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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「アルジェリア」編 ムザブの谷7 旧ユダヤ人居住区

2019年08月30日 08時12分14秒 | ユダヤ人

 

 わたくしはなぜか世界に散らばるユダヤ人の痕跡(ディアスポラ)に興味があり旅行の度に探して回る癖があります。パックツアーにはめったにそういうところにはいかないので自力での探索になります。そこで時には添乗員とトラブルになったこともあり、添乗員のアドバイスで行くことができたこともあります。現地のポン引きガイドにお前は”Japanese Jew?”と言われたこともありました。

 というわけで専門家は別としてわたくしほど世界に散らばるユダヤ人の跡を紹介して者はいないと自負しています。このブログでユダヤ人、シナゴーグを検索してみてください(右上にある検索欄)(カテゴリのユダヤ人はすべてをカバーしていません)世界各地のユダ人跡がたくさん出てきますよ。わたくしのこのブログでの自慢の一つです。

 さて今回のアルジェリアにはかなりのユダヤ人が居住していたようです。そこで今回もその跡を訪ねたいと思い事前に旅行社に問い合わせしました。しかしダメでした。現地でガイドに聞いても何も答えてくれませんでした。知らないのかと当初は思いましたが、今になって別の理由があるのではと思います。それについてはこの後。

 ここムサブの谷にもかなりの数のユダヤ人がイスラーム教徒ムザブ人と共存していたことは事前に知ってはいましたが、その跡を知ることはできないとあきらめていました。ところが突如伊藤さんがここムザブで「ここは旧ユダヤ人住居跡です」と説明がありました。たぶん私を意識しての説明だったように思います。それは後日の伊藤さんのメモ用紙には記載ないので。

 というわけでアルジェリアではここが(写真)唯一出会ったユダヤ人跡でした。

 ところでアルジェリアでのユダヤ人の社会的地位は少し他地域とは違っていました。フランス植民地時代アルジェリアでは原住民のイスラーム教徒は参政権を持たない下級市民でしたが、ユダヤ人はフランスの完全な市民権がありました。そこでアルジェリアが独立すると多くのユダヤ人はフランス国民としてフラン本土に行きました。そこで現地ガイドがユダヤ人についての質問に答えなかったのは、知らなかったのではなく、ユダヤ人への微妙な感情がそうさしたのではないかと私は思います。

                                                                                                                                                                                   


「キューバ」編 シナゴーグ2

2013年05月26日 08時32分32秒 | ユダヤ人

 

 内部の祭壇です。残念ながらこの日は土曜日でユダヤ人にとっては安息日(シャバト)にあたり一切の労働は禁止されています。したがってこの地のユダ人の歴史などの説明を期待していましたが駄目でした。教会のカギを開けてくれたのもユダヤ人ではない近所の人でした。

 シャバトについて2010年4月8にちょっと面白い話を紹介しています。

 


「キューバ」編 シナゴーグ1

2013年05月26日 08時28分21秒 | ユダヤ人

 私には世界各地のユダヤ人跡を尋ねる趣味?があります。このブログでも世界各地のシナゴーグ(ユダヤ教教会、祈禱所)などをかなり沢山紹介しています。そのような日本人は珍しいようでモロッコのマラケシュでは現地ガイドにお前は日系ユダヤ人かと尋ねられたことは2008年12月19日に紹介しています。そこで今回もガイドブックlonely  planet(p79)を見てみるとシナゴーグがハバナにということなのでツアーコンダクター(添乗員)の東山さんに頼んで現地会社と交渉してもらい、行くことになりました。Lonely planet によればキューバには約1500人のユダヤ人がいてシナゴーグは3つあり、ハバナのシナゴーグが一番大きく図書館などもあるという記載もされていました。そしてフレンドリーなスタッフがキューバでのユダヤ人の興味ある歴史を説明してくれると書かれおり非常に楽しみにしていました。ところが直前になってなぜか訪問が中止になりました。

 旅行4日目サンティアゴ・デ・クーパでこの地にもシナゴーグがあるということで訪問しました。写真は入り口のプレートは非常に見難いですが5689-5760という数字は聖書の神の天地創造の日(西暦紀元前3761年)を1年とするユダヤ暦の年号です。


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ユダヤ人 付録

2012年06月16日 08時38分56秒 | ユダヤ人

 

 この地すなわち東欧平原に居住したユダヤ人(現在多くはイスラエル、アメリカ合州国に移住しユダヤ人世界では多数派)は3系統あります。第1はアシュケナージと呼ばれる人たちでイディシュ語を話す人たちです。ユダヤ人の多数派です。第2は1492年にスペインを追放されたセファルディウムです。第3は7世紀~10世紀にかけて繁栄したトルコ系遊牧民国家、ハザール汗国の末裔です。ハザールのユダヤ教化について以前は上層部だけであったとされていましたが近年一般民衆にまで浸透していたと考えらえてきています。そしてこのブログで2009年7月1日に紹介したようにハザールの末裔=アシュケナージという説が近年有力になりつつあります。ヘブライ大学の教授でユダヤ人シュロモー・サンドの著書「ユダヤ人の起源」はイスラエルでベストセラーになり2010年に邦訳されましたが、そこでも「ハザールの末裔=アシュケナージ」説が主張されています。(もちろん学説としては反対意見もあります)もしこの説が正しいとされると、パレスチナの地を祖地とするイスラエル建国の理念シオニズムは破たんします。しかし強姦されて生まれた子にも生きる権利があるとサンドは述べています。

 ウクライナもロシアも自国を9世紀に成立し13世紀に滅んだルーシ公国の直接の後継者と主張していますが、山川出版の世界各国史シリーズ「ポーランド・ウクライナ・バルト史」(p100)によるとそのルーシ公国はノルマン人が南下したルーシ商人団とハザールの一族で建国されたとしています。またキエフと言う名前もハザールの将軍クイkyの砦からきていると記述しています。

 このように今回の訪問地は古くからユダヤ人とかかわりの深いにもかかわらず日本で一番売れているガイドブック「地球の歩き方」にもそのことにつての記述もなく今回のツアーコースに入っていないのであえてこの「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編で最初に取り上げることにしました。なお、この地出身の著名なユダヤ人の名前は数が多いので省略します。

 写真は最初に取り上げたキエフのシナゴーグの標識です。キエフユダヤ人共同体センターと書かれていますね。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ユダヤ人 チェルニフィツイ2

2012年06月13日 08時28分23秒 | ユダヤ人

 Lonely planetにも記載がありませんが、街でこのような建物を見ました。この地のユダヤ人の歴史・文化博物館と表示されています。中に入って見学をしたかったー!

 1908年に第1回イディッシュ世界会議が開かれていることからもこの地のユダヤ人の重要性は見てとれます。なお、イディッシュ語については次回紹介します。

 世界的に有名な詩人Paul Celan というドイツ系ユダヤ人の出生地です。私はこの人物を全然知りませんが、興味ある人がいらっしゃる、かもと言うことで紹介します。彼の記念館もあるようです。

 なおこのチェルニフィツイの町は「地球の歩き方」にも記載がありませんが、今回の旅では最も印象深い、興味のある町でした。半日の観光でしたが、丸一日をかけて観光する価値のある町だと思います。後日もう一度紹介する予定です。


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ユダヤ人 チェルニフィツイ1

2012年06月13日 08時22分24秒 | ユダヤ人

 

チェルニフィツイは5月14日の地図でお分かりのようにルーマニア、モルドヴァに近い国境の街です。歴史的には沢山の国がこの地を支配しました。(モルダヴィア公国→オスマン帝国→ポーランド共和国→ハプスブルク帝国→ルーマニア王国→ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国→1991年ウクライナ)

 したがって2001年の統計では65の民族の都市です。1930年の統計ではユダヤ人が最大で29%、ルーマニア人23%、ドイツ人21%、ウクライナ人19%の人口構成でしたが、現在はウクライナ人80%、ロシア人11%になっており、Lonely planetの表現によればユダヤ人、ルーマニア人、ドイツ人の社会は今やghostly presence (幽霊のような存在?)になってしまいました。

 そのghostly presenceの一つがかつてのシナゴーグで1954年劇場になりました(写真)。私には全然理解できませんがlonely planetによればアフリカ・中近東様式の建物だそうです。


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ユダヤ人 リヴィウ1

2012年06月10日 08時13分53秒 | ユダヤ人

 リヴィウは5月14日の地図をご覧いただければ分かるようにポーランドに近いところに位置していていますが、後日紹介するように現在ウクライナ民族意識の強い地域です。このリヴィウには第2次世界大戦以前には10万人のユダヤ人が住んでいました。大戦中にはドイツ、ポーランドからナチスに追われポーランド地域も含めてリヴィウ近郊のユダヤ人人口は60万になりました。そしてここに侵攻したナチスによって虐殺され生き残ったのは2名だけでした。(ウクライナ全体では90万人がナチスドイツに虐殺されました)現在のリヴィウのユダヤ人は約2000人です。

現在リヴィウには多くのユダヤ人に関係するところが残っていますが、訪れることができたのは市の中心部に残されていた14世紀(lonely  planetでは16世紀後半)に建設され1941年にナチスよって破壊されたGolden Rose Synagogueと呼ばれているシナゴーグ廃墟跡でした。繁華街の中心部にあり隣はレストランのオープンカフェで200坪ぐらいのフェンスで囲まれた廃墟でした。この地域のユダヤ人によるシナゴーグのレプリカ再建計画はあるとはLonely planet の記述です。ここでもその存在を知らない人が多くて同じ路を何度も行ったり来たりして尋ね歩き、歴史の移ろいを感じました。

 

 


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ユダヤ人 キエフ3

2012年06月07日 08時38分33秒 | ユダヤ人

 玄関から入ったところです。ホロコーストで多くの人が殺害されましたがキエフでは現在6万人のユダヤ人が生活しています。ここはその中心のシナゴーグのようです。不正確な私の知識ではキエフはイスラエル、アメリカ合州国以外では世界最大のユダヤ人居住都市ではないかと思います。

 同行の方がホームページを開設されていました。「好きなもの 猫と旅と」という名前です。 もちろん今回の旅について書かれています。多くのすぐれた写真特に建物が多いので大変参考になります。このシナゴーグについてもこの私の写真よりは優れているのでご覧ください。


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ユダヤ人 キエフ2

2012年06月04日 08時31分06秒 | ユダヤ人

 

 ホテルの近くだと添乗員の堤さんに教えられて出かけましたが稀代の方向音痴の私は沢山の人に「シナゴーグ」と言って尋ねました。意外にも尋ねた3分の2の人たちは首を振るだけでした。最後に出会ったのが写真の人でした。道路の掃除をしていた彼は掃除道具をその場に放置したまま足早にシナゴーグまで連れて行ってくれました。ユダヤ人ですかと尋ねるとそうだと答えてくれました。


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ユダヤ人 キエフ1

2012年06月04日 08時24分22秒 | ユダヤ人

 今回の旅行先は古くから多くの民族が通過し、定住した地域です。その中でもユダヤ人は政治・経済・文化的にも世界史に多くの影響を与えてきました。しかし現在はポグロム、ホロコーストなどと呼ばれている虐殺などでその多くはアメリカ合州国、イスラエルなどに移住してその数は非常に少なくなっています。

たとえばオデッサでは20世紀初頭、市の人口の3分の1を数えるまでになっていました。ところがポグロム(1905年)、ホロコースト(1941年―ナチ)により10万人のユダヤ人はアメリカ合州国ニューヨークなどに移住しました。現在ニューヨークには“Little Odessa”(小オデッサ)と呼ばれている街があります。

そこでこの地のユダヤ人の痕跡を訪ねてみようと思いましたが、このツアーのコースには入っていませんし、日本で最も読まれているガイドブック「地球の歩き方」にはユダヤ人についての記述は全くありません。したがって?日本人観光者には興味がない人が多いようです。Lonely planet“Ukraine “ にシナゴーグ(ユダヤ教の教会)などがキエフ、リヴィウ、チェルノフッイにあると記述されていました。(前記のオデッサについては歴史事実については述べられていますが、具体的な痕跡の紹介はありません)

そこであらかじめ添乗員の堤さんにlonely planet にある地図のコピーを渡して見学可能性を確かめてもらいました。そして幸いにも3か所とも見学できました。

キエフではホテルの近くにシナゴーグがあり見学できました。写真のように立派なシナゴーグでした。


「エチオピア」編 黒いユダヤ人=ファラシャ=ベタ・イスラエル2

2012年01月09日 09時03分13秒 | ユダヤ人

 この村のシナゴーグ(教会、祈禱所)跡です。ユダヤ人の象徴であるダヴィデの星の印が見えますね。

 アリアー後のイスラエルでのこの人たちの境遇は必ずしも幸せではないようです。文化の違いなどによる差別があり日本のマスコミでも差別に対する反対運動などが報ぜられたこともありました。エチオピアに帰りたい人たちもいるとの話も聞きます。

 また現在もエチオピアにはキリスト教に改宗したユダヤ人もいます。ファシュムラと呼ばれています。彼らは純粋のキリスト教徒でもなくまた当然ユダヤ教徒でもないという中途半端な立場であるようです。現地ガイドのダニエルさん尋ねたところ正確な数字は分からないが5000人程度いるのではないかとのことでした。

 余談噺。ファラシャのイスラエルでの境遇を考えていた時、気がついたことがありました。このようにイスラエルは各々異なる文化背景を持つ者の集まりです。もちろんユダヤ教という強い共通点はありますが。しかしファラシャのように文化的な違いが国家統一的イデオロギーを壊す可能性もあります。そこで政治的支配者がとる常套手段が過度に対外的危機を煽り国内矛盾から国民の眼を逸らす政策です。それが現在の必要以上のパレスチナ刺激政策ではないかということです


「エチオピア」編 黒いユダヤ人=ファラシャ=ベタ・イスラエル1

2012年01月09日 08時57分42秒 | ユダヤ人

 エチオピアには以前10万人を越すユダヤ教徒がいました。彼らはファラシャと呼ばれていましたがその意味が「よそ者」「流浪人」であることから当人たちはその言葉を忌避していてベター・イスラエルと呼ぶ場合があります。その起源には種々な説があり不明ですが1975年イスラエル政府がユダヤ教徒(人)と認定してイスラエルへのアリヤー(帰還)が始まりました。最終的には1991年のソロモン作戦(興味のある方は当時のイスラエル大使の筆になる「エチオピアのユダヤ人」をご覧ください)でほぼ全員のイスラエルへのアリアーが終わりました。

 したがって今ではエチオピアにはユダヤ教徒はいないのですが、私は世界各地のユダヤ人跡を訪ねる趣味?があるので、あらかじめ添乗員の安原さんに頼んでおきました。(もちろん観光予定地には入っていません)彼女は現地ガイドにその件をたのんで見ますとの返事でした。

 その私の希望がかないゴンダール近くで旧ファラシャの村に行くことができました。