100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「臨時特別」編 レバノン

2020年08月21日 07時48分33秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 最近レバノンについてのマスコミ報道が少しにぎやかになりました。そこで2006年に当地を旅行した時のブログを少し再録、紹介します。
最初は2006年5月19日記載分からです。 
  レバノンの現地ガイドは女性のエリッサさんでした。(写真=背景はキリスト教徒が住むカディシャ峡谷)外貌は全くヨーロッパ人でした。目もブルーで、髪の毛はブロンドと黒のまだらでしたが、子供のときは完全にブロンドだったそうです。マロン派のキリスト教徒でした。(注1)毎日曜日ではないが教会に時々行くそうです。フェニキア人(注2)の末裔かとの質問にフェニキア人の遺伝子を持っていると答えてくれました。十字軍の遺伝子もあるのではないか、という質問をすべきであったと今になっては思っています。
 日産自動車のカルロス・ゴーン社長の父親がレバノン人であることも知っていました。
 彼女にもローレンスを尊敬していますかという同じ質問をしてみました。ヨルダン、シリアのムスリムガイドとは違って、積極的な感じはありませんでしたが、イエスの返事でした。サラディーンに関しても勿論肯定的でしたがあまり関心があるようには感じませんでした。 同行の1人がレバノン内戦(注3)について質問しましたが彼女は答えませんでした。彼女が心に深い痛みを抱いていると私は推測しました。 
 (注1) 典礼はギリシャ正教会と同じで、ローマカトリック教会に属し全人口 の21%を占めます。その他キリスト教徒には、ギリシャ正教会、ローマカトリック教会、アルメニア教会、プロテスタント教会などに属する人たちがいて全人口の14%を占めます。したがって全キリスト教徒は35%ということになり、その他はスンニ派、シーア派、ドルーズ派のイスラム教徒になります。ただしこれらの数字は政治的、宗教的対立の問題があり1932年以来国勢調査が行われていないため不正確です。ここに記した数字は“lonely planet “ の”Lebanon” によっています。(後記)政治体制は大統領がキリスト教マロン派、首相がイスラームスンナ派、国会議長はイスラームシーア派と決められています。
 (注2) フェニキア人は、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃にティルス、シドン、ビュブロス(現在のレバノン)などの都市国家を形成して海上交易に活躍し、のちにはカルタゴなどの海外植民地を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。フェニキア人は系統的には様々な民族と混交していたが、アフロ・アジア語族セム語派に属するフェニキア語を話し、言語的に見ればカナン人の系統にある民族である。彼らがフェニキア語を書き表すために発明したフェニキア文字は、ギリシャ文字・アラム文字・アラビア文字・ヘブライ文字など、ヨーロッパ(英語などのアルファベット)・西アジアの多くの言語で用いられる文字の起源となった。(ウイキペディアよりの転載)なお参考のために次ページにホームぺージWritten characters of the worldより転写したフェニキア文字を紹介しておきます。 
 (注3) 1975年から17年間続いた内戦 

 以下は2006年5月21日記載です。
 レバノンのベイルートでの話です。アレクサンダー大王の刻印をした古コイン(偽物?)を売っていた人に、キリスト教徒か、イスラーム教徒かを聞いてみました。イスラーム教徒と答えましたが、次に憤然として天(太陽?)を指差し、天の下にイスラーム教徒もキリスト教徒も同じレバノン人だと叫びました。今回の旅行中最も印象深く、感動的な瞬間でした。
(後記)この彼のこの言動がレバノンを知るためのキーだと今も思っています。皆さんはこの言動をどう理解しますか?ご意見をください。

 Lemonwaterさんコメントありがとうございました。わたくしには日中戦争と太平洋戦争とを分けて考えることについて論評する知識も能力もありませんが、なぜか、1905年の「桂・タフト密約」を思い出しました

 追加付録「パルミラ」1

2015年09月04日 08時36分48秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 

最近「イスラーム国」によるパルミラ遺跡の破壊が報ぜられていますが、このブログの2006年5月15日(「注」の部分、新聞報道より詳しい)5月17日、6月16日に紹介しているのでご覧ください。(左のカレンダーをクリックしてください)

 ついでに未紹介の写真を2枚。パルミラのメインストリートです。


「臨時特別」編 シリアのアレッポ1

2012年08月03日 08時21分58秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 シリア内戦の激化を連日マスコミは報道しています。シリア旅行は2006年4月でしたが現地ガイドのニダールさんが現アサド大統領の熱烈なファンであったこと思い出しました。それについてはこのブログで2006年5月15日に紹介しています。彼のmoderate(穏和、節度)という言葉は今も記憶に残っています。ガイドの仕事も少なくなっているでしょうし、どうしているか心配です。

またシリア第二の都市人口170万人(1999年統計)のアレッポで内戦が激化して20万人が脱出したという報道がありました。調べてみるとアレッポは訪問しているのですが、ブログでは紹介していませんでした。そこで平和時のアレッポを紹介してみることにしました。

写真はアレッポの城塞です。1098年1124年と2度にわたる十字軍の攻撃に耐えたアレッポの象徴的難攻不落の城塞です。

 


「世界の砂漠」編 ヨルダン ワディ・ラム7

2007年06月14日 08時55分41秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 砂漠、ラクダとくれば中東ではベドウィンです。(アラビア語ではベデゥbedu)しかし現在このヨルダンで遊牧をしている人たちは少なくなり、このワディ・ラムでは40家族ぐらいと推定されています。彼らの多くは観光業に携わっています。2006年6月14日に紹介した昼食時のCaptain Desert Camp はこのワディ・ラムにありますが、ホテル?でもあります。写真の岩山の下にある黒く見えるのがホテル?のテント客室群です。ここに泊まりたかったなー。(アルコールは厳禁ですが)


「世界の砂漠」編 ヨルダン ワディ・ラム4

2007年06月12日 08時49分14秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 写真のようにここを4輪駆動車でドライブしたのですが、殆ど砂(土)埃はしませんでした。砂(土)の粒子がタクラマカン砂漠と違って大きいのでしょう。 

 「満天の夜空に輝く銀河、日の出と落日の豪華ショー」とはガイドブックlonely planet(p211)のセリフですが残念、機会がありませんでした。

 ヨルダン政府はこの地の環境保護を訴えており王立自然保護協会(Royal Society for the Conservation of Nature )を1966年に立ち上げ、ここを訪れる人たちに「足跡以外は残さない、思い出以外は持ちかえらない」を呼びかけています。

 Coloさんコメントありがとうございました。ここの説明?に最初は「ここでは夫婦喧嘩なんて考えられませんよね」と俗物的に書く予定だったのですが。


「世界の砂漠」編 ヨルダン ワディ・ラム2

2007年06月10日 09時05分53秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 「赤く細かい砂の大地の中に、これ以上に武骨で荒々しいものはないと思われるような巨大な岩山が、あちらこちらそそり立っている」(地球の歩き方p95)とはガイドブックの説明ですが上手い表現なのでそのまま借用させてもらいます。

 タクラマカンとワディ・ラムは対照的な砂漠です。色彩?もそうですが、タクラマカンを女性的とすればこのワディ・ラムは男性的です。