村人がこの上の断崖によじ登って祖先のお墓があると叫んでいましたが、これは少し不正確です。(9月15日放映「探検ロマン世界遺産)
14世紀初頭この地にドゴン人が来る前にはすでに先住民テレム人がいたのです。このお墓はこのテレム人のものでそれを現在ドゴン人が借用しているのです。そのことについてNHKTVの担当プロデューサーに尋ねてみましたが、番組の性格上あまり細かいことは視聴者に分かりにくくなるので省略したとのことでした。彼はこの村人がお墓の中からテレム人の使用していた土器など取り出して見せてくれたと話してくれました。私はその場面を放映しなくて良かったですね、といいました。何故ながらそこは世界遺産ですからと。そしてそれだけ調べられて先住民テレム人について番組では一切触れられなかったことは真に残念でしたと感想を述べておきました。
テレム人については殆ど何も分かっていないのですが、ドゴン人の話では身長は低く赤い肌をしていたそうです。ドゴン人がテレム人を追い出したのか、あるいは同化したのか良く判りませんが、このお墓だけでなく、穀物倉庫なども(写真のとは別)このテレム人のものを現在も借用しているそうです。(これはNHKTVプロデューサーの話)またこのお墓など今も行くことができない場所にあるところが多いそうです。したがってドゴン人はテレム人は鳥のように飛ぶことができたか、マジシャンだったと信じています。
この岩だらけの急な坂道(道とはいえません)を村人たちは写真のように荷物を運んでいました。なかにはたびたび立ち止まりながらゼイゼイと息を切らして荷物を運んでいる老婆?もいました。「生きる!」写真には撮れませんでしたが、その息遣いとその姿は私の脳裏に5年半経過した今でもつよく焼きついています。
ドゴン人が世に知られるようになったのは文化人類学者フランス人マルセル・グリオールの1930年~50年にかけての現地調査報告でした。一般に当時の文化人類学者や探検家は欧米列強の植民地政策の走狗としての役割を持っていました。彼も例外ではなくフランスの植民地政策にかかわりましたが、「彼は植民地同化政策に反対して、アフリカの諸民族が各々の文化と言語を保持しながら発展を遂げるべきだと主張」とは彼の著作「水の神」の日本語訳者の解説(p317)です。
写真は断崖の上の台地から下の断崖の村への道?です。多分今の私では降りていくことは不可能でしょう。
私の母語は岡山弁ですが、壮大な神話世界を持ち仮面踊りで有名なドゴン人の集落を見たときは思わず「ドエリャ」所に住んでいるものじゃとつぶやいていました。NHKTV9月15日放映「探検ロマン世界遺産 西アフリカ1」のアナウンサーは「絶景!」と叫んでいましたが。(以下この番組をNHKTVと略記します)
地理的位置は2007年6月16日の旅程図でご確認ください。この地はバンディアガラ断崖とよばれる大断層帯が150kmにも広がり、標高は500mにも及びます。ドゴン人はその断崖の上の台地、下の平原、そして断崖に25万人生活しています。
彼らは本来ニジェール川の流域に住んでいましたが、多民族との抗争から逃れるため14世紀初頭この地に移り住むようになりました。彼らは周辺の民族がイスラーム教徒化していくなかで伝統的な宗教観、宇宙観を持ち続けて来ました。そのためか他の民族からは野蛮人とみなされ、奴隷狩りの対象になってきました。それはごく最近まで続いたそうです。(「最近まで」というのはNHKTVの担当プロデューサーから聞いた話です)
写真は私が「ドエリャ」と思った断崖の台地から見た下の断崖の村です。